しとしとと長く降り続いた雨が水溜まりを作り靴が濡れるのも後に怒られる事になるのも気にせず退屈しのぎに踏み付けて跳ねる水飛沫を楽しんでいた

「グズッ...」

パシャパシャ宛もなく水溜まりから水溜まりへそうして移動した先に君がいたんだ

「どうしたの?転んじゃったの?」

駐車場の片隅に隠れるようにして座り込んでいる同い歳くらいの少年を見つけて声を掛ける

「どこか痛いの?お名前は?」

俯いたままフルフルと首を振るだけでズルズルと鼻をすする音が聞こえてくるので好奇心に抗えず次々と質問を投げてみる

「...つゆ...つゆり...」

「君の名前つゆりって言うの?俺とお揃いじゃん!」

か細い声で弱い雨音にすら負けてしまいそうなのを聞き取り昔母親に教えて貰った知識を使う事は無いと思っていたのにまさかこんな所で発揮する事になるとは

「お名前...つゆりなの?」

疑わしげに覗いた顔をみて一瞬時が止まった、何故ならキョトンとした顔に腫れた頬、切れた唇、鼻血の跡がアンバランスでよく見ると靴を履いていない事や露出した肌が変色していて幼いながらに彼の異常性を感じていた

「ううん、俺の名字なんだけど八月一日でほづみって言うんだ、つゆりって五月七日だろ?」

潤んで充血した目は兎、というよりかは捨て猫のような少年と目線を合わせて勘違いを解く為知っている知識を意気揚々とひけらかす

「そ、そうなの?」

「そうなんだよ、だから俺ら一緒だねっ」

不安そうに震える身体、恐怖に染った瞳が少しでも落ち着くようにニッコリ笑い掛けるとつゆりの身体からフッと力が抜けたのを感じてその手を取ったのが俺達の始まりだ

「あおちゃんっ!」

つゆりは男の人が怖いのか出会ってすぐに姉に懐いた、少し、いや大分ショックで自分が見つけたのにと拗ねて素っ気ない態度が板に付いてしまったのを姉は気付いていたと思う

「つゆちゃんはと〜っても可愛いから大きくなったら私のバンドに入れてあげる〜」

そんな無責任な約束をして彼女も生傷の耐えない彼をとても可愛がって心配しているようでつゆりが彼女を見る目がキラキラと憧れと好意を含んでいる事を嫌という程思い知らされる

「あおいが...あおいがっ」

時が経ち一年一年急速に伸びた背にもう幼い子供とは言えない真新しい制服、怪我をする事も徐々に減って安堵したのも束の間、姉の死によりまた自分の無力さを突きつけられた

「"つゆちゃん"どーかな、似合ってる?」

やっと増えた笑顔を失いたくなかった、彼女を想う気持ちも嘘では無い、でもそれより彼からその想いを向けられたいと思った、綺麗事で片付けられない醜い感情

「いや、ちょっとビックリして、似合ってると思う」

案の定彼は戸惑いながらも俺を受け入れた、欲に弱い本当に可愛い子、そこから新たに始まる生活は腫れ物に触れるような付かず離れずで歳をとればとるほどクオリティの上がった女装に口を出す者は誰も居なくなった

「あ、君つゆちゃんと仲良い子だよねっ」

「えっ、あ、はい!」

「可愛いねー、こいつ俺の友達なんだけどね君と仲良くなりたいらしくてさ、ちょっと遊んでやってくれない?」

高校生にもなると猿のように血気盛んな色恋沙汰から遠ざけるようにつゆりと仲のいい女の子に顔だけは一丁前に整っている友達を紹介すれば頬を染めて大体上手くいく、それくらいの気持ちなら初めから近寄らないで欲しい

「もうだめなんだね、ごめんねうみくん」

音信不通で部屋に倒れていた彼はとても不安定で小さい子がするように身体を丸めてグズグズ泣く姿に血の気が引いた、目の前で今迄積み上げてきたもの全てが崩れさろうとしている、誰が彼をこんな風に壊したのか怒りや哀しみ恐怖、色んな感情が一気に押し寄せて気付いた時には自分の目からも涙が溢れていた

「...ん...うみくんっ!」

「っ...」

「やっとこっち見た〜ぼーっとしてるね、眠い?」

「お昼食べたらちょっとね」

「分かる〜ご飯食べた後の古典とかさいきょーに眠いよね〜」

不思議そうに覗いていた目と目が合わさると嬉しそうにニッコリ笑って相槌を打つ少年が可愛くて可愛くてあの日失う事にならなくて良かったと心から思う

(あの女が何もしなければいいけど...)

最後にはっきりと釘を刺したつもりではあるが如何せん頭の弱さに不安が残る、ただ何かをする訳でもなく俺の顔を見てにこにこしているつゆりにさえ何も無ければそれで良かった

「ん?誰だろ」

机に置いていたスマホが何度も点滅してメッセージを知らせる為の振動に二人の視線が集まる

「珍し、えーいちからだよ」

なんの迷いも無くスイスイ画面を移動する指先、小さな爪すら愛着が湧く

「ふふっ」

どんなやり取りをしているのか口に手を当てて堪えようとしても鼻から抜ける笑い声と揺れる身体に相手が分かっているだけに尚更モヤモヤする

「嬉しそうだね」

「うん、ちょっと待ってね」

嫌味なつもりで言ってみたのにノーダメージとばかりにスルーされてつまらない

「う〜ん」

「ばか」

キーボードの上を走るように素早く打ち込まれていく文はそこそこ長いのか椅子の背もたれに体重を預けてカタカタしながら集中しているので俺の小声の悪口は届いていないようだ

「ちび」

「おっけ〜おっけ〜」

「あほー」

どちらへ向けた相槌か、多分やり取りに対しての方が大きい気がするが何も響いて無さそうで次の言葉を考える

「ねこちゃん」

「にゃーん」

「もう終わったの?」

「うん、今度ビーの家で焼肉しよって」

一段落したのか机にスマホを置くと返事の代わりに一度鳴いてしたり顔で見上げてきた、分かってても心臓に悪い可愛さに悶絶しながら癖毛な頭を撫でる

「可愛いね」

「焼肉?」

「つゆちゃんが」

頭を差し差し出して掌に押し付けるのが本物の猫みたいで考えるより先に口から出ていた言葉に変な勘違いをしたつゆちゃんが眉を寄せた

「にゃん」

「はぁ、また予定決まったら教えて」

「うん、何持ってこうかなぁ〜」

赤く染った耳の縁に照れ隠しでもう一度鳴いたのかなと思うと愛おしさが込み上げて胸が苦しくなる、楽しそうに先の事を考えて笑うこの時間を自分は守れているのだとその驕りがまた弱い部分を引きずり出す事になるとはこの時はまだ知らなかった