「“今年度目標は県大会上位入賞”――とのことですが……具体的に何位くらいに入るつもりでいるのでしょうか?」

 春うららという形容相応しい日和の中、僕は見た目も中身も薄っぺらいレジュメに目を通しながら問うと、問われた男子生徒と女子生徒はびくりと肩を震わせる。二人とも僕よりも一学年上のはずで、そしてこの部――男女バスケットボール部――のキャプテンのはずだ。

「え、や、えっと……大会の状況によって、その時その時で変わってくるんで……」
「では、我が校の平均的な順位は?」
「えっと……三位? だっけ……」
「たぶん……」

 こそこそと声を潜めて確認し合う二人の姿は、まるで三十数名ずつを有する部活の部員たちをけん引していくリーダーのようには見えず、正直頼りない。頼りないリーダーに部の活動費の決定権をゆだねようとする、顧問教師たちの甘さに僕は呆れてしまう。
 部活動に割り当てられている予算は年々厳しさを増しているというし、湯水のように好きなように使えないのに。

「じゃあ、三位に届かない場合は、予算減額ということで良いですか?」
「えっ?! 減額?! それはあんまりだ、真木野(まきの)!」
「自らの目標に届かない場合は、それなりの対応をする決まりになっているんでね」
「ええぇ……」
「文句があるなら、今年度の活動費申請は取り消し、ということでもいいんですけれど」
「わかった……三位以上の入賞目指す……」

 僕が眼鏡の奥で目を細めて緩やかに微笑むと、彼らはしおしおとうな垂れてうなずき、承諾してくれた。
 ここ、私立明花(めいか)高校では、毎年年度初めに部活動費を各部に割り振るために、生徒会役員と、その部の主将とが面談を行う。昨年度の成績や活動経歴、そして今年度の活動目標などを提出してもらい、それに見合った額を提示するのだ。
 生徒会側から面談には会長、副会長、そして会計が出席し、各部のキャプテンや部長たちと話をする。予算額が限られているので、その割り振りはかなり厳格に行うことにしている。
 バスケットボール部の二人が肩を落としながら退室してドアを閉めると、「さーすが、誠は裏生徒会長。怖いねぇ」という声がした。
 マッシュボブの黒い前髪を払うようにしながら声の方に視線を向けると、生徒会長であり、僕の幼馴染でもある畑浩輝(はたひろき)が苦笑している。

「その呼び方、会長本人が言うのはどうかと思いますけど」
「でもさ、会長と私だけだったら、きっとさっきのレジュメでそのままでオッケー出しちゃっただろうなぁ」
「ま、そういう意味では、生徒会(うち)の財布のひもが硬くなっていいんだろうけどね」

 浩輝と、副会長である青川(あおかわ)さんはそんな呑気なことを言っているのだけれど、実際問題、この二人に任せていたら予算はきっとかなりオーバーしてしまうだろう。
 明花高校の四十三代目生徒会役員に就任したのが去年の秋の終わり。生徒の自主性を重んじるこの高校の伝統として、部活動の予算決定権が生徒会にあるのを知ったのが、僕・真木野誠が役員になろうと思った理由でもある。
 生徒に部活動の活動費、つまり、活動を続けていけるかどうかがかかっていると言っても過言ではない――それが、何よりも魅力的に映ったのだ。

「とは言え、誠はちょっと厳しすぎない? 特に運動部に対しては塩対応どころか激辛だもんな。そんなクールビューティーな目で睨まれたら、俺だってビビるよ」
「そうそう。真木野くんってホント、運動部には厳しいよねぇ。クールビューティープラス氷の女王って感じ。さっきのバスケ部だって、県大会に行きたい、って言うのは具体的な目標じゃないの?」

 浩輝と青川さんから、好き勝手に言われつつ暗に「もう少し態度を軟化させろ」と言われているのだろうけれど、僕は気付いていないふりをして、さらりと答える。

「部活動費は生徒の授業料から捻出しているものなんですよ? 湯水のように与えて、有効活用されないなんて、意味がありませんからね。それに、ちゃんと文化部にも同じように対応してます」
「出た、会計様の正論パンチ」

 おどけたように浩輝が言うものだから、軽く睨みつけると、大袈裟に、「こわー」と、肩をすくめる。
 正論を言って何が悪い。部活動費がみんな……もとい、みんなの親御さんが月々支払ってくれている学費から出ているのは周知の事実なんだから。
 ――と、言うのが、僕が『裏生徒会長』と陰で呼ばれるに至っているほどの対応を取る口実になっているのは、僕以外に浩輝しか知らない。
 実際問題、僕は運動部が大嫌いだ。運動そのものが嫌い、というわけではなく、運動“部”の、そこに属している人間が好きではない。運動を好む人が好きではない、とも言える。
 予算決めの面談が一区切りして、青川さんが休憩がてら席を外して浩輝と二人きりになった。

「はーあ、仕事とはいえ、ひとつひとつの部の話を聞くのは疲れるねぇ。書面で良いんじゃないの?」

 面談を主に仕切っているのは会計の僕で、浩輝はただお飾りのように座っているだけであるせいか、そんなことを言う。生徒会長の仕事は、事務的なものよりその存在が重要視されるので、いるだけなのに疲れてしまう、というのもわからなくはない。
 でも、実際あれこれ取り仕切るのは僕だし、面談を行う理由だってちゃんとあるので、その軽口にムッとする。

「書面だと、嘘を書くところもあるからね。ちゃんと本人たちの口から聞かないと」
「言質を取る、ってこと?」
「まあ、そういうこと」
「俺はてっきり誠が部員たちをいびるためかと思ってた」
浩兄(ひろにい)……その言い方はあんまりだ」

 僕が不愉快さを隠さずに言い放つと、さすがに浩輝も言いすぎたと思ったのか、ごめん、と謝ってくる。昔から、浩輝は明るく人当たりがいい。人望もあるんだけれど、慣れ親しんだ間柄だとちょっとくだけすぎるところがある。まあ、素直にすぐ謝ってくれるから、つい許しちゃうんだけれど。

「言質を取るのは、やっぱ、小学校の時のことがあるから?」

 僕が運動部に手厳しい態度を取りがちな理由を知るのも、この学校ではきっと彼だけだ。
 あの時、兄のような存在だった彼に泣きついて慰めてもらった苦い記憶の影に、僕は顔を反らす。

「あれが誠のイヤな記憶なのは仕方ないけどさ、でも、高校(いま)も同じような態度を取るのはどうなのかと思うけど?」
「……べつに、浩兄には関係ないでしょ」

 顔を反らしたまま小さく反論したところで青川さんが戻ってきて、話は途切れてしまった。

「ねえねえ、自販機に新作のジュース入ってたよ~。あとで買いに行こう」
「じゃあ、終わったら行こうか」

 話がそれて、僕はホッとしつつも、浩輝の言葉で思い出してしまった昔の記憶の影に心が小さくさざめいてしまう。

 ――お前、ただでさえ足が遅いんだから、みんなの足引っ張るようなことするなよな。お前のせいで、一位になれなかったんだぞ!

 小学生の頃、日によく焼けた、年齢の割に筋肉がついていてきれいな脚をしていた、足の速かったとある彼に、当時から色白で小柄で華奢な体格だった僕は、密かに憧れていた。それは、恋愛という感情がつくのかもわからなかった年頃だったけれど、彼――確か、(とおる)、といった名前だった――を思えば甘い感情が湧いたから、確かにそうだったのだろうと今ならわかる。
 運動会のクラス対抗リレーで、僕は彼にバトンを渡す並びになった。それがすごく嬉しくて、バトンリレーする時はいつもドキドキしていた。
 足が速くない自覚はあったから、一秒でも早く渡せるように、ひとりで走る練習をしたりして努力してきたつもりだった。
 それなのに――本番では僕は転んで周回遅れになってしまい、クラスは最下位になって、その原因が僕にあると彼が言い放ったのだ。
 クラスのリーダー格だった彼のその言葉に他のクラスメイトが便乗し、「誠のせい」とはやし立てられながら責められた。
 帰る前に担任の教師に僕のせいにされた、と訴え、教師が彼を問いただしたのだけれど、「俺が言ったって証拠あんのかよ」と、逆ギレされてしまい、うやむやにされてしまったのだ。
 その帰り道に、浩輝に会って泣きながら理由を話して慰められた、というのが先ほど言っている“言質”のことなんだろう。
 そうして、僕の淡い儚い初恋はぐちゃぐちゃに踏みつけられ、その痛みの名残のせいもあって、僕は運動をしているやつ、特に足が速いようないかにもスポーツマンタイプが大嫌いだし、恨んですらいる。
 この一件をきっかけに僕は中学受験をし、一番家から近かったので、中学から明花高校の付属に通っている。

(運動出来る奴がえらいなんて、ほんとムカつくんだよ……)

 だから僕は、手間がかかるとしても、運動をしている奴らから言質を取って、厳しく吟味したうえで彼らに予算を振り分けるようにしているのだ。予算の振り分けに関しては、文化部にも同じようにしているし、何より先生方の許可も頂いている。でもその手腕が手厳しいとか言うから、みんな僕を『裏生徒会長』なんて呼ぶのだ。

「誠、そろそろ次の部が来るよ」
「ああ、はい」

 浩輝に声をかけられ、物思いから意識を戻し、事前提出されたレジュメに目を通す。さて、次はどんな奴らが言い訳に来るのやら……忖度なしに、公平に。
 すべては、あの頃、恋もあこがれも潰された自分を慰めるためじゃない。そう、言い聞かせながら――