新年度直前に行われる今年度前期分の部活動費の配布を終え、新入生勧誘週間が始まる。どの部も新戦力を獲得するのに必死で、中学時代から有名な生徒は既に声がかかっていることは勿論、仮入部まで確約している部もあるという。

「毎年のことながら必死ねぇ、みんな」

 生徒会室で昼食の弁当をつついたあと、僕と青川さんは昼休みを利用して新入生のフロアに勧誘に回っている生徒の声を遠目に見ていた。高みの見物みたいでひんしゅくを買いそうだけれど、実際、生徒会に属している自分たちには、縁のない必死さと思えてしまうのは仕方ないのではないか。

「当然ですよ。予算面談で今年度はこう言う成績を修める、って言質取ってるんですからね。頑張らないとどうなるのか、身に沁みてるんでしょう」

 実際、去年の秋、就任早々に僕が会計の観点から部活動として元々部員が少なく、いつ廃部になってもおかしくなかったところに成績不振がとどめとなった、剣道部の件を先生方と対応を協議したことがあった。
結局、「せめて休部にしてくれ」と、卒業する最後の部員に泣かれたので、休部という処置を取っているのだけれど、その一連の流れがあるからか、僕をみんなが『裏生徒会長』と呼ぶようになったのだろう。

「……さすが、裏生徒会長」
「大事な予算なんですから、当然です」

 昨今の物価高は馬鹿にならない。それに便乗して予算を上乗せしてくれなんて言ってくる生徒も少なくはない。
 もちろん、僕だって鬼ではないので、多少の上乗せはしているつもりだ。でも、無尽蔵には配れないので、やはり、活躍している部には多く予算を割く、逆もまた然り、というのが相応と言える気がする。

「“新しい生徒会になってから部活動が活発化してるねえ”って、校長先生からも言われたじゃないですか」
「まあ、そうね。実際、野球部とかもいいとこまで予選行ってたみたいだし」

 焚きつければ発奮するタイプの生徒もいるからこそ、昨シーズンよりも成績が良くなった、という報告もちらほら聞く。

「部活が盛んだと、学校の評判も上がって、入学者増えて、結果的に予算が増えるってことですからね」
「なるほど……」

 青川さんは咥えているロリポップキャンディを噛み砕きながらうなずき、どうにか納得してくれたらしい。
 僕がただむやみやたらに予算を削ろうとしているわけじゃない――と理解してもらえたところで、生徒会室に浩輝が入ってきた。しかもなんだか嬉しそうな顔をしている。

「ねえねえ、すごい話聞いたんだけど」
「どうしたの?」
「陸上部、存続の危機だって言ってたじゃん? あれ、わかんなくなるかも」

 陸上部――僕の鬼門とも言える、足の速いやつらが集う部活。僕が密かに好きで、そして僕を地の果てまで落ち込ませるほどに傷つけた透もまた、中学でそういう部活に入ったと聞いている。
 僕にとって鬼門であり、因縁の天敵にも似た存在とも言えるこの高校の陸上部は、実は成績が揮わないうえに部員も少なく、予算が取れないことも重なって廃部の危機にあるのだ。
 それが、わからない、ってどういうことだ?

「会長、それ、どういうことです?」

 幼馴染とは言え、他の誰かがいる時は敬語を使う僕に、浩輝は苦く笑いながらも、何か含みがあるような顔を向けてくる。

「まあ、陸上部を見に行ったらわかるよ。今日の放課後、見学に行ってみる?」

 何をまた勿体ぶって……と、軽く苛立ちながらも、一応彼の方が先輩ではあるので、僕は努めて何でもんない顔をして、「ええ、いいですよ」と、返す。

「なになに、畑くん。真木野くんの陸上部嫌いを覆らせるくらいすごいもの?」
「ま、それは見てのお楽しみで」

 浩輝は軽く片目をつぶってウィンクするような仕草をし、余計に僕を苛立たせたまま午後の授業に向かわせることとなった。


 そうして授業がすべて終わった放課後、僕らはトラックが整備されているグランド入り口に待ち合わせ、陸上部の活動場所へ向かった。
 埃っぽくて陽射しが眩しくて、クラクラしそうなこういうところ、色白なもやし小僧を自覚している僕は正直苦手を通り越して大嫌いだ。

「陸上部はいま三年が二人、二年が三人いて、新入生に一人入るのが確定している。ちなみに三年の一人はマネージャー」
「総勢五人ってこと? 少ないけど、個人競技だからいいのかな?」
「まあ、陸上は基本個人種目が多いけれど、トラック競技にはリレーとかもあるし、控えがいると選手層が厚くなるからね。部員が多いに越したことはないんじゃない?」

 陸上部の現状を浩輝から聞きながら向かった先には、その総勢五名のTシャツに短パン姿の男子生徒が五名集っている。そこに一人ジャージ姿の女子がいるけれど、手に何かバインダーを持っているから、マネージャーかもしれない。
 見たところ、人数は少ないけれど、どこにでもいる生徒たちだ。特に変わった様子はない。

「あ、会長! お疲れっす!」

 部員の一人が僕らに気付き、元気よく挨拶をしてくる。その威勢のいい声がすでに僕をげんなりさせる。
 部員の中から一人――確か、予算面談の時に会った主将だという生徒だ――ひょいと顔を出してきて、「なんか用か?」と、浩輝に訊ねてくる。相手は裏生徒会長と呼ばれる僕もいるせいか、ちらちらこちらの様子を窺っている。きっと、練習の様子が予算に響くのではと思っているのだろう。
 そこまで鬼畜な仕打ちはしないつもりだけれどな……と、過剰な反応に内心またウンザリしている僕に構わず、浩輝は朗らかに答える。

「噂のエース新入生をね、見学に来たんだ」
「ああ、それならいまから走るトレーニングするから、見ていってくれよ」

 主将は浩輝の言葉に嬉しそうに笑い、部員の方に戻って指示を飛ばす。その中に、少しだけ背が高い生徒がいた。見た感じ、彼がその噂の新入部員だろうか。
 明るい茶髪で日によく焼けていて、大きく黒目がちな目許が凛々しくて美しささえ感じさせる。薄い唇も男らしい。シャツや半パンから出ている手足は細いながらも薄く無駄のない筋肉をまとっている。背も僕より二十センチは高くて、いかにも、スポーツマンタイプという体つきだ。

「じゃあ、楽田(らくた)はウェーブ走に入って」

 そう、主将が言うと、楽田、と呼ばれた新入部員らしい彼はトラックの方へ向かって軽く走り出し、やがてマネージャーの合図とともにトラックを走りだした。
 はじめは五十メートルほどを猛スピードで、そして同じくらいの距離をゆっくり走り、また早く走り出す。それを繰り返している。

「主将、ランはマジでやっていいっすかぁ?」
「あー、でもあんまガチのはするなよ、楽田」

 楽田は、凛々しくて美しいと思っていた口元から、いかにも軽薄な言葉を吐いて来て、僕は面食らって一層げんなりする。ますます、苦手なタイプだと思ったからだ。
 運動、それも足が速くてカッコ良く見える、でも、軽薄。本当にあの、僕を(けな)してきた初恋の相手を彷彿とさせてくる。
 こんなところから一刻も早く去りたい。それなのに、トレーニングの一環を見てどうしろと言うんだろうか……と、僕が浩輝にここに連れてきた真意を聞こうとした時、浩輝と、青川さん、そして一緒に来ていた同じ二年生の書記の柿田が「わぁ、すごい」と声をあげたのだ。
 その視線の先にいたのは、先程の楽田で、ウェーブ走とやらをしている。しかし、驚きなのはその加速する時の速さだ。それまでダラッと笑いながら走っていたのに、ある一定の距離まで走ると、弾かれたように加速するのだが、その変わり様が動物的なのだ。まるで、サバンナをダチョウが大きく羽を広げて走っていく様のようでもある。しかも、楽田はランの状態に入ると人がかわったように突っ走っていく。
 ランの状態とリラックスの状態を数回繰り返して休憩に入る眺めのホイッスルが鳴っても、楽田は走るのをなかなかやめない。まるで取りつかれているみたいだ。そんな彼を、周りの部員が声をかけて止めていく。
 うわ、なんだあいつ……と、僕が呆気にとられるというよりも、ドン引きしていると、主将が浩輝と話をしているのが聞こえてきた。

「な、すげえだろ、楽田」
「すごいねぇ。俺陸上ミリしらだけど、あいつがめっちゃ足速いのはわかる。てか、走ると雰囲気変わりすぎる」
「まあ、一応中学で記録持ってるらしいからな」

 そんな奴がなんでまたこんな弱小陸上部に? そう、考えている間にトレーニングがひと段落したらしく、楽田がこちらに戻ってくる。マネージャーに渡されたタオルで顔を拭きながら歩いてくる様は、気を抜くと目がいってしまうほどにカッコいいし、絵になる。本当に、走るためだけの体つきだとも言えるのかもしれない。
 伏せられていた大きな目がゆっくりと上向き、僕がいる方へ向けられる。
 あ、目が合った――そう、思った瞬間、あの弾けるような走りで彼が僕の方へ向かって突進してきたのだ。
 目的物らしい僕に向かって、一直線に向かってくる楽田の姿は、例えばチーターというよりもっと力強く走る……サバンナ地帯のダチョウのような荒々しさを感じる。走ることしか考えていないような真っ黒な目許が、余計にそれを彷彿とさせるのだろうか?
 何にしても、狙いを定められて逃げる隙はなさそうで、凍り付くしかない。

「な、なに?!」

 何事だ?! と、避ける間もなく、僕は楽田と十数センチの距離に迫られ、部活棟の壁の前に立っていたせいで壁ドンされているみたいな格好になってしまった。
 え、何この状況……と、軽く混乱している僕の手を、楽田はがっしりと両手でつかんでこう言った。

「好きです! 俺と付き合って下さい!」

 公衆の面前で、初対面としか言いようのないほど面識のない、それも苦手なタイプの男に、僕は突然告白をされてしまったのだ。