放課後の時間帯になって、浩輝がお見舞いと称して様子を見に来てくれた。

「調子はどう……って聞くまでもない感じかな」

 数時間前に自分の本心に気付くと同時に、楽田にしてしまった自分の振る舞いを自己嫌悪し、いつ振りだろうというぐらいに大泣きをしてしまった。だから、眼は腫れぼったかったし、布団に潜り込んでいたので髪だってぼさぼさだ。
 それでも体は元気なので、「熱はないよ」とだけ返した声が情けなく小さい。
 浩輝はそんな僕の様子に、小さく溜め息をつき、弱く笑いながらベッドの縁に座って顔を覗き込んでくる。

「熱はなくても、寝込むくらいショックなことがあったんだろ?」
「……ごめん、引継ぎとかあるのに」
「気にしないで。誠は昔から頑張り屋過ぎて、すぐ倒れちゃうことあったんだから」

 こうなっちゃうのは久々だけれどね、と苦笑する浩輝に、僕も弱く笑って返す。小さい頃は、確かにこうやって、僕が熱を出すたびに浩輝がお見舞いに来てくれた。

(そう言えば、透のことで泣いた日も、浩輝は家まで来てくれて、話を聞いてくれたんだっけ)

 懐かしい記憶を思い返しながらも、僕の気持ちは晴れず、上手く笑えない。うつむき加減になる僕を、浩輝は何か言いたげな目で見てくる。

「僕が今日休んだ理由、浩兄にはお見通しなんでしょ? だから、何か言いたいことがあるんでしょ?」

 言われるとしたら、きっと先日の生徒会室での件のことだろうと思っていたし、その事はみんなも巻き込むようにしてしまった件でもあるから、わざわざ浩輝が訪ねてきたんだろう。だから、あえて先回りするように促すと、浩輝は小さく溜め息をつき、頷いて口を開いた。

「うん、そう。この前のことだよ。さっき帰りに、陸上部に寄って来たんだ」

 思いがけない浩輝の言葉に、うつむいていた顔を上げると、浩輝は困ったような顔をしてこちらを見ていた。

「実はね、陸上部の主将から相談されたんだ。楽田のことで」
「楽田のことで、相談?」

 エーススプリンターと呼ばれるような彼のことで、なんで陸上部の主将が生徒会長に相談なんてすることがあるんだろう。陸上部の問題は、部内で解決する方が一番いい気がするのに。
 僕が首を傾げていると、浩輝は少し神妙な顔をして言葉を続ける。

「楽田、最近調子がいま一つらしいんだ。競技会前なのにね、走っても走ってもいいタイムが出ないって」
「え……楽田が……?」

 走ることが大好きで、息をするように走っている楽田の調子が揮わないなんて、想像もしたことなかった。彼ならば、いつでも絶好調で、走ることで悩むなんてないと思っていたからだ。
 浩輝が主将に聞いた話だと、楽田の足や体調面に不調はなく、ケガもしていないという。それでも、タイムが他の部員よりも遅くなっているらしい。あの、中学で全国二位になるような彼が。

「え……そんなこと……でも、なんで僕にそれを言うの? べつに僕は、楽田に何もして何か……」
「楽田はね、ギャラリーがいると燃えるタイプなんだよ。それも、好きな人がね」

 そう言えば以前、そんなことを言っていた気がする。前期に僕が陸上部に廃部がナシになった話をしに行った時、見ていってくれと言われて見学した時だ。その時は確か、マネージャーが興奮するくらいにいいタイムだったはずだ。

「じゃあ、楽田の不調は僕とケンカしたかからじゃないかって言うの? そんなの、言い掛かりじゃ……」
「スポーツはね、メンタルの影響がすごく大きいんだよ。好きな人に、嫌いだって言われたダメージがどれぐらいか、想像してごらんよ」

 好きな人に嫌われるダメージ、と言われて僕はあの頃のことを――透に恨み節を言われたことを、思い出す。いまでもまだ心臓がぎゅっとなるくらい悲しくてツラい、癒えない傷とも言える記憶だ。
 その傷みを思い出して、ああそうか……と、気付かされる。僕は、楽田に透と同じことをしてしまったんだ、と。
 自分がしてしまった酷い仕打ちに、いまさらに胸が苦しくなる。それはきっと、ようやく彼への想いに気付けたからこそ感じる、苦い傷みでもある。

「僕、すごくひどいことしちゃったんだよね……あの頃のことを引きずって、楽田を傷つけたんだ」
「でもさ、誠。誠は、やっぱりまだ、陸上部が、走るやつが、許せなかったりする? 楽田くん達の練習とか、走りとか見てきて、どう思った?」
「それは……なんか、許すとか許さないとかっていうのとは、別の話に思えて来たんだ。特に楽田と、個人的にかかわったことも多かったからかもしれないけれど」
「じゃあ、もう、何が何でも陸上部を憎いとは思わない?」

 確かめるように浩輝に言葉を向けられて訊ねられ、僕はうつむけていた顔をあげる。微笑みをたたえながらも、まっすぐに僕を見つめてくる浩輝の眼差しに、僕は小さくもはっきりとうなずいて答えた。

「うん、思わない。昔のイヤな記憶に囚われて、いま目の前にいる人に八つ当たりするのは、間違ってるって、わかったよ」

 数年かけてようやくたどり着いた結論を言葉にしてみると、すごく胸がスカッとした。重く胸や頭に圧し掛かっていたものが払拭されて、視界まで明るくなっている気がする。
 浩輝は僕の答えに嬉しそうに頷き、「そっか、よかった」と笑う。
 そうして浩輝は、「じゃあさ、」と更に何かを提案してくる。

「じゃあさ、明日の競技会に応援に行こう」
「明日の競技会、って……楽田たちが出る?」

 先日、生徒会室に活動予定を告げに来た、そして僕がひどい言葉を放ったあの時のことだと思いだし、再び僕は居た堪れなさで目を伏せ、首を横に振る。

「僕なんかが行けないよ。どの面下げて、いまさら応援なんてって、きっと思われる」
「そうかな? でもさ、プロでも大切な人からの応援が一番力になるってよく言うじゃん」
「大切な人って……僕は、誰からもそんな風には……」
「なんで? 楽田くん、きっと誠が来てくれるの待ってると思うよ。だって、誠とケンカしてから、不調続きになるくらいなんだから」

 浩輝の言葉に、一瞬楽田が初めて僕に迫ってきた時のことを思い出す。好きだと一方的に伝えてきて、それからぐいぐいと想いを惜しげなくぶつけて来たことも。
 もう、あの暑苦しいほどに僕への想いに溢れた感情や言葉を、受け取ることはできないんだろうか。僕にはそんな資格がもうないから、望んでもいけないんだろうか。

 ――――いや、違う。もらうばかりじゃダメだ。僕からも、彼への想いをちゃんと伝えないといけない。もらった分も、それ以上も、僕は彼に伝えたいことがある。

「僕が行っても、いやな顔されないかな……」
「絶対にない、とは言い切れないけど……でもさ、行かないよりはいいんじゃない? だって、好きな人なんだし」
「そう、かな……うん、そうだよね」

 自分に言い聞かせるようにうなずいて顔をあげると、浩輝もまた嬉しそうに頷いている。それが僕をずっと見守って来てくれていた彼だからこそ嬉しくて、ほっと安心できた。

「よし。じゃあ明日、迎えに来るから一緒に行こう。生徒会のみんなも一緒に」

 浩輝の提案に僕はうなずき、「ありがと、浩兄」と言うと、浩輝は見慣れたいつもの笑顔で返してくれた。