「もう行きたいところはないのか?」
 「僕が行きたいところは、もう行ったけど、どうしたの?」
 「行きたいところがあるんだよ」

 俺はそう言って、水谷を強引に連れて行く。向かう先は決まっている。
 そこは、銭湯だった。

 「まさかのここなんだね」
 「ああ」
 「でも僕今女装してるよ」
 「ならメイクを落としてくれ」
 「無茶言わないでよ。もう」

 ほっぺを膨らませる水谷。かわいい。

 「僕じゃなかったら怒ってたよ。まあでも、僕は色々と考えてるし安心して」

 そう言って水谷はカバンの中を開いた。そこにはしっかりと男物の服が入っていた。

 「それにしても、僕はわざわざ女装してきたのに」
 「仕方ないだろ」
 「それはそうだけど、僕に一言謝って欲しい」

 そう言って顔をむっとしてきた。
 最近俺に遠慮なくなってきてる気がするな。

 「分かった。すまん」

 俺は謝った。

 「いいよ」

 水谷はにっこりと笑った。
 なんだか不思議な感じだ。

 「そしたら僕はコンビニに行くね」
 「なんで?」
 「メイクを落とすのと、着替えるためだよ」

 言わせないでよ、と言って水谷は戻って行った。

 俺はその間、近くのベンチに腰掛ける。
 なんだか、疲れたと思うと同時に、これから水谷と一緒にお風呂にはいれるという幸せがある。

 水谷のことを好きになってよかったことは、水谷と一緒にお風呂にはいれるという事だ。
 これが男女カップルだと、お風呂デートと言っても即座に別々に入らなければならない。
 その場合、デートできるのは、せいぜい風呂上がりのコーヒー牛乳くらいだろうか。

 だが、好きな人と一緒にお風呂にはいれる。

 幸せな事だ。

 ★★★★★

 「浅羽君、無茶言って」
 僕はそう愚痴を言う。元々もう帰るだけだった。
 それなのに、急に一緒にお風呂に入ることになるなんて、一切思っていなかった。

 女装を落とさなければお風呂には入れない。でも、あくまで僕が女装したのは、浅羽君と合法イチャイチャをするためだ。
 それに今浅羽君から、僕は僕がいいと言われた。
 だったら、女装する意味も薄れるというところだ。

 それに、お風呂は正直楽しみだし。

 浅羽君とのお風呂。
 こんなことを言ったらだめかもしれないけど、浅羽君の裸を堪能できる。
 こんなに幸せなことは他にないと思う。
 それだけ、僕にとって浅羽君は大切な人なのだ。

 だけど、不安なこともある。
 僕が暴走しないか心配だ。
 僕は基本自分を抑えられない人間だと、自分で思っている。
 そんな僕が、浅羽君を襲わないとも限らない。
 しかも今度は完全なる裸なのだ。
 いくら同性でも、セクハラはセクハラだ。

 浅羽君が許したとしても、他のみんなが許してくれるとは限らない。
 僕は男物の服に着替えながら、パチンっと、自分の頬をあったいた。
 精神統一しなきゃだめだ。
 これから襲い掛かる、様々な試練に向けて。


 そして僕は、銭湯で待っている浅羽君の元へと言った。

 「お待たせ」僕が言うと、浅羽君は「おかえり」と言ってくれた。そのままの足で戦闘の入り口で入場券を買い、銭湯の中に入っていく。
 まず脱衣室で服を脱ぐ。
 やっぱり浅羽君はしっかりとした筋肉を持っていて、自分がみっともなく感じる。
 何しろ、僕の体はふにゃふにゃ。浅羽君のしっかりとした筋肉と比べたら天と地の差がある。
 僕だって最近筋トレはがんばってるけど、まだ、体が完全に変わったとは思えない。
 精々疲れにくくなったのと、少し姿勢がよくなったかなくらいだ。

 そんなことを想ったら自分が惨めだと思ってしまう。
 だけど、浅羽君は僕の方を見て「ちゃんと筋トレしているんだな」と言ってくれた。
 嘘でしょ。僕はあまり鍛えらてないと思ったのに。

 ちゃんと僕のことを見てくれているんだ。そんなことを想うと、なんだかうれしくなる。

 「僕は頑張れてないと思うけど、ありがとう」そう、浅羽君に告げた。

 浅羽君の筋肉は凄いのに、人のことあmで褒めてくれるなんて、やっぱし好きだ。

 そしてお風呂に入る。浅羽君のことは恣意的に見ないようにした。
 衝撃が強すぎるのだ。

 浅羽君が、「どうして俺のことを見ないんだ?」なんて言ってくるけど、見れるわけがないでしょと、ツッコみたくなる。
 浅羽君は気付いてないのだ。
 自分の体が整っているという事を。

 僕は浅羽君の引き締まった顔も、その顔も声もあらゆるところが好きだけど、一番好きなのは、その体だ。
 言動からして浅羽君の僕の好きなところは顔だろうけど、僕はその体だ。
 その体を見ると舌でなめたくなる。
 変態のように聞こえるかもしれない。でも、その体を見ていると、ドキドキとする。

 司会に一瞬入れただけで、意識を持ってかれそうになった。
 やっぱり浅羽君の体は危険だと再確認した。

 早速体を洗う。
 浅羽君は「背中洗い合いっこをしようか?」と言ってくれた。
 僕はその提案を断るべきだったのかもしれない。
 でも、僕の欲には勝てなかった。
 僕は「いいよ」と言ってしまった。その結果僕の視界に移るのはその浅羽君のたくましいからだ。

 その背中だけでも筋肉質なことが分かる。

 僕は今から子の背中をタオルでごしごしっと洗うのか、そう思うだけで興奮で鼻血が出そうになった。
 アニメ的表現だと思うけど、それでも比喩表現だと思えないのが今の僕だ。
 浅羽君の背中凄すぎりゅーなんて言いたい。
 僕は必死に浅羽君の背中をごしごしとする。今も心臓が飛び出そうな感じがする。
 僕は、耐えられるのだろうか。この試練に。





 何とか耐えられた。死ぬかと思った。
 拷問過ぎるよ。気持ちいいけど、心臓の音凄かったもん。
 僕の胸が破裂しないでくれて助かったなんて今思ってる。

 「じゃあ、次は俺が背中を洗うぞ」

 浅羽君がそう言ったことで、発覚した。そうだ、次は浅羽君が背中を洗うのか。
 ああ、今の状態で耐えられる気がしない。

 「僕の背中は僕が洗うよ」
 「いや俺が洗う。洗ってもらって俺は洗わないなんておかしいだろ」
 「そ、そうだけど」

 違うんだよ。浅羽君が洗ったら僕は興奮しすぎて破裂しちゃうんだよ。
 そしたら僕は暴走してしまうだろう。
 実際にあの日もそうだった。浅羽君の家に入って愛を伝えた日。あの日も僕は浅羽君の家に入った瞬間に思いもよらぬ方向に暴走してしまった。あのことを考えたら、僕は興奮しすぎない方がいいんだ。

 「僕は自分でやる」

 僕はそう言って自分で急いで背中を洗い、すぐさまシャワーの水で流した。


 「うぅ」

 僕は先にふろに入る。眼鏡が無いせいでよく見えない。
 早速目についた一番大きなお風呂に入る。
 熱い。
 足を付けただけで火傷しそうだ。少しずつ慣れて行かなくちゃ。

 ★★★★★

 「どういう事なんだ」

 逃げられてしまった。そこまで俺は水谷に嫌なことをしてしまったのだろうか。
 今も状況が理解できていない。
 そもそも水谷も嫌なら理由を教えてくれたらいいのに。
 水谷は俺のことが好きだと訊いた。だとしたらもしかして、俺が背中を洗うと興奮しすぎるからなんじゃないだろうか。
 そう思えば納得できる。

 だけど、逃げられたことが正直ショックだ。
 理由は分かっていても水谷に逃げられると、嫌われたかのような錯覚を覚える。
 俺はシャワーで体を流し、水谷の隣に行く。

 「ごめんな水谷。俺は水谷の気持ちが分かっていなかった」

 そう、水谷に言う。

 水谷はゆっくりと俺の方を向いた。

 「僕が悪いんだよ。僕が耐えられないから」
 「いや、俺からしたら水谷は偉いと思う」

 だって、

 「自分が耐えられないことをちゃんと拒否したじゃないか。それで許容量を超えて爆発するよりも、前もって拒否した方が確実に良いだろ」

 俺が水谷にそう言うと、水谷は急に泣き出した。

 「ありがとう。僕のことを理解してくれて」

 俺、そんなにいい事なんて思いつつ、俺は水谷の頭をなでた。

 「僕、浅羽君のこと好きだよ」
 「ああ、俺もだ」

 そして水谷は俺の体を抱きしめてきた。
 おいおい、それはいいのかよ、とツッコみたくなる。でも、水谷のその表情を見るとかわいくて、愛しくて、そんなことどうでもいいかと思った。

 周りからの目は、ただ、泣いている弟を慰めている兄という感じにしたら、そこまで変な光景という訳ではない。
 それに俺自身。今の状況になんだか満足しているのだ。
 水谷を抱けるなんて。

 ★★★★★

 僕は浅羽君が僕のミスに対して褒めてくれたのが、よくわからなくて、でもうれしくて抱きしめてしまった。
 僕は何をしているんだろう。
 僕は興奮してしまうから浅羽君に背中を洗ってもらわなかったのに、僕は今もっとハードな浅羽君の胸の中で泣くなんて言う行為をしている。

 でも、不思議なことに、先ほどまで持っていた不埒な気持ちは全て消え失せ、僕はただ、僕の気持ちはただ、親の胸の中でなく子供のようだ。
 不思議と精神は落ち着いている。
 今はただ、気持ちが良い。
 まるで大樹に抱かれているかのようだ。

 「ねえ、浅羽君好きだよ」
 「ああ、俺もだ」

 そのやり取りの後急激に宇恥ずかしくなった。
 急に羞恥心が、芽生えて行った。
 僕は水の中にもぐってブクブクと泡を出している。これがマナー違反なことは知っているのだが、もう僕のこの変な気持ちはこうすることでしか解消されないな、そう思ってしまったのだから許してほしい。

 僕は、今感情が暴走していた。
 でも、暴れ散らかしてないのだからいいだろうと、自分で勝手に自分をほめる。
 一瞬浅羽君に謝りたいなと思ったけど、きっと浅羽君の事だからその謝罪は受け入れないで、僕のことをほめてくれるのだろう。

 本当に浅羽君は人が出来過ぎている。
 好きだという気持ちがまたあふれ出してきてヤバイ。
 これ以上暴走する訳には行かない。

 僕は浅羽君の肩にもたれかかる。少しずつ好きを消費するにはこうするしかないと思う。

 「浅羽君。僕、今幸せだよ」
 「それは良かったな」
 「僕、浅羽君と出会えて幸せだよ。たまにやばいけど」
 「それは知ってる」

 浅羽君がくくくっと笑う。それを聞いて、僕も笑った。

 「ねえ、死ぬ時まで一緒だからね」
 「分かってるよ」

 そして僕はゆっくりと目を閉じた。

 ★★★★★

 「くそっどうなってんだよ」

 俺の肩にもたれかかった水谷。いつの間にか睡眠に入っている。
 俺はこの状況をどう打破したらいいんだ。

 「おい、水谷」

 軽く揺らす。でも、水谷は起きない。

 「おい! 水谷」

 起きない。よほど今日は疲れたんだな。確かに今日は色々と互いに遊びまくった。しかも女装してまでだ。
 それ心労にかかったのだろうか。
 本当はゆっくり寝かせたいところだが、このまま戦闘につかっちたら、水谷がのぼせてしまう。最悪な事は水谷が倒れてしまう事だ。
 実は一年のうち、お風呂で死ぬ人はそこそこいる。
 そしてそれは老人だけかと思いがちだが、実は若者でもたまにあることだと聞いたことがある。
 そう考えたらもう漬からせるわけには行かない。俺は、急いで水谷を叩き起こす。

 「そろそろ起きろ」

 水谷の肩を担ぐ。
 水谷を体でしっかりとホールドしながら、風呂の外に運び出す。



 ★★★★★


 「ん、あれ?」

 僕は目を覚ました。すると、僕はハンモックに寝かされていた。ここは、露天風呂の休憩スペースだろう。

 「起きたか」

 浅羽君が話しかけてくる。
 意識と共に今までの記憶が戻ってくる、と同時に恥ずかしい気持ちに襲われた。

 「僕ってまさか」
 「ああ、俺の肩に持たれながら寝てたよ」

 っ――なんて恥ずかしい。
 僕は浅羽君の肩に持たれながら寝ちゃっていたのか。
 今すぐにでもここから逃げ出したい気分だ。
 僕は冷えた体を温めるべく、温泉の中に入り込む。そして、

 水の中にもぐった。
 マナー違反なのは知ってるけど、水の中にもぐった。あれ、倒れる前にも同じことしてた。
 僕は何をしているんだ。
 本当にどうにでもなりそうだ。

 「僕は思うんだけど」

 僕は呟く。

 「浅羽君ずるいよ。本当に刺激が強いんだって、さっきも謝ってくれたけどね。その逞しい筋肉、おしりとかムキムキでずるいよ。正直揉みたいよ。それに、髪の毛も水に濡れてるといつもと違う感覚がするし、もう耐えられない。僕の情緒を破壊するじゃん」
 「お、おう」

 浅羽君は若干引き気味にそう答える。
 困るよ困るよ。

 「もう、僕は耐えられないよ。いい?」


  水谷は何を言っているんだ。ここで俺を襲おうというのか。
 そんなの、ここはお風呂の中だ。こんな所でそんなことをしたら間違いなく、奇異な目で見られてしまう。
 そんなの正直恥ずかしくて耐えられない。でも、俺は水谷のお願いを断っていいのだろうか。
 水谷のこの必死な目を見てしまって、そして断るなんて絶対にできない。
 俺には水谷しかいない。

 「水谷」
 「う、うん」
 「確かにそうだな」

 俺は呟く。

 「場所なんて考える必要なんてなかったな。ここで一気に二人で抱き合えたら幸せなんだろうな」
 「うん」

 水谷の口から唾がこぼれそうになる。

 「俺は、日和っていたよ。周りに目がある状態で、交わってもいいのかと」

 俺は、正解だとは思わない。家に帰ってからするべきだ。
 なのに、水谷の目が俺から冷静心を奪ってしまう。俺自身で俺がコントロールできない。

 水谷の目には本当に魔力が宿っているのかと思ってしまう。
 アニメの世界じゃあるまいし、おかしな話をしているという自覚はあるが。

 「いいの?」

 可愛らしい声で言ってくる。ああ、ずるい。
 そんな声で「いいの?」だなんて言わないでくれ。

 「ああ」

 俺がそう返すと、すぐさま水谷は俺に抱き着いてきた。
 俺はそんな水谷を抱き返した。


 そこからの記憶は正直言って曖昧だ。だけど、周りからの視線は痛いほど覚えている。
 だけど、そんなの関係ない。
 彼らとはもう会う事のない人たちだ。気にしてもしょうがないのだ。
 俺はただ、楽しかった。それだけで十分じゃないか。

 その帰り道。水谷は一言も何も話さなかった。
 恐らくは、水谷自身も緊張に襲われてるのだろう。
 これは勝手な推察ながら、俺自身も分かっている。

 俺は今変な緊張に襲われている。
 何しろ、お風呂とは言え公然の場で俺と水谷は抱き合い、そして舌を絡め合った。
 周りから見たらおかしな人たちと思っただろう。
 もう会う事のない人、だなんて思ったとしてもやっぱりなんとなくぬぐえない不安という物がある。

 「じゃあ」
 「ああ」

 いつの間にか黄砂路に出てたみたいだ。
 俺と水谷はそこで本当に分かれる。

 「はあ」

 水谷の顔だ。今日の眼鏡をはずした姿、なんて可愛いのだろうか。
 本当にあれはずるい。

 とは言っても、水谷も同じ気持ちになってたんだろうな。
 水谷は基本、俺のことが好きだ。
 先程の叫びと同じで、俺の体に夢中になっていたのだろうか。

 それがなんとなくうれしい。

 水谷の心を占有している感じがして。