あの日、窓際の席で教師の声よりガラスを叩き付ける雨音の激しさにぼんやりと意識を割かれてこんな日はお家に籠って大人しく静かなBGMでも流して読書でもしていたいな何て気侭に考えていた

「つゆり!!」

パシャンッと勢いよく開いた教室の扉が大きな音を立てて今までの鉄壁の表情が見た事のない焦った顔をして俺の手を痛いくらい強引に掴んで歩き出す

「ちょ、うみくんどうしたの?」

何も言わず手を引き続ける彼の背と別の教科を担当している先生が担任と少し会話をして俺達の後を付いて歩く、突然授業中に舞い込んだ出来事に生徒達は騒然としそれを教師が宥めている

「車回すからここで待っててね」

バシバシ傘に突き刺さっては跳ね返る水に柄をしっかり握り締めてうみくんの肩が濡れないように注意する、誰も何も言わなかった、聞くことも憚られる雰囲気に何が起こったのか拙い頭では考えも付かなかった

「ぅっ...う"...」

「母さん」

「うみ...うみ」

自宅に送り届けられた俺達は結んだ手を一時も離さないように熱くなるほど固く繋がれていて何度も過ごしたリビングの異質な光景にただ立ち尽くす事しか出来ない

「あおいが...あおいがっ」

久しぶりに繋がれた手、大きくなった背中が泣き崩れる母を抱き締める後ろ姿、いつも元気溌剌な彼女が小さく見えるほど憔悴して未だに信じられないと言うように声を震わせながら、その時俺は大好きな人を失った事を知った

「つゆちゃんありがとね」

そこからはあっという間に事が進んで身内だけで執り行われた小さなお葬式も今目の前にある四十九日の祭壇も全てが形だけの儀式に思えて心だけが置いてけぼりにされた感覚だった

「いえ、俺は何も...」

「そんな事ないわ、ずっと私達の傍に居てくれたんだもの」

そう言って優しく微笑む目の下には日に日に濃くなる隈に何と声を掛ければいいのか分からない俺はやはり不甲斐なく何も出来ていないと思う

「お茶淹れるわね、うみ呼んできてくれるかしら」

俯いた俺の心情を察したように頭を優しく撫でる手が彼女に似ていて苦しくなる、線香の匂いが充満した部屋から離脱して言われた通り部屋に呼びに行く

「うみくんー、お茶淹れるって...」

何度かノックして足を踏み入れると寝不足で可笑しくなった頭がついに幻覚を見せ始めたのかと瞼を忙しなく何度も動かした

「あお...ちゃん?」

最初に目に映った後ろ姿は出会った当時の彼女とそっくりで居るわけが無いその名を口に出す

「"つゆちゃん"どーかな、似合ってる?」

「っ」

耳で感じる声の違いに分かっていても振り返ると共に広がったスカートも喋り方も笑う顔も彼女を思い出して驚きよりも先に存在を確認するように手を伸ばして指先が肩に触れた

「うみくん?」

「なーに、つゆちゃん」

「いや、ちょっとビックリして、似合ってると思う」

男子中学生といってもまだまだ薄さを残した発達中の体と元々の中性的な面持ちが違和感を感じさせない、しかし彼がふざけてこんな事をするような人間では無い事を俺はよく知っている

「そっかー、うんうん我ながら可愛いよね」

「うん...可愛い」

姿見の前でそっと自分に触れるように手を伸ばすと反対の指で裾を摘んで可愛いと思ってるだけには見えない眼差しを向けているがきっと自分も同じ目をしている気がした

「...馬鹿だって、くだらないって言ってもいいんだよ?」

何年も共に過ごした幼馴染を呼びに来たら姉の服で女装していた何て世間様には言えないだろうしこんな状況でもなかったらきっともっと違う言葉が出ていたと思う

「ううん、言わないし思わないよ、あおちゃんがまだ生きてるみたい...」

どうして彼女がその選択をしたのか分からないそれでも彼女の影を探している

「化粧って凄いよね、こんなにも人を変える」

「変わってもうみくんはうみくんでしょ?」

人を変えるのは見た目なのか心なのか、自分の中で感じた心の動きに嫌悪が湧いて全て追い払うようにただ目の前の事を、現実を見るべきだと鏡越しに揺れる瞳を見つめた

「ねぇつゆちゃん、これはお人形遊びみたいなものだよ」

一瞬何を言っているのか分からなかった、だってお人形なんて昔から持っていなかったし男の子の遊びと言えばもっぱら外で駆け回る事ばかりだったから

「俺は人形でつゆりが思いのままに動かせるんだ」

「そんなのっ...」

なけなしの知識を総動員して解釈した事は心を動かした悪魔に従うような甘い提案、何度追い払ってもまた戻ってきて囁く甘い言葉は同情なのかそれとも

「俺の為に付き合ってくれる?」

「...うん」

向きを変えて直接顔を覗き込むと頬に掌が添えられて懇願するようなそんな声で俺の為なんて都合のいい言葉を吐いて断れるはずが無かった、それも一つの形になると思ったから

「ありがとう」

それだけを言い残してリビングへ向かう後ろ姿に一回の約束が後に引けない過ちのような共犯のようなそんな蟠りを残した

「あらぁ〜あんた華奢だから案外様になってるんじゃない〜?」

じゃーんとでも言うように回転して見せる姿に初めは戸惑ったような表情をしたが俺同様あまりにも違和感が無いからかすんなりと受け入れていいじゃな〜いなんて言っている

「豪放磊落って母さんの事言うんだと思う」

「やだぁ〜何それ褒め言葉?」

「いや、違うと思うけど」

可愛いだとかメイクがこうだとか一通り満足いくまで褒めそやしてから台所に向かって行く後ろ姿に小さくありがとう、と感謝する声が聞こえてきて母も娘もこの闊達さでどれだけの人を救ってきたのだろうとその中の一人なんだと身に染みて思った

(こんなに愛されていた...いや愛しているのに)

この日から心に残る虚無感を抱えてずっと傍にいた幼馴染が毎日彼女の影をなぞる様に模倣する女装男子へと変えて亡くしたものの輪郭を曖昧にさせた