何がどうしてこんな事になっているのか、垂れてくる汗を袖で拭って足をせっせと前に出す

(クズって普通知れ渡ったら引くものじゃねーのかよ〜!)

心の中で悪態をついても誰にも届かないのは分かっていても流石にここまで追いかけ回される事になるとは思いもよらずさながら某番組のハンターから逃げる逃走者の気分だ

(なんで?やっぱそこら辺緩いと私もいけるかも〜とかなっちゃうの!?私も私もってテーマパークの整理券じゃないんだからさぁ〜!)

これが有名税というやつなのか、角を曲がり姿を隠して続々と通り過ぎる足音が遠くなると一気に脱力した、暫くは動けなそうだ

(これじゃもはやお祭りか何かだな...)

身体の疲労感に途方に暮れそうになりながら蹲っているとグイッと腕を引かれる浮遊感、ついに見付かったかと息を飲んだ時

「っ、うみく」

「シー」

マスク越しに人差し指を立てて目を細めるお祭り騒ぎの中心人物がそこに立っていた

「ど、どうして...」

「んー、つゆちゃんに会いたくなっちゃったから?」

どうしてここに居るのか聞きたかったのにマスク越しでも分かるくらい悪戯な顔で笑っているうみくんをみたら上がった体温が更に一度高くなる

「って言うのはほんとだけど実はあいつらから連絡貰いました」

「だよね」

掴まれた腕からそのまま下に移動した手が俺の指先に絡まる、カラカラとスマホを見せて笑う彼はいつもと違ってスポーティな格好に帽子に眼鏡をしていた

「ほい、これ被ってて」

脱いだ帽子を深く被らせ手を引いて歩き出す

「見つかったら不味いよ?」

「大丈夫大丈夫、誰も気付かないでしょ多分」

語尾に付けられた言葉に一抹の不安を覚えるが確かにここまで印象が変わっていると気付かないかもしれない

「どこいくの?」

「どこでしょー」

ルンルンと楽しそうに見える背中には黒いギターケースと繋いだ手と逆の手に下げられたビニール袋が揺れている

「うみくん」

「なに?」

「俺も会いたかった」

今日一日で怖い程彼へ向けられた好意を思い知り、朝も会っていたはずなのに隣を歩くかっこいい男の子を随分長く焦がれていた錯覚にひんやりした手を強く握り締めた

「かわい〜、つゆちゃんも一緒にサボればよかったのにー」

「そーゆー訳にもいかないだろ」

「はぁ〜、そんな所も好きなんだけどね」

キリッとした眉がへにゃっと緩んでも美形の横顔は相変わらず整ったまま雰囲気だけを和らげてこの表情を独占してるのが自分だけだと思うと喜んでいる自分がいる

「ちょ、ここ」

「許可は取ってるから」

「許可って...」

見知ったビルにズカズカと入り込んで促されるまま階段を上がっていく、知ってはいても近付いた事すら無かった建物、寧ろわざと目を背けてきたのでこんなにも綺麗に改装された事すら知らなかった

「流石にこれだけ登ると疲れるな」

普段学校で何回も階段を昇り降りしていても一気に6回も駆け上がると息も上がる、一呼吸おいて銀のドアノブに手を掛けると灰色の扉が鈍い音を立てて隙間から入り込んだ風が俺達を包んだ

「風きもち〜」

「うみくん...」

気持ち良さそうに目を細めて遠くを見るうみくんの手をクイッと軽く引いて振り返った顔を注視する

「ごめんね、嫌だった?」

自身の眉が下がってプラスな表情を向けていない事は分かっていた、きっと今同じ表情をして心配しているのは互いの事

「ううん、大丈夫、うみくんは」

その後続ける言葉は何が正しいのか分からずに詰まっていると伸びてきた手が頭に優しく添えられた

「ちゃんと向き合おうかなって思ってさ、付き合ってくれる?」

「うん」

カサッと白いビニール袋を掲げて困ったように笑いかける彼を何だか今すぐ抱き締めたくなってそれを抑えるように精一杯の笑顔で頷いた

「俺なりに考えたんだよ」

「何を?」

「姉さんに何持ってこうかなって、花はやっぱり然るべき所にまた供えに行くからさ」

高いフェンスの傍で風に靡かれながら何やら袋からガサゴソと取り出してベリベリとパッケージを破る音やカシュッと缶のプルタブを開ける音を聞きながらその背を見守る

「ここ、こんなに綺麗になってたんだね」

「うん、結構最近事務所かなんかになったみたいだけどあんな廃ビルだったのにな」

そう、ここは数年前まで廃ビルでホームレスや悪ガキが蔓延るような誰でも立ち寄れる建物でこんなフェンスも無かった

「つゆちゃんこっち座って、はい」

金網に指を掛けて薄暗くなっていく空をぼんやり眺めているとカコンッと地面に缶を置いてその場に胡座をかいたうみくんが隣に来るようペチペチと地べたを叩く

「ん、ありがと、っておいこれ!」

「あははっ、まーまー飲まなくていいからさ形だけ」

隣に着席すると渡された缶の絵柄を見てそれがお酒だと気付く、楽しそうに声を上げて笑いながら自分の分を袋から取り出したので呆れて手元に視線を落とした

「姉さんももうハタチだからねー」

言われた言葉にハッとした、とても長く感じていたのに気付けば俺達は彼女の生きていた年齢を追い越そうとしていて何もかも大人びて見えた事もいざ自分がその歳になるとまだまだ子供なのだ、二十歳という歳が遥か遠くに感じると苦しんだ期間があっという間のように感じる

「何か時の流れって怖いね」

「そーだね、とりあえず献杯でもしときますかー」

「献杯ってそんなノリでするものなの?」

「だってしっぽりとかあの人に一番似合わないでしょ」

三つの缶が合わさって軽快な音を立てる、少し口付けた初めての飲み物はぬるくて甘くて鼻を抜けるアルコールの匂いにジュースが恋しくなった

「うーん、不味いっ」

「コーラ飲みたいね」

顔を見合せて同じ感想を抱くと自然とお腹を抱えて笑っている、ここでこんなに穏やかな気持ちでいれる日がくるなんて思いもしなかった

「っ、え?」

風も沈黙も心地よくて流れに身を任せチビチビと缶を傾けていると喉が熱くなる感覚、カチッとボールペンの頭でも押したような音に目を向けると空いた口から吐き出される白い煙が独特な匂いを乗せて鼻腔を掠める

「うみくん不良になるの?」

「にが、なんないよ、吸い込まないと火つかないから一口だけね」

顰めた顔もなんだか様になっていて人差し指と中指で挟んでいた煙草を地面に置かれた缶のプルタブに差して立て掛ける一連の動作から何故か目が離せなかった

「これは線香の代わり」

夕暮れの辺りが冥色で染まる中ジリジリと赤く燃え広がる火と伸びる灰を膝に顎を乗せ眺める、暫くそうしているとムニッと細い棒で唇を突かれる

「ん、何かいつもと違う、でも美味しい」

「夏季限定らしいよ?」

口に押し込まれたお菓子を咀嚼しながら味わっていると地べたに置かれたギターケースを開けて慣れたように一度弦を丁寧に鳴らす

「〜♪」

(お菓子も歌もあおちゃんが好きなやつ...)

風に舞った灰が音に合わせて踊ってるみたいに見えてフェンス越しに彼女の影が見えた気がした

「泣いてたのかな...」

全然そんな素振りは見せなかった、いや見せられなかったのかもしれない繊細な彼女は歌に気持ちを込めていたのだろうか

「つゆり...」

真っ直ぐな目と目が絡まる、弱まった音と手元を見なくても弾ける程手に馴染んだ曲、何度も何度も繰り返し聴いた、彼女がどうしてここを最後の場所に選んだのかそれでも分からなかった

「俺歌うよ、皆の前でこの曲」

「っ」

「大切だからこそ聴いて貰うべきだと思うんだ」

俺達はもうここに縛られているわけにはいかない、ケジメでもあるのだ今度こそ俺は気付ける人になりたいから