あれから俺は中々タイミングが掴めずにうみくんと会えずにいた

(こんなに会わないことって今まであったかな〜)

自分の大抵の記憶の中には常に彼がいてそれが当たり前になってしまっている事に今更気付いても遅いわけでこうして机に突っ伏す事しか出来ない

「捨て猫か?捨て猫なのか?」

「捨てるもなにも飼われてもねぇって、そもそも誰が猫だ」

前の席に座ったビーが面白そうに茶化してくるがこいつのカラッとしてる所を案外気に入っているので悪い気はしなかった

「なぁ、不思議だと思わねぇ?」

「...何が」

「とぼけんなよ、うみだようみ」

案外敏い彼は話から逃げられないように軌道修正して俺の眉間に人差し指を突き立てる

「いたい」

「おかしいと思わねぇの?」

「眉間を押し潰そうとする事なら俺もおかしいと思うけど」

「違ぇよバカ、話逸らすな」

「はぁ...一人や二人新しい友達が増えるなんて別にどーって事無いだろ?」

流石にジトッとした目に微かなイラつきを感じて頭も心も通らない言葉が喉から零れた

「はぁ、お友達ねぇ、本当にお友達なのかねぇ」

「何が言いたいんだよ」

「まぁまぁそんな怒んなよ、っにしても大層過激なお友達なこったなぁ」

勿体ぶった言い方に少しムキになる俺を鎮めるように伸びてきた手が頭を抑える、スイッチか何かになった気分だ

「...わかんねーよ、俺にも」

「ん?」

手が重くて頭が傾いたのかそれとも自発的に俯いたのか下がった視線に映る机の木目に呟きが落ちた
普段気にもしていない前髪も今日だけは有難く感じる

(わかんない...)

あの日届いた連絡はごめん、しばらく一緒に帰れないという一言のみで最初のうちはまたすぐに元の日常が戻ってくると思っていたのに時間が経てば経つほど焦燥感が募っていく

「俺帰る」

モヤモヤした気持ちのまま机に掛かった鞄を手にして立ち上がると慌てるビーを差し置いて踵を返した

(あぁ〜もう、何なんだよ)

床に乱雑に鞄を放り投げドサッと身体をベッドに沈める、廊下を歩けば顔見知りの生徒が声を掛けて根掘り葉掘りあいつの事を聞いてくるのが鬱陶しい、憂さ晴らしでもするようにポケットから取り出したイヤフォンを耳にはめるとスマホの音量を上げた

(俺に聞いてもわかんねぇつーの)

帰るとは言ったもののこれと言った用も無ければ陽の高い時間に暑い外を歩くのが億劫だった為、実習に使われなくなったベッドが放棄されている空き教室でサボる事を決めたのだ

「フンフン〜♪」

ノイズキャンセリングで外界と遮断され音と二人、耳から入り頭を通り鼻から抜けて行くみたいに気持ちも言葉も音みたいに通り抜けていったら良いのに

(〜♪)

一曲目が終わり二曲目が始まると流れ出したイントロに眉を顰めた

(前言撤回、いや、まだ言葉にしてないから前言でもないか...違ったなぁ通り抜けるなんて嘘だ、何回聴いたってこんなに)

胸元で握っていたスマホに力を込める、こんなにも蟠りを残して心にいつまでも滞っているものは何なのか、微かに浮上した気持ちをまた現実に引き戻されていらない考えがぐるぐると回る

「き〜みはいーつもかぁってだぁ」

口から掠れるように出た歌詞は誰もいない教室に振動を与えただろうか、脱力して重い腕を瞼に乗せると微かに届いていた明るさも暗闇に染った

(勝手なのはどっちだろうな...)

例え全てを教えて貰った所で目を背けて分からないフリをするのが分かっていて俺はうみくんの犬にも猫にもなれないのだ、そして俺もうみくんを縛り付ける事は出来ない、今も昔も変わらずに俺達は互いに変化を望んでいない

(馬鹿だなぁ)

「っい、おいっ」

「...へ?」

身体に触れる体温と左右に激しく揺さぶられる感覚に焦ってイヤフォンを何処かに落としてしまったようだ

「お前いつもあの女装男と一緒にいるやつだよな」

「は、はぁ?とりあえずその手、離してもらっていいかな」

突然の事に頭が追いつかないが身体は見ず知らずの体温にザワザワと鳥肌を立てているしこちらだけ寝たままというのも分が悪い

「あっ、あぁ悪い」

「いや、いいけど何?」

ゆっくり上体を起こして目の前でモジモジとしている茶髪の男子生徒を見つめる、悪い奴では無さそうだが授業中にここに来るなんて悪い奴なのだろうか

「あ、ごめん、ここ使いたかった?」

強引に起こした割には何も言ってこないので勝手に結論付けて早急にここから退場してしまおうとベッドから足を下ろした

「ち、違う」

「そう、あ〜何だっけ、俺とうみくんが一緒にいるって?」

要領が掴めないのもそうだが解決の糸口すらも見つからないのは困るので原点に戻って質問してやる

「ひなが...ひな...うっ」

「おいおい、男が突然泣くなよなぁ、情緒不安定か?そもそもひなって誰だよ...」

目に涙を溜めて顔を覆った男が女の子の名前を繰り返すので慌てて脳をフル回転させそんな名前の女の子と交流があったか確認しつつ次を促すようにした

「最近っズビッひながっあのオカマと過ごしてるから」

「なるほどな〜、それで俺に話しかけたと」

ズルズルと鼻を啜りながらやっと納得できる言葉が出てきて安心と共に特に知りたくもない名前の情報まで追加されどいつもこいつも暇なのだろうか

「君その子の彼氏なの?」

「違うけど...好きなんだ...」

「期待に添えなくて悪いんだけど俺は何も知らないよ」

話の流れから親密な関係かと思いきや彼の一方通行なのかもしれない、男の慰め方など知らなければ生憎こちらも先程相手の名前を知ったばかりの情報弱者である

「嘘だっ、あのオカマを庇おうとしてるんだろ」

「嘘じゃねぇって、あとさぁオカマオカマって馬鹿の一つ覚えみたいに言いやがって、うみくんな、名字は八月一日でほづみ、八月一日うみ、分かったか?」

「名前なんてどうでもいい」

一々嫌味っぽいのが癪に障るので訂正させてもらうがあっさり切り捨てられた、それには俺も完全同意だ

「君は何でそこまでその子に執着してるのさぁ」

「俺は...俺はひなと今までずっと純粋に向き合ってきたのに笑って話しを聞いて大切な約束だってしてくれた、ポッと出の男か女かも分からないようなやつにそれを邪魔されたくないだけなんだ」

要するにその約束とやらで不確定な未来でもチラつかせてこいつはまんまとその思わせぶりな態度に純情を弄ばれている俗に言うキープ要員なのか

「恋愛は個人の自由だけどさぁ、君は顔も悪くないんだから真面目でもっと性格の良い子でも見つけた方がいいんじゃないの?」

「君、それ本気で言ってるの?」

「まぁ、本気も何もその大切な約束?とやらを君としておきながら噂通りの行動を取ってるんだとしたら誠実さに欠けるな、と思っただけ」

そんな奴は辞めておけなんて言ったところでこういう輩に話は通じないので他に目を向ける事も大切だと暗に教えたつもりなのだが先程までの哀愁は何処へやら顔がみるみる紅く染まっていき怒りを滲ませる

「俺にはひなじゃなきゃダメなんだひな以外ありえない」

「そうか、お前がいいならいーんじゃねぇの」

お手上げだとばかりに全肯定ターンに入る、是非ともその愛の熱量を彼女にぶつけて出来ることならば俺のハッピーライフを速やかに返却して欲しい所だ

「君は何も分かってないっ!」

「うぉっ」

いつの間にか火に油を注いでいたらしくヒートアップした男が勢いよく伸ばした手に身体があっさり突き飛ばされた

「っぶねぇな、床だったら頭打ってたかもしれねぇだろーが」

「ひなが君達と同じ中学だったって聞いたんだ、その時は何も気にならなかった、なのにあの男を見るひなの目を見て気付いたんだよ」

ベッドと言っても放置された簡易ベッドなんて強く打ち付ければそれなりに痛いし驚く、顔を顰めて起き上がろうとする前にギシギシパイプが悲鳴を上げた

「...分かったから、退けよ」

「何で離れてんだよっ!お前らは普通じゃねぇだろ!こっち側に来てんじゃねーよっ」

言葉よりも先に覆われるように乗り上がり顔の両サイドにつかれた手がシーツを集めるように力を篭めたのが気になってパーソナルスペースもクソもない最悪な状況に背筋が冷えていくのを感じた

(普通じゃない...ね)

「ずるいむかつくむかつく許せない」

不意に上体を起こしたと思うと骨ばった指がワイシャツの襟元を掴み軽く俺の背が浮いた

「はぁ...お前は俺を殴ったとして満足できるのか」

腹部に感じる人の熱、影が落ちて見えない表情、スッと挙がった腕が見えて我慢の限界だった、いくら理不尽を言われようが構わないが暴力だけは頂けない

「そりゃぁさぁ、許せないよな」

肺に空気が入っていかない、浅くなる呼吸に視点が定まらなくなる

「だってっ、はぁ、うみくんは、かわいくて、かっこよくて、おまけに歌も上手で、やさしくてさぁ」

胃の不快感と口内に溜まる唾液で舌っ足らずのようになってしまったが思わず嘔吐かないように手の甲で口を塞ぐ

「ずるいよなぁ、お前はぁ、なんも、わるくないよ」

シャツにポタポタ滲みを作る水滴を眺めながら空いた手で目の前の茶髪をよしよししてみる

「俺も、うみくんがいないと、ダメだからぁ、ひなちゃん?にはあげれないし、離れてるって思われてもね、っ俺らはぁふつう?じゃないからぁ、っ、まともになれないからぁ、傍にいないとっだめなのにねぇ」

息を吐くように言葉を吐き出す、ひくつく喉、酸素が足りなくて長く話すと呼吸が苦しい、朦朧とする頭では考えがまとまらないのに自然と出たその言葉達がしっくりきて口角が上がった

「お前っ」

「だいっ丈夫だから、とにかくどいて」

「お、おいっ顔真っ青だぞ」

やっと変化に気付いたらしい男が慌てて上から飛び降りて心情的には少し楽になる

「と、にかく、お前そんな悪いやつじゃなさそぉだしっあんま、感情的になるなよ」

額からこめかみに流れた汗の感触が気持ち悪いのと酷い頭痛に胃がひっくり返りそうだ、そうなる前にいち早くこの場から立ち去り独りになりたかった

「そんなんでどこ行くんだよっ」

「帰んのぉ、じぶんっ大切にしろよ〜」

お気持ち程度の別れの挨拶をして鞄を拾い上げると早急にトイレに駆け込むべく教室を飛び出した