一週間ぶりに教室に姿を見せたとき、思っていたよりも注目を浴びなかった。みんなもう遥のことに興味を失ったのかもしれない。ただそうはいっても、ところどころから視線を感じた。
学校ではすぐに、遥がいない、ひとりぼっちの日常に戻った。けれど、遥との思い出が確かに私の中にあって、ひとりじゃないよと元気付けてくれる。
そして、その日常に戻って三日目。
朝登校すると、私の机の中に、青く輝く物が入っていた。
――ペンダント。
失くしたはずなのに、なんで私の机に。誰かが見つけてくれたのだろうか。とにかく安心した。
すぐさまそれを首にかけてみる。うん、やっぱり、これがあると落ち着く。
私の存在を確かなものにしてくれる、大事な大事な宝物。ぎゅっと握ると、体の力がほどよく抜けた。
放課後、さっそく、手術を終えた遥のお見舞いに行くことにした。お見舞いと言うよりは、ただ私が会いたいだけなのだけど。
軽くノックをして病室に入ると、小説を読んでいた遥が顔を上げた。
「雪乃ちゃん……!学校、お疲れ様」
私を見るなり、そう言って微笑みかけてくれる。それだけで今週の頑張りが報われた気がした。
「遥も……。元気そうでよかった」
もし手術が失敗してしまったらどうしようとか、遥が弱っていたらどうしようと、心配ばかりしていた。だから、安定している様子の遥を見れて心の底から安心した。
遥が消えてしまうのは、いちばん嫌だから。
「あ……」
突然遥が声を上げる。なんだろうと思ったら、遥の視線が私の首元に向いていた。
「ペンダント、見つかったんだね」
「うん。誰かが見つけてくれたみたいで」
学校を出たから、今は制服の裏から出してある。ペンダントは首元で青く輝いてくれている。
「……雪乃ちゃん、学校、どうだった?」
「今のところ、問題なく生活できてるよ。クラスのみんなも、全然なにも言ってこないから」
「そうなの?」
「うん。私もちょっとびっくりした……。でも、その方がありがたいけどね」
学校に行って視線を浴びることが最初の懸念だったから、それがなくてほっとした。ただ、遥に対してもクラスのみんながそうしてくれるかはわからない。
「遥こそ、本当に体調とか大丈夫?」
「大丈夫。今はむしろ、調子いいくらいかも」
「起きてる間は、さっきみたいに、本読んでるの?」
「うん。なかなか、たくさん読めることもないから、いい機会かも」
遥が今持っている本をちらりと見る。私も読んだことがある、青春恋愛系の小説だった。
「あれ?この本、前に図書室で話したやつだよね」
「えっ。よく覚えてるね。また、読みたくなって」
「いいお話だもんね。私もまた読んでみようかな」
「読んでみて!二回目でも新しい発見があるよ」
本の話をしているときの遥はすごく楽しそうだ。小さいときからそうだった。
「遥は、本当に本が好きだよね」
「うん。新しい視点を与えてくれるし、僕の、数少ない味方だから」
遥は手元の本を優しい目で見つめた。そんなに大切そうにしているのを見ると、なんだか本が羨ましくなる。
「遥なら、書く方にもなれそう」
「えっ、そうかな……?」
遥が目を丸くして私を見る。
「そうだよ。だって、いつも、言葉を大事にしてくれてるでしょ?」
遥に対してお世辞でこんなことを言うわけがない。これは私の本音だ。遥はちょっと頬を赤らめて目を逸らした。
「……雪乃ちゃん」
「うん」
「ちょっと、雪乃ちゃんだけには、言っておきたいことがあって……」
「……!うん」
雪乃ちゃんだけ。その響きが私の耳の中で反響する。
遥は少し間を置いて、それから意を決したように顔を上げ、私を見た。
「僕、小説家に、なりたい」
遥の口から出たのは、はっきりとした、強固な夢。それはきっと、簡単には言えないこと。私に話してくれたことが嬉しくて、でも、私でいいのという気持ちは拭いきれない。
「――うん」
だけど、話してくれたのだから、私もしっかりそれを受け取る。初めて聞いた、遥の夢。でも。
「……なんとなく、気付いてたよ」
「えっ!?」
「小説のこととか語ってると、ときどき、視点がそっち側だったから」
「そ、そうだったんだ……」
無意識だったのかもしれない。でも遥は、今回の一連の出来事でもそうだったけれど、嘘と隠し事が苦手だ。その純粋さがまた遥の魅力でもある。
「で、でも、それだけじゃなくて」
遥が恥ずかしそうにしながらも言葉を続ける。
「いつか、僕が、本出せたら、雪乃ちゃんに、カバーイラスト、描いてほしい……」
「えっ……!」
――さすがに、これは予想していなかった。思いもよらぬ言葉に動揺を隠せない。
「もちろん、雪乃ちゃんが、良ければ、だけど」
「ダメなわけないよ!むしろ、私でいいの……?」
「うん。雪乃ちゃんが、いい」
「……」
はっきり言われると、嬉しいと同時に、かなり恥ずかしい。
自分の絵のことについて、ここ一週間全く頭になかった。だけどここに来てそれを思い出す。
元々あまり描いていない人物画。描けなくなった心の絵。
でも、今なら、きっと描ける。
だって、いちばん大切な人から、必要とされてもらったから。
「遥。私、遥の本にふさわしい絵が描けるように、頑張る」
「ありがとう。僕も、みんなの心を救えるような小説、書いてみせる」
遥と一緒ならなんだってできる。そう思えた。
翌日の放課後から、私は再び美術室に通い始めた。そっと扉を開けて中を見ると、三谷さんがいつものように本を読んでいた。
「こんにちは、久し振り」
三谷さんの微笑みで、居場所に帰ってきたような安心感を得る。
こんにちは、と返して、席に着いた。三谷さんは特になにも訊いてこなかった。
絵、と一口に言っても、いろいろな種類がある。私が普段、ここで描いていたような水彩画と、本や漫画のイラストはかなり違う。今日は、大きめのキャンバスを用意した。
私にとって、絵は、自分の思いをぶつけられる場所。絵にすることで、自分だけの世界を形として表せる。そうすることで、自分でさえ気付いていなかったものが、見えてくることもある。
これから描くのは、私の〝心〟そのもの。
逃げたことで再び露わになった、私の本当の気持ち。
決して、明るい感情だけじゃない。息苦しさや深い傷は、そう簡単には消えてくれない。
言葉だけでは伝えきれない、そして言葉では伝えにくい、溢れるくらいの感情を、ここに、全部乗せる。
大切な君に、私の心のすべてを、届けるために。
私も、君の心のすべてを、受け取りたいから。
学校ではすぐに、遥がいない、ひとりぼっちの日常に戻った。けれど、遥との思い出が確かに私の中にあって、ひとりじゃないよと元気付けてくれる。
そして、その日常に戻って三日目。
朝登校すると、私の机の中に、青く輝く物が入っていた。
――ペンダント。
失くしたはずなのに、なんで私の机に。誰かが見つけてくれたのだろうか。とにかく安心した。
すぐさまそれを首にかけてみる。うん、やっぱり、これがあると落ち着く。
私の存在を確かなものにしてくれる、大事な大事な宝物。ぎゅっと握ると、体の力がほどよく抜けた。
放課後、さっそく、手術を終えた遥のお見舞いに行くことにした。お見舞いと言うよりは、ただ私が会いたいだけなのだけど。
軽くノックをして病室に入ると、小説を読んでいた遥が顔を上げた。
「雪乃ちゃん……!学校、お疲れ様」
私を見るなり、そう言って微笑みかけてくれる。それだけで今週の頑張りが報われた気がした。
「遥も……。元気そうでよかった」
もし手術が失敗してしまったらどうしようとか、遥が弱っていたらどうしようと、心配ばかりしていた。だから、安定している様子の遥を見れて心の底から安心した。
遥が消えてしまうのは、いちばん嫌だから。
「あ……」
突然遥が声を上げる。なんだろうと思ったら、遥の視線が私の首元に向いていた。
「ペンダント、見つかったんだね」
「うん。誰かが見つけてくれたみたいで」
学校を出たから、今は制服の裏から出してある。ペンダントは首元で青く輝いてくれている。
「……雪乃ちゃん、学校、どうだった?」
「今のところ、問題なく生活できてるよ。クラスのみんなも、全然なにも言ってこないから」
「そうなの?」
「うん。私もちょっとびっくりした……。でも、その方がありがたいけどね」
学校に行って視線を浴びることが最初の懸念だったから、それがなくてほっとした。ただ、遥に対してもクラスのみんながそうしてくれるかはわからない。
「遥こそ、本当に体調とか大丈夫?」
「大丈夫。今はむしろ、調子いいくらいかも」
「起きてる間は、さっきみたいに、本読んでるの?」
「うん。なかなか、たくさん読めることもないから、いい機会かも」
遥が今持っている本をちらりと見る。私も読んだことがある、青春恋愛系の小説だった。
「あれ?この本、前に図書室で話したやつだよね」
「えっ。よく覚えてるね。また、読みたくなって」
「いいお話だもんね。私もまた読んでみようかな」
「読んでみて!二回目でも新しい発見があるよ」
本の話をしているときの遥はすごく楽しそうだ。小さいときからそうだった。
「遥は、本当に本が好きだよね」
「うん。新しい視点を与えてくれるし、僕の、数少ない味方だから」
遥は手元の本を優しい目で見つめた。そんなに大切そうにしているのを見ると、なんだか本が羨ましくなる。
「遥なら、書く方にもなれそう」
「えっ、そうかな……?」
遥が目を丸くして私を見る。
「そうだよ。だって、いつも、言葉を大事にしてくれてるでしょ?」
遥に対してお世辞でこんなことを言うわけがない。これは私の本音だ。遥はちょっと頬を赤らめて目を逸らした。
「……雪乃ちゃん」
「うん」
「ちょっと、雪乃ちゃんだけには、言っておきたいことがあって……」
「……!うん」
雪乃ちゃんだけ。その響きが私の耳の中で反響する。
遥は少し間を置いて、それから意を決したように顔を上げ、私を見た。
「僕、小説家に、なりたい」
遥の口から出たのは、はっきりとした、強固な夢。それはきっと、簡単には言えないこと。私に話してくれたことが嬉しくて、でも、私でいいのという気持ちは拭いきれない。
「――うん」
だけど、話してくれたのだから、私もしっかりそれを受け取る。初めて聞いた、遥の夢。でも。
「……なんとなく、気付いてたよ」
「えっ!?」
「小説のこととか語ってると、ときどき、視点がそっち側だったから」
「そ、そうだったんだ……」
無意識だったのかもしれない。でも遥は、今回の一連の出来事でもそうだったけれど、嘘と隠し事が苦手だ。その純粋さがまた遥の魅力でもある。
「で、でも、それだけじゃなくて」
遥が恥ずかしそうにしながらも言葉を続ける。
「いつか、僕が、本出せたら、雪乃ちゃんに、カバーイラスト、描いてほしい……」
「えっ……!」
――さすがに、これは予想していなかった。思いもよらぬ言葉に動揺を隠せない。
「もちろん、雪乃ちゃんが、良ければ、だけど」
「ダメなわけないよ!むしろ、私でいいの……?」
「うん。雪乃ちゃんが、いい」
「……」
はっきり言われると、嬉しいと同時に、かなり恥ずかしい。
自分の絵のことについて、ここ一週間全く頭になかった。だけどここに来てそれを思い出す。
元々あまり描いていない人物画。描けなくなった心の絵。
でも、今なら、きっと描ける。
だって、いちばん大切な人から、必要とされてもらったから。
「遥。私、遥の本にふさわしい絵が描けるように、頑張る」
「ありがとう。僕も、みんなの心を救えるような小説、書いてみせる」
遥と一緒ならなんだってできる。そう思えた。
翌日の放課後から、私は再び美術室に通い始めた。そっと扉を開けて中を見ると、三谷さんがいつものように本を読んでいた。
「こんにちは、久し振り」
三谷さんの微笑みで、居場所に帰ってきたような安心感を得る。
こんにちは、と返して、席に着いた。三谷さんは特になにも訊いてこなかった。
絵、と一口に言っても、いろいろな種類がある。私が普段、ここで描いていたような水彩画と、本や漫画のイラストはかなり違う。今日は、大きめのキャンバスを用意した。
私にとって、絵は、自分の思いをぶつけられる場所。絵にすることで、自分だけの世界を形として表せる。そうすることで、自分でさえ気付いていなかったものが、見えてくることもある。
これから描くのは、私の〝心〟そのもの。
逃げたことで再び露わになった、私の本当の気持ち。
決して、明るい感情だけじゃない。息苦しさや深い傷は、そう簡単には消えてくれない。
言葉だけでは伝えきれない、そして言葉では伝えにくい、溢れるくらいの感情を、ここに、全部乗せる。
大切な君に、私の心のすべてを、届けるために。
私も、君の心のすべてを、受け取りたいから。



