多様性を謳う世の中になっている昨今、誰が誰を好きになる事に目くじらを立てることは少なくなってきている、とは言う。
でもだからって、身近な存在にそういう一面があったからと言って、手放しで祝福されるとも受け入れられるとも限らない。
要するに、昨日の放課後の出来事――僕が、陸上部のエース新入部員である楽田走介から一方的に告白された、という一件は、瞬く間に校内に広まったのだ。それも、かなり面白おかしく脚色されて。
「生徒会が陸上部に潰すぞ、って押し入ったのを、楽田くんが止めたんでしょう?」
「え? 楽田が自分の体と引き換えに陸上部を潰さないでくれって言ったんだろ?」
「なんか生徒会のヒトに楽田くんが一目惚れして壁ドンしたって話じゃなかった?」
「しかもそれ、あの、真木野くんなんでしょ?」
あの真木野、は余計な世話だ、と思いつつも、壁ドンされて告白されたことは事実なので、何と言い訳しようか。
そもそもあの楽田とか言う新入生は、なんでまた僕なんかにあんなことを言ってきたのか。それも、人目が多くあるようなところで。
(公衆の面前で羞恥プレイにして、噂話で辱めようって魂胆なのか?)
休み時間中、教室の内外で好き勝手に僕のことを噂しているやつらが鬱陶しかったし、腹立たしくてしかたない。昼食の弁当をつついている背後で、聞こえよがしに囁かれる噂話ほど、食事に悪影響なものはない。
あまりにイライラするので、僕がもっていた箸をバンと机に叩きつけ、背後を振り返って睨みつけてみても、みんなわざとらしく視線を逸らす。誰が言っているのか突き止めようにも確たる証拠がなく、僕は渋々弁当に視線を戻す。その様子を、またくすくすと嗤う声が追い打ちをかけてくる。
「っとにもう……あんなこと言われた身にもなって欲しいよ……」
初恋の相手と酷似した外見、何よりあの軽薄と、陸上競技の中でも寄りにも寄って走者という立場。
そんな奴と付き合う? 冗談じゃない……と、机をたたいて叫び出したいのを堪えながらどうにか弁当を食べ終えると、「すんませーん」と、聞き慣れない声が教室の入り口から聞こえた。
教室中の視線がそこに注がれ、僕もまた何となくそちらへ向き――そこに佇む影に思わず顔をしかめてしまう。
明るく色の抜けた茶髪に日に焼けた肌、黒目の大きなの目許がゆるりとほどけ、ついでに制服のネクタイも緩んでいる。新入生のくせに制服をすでに着崩している辺りが、軽薄な人間性を表しているとしか思えない。
――そう、楽田走介が僕のクラスに現れたのだ。
しかし、楽田の噂は流れつつも、本人の姿を知る生徒は少ないらしく、「誰に用?」と、クラスメイトの一人が声をかける。
「あ、あのー、裏生徒会長ってヒト呼んで欲しいっす」
楽田が放った言葉に、教室内の空気が凍り付く。僕の目の前で堂々とその二つ名を口にしてくる生徒なんてまずいないし、口にしてはいけないと暗黙の了解になっているようだからだ。まるで某魔法使い物語の悪役のようだ。
そんなわけで、声をかけて要件を聞いた生徒は、僕にそのまま取り次いでいいかを迷ってしまったらしく、どうしよう、と言いたげに周囲を見渡す。周囲もどうフォローしていいかわからずに眼を反らしている。状況を知らない楽田だけがきょとんとしていて、その内に僕と目が合った。
「あ! 裏生徒会長さん!」
こいつは遠慮とか忖度とか、そもそも空気を読むとか知らないのか? と思えるほどの遠慮のない声量と態度で楽田は僕を指さし、ずかずかと教室内に入ってくる。僕に楽田が近づくほどに、教室内の温度が凍り付いていくのを肌で感じる。
「ちわっす。俺、陸上部の楽田走介っす」
「僕は“裏生徒会長”なんて名前で呼ばれたくない」
「え、だって名前教えてもらってないし」
「真木野。真木野誠。で? 陸上部期待のエースが何の用?」
「エースだなんて……へへへ……そうみたいっすね」
謙遜とか遠慮とかのない、だらしない笑みで、整って綺麗な顔が緩みきって台無しだ。残念イケメンとはこのことか、と思いつつも、近くの席の女子が、「えー、かわいい! ギャップ萌えじゃん」と囁いているので、世間のニーズはわからない。
「で? 用件は何?」
僕が弁当箱を通学用のリュックの中に仕舞いながらもう一度訊ねると、楽田はようやく用件を思い出したのか、緩んでいた顔からハッと我に返った表情になった。きりっとまで行かずとも、それまでよりも締まりのある表情に、僕の胸が一瞬音を立てる。
(え? いま僕、こんなやつにときめいたりした? ときめく? 彼に?)
理解できない自分の反応に戸惑っていると、楽田は折角引き締まっていた表情を再びゆるりと崩し、ブイサインまでして答えた。
「俺、中学の時、全国二位のタイムでした!」
「……で?」
「えーっと、だから、その……陸上部、潰さないでくれます?」
「は?」
何をどう、どこからツッコミを入れればいいのやら……ということを一方的に言われ、僕はリアクションに困りフリーズしてしまった。
楽田が中学時代に記録を残している話は、昨日浩輝たちの会話を聞いたので少しは知っていたけれど、全国二位だったのか。
とは言え、それは中学時代の話であり、いまは高校生だ。明花高校で通用するのは、いま、この時期の記録や成績だ。
そもそも、なんで彼の中学時代の記録と、陸上部が潰れる、潰れないの話になっているのか。
「話が見えてこないんだけど。君は僕に何が言いたいの?」
昨日は一方的に公衆の面前で告白され、今日は突然の裏生徒会長呼びをした上に、陸上部の生き死にを僕が握っているような言い方までしてくる。失礼過ぎる上に、まったく空気を読めていない楽田の態度に、僕は苛立ちを隠さずに言い返す。
険悪さをにじませる視線を向けたので、流石に楽田も何かを察したのか、あわあわとうろたえる様子になりながらも、しどろもどろに答える。
「や、えっと、先輩たちが、“走介の記録があれば、きっと陸上部は安泰だ”って言うんで……」
「で? なんでそれをわざわざ僕に言いに来たの?」
「え、だって、陸上部が潰れるかどうかを決めるのって、裏生徒会長さん……じゃなくって、真木野さんなんですよね? だから、俺の記録あるんで、潰さないでください! ってお願いしに来たんす」
短絡過ぎる理由に、僕は呆れて頭痛がしてくる。周囲で見守っていたクラスメイトも、僕への裏生徒会長呼びの遠慮のなさなどでハラハラしていたようだが、楽田の言葉に呆気に取られている。
何からどう彼に説明すべきか……そもそも、陸上部の連中の言葉にも語弊があるからいけない。
「確かに、僕は部活動費を決める権限的なものは持っている。でも、すべてをひとりで決めてしまっているわけではない。先生たちとも話し合って決めてるよ」
「でも、すげーいい記録持ってたら、陸上部は潰れないんすよね?」
「それはまあそうだけど……それ、あくまでも高校在学中の話だから」
至極当たり前の話をすると、楽田がぽかんと口を開け、長い睫毛の生えそろう目許を瞬かせる。何だその、いま初めて聞いた、みたいな反応は。
「……って言うと、それってつまり、中学の記録は、意味ないってことっすか?」
「まあ、簡単に言うと。だって、それは中学の頃の話でしょう? 高校の部活の話なんだから、高校の記録じゃないと話にならないってことだよ」
だから、僕に中学の頃の記録をどうこう言って、部の首の皮を繋ごうと足掻くのは止めたらどうだ、と言いかけた時、楽田はポン、と手を打って目を輝かせ、そして僕の手を握りしめてこう言ってきた。
「じゃあ、俺がまた高校で記録作ればいいってことっすよね? そしたら、陸上部潰れないんすよね?」
「え、まあ……でも……」
記録は確かに成績や成果を示す解りやすい数値ではあるが、それが予算決定のすべてではない。そのルールを説明しようと思ったのだけれど、早合点した楽田は僕の手を握りしめたまま、高らかに宣言する。
「っしゃぁ! 俺、絶対に高校で一番速くなります! そんで、速くなったら、真木野さん、俺と付き合って下さい!!」
「だからなんでそうなるんだよ!!」
楽田の記録樹立が部の為だとするのはまだわかるとしても、その副賞のように僕との交際が含まれているのが納得いかない。しかも、こんなクラスのみんなが見ている前でとか、晒し者もいいところだ。
堂々たる楽田の宣言に、教室のあちこちからパラパラと拍手が沸き起こる。女子も男子も関係なく、「かっこいい!」とか「めっちゃキュンってするー!」とか、すでにエンタメと化している。
まるでオモチャにされたような忌々しさに、僕は楽田の手を振り払い、彼を指さして宣言し返してやった。
「このままで済むと思わないでよね! 絶対、思うようにはさせないんだから!」
吠えるように僕がそう言っても、楽田は嬉しそうに目を細め、口付けせんばかりの勢いで手をまた握りしめようと手を伸ばしてくる。
「いいっすよ。俺も、真木野さんみたく頑張るの得意なんで」
僕の何を知っていると言うのだ? と、僕は楽田の伸ばしてきた手を交わし、お返しに彼の額をはたいてやった。
でもだからって、身近な存在にそういう一面があったからと言って、手放しで祝福されるとも受け入れられるとも限らない。
要するに、昨日の放課後の出来事――僕が、陸上部のエース新入部員である楽田走介から一方的に告白された、という一件は、瞬く間に校内に広まったのだ。それも、かなり面白おかしく脚色されて。
「生徒会が陸上部に潰すぞ、って押し入ったのを、楽田くんが止めたんでしょう?」
「え? 楽田が自分の体と引き換えに陸上部を潰さないでくれって言ったんだろ?」
「なんか生徒会のヒトに楽田くんが一目惚れして壁ドンしたって話じゃなかった?」
「しかもそれ、あの、真木野くんなんでしょ?」
あの真木野、は余計な世話だ、と思いつつも、壁ドンされて告白されたことは事実なので、何と言い訳しようか。
そもそもあの楽田とか言う新入生は、なんでまた僕なんかにあんなことを言ってきたのか。それも、人目が多くあるようなところで。
(公衆の面前で羞恥プレイにして、噂話で辱めようって魂胆なのか?)
休み時間中、教室の内外で好き勝手に僕のことを噂しているやつらが鬱陶しかったし、腹立たしくてしかたない。昼食の弁当をつついている背後で、聞こえよがしに囁かれる噂話ほど、食事に悪影響なものはない。
あまりにイライラするので、僕がもっていた箸をバンと机に叩きつけ、背後を振り返って睨みつけてみても、みんなわざとらしく視線を逸らす。誰が言っているのか突き止めようにも確たる証拠がなく、僕は渋々弁当に視線を戻す。その様子を、またくすくすと嗤う声が追い打ちをかけてくる。
「っとにもう……あんなこと言われた身にもなって欲しいよ……」
初恋の相手と酷似した外見、何よりあの軽薄と、陸上競技の中でも寄りにも寄って走者という立場。
そんな奴と付き合う? 冗談じゃない……と、机をたたいて叫び出したいのを堪えながらどうにか弁当を食べ終えると、「すんませーん」と、聞き慣れない声が教室の入り口から聞こえた。
教室中の視線がそこに注がれ、僕もまた何となくそちらへ向き――そこに佇む影に思わず顔をしかめてしまう。
明るく色の抜けた茶髪に日に焼けた肌、黒目の大きなの目許がゆるりとほどけ、ついでに制服のネクタイも緩んでいる。新入生のくせに制服をすでに着崩している辺りが、軽薄な人間性を表しているとしか思えない。
――そう、楽田走介が僕のクラスに現れたのだ。
しかし、楽田の噂は流れつつも、本人の姿を知る生徒は少ないらしく、「誰に用?」と、クラスメイトの一人が声をかける。
「あ、あのー、裏生徒会長ってヒト呼んで欲しいっす」
楽田が放った言葉に、教室内の空気が凍り付く。僕の目の前で堂々とその二つ名を口にしてくる生徒なんてまずいないし、口にしてはいけないと暗黙の了解になっているようだからだ。まるで某魔法使い物語の悪役のようだ。
そんなわけで、声をかけて要件を聞いた生徒は、僕にそのまま取り次いでいいかを迷ってしまったらしく、どうしよう、と言いたげに周囲を見渡す。周囲もどうフォローしていいかわからずに眼を反らしている。状況を知らない楽田だけがきょとんとしていて、その内に僕と目が合った。
「あ! 裏生徒会長さん!」
こいつは遠慮とか忖度とか、そもそも空気を読むとか知らないのか? と思えるほどの遠慮のない声量と態度で楽田は僕を指さし、ずかずかと教室内に入ってくる。僕に楽田が近づくほどに、教室内の温度が凍り付いていくのを肌で感じる。
「ちわっす。俺、陸上部の楽田走介っす」
「僕は“裏生徒会長”なんて名前で呼ばれたくない」
「え、だって名前教えてもらってないし」
「真木野。真木野誠。で? 陸上部期待のエースが何の用?」
「エースだなんて……へへへ……そうみたいっすね」
謙遜とか遠慮とかのない、だらしない笑みで、整って綺麗な顔が緩みきって台無しだ。残念イケメンとはこのことか、と思いつつも、近くの席の女子が、「えー、かわいい! ギャップ萌えじゃん」と囁いているので、世間のニーズはわからない。
「で? 用件は何?」
僕が弁当箱を通学用のリュックの中に仕舞いながらもう一度訊ねると、楽田はようやく用件を思い出したのか、緩んでいた顔からハッと我に返った表情になった。きりっとまで行かずとも、それまでよりも締まりのある表情に、僕の胸が一瞬音を立てる。
(え? いま僕、こんなやつにときめいたりした? ときめく? 彼に?)
理解できない自分の反応に戸惑っていると、楽田は折角引き締まっていた表情を再びゆるりと崩し、ブイサインまでして答えた。
「俺、中学の時、全国二位のタイムでした!」
「……で?」
「えーっと、だから、その……陸上部、潰さないでくれます?」
「は?」
何をどう、どこからツッコミを入れればいいのやら……ということを一方的に言われ、僕はリアクションに困りフリーズしてしまった。
楽田が中学時代に記録を残している話は、昨日浩輝たちの会話を聞いたので少しは知っていたけれど、全国二位だったのか。
とは言え、それは中学時代の話であり、いまは高校生だ。明花高校で通用するのは、いま、この時期の記録や成績だ。
そもそも、なんで彼の中学時代の記録と、陸上部が潰れる、潰れないの話になっているのか。
「話が見えてこないんだけど。君は僕に何が言いたいの?」
昨日は一方的に公衆の面前で告白され、今日は突然の裏生徒会長呼びをした上に、陸上部の生き死にを僕が握っているような言い方までしてくる。失礼過ぎる上に、まったく空気を読めていない楽田の態度に、僕は苛立ちを隠さずに言い返す。
険悪さをにじませる視線を向けたので、流石に楽田も何かを察したのか、あわあわとうろたえる様子になりながらも、しどろもどろに答える。
「や、えっと、先輩たちが、“走介の記録があれば、きっと陸上部は安泰だ”って言うんで……」
「で? なんでそれをわざわざ僕に言いに来たの?」
「え、だって、陸上部が潰れるかどうかを決めるのって、裏生徒会長さん……じゃなくって、真木野さんなんですよね? だから、俺の記録あるんで、潰さないでください! ってお願いしに来たんす」
短絡過ぎる理由に、僕は呆れて頭痛がしてくる。周囲で見守っていたクラスメイトも、僕への裏生徒会長呼びの遠慮のなさなどでハラハラしていたようだが、楽田の言葉に呆気に取られている。
何からどう彼に説明すべきか……そもそも、陸上部の連中の言葉にも語弊があるからいけない。
「確かに、僕は部活動費を決める権限的なものは持っている。でも、すべてをひとりで決めてしまっているわけではない。先生たちとも話し合って決めてるよ」
「でも、すげーいい記録持ってたら、陸上部は潰れないんすよね?」
「それはまあそうだけど……それ、あくまでも高校在学中の話だから」
至極当たり前の話をすると、楽田がぽかんと口を開け、長い睫毛の生えそろう目許を瞬かせる。何だその、いま初めて聞いた、みたいな反応は。
「……って言うと、それってつまり、中学の記録は、意味ないってことっすか?」
「まあ、簡単に言うと。だって、それは中学の頃の話でしょう? 高校の部活の話なんだから、高校の記録じゃないと話にならないってことだよ」
だから、僕に中学の頃の記録をどうこう言って、部の首の皮を繋ごうと足掻くのは止めたらどうだ、と言いかけた時、楽田はポン、と手を打って目を輝かせ、そして僕の手を握りしめてこう言ってきた。
「じゃあ、俺がまた高校で記録作ればいいってことっすよね? そしたら、陸上部潰れないんすよね?」
「え、まあ……でも……」
記録は確かに成績や成果を示す解りやすい数値ではあるが、それが予算決定のすべてではない。そのルールを説明しようと思ったのだけれど、早合点した楽田は僕の手を握りしめたまま、高らかに宣言する。
「っしゃぁ! 俺、絶対に高校で一番速くなります! そんで、速くなったら、真木野さん、俺と付き合って下さい!!」
「だからなんでそうなるんだよ!!」
楽田の記録樹立が部の為だとするのはまだわかるとしても、その副賞のように僕との交際が含まれているのが納得いかない。しかも、こんなクラスのみんなが見ている前でとか、晒し者もいいところだ。
堂々たる楽田の宣言に、教室のあちこちからパラパラと拍手が沸き起こる。女子も男子も関係なく、「かっこいい!」とか「めっちゃキュンってするー!」とか、すでにエンタメと化している。
まるでオモチャにされたような忌々しさに、僕は楽田の手を振り払い、彼を指さして宣言し返してやった。
「このままで済むと思わないでよね! 絶対、思うようにはさせないんだから!」
吠えるように僕がそう言っても、楽田は嬉しそうに目を細め、口付けせんばかりの勢いで手をまた握りしめようと手を伸ばしてくる。
「いいっすよ。俺も、真木野さんみたく頑張るの得意なんで」
僕の何を知っていると言うのだ? と、僕は楽田の伸ばしてきた手を交わし、お返しに彼の額をはたいてやった。



