「んんっ」

鼻から漏れる自分とは思えない上擦った息、前にも一度体験している気がするがそれよりも性急で荒っぽい手つきで裾から侵入した手は本当にうみくんなのか心臓が強く脈打つ

「うみくん、やめっ」

「かわいい」

「やめろってばーーっ!」

ジタバタ藻掻いてもうんともすんとも言わない相手がこんな時ばかり満足気に顔を歪ませてそれが気に食わず力の限りを込めて突き飛ばす

「何先走ってんだよ!はぁはぁ...」

「つゆちゃん...?」

まだゾワゾワと余韻の残るせいなのかそれとも怒りなのか火照る顔で肩を上下しながら睨み付ける

「何でかなんてこっちが聞きてーよっ!どーしていっつもそーなんだよ!?俺は...俺はうみくんのなんなの?分かんないよ馬鹿っ」

捲し立てるように息継ぎもしないで言い切った男子小学生のような捨て台詞、しかしそこに居るだけでいいなんて物みたいでいくら昔から俺を上手く誘導するのが得意なうみくんでもこのまま流されるわけにはいかない

「つ、つゆちゃんごめん強引だったね焦っちゃった、俺はつゆちゃんの事が好きだよ?大好き」

「やめてよ!そんな言葉聞きたくないっ、俺もうみくんも何も無いただの空っぽだよ、何でいつも一人で決めちゃうの?」

また何も見ていない取って付けた言葉達、中身なんて空で少しでもうみくんの背負う負担を分けて欲しいだけなのに

「俺が始めた事だからつゆちゃんは気にしなくていいんだよ、勝手に決めてごめん、でもつゆちゃんに重荷に感じて欲しくないだけなんだ、だって俺はつゆちゃんが居れば」

「居るだけでいいってこと...?ねぇ、うみくんはお人形遊びって言ったけどお人形はどっちだったんだろうね」

本当にそこに俺はいるのだろうか、一人で重いものを背負うその背に隠れたままで何が出来るのか

「そうだよ?つゆちゃんは居てくれるだけでいいんだ、俺はつゆちゃんに笑ってて欲しくてそれだけで良くてそうすればなんでも乗り越えられるって」

「ははっ、笑って脚でも開いてろって?」

「...は?ちがっ」

「もういいよ、そんな俺いらないじゃん!」

「つゆちゃんっ!」

思わず溢れた失笑、ワンテンポ遅れて咄嗟に出てしまったのであろう怒りの声が珍しく居ても立っても居られなくなり後ろで引き止める声も無視して駆け込んだ部屋に鍵を掛けた

(ムカつくムカつくムカつく...)

頭に血が上って部屋に閉じこもったけどあんな皮肉うみくんが思うわけない、結局の所例え寂しさが昇華されたとしてうみくんの傍から離れられるわけが無いのだから

「つゆちゃん、つゆちゃん、俺の為に色々考えて言ってくれたんだよね?俺幸せだよ?でも自分のせいなのに心配なんだ、それで遮ってあんな事してごめん、つゆちゃんが嫌ならもうしない、方法だって別のを探すよ?俺つゆちゃんの為ならいくらだって変われる」

矢継ぎ早に紡がれるどれもが焦っていて本心とそれでも理解に苦しむように提示された妥協案がご機嫌取りではなく地雷を踏み抜く行為にすり替わる

「やだっ!聞きたくない聞きたくない!もううみくんの事なんて何も聞きたくない!もうやめる!全部!無かったことにしてよっ!!」

何を言われても心に留まらない癇癪が止まらない、全て言い切ると頭に昇った熱はピークを超えて冷えてくる

「はぁ、はぁ...」

上がった呼吸を整えて暫しの沈黙の後、ガリガリと扉を引っ掻くような音が続いてゴンッと打ち付けるような物音と少しの振動を感じた

(流石に言いすぎたかな...)

久しぶりにここまで感情的になってしまって少し罪悪感が生まれてくるそれでも後悔は無い

「...やだよ俺"つゆり"とじゃないと生きていけない」

切れかけの糸みたいに切羽詰まった独白がやっと心に落ちてきた、じわっと滲む視界に怒りが変換されていく

「そうだよ、俺は"うみ"くんと生きていきたい」

開けた扉の先で蹲る小さな身体とその手を取って次こそはその内に触れられるようしっかり見据えて言い放つ

「もういいんだよ、俺の中にもうみくんの中にも生きてるんだ、形になんてしなくていい、あのね...俺の中のあおちゃんが『もぉあんた達は馬鹿ね〜早く墓参りにでも来なさいよ!』って言ってる気がするんだけど、うみくんはどう思う?」

「っ」

俺達はずっと誰かからの許しを待っていたのかもしれない、冷えきった廊下に不釣り合いな跳ねるような言い回し、彼女みたいに場を温める力は無いかもしれないけれどこれが俺の中の追憶

「大切に想う気持ちは笑ってるだけじゃ、形だけじゃ駄目なんだ、だからもうやめよう?苦しかったけど楽になっていいんだよ、もう荷物を下ろしてもいい、うみくんもあおちゃんも想う気持ちが心にあるなら自分を大切にしなきゃいけない、それはうみくんも一緒でしょ?」

自分だって自信はないそれでも分かる事はこれ以上苦しみ続ける事を誰も望んでいないと思うから不安定な道も二人で進まなければいけないと思う

「できるかな?」

「大丈夫、出来てるよ」

揺れる瞳に少し光が差して目尻から伝う涙を優しく拭う、自分の頬にも伝う生暖かい水滴にやっと気持ちを理解しあって分かち合う彼女への哀悼になった気がした

「もう1回ぎゅってしてください」

「うん」

「俺にもうみくん守らせてよ」

俺の身体を包む温かい存在、圧倒的にキラキラしてて可愛くて強いそんな面ばかり見てきて気付いたらその背しか見えなくなっていた、でも今度はその脆い部分を俺が守っていきたい

「一人で思い詰めないで、辛かったら辛いって自分を傷付ける前に俺を思い出して、一緒に分けよ?」

「つゆちゃん...俺あの女の子に出鱈目な投稿流されてそれが今も沢山世間に拡散されてると思う、だからそれを撤回するには"普通"に戻る事しかないと思う...」

「うん」

ぽつりぽつりと零れた言葉を聞き逃さないようしっかり耳を傾けて深く頷いた

「もうこんな事も最後かな、ちゃんと終わらせないと」

「...違う、うみくん違うよ、最後なんかじゃない、俺達は変わらないんだから、あおちゃんはずっと俺達の心で眠ってる、起こせばいつだって返事をくれるよ」

普通に戻るという事は長年の見た目を改めてそこから生まれたものが消えるような感覚になるのはお互いに感じていたと思う、吐き出すような諦めの言葉を否定して本質は別の所にあるんだと再確認した

「っ、そうだね、うん変わらない」

「うみくん酷い事ばっか言ってごめんね」

表情に少し赤みが戻ってそんな相手に罪悪感が込み上げて素直に謝罪を口にする

「俺もそんな事言わせてごめんね、ご飯食べよっか」

「うん!」

申し訳なさそうな顔を見合わせて困ったように笑う顔、釣られて自分の口角も上がっているのに気付かず既に冷めきったご飯を二人分温めて食後のプリンはいつも以上に甘く感じた