「〜♪」

(あぁ、だめだ、これは)

いけないものを過剰摂取させられるような音の濁流に呑まれて目眩がする

(かっこよすぎる...)

もう文句を言うものなど誰一人いない、それくらい会場は熱を上げて一つ一つの振動に一体化していた

「キャーッ」

「うみくーん!」

あちこちから歓声がとめどなく溢れる、彼の口が動いて紡がれる低くてでもどこか少年らしさを残した声色が耳に入る度お腹の底がゾクゾクするような感覚とギターを鳴らす度サラサラの髪がライトに反射してキラキラ輝くのを視界が追いかける

「...はぁ、次がラストになるんですけど」

溺れるような音が収束して流れるように駆け出した曲はあっという間に終わりを告げることを彼の言葉によって認識させられた、ずっと聴いていたいと思うのは俺だけではなく至る所から感嘆の声が聞こえてきた

「集まってくれた人の中には俺に言いたい事がある人もいると思うんです」

始まってから喋る事もなく音を奏で続けていたうみくんが一言喋るだけで雰囲気がガラッと変わる

「同情とかそーゆーのが欲しい訳じゃないんですけど次の曲は俺にとって凄く大切で公の場で歌うのは今日が初めてなんです」

本当に大事そうにギターを撫でる指先も伏し目がちな瞳も優しくて愛おしそうで静まり返った室内が全員大人しく耳を傾けていた

「ただの身の上話になっちゃうんですけど俺姉を中学の頃に亡くしててその姉が好きだった曲なんです」

スラスラと放たれた言葉なのにすっと息を飲むような緊張が走るような感覚

「これを歌う気になったのは好きな子のお陰かな」

真剣な眼差しに柔らかさが浮かんで口角が少し上がった気がする、好きな子今一番注目の高いそのワードに張り詰めたような空気が霧散して周りも俺の心もザワザワと揺れた

「巷で噂になってるみたいだけど俺はこれを期に前に進めたと思う、ちっちゃい頃から俺はずっとその子が好きでその子はねーさんが好きで振り向いて欲しかったんだけど...もうその必要も無くなったからさ」

元々表情豊かなタイプでは無いうみくんの顔をどう受け取ったのか啜り泣く音まで聞こえてくるが俺にはその顔が満足気にしみじみ納得してる風に見える

「好きな男の子と付き合えたから寧ろ感謝してます、それじゃ、ラスト聴いてください」

スッと顔を上げてニッコリ笑うと宣言するように言い切った言葉にしんみりしていた空気が雄叫びに変わった、オーとかキャーとか悲鳴も鳴り止まぬうちに始まった前奏を聴いて喉に何かがせり上がってそれを押し出すように目頭が熱くなる

「最後の〜曲だね」

何度も聴いてきたラストにピッタリな歌詞に手の甲で口を抑える、そうしていないと溢れてしまいそうだったから

(ずるいよ...)

他の二曲と比べ物にならない程優しい声色が伝わってきて脳裏に浮かぶ彼女の顔、うみくんと心が重なったように気持ちがシンクロしていると思った

「〜♪」

優しい旋律が徐々に盛り上がりサビに入ると曲を口ずさむ観客に会場が揺れてそれに反して繊細な歌声が微かに揺らぐのを感じると彼も堪えているんだと胸が苦しくなる

「うみくん」

小さく呟いた言葉が彼に届くわけもないのに身体が前のめりになるほど強く目を凝らしていた、汗ばんだ君の顔が振り返る、その瞬間全身に電流が走った

「最後の四小節ー」

曲調が変わり本当のラストスパートが始まる、両手で握り締めたマイクに力が込められているのが分かるこんなに感情的に歌ううみくんを初めて見て足の先から頭のてっぺんまで全ての筋肉に力が巡る

「 さよならぁああー!」

震えた歌声、身を削るような叫びが会場に響いて目尻を水滴が流れ落ちるのを感じた、これ以上ないほど込められた感情が昇華されたように消えていく

「〜♪」

もう終わってしまう、本当にこれで最後なんだと甘い傷が疼くように感傷に浸って抜け出せなくなりそうだった、早く温もりに触れたい、触れて安心したいそんな欲が頭をもたげて踵を微かに上げ下げして堪える

「ありがとうございました」

鳴り続ける割れんばかりの拍手と歓声、息が切れているのか吐息混じりに締めてマイクをスタンドから外すとビーに丸投げして自分は肩から外したギターをせっせとケースに詰めている

「あー、知ってる人も多いと思うけどー、ボーカルは2-2八月一日(ほづみ)うみでしたー」

未だに冷めない熱で野次やら口笛やらが飛び交って盛り上がりはピークに達している

「えっと次はー、ベース、2-4シイナぁ」

「めっちゃ投げやりだな〜、いいけどさぁ〜」

ステージ上でマイクを渡され通常運転で喋りだしたシイナを呼ぶ女の子達の声にひらひら手を振ってファンサービスをしている様はアイドルのようだ

「ちょっ、うみ!」

軽やかな音を立ててギターケースを背負ったうみくんがステージから飛び降りるのを珍しく慌てた声がマイクに乗る

「俺が今喋ってんのに〜」

引き止める声も気にせずこちらに向かってくる金髪美少年に耳をつんざく甲高い声と構わず話し続けるシイナの声が何ともカオスだ

「っ、いいの?」

「いいよ、走って」

最近走ってばかりだな、なんて思いながらもつれそうになる足を一生懸命動かして引かれるままに走り出す

「はぁ、はぁ...やばい疲れた」

「大丈夫?はい、飲み物ど〜ぞ」

「ん、ありがと、喉カラカラで干からびる所だった、まさかこんなに追われるとは...」

「俺の苦労少しは分かった?」

逃げては隠れ、見つかっては走りを繰り返してやってきた校舎外れのプールサイドでコンクリートの上に大の字で息を荒げるうみくんに傍の自販機で購入したペットボトルを渡すと一気に半分程飲み干して沢山歌った後にあれだけ走ればそうもなるかと気の毒に思う

「髪の毛切っちゃったんだね」

「長い方がよかった?」

寝そべる彼の頭上にしゃがみこんで髪に触れると覗き込む形で切れ長な目に見つめられた

「ううん、どっちも好き、だけどちょっと...」

「ちょっと?」

「ドキドキする」

どうしてだろう、最近では家で何度も見ていたはずなのにイメチェンというやつなのだろうか、見慣れない制服姿に男の子を感じているのかさっきまで触れて安心したいと思っていたのに近くにいると落ち着かない

「ふーん、じゃあもっとドキドキして貰おうかな」

「え、いやちょっと待って」

他にも聞きたい事が山程あるのに腹筋を使って飛び起きたうみくんの手が頬に添えられて整った顔が近付いてくるとさっきまでキラキラしていたのも相まって身体が硬直した

「っ、?」

「ビックリした?」

思っていた衝撃とは違い包まれた香りと体温にフッと力が抜けて悪戯に笑う顔が近くにあった

「...むかつく」

「えぇ〜、怒ってる顔も可愛いね」

「うみくんは可愛くない」

「可愛くない俺は嫌い?」

「〜っ、かっこよくてずるいっ、好き!」

何だかチャラ男になってしまったのか笑い声を上げてからかってくるのも心臓をギュッと握られているようで自分ばかり恥ずかしくなり抱き締めるという逃げの一手を打つ事になった

「耳まで赤い」

「うるさいっ」

「こっち向いて」

面白がるのはやめたのかお願いするように頼まれては断れず渋々顔を上げるとスポットライトに当たってギラギラしていた目が今はただ優しく愛おしいとでもいう目線が降り注いで思わず目を伏せると顎を上に押し上げる指先に強制的に視線が絡まる

「つゆちゃん」

今度こそ本当に重なると思ってキュッと目を瞑った時

「逃走犯みっけ〜」

「おーいたいたー、お前いないのにアンコール続いて司会の子大変そーだったぞー」

「...はぁ」

「溜息とは失礼な奴だなー、どっかの誰かさんが校内回れないからって折角出店の食いもん持ってきてやったのにー」

「ビーは分かってないなぁ〜、つゆ〜首まで赤いぞ〜」

「お前も人の恋路を邪魔すると馬に蹴られるぞ」

「うみがこんな所で破廉恥な事してる方がわりぃだろ〜」

咄嗟にうみくんの胸元に顔を押し付けて隠れてしまったが入ってきたのが顔見知りで良かったと心の底から思った、俺の肩口に乗った顔から溜息が漏れて、首を突く指先をえーいちが止めた事に感謝する

「とりあえず食べよーぜ」

気にせず陽気な雰囲気を作り出すビーに救われて顔の熱も冷めた頃もそもそと這い出して皆でチープな味付けの焼きそばやらたこ焼きを食べながら終わった文化祭は思い出に深く残る日になった