私はなんてことをしてしまったんだろう。茶色く綺麗な髪が目に入るたび、罪悪感に苛まれる。
 昼休み、霜月さんはひとりでゆっくりとお弁当を食べている。その姿を私は自席に座って離れたところから見ていた。
 罪悪感とともに、妬みのような感情が湧くのを抑えられない。少し前までは、霜月さんも、私と同じで寂しそうにしついたのに。今は、ひとりなのに、ときどきどこか楽しそうにしている。
 そんなことをまだ考えてしまう自分に嫌気が差し、ため息をついた。
 それでもなお霜月さんから目を離せずにいると、教室に知らない女の子が入ってきて、彼女に声を掛けた。サラサラした黒髪で、大人びた感じがある。三年生だろうか。
 そしてなぜか、二人は話しながら一瞬私の方を向いた。なにか嫌な予感がする。
 案の定、大人びた女の子は、会話が終わると私の方に歩いてきた。
「あなたが、沢田詩保(さわだしほ)さん?」
「えっ、あっ、はい」
 先生以外から名前を呼ばれるのが久し振りすぎて、驚きつつ返事をする。
「美術部部長、三年の三谷です。いきなりごめんね。ちょっと、今から美術室に来てもらってもいいかな?」
「……はい」
 なにが起こるか、予想できてしまった。素直に席を立ち、三谷さんについていく。
 霜月さんも、美術部。だからこの人は、霜月さんと話していても全くおかしくない。
 喧騒から離れ、誰もいない美術室に着いた。
「沢田さん」
 落ち着いた口調で名前を呼ばれる。決してきつい表情や声ではないけれど、どこか有無を言わせない感じがある。
 なにを言われるか確信し、私は覚悟を決めた。
「霜月さんと永野さんを陥れたのは、あなただよね」
「……そう、です」
 ついに、知られてしまった。二人はネットに詳しくなさそうで、味方も学校にはいないと思っていたから、私が特定されることはないと、思っていたのに。この人の存在は一切頭になかった。
「……どうして、わかったんですか」
「根拠のない噂にも、発信源がいるはずだから。それをネットで探したの。そしたら、このアカウントが出てきて」
 三谷さんが見せてきた画面には、私のアカウントが映っていた。思わず目を丸くして、「あ」と小さく叫ぶ。
「やっぱり、沢田さんのなんだね」
 私のアカウントは誰にも教えていないはずなのに。どこから漏れたんだろう。
「それでさっき、霜月さんに訊いたら、更衣室を出たあと沢田さんとぶつかったって。それで、確信したんだよ」
「……霜月さんは、私が原因だって、知ってるってことですか」
「ううん、それは言ってないよ。でも、気付いてるかもしれないね」
「……」
 霜月さんはたぶん賢いから、三谷さんの話を聞いて気付いただろう。本人たちにまで知られてしまうなんて、最悪だ。
 三谷さんの言った通り、私は二人が女子更衣室の方から歩いてくるのを見た。そして更衣室に入ってみると、茶色い髪の毛が落ちていた。永野さんはおそらく入らないだろうと思っていたけれど、私はそれを撮影し、「永野遥の髪の毛」としてSNSに上げた。
「どうしてこんなことをしたのか、教えてくれる?」
 三谷さんは私を責める様子を見せず、話を聞いてくれようとする。それが信じられないけれど、口は素直に開いた。
「……最初は、ちょっとしたイタズラのつもりだったんです。ただ、少しだけ痛い目に遭わせたくて」
 イタズラのつもりだった。いじめっ子はいつもそう言う。でも、私は本当にそのつもりだった。
「そしたら、思ってたよりも炎上してしまって……。それを見たとき、すごく後悔しました」
 だから、永野さんが数日休んだだけでまた登校してきたとき、安心した。結局その後も休むことになってしまったけれど。
「痛い目に遭わせたいっていうのは、どうして?」
「それは……。私、霜月さんのことが、……気に入らなかったんです」
 私の醜いところが、次々と溢れていく。三谷さんが聞こうとしてくれているせいだ。
「霜月さんは、可愛いから、裏ではかなり男子から人気らしくて。それなのに、霜月さんは卑屈だから、見てて嫌だったんです。……でも、それだけなら、まだよくて」
 男子から人気の霜月さんが羨ましかった。それでも卑屈な彼女が、気に入らなかった。いっそ自分は可愛いと自信を持って振る舞ってくれればよかったのに。
 でも、そらだけならまだ、羨望くらいだった。
「霜月さんは、私と同じひとりぼっちだったから、親近感を抱いていたんです。もしかしたら仲良くなれるかもしれないって。それなのに」
 あの日、突然やってきた転校生が、私の心を暗くした。
「永野さんが来てから、霜月さんはひとりじゃなくなって、嬉しそうにしてて……。私はひとりのままなのに、霜月さんは勝手にひとりじゃなくなったことが、許せなかったんです……!」
 今にして思えば、あのときの霜月さんはあまり楽しそうではなかった。今の方がまだ明るい。でも、ひとりぼっちじゃないことが、当時の私には輝いて見えた。
「でも、わかってたんです。これがいけないことだって。本当にごめんなさい……!」
 私は三谷さんに向かって思い切り頭を下げた。私は最悪な人間だ。勝手に人を嫌って、羨んで、妬んで、傷つけて。
「……私に謝っても、意味ないよ」
 三谷さんの落ち着いた声が降ってくる。恐る恐る顔を上げれば、困惑気味の表情をしていた。
「……許して、くれるんですか?」
「ううん。許すかどうかは、私が決めることじゃない」
 確かにそうだ。私が謝らなければならない人は、別にいる。
「でも、謝れとも言わない。それは、あなたが決めることだから。私も、あなたを追い詰めたいわけじゃないよ」
「じゃあ、どうして」
「……誰が霜月さんを追い詰めたのか、単純に気になったからかな」
 三谷さんは元々、犯人を暴き出して吐かせようなんていう気はなかったのだろう。それは私にとって救いでもあり、罠でもあるような気がした。
「確認だけど、永野さんが暴行事件を起こしたっていう噂は、沢田さんが原因じゃないんだよね?」
「あ、はい……。あれは、違います」
 でも、私が原因でそれにつながったことは否めない。私は二人のことをどれほど傷つけてしまったのだろう。本来なら誤っただけでは済まない。
「それじゃあ、ごめんね、こんなところまで来てもらって。いろいろ話してくれてありがとう」
「え、あの……もういいんですか」
「うん。私の出番はここまでだよ。強いて言うなら……」
 一度言葉を切って、三谷さんは戸惑う私を見た。
「――謝るにしても、謝らないにしても、罪は忘れないで、抱えて、生きてね(・・・・)
 微笑んでそう言い残し、三谷さんは踵を返して去っていった。
 私はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。
 こんな私に生きる価値なんてあるのだろうか。
 幼い頃から会話が苦手で、教室ではいつもひとり。寂しさを押し殺して生きてきた。そんなときにスマホと出会い、苦しみを紛らすためにSNSに没頭した。けれどSNSに愚痴を放っても誰にも拾ってもらえない。振り向いてもらえない。
 私の孤独は増すだけだった。
 本当は、誰かと幸せに生きたい。それだけなのに。
『生きてね』
 最後の言葉が頭に残っている。
 もし、こんな私でも生きていていいのなら。幸せになるためな第一歩として、私がやるべきことは、これだ。
 私はポケットからスマホを取り出し、SNSを開いて、アカウントを削除した。