「――ということで、我がサッカー部では、今年度は県内ベスト八に入ることを目標としています」

 緊張した面持ちで、サッカー部の今年度の主将だという彼はそう言い切り、僕の返事を待っている。
 僕は、手許の薄いレジュメに目を通し、それからゆっくりと顔をあげて微笑みかけた。

「うん、いいんじゃない? サッカー部はここのところ調子もいいから、期待してるよ」
「じゃあ、予算は……」
「その話は会計の方から話があるから」

 先代の生徒会役員が引退し、代替わりの選挙を経て、今期は僕が会長として就任することになった。会計は一学年下の女子が請け負っていて、“裏生徒会長”なんて呼ばれていた僕のあとを継いだからか、仏だ菩薩だ、何と言われているんだとか。

「そんなに違うのかなぁ」

 人が代わっただけでみんなの態度が変わるのが多少面白くないけれど、実際今期の会計は僕の頃よりもやさしいので、無理はないのかもしれない。

「まあ、お陰でいまはシン・生徒会長なんて言われてるみたいじゃない」
「柿田さん、他人事だと思って面白がってない?」

 僕が軽く睨みながら言うと、副会長になった柿田はペロリと舌を出して肩をすくめ、苦笑する。
 今日の分の予算面談が終わって、生徒会室でひと息をついていると、僕のスマホが震えてメッセージの受信を知らせる。
 ブレザーの胸ポケットから取り出したそれを眺め、つい、頬を緩めてしまう。相手からは、今日は早く帰れそうだという連絡で、一緒に帰ろうというものだ。

「真木野くん、ここは生徒会室なんだから、デレるのは出てからにしてね」
「で、デレてなんか……」
「えー、デレてたよ、思いっきり」

 ねえ? と、会計の子に同意を求める柿田に、会計が苦笑しつつもうなずくので、僕はバツが悪い。それでも、今日はもう仕事は終わりなのだから、帰ってもいいだろう。
 だから僕がさっさと荷物をまとめ始めると、柿田たちは何か言いたげに見てくる。

「……なに?」
「ううん。真木野くん、ホントに変わったなぁって思って」
「そ、そんなこと……」
「いいじゃない。しあわせそうで羨ましいよ」

 じゃあね、と送り出してくれた柿田たちに手を振り、ひと目がなくなった途端にゆるんでくる頬が止まらない。足取りも軽く、ひょっとしたらスキップなんてしてしまいそうな勢いだ。
 だっていまから、大好きで大切な人と一緒に帰れるのだから、嬉しいのは当然だろう。
 だからなのか、僕は無意識のうちに駆けだしていて、通用口の前で佇む背の高い影を見つけるとそのスピードを上げていた。
 人影は僕の方に気付くと、大きく手を振ってくれて、僕はその腕の中に飛び込むように抱き着く。

「お疲れ、走介! 待った?」
「ううん。さっき来たとこだから。誠さんもお疲れっす」

 腕の中で見上げる黒目がちな目許は緩やかな弧を描いて細められ、長い睫毛が緩く影を落としている。日向のにおいがするそこからは、少しだけ乾いた熱い空気の気配を感じた。

「今日はどれくらい走ったの?」
「そっすねぇ、通常のトレーニングと、坂道ダッシュとかかな。明日はタイム測る予定」
「そっか。じゃあ、いくらだったか教えてね」

 また速くなっているかな、と僕が言うと、そうっすね、と彼が嬉しそうに頷く。
 手を繋ぎ、並んで歩きながら校門前の坂を下っていく。散り際の桜の花を浴びながら、二回目の春の空を見上げる。

「誠さんは、そろそろ進路の話とかあるんすか?」
「うん。一応決めてはいるんだ」
「え、東大とかっすか?」

 突拍子もない言葉に僕が苦笑して否定すると、楽田は心底ガッカリしたような顔をする。その様子がおかしくてかわいくて、そっと頭に手を伸ばして撫でてしまう。

「そういうんじゃなくて、スポーツ科学部っていうのを目指そうかなと思ってるんだ」
「スポーツ科学部? 誠さんも運動したくなったんすか?」
「んー……というよりも、科学的な視点から、スポーツ選手を支えてみたいなって考えるようになって。例えば、走介の練習メニューを考える、みたいなの」

 いいっすね、それ! と言ってくれるかと思ったのに、楽田の反応がない。あまりピンと来なかっただろうか? と、ちょっと不安になって顔を覗き込むと、楽田は真っ赤な顔をして僕を見つめている。その眼は言葉にならない嬉しさがにじんでいる。

「それって、あの……俺と、一緒にいるためっすか?」

 あまりに真っ赤になっている楽田の姿に、意地悪な気持ちがちょっと湧いてしまって、そうだよ、と素直に言うべきかどうか一瞬迷った。
 でも口を開きかけた瞬間、僕の体は楽田に抱え上げられるように抱きしめられていた。

「そ、走介?!」
「誠さん……! 俺、絶対、絶対頑張って、誠さんと同じ大学にも行くし、一緒の実業団でやっていきましょう!」

 珍しく具体的で現実的なことを口にしてきたので驚いていたら、抱きしめられた姿のまま頬を寄せられ、気付けばキスをされていた。触れるだけだけれど、甘くて熱い、彼の想いのこもったそれに僕の頬まで染まっていく。

「ずっと、一緒にいましょう、誠さん」
「……当たり前じゃん、走介」

 永遠を誓い合えるほどの年月も経験もまだないけれど、僕らは互いと歩生気持ちもつもりも十二分にあるから、桜の花吹雪の下で、いまは真似事の永遠を誓うキスを交わした。
(終)