次期生徒会の選挙の告示まであと一週間を切った頃、またしても僕は先日振られた話題に対峙していた。
「だから、僕は贔屓なんてしてないってば」
「でもこのところ陸上部の練習を見に行ってるんでしょう?」
「それはまあ、頑張っている部があれば、応援するじゃんか……サッカー部の試合見に行くとか、そういうのと同じだよ」
いままでは三年生のフロアでしか聞かなかった噂――生徒会が陸上部を贔屓しているというあの話――を、柿田が聞いたというのだ。それも、同じクラスと隣のクラスで別々の日に。
ただの噂話だよ、と僕が聞き流せればよかったのかもしれないのだけれど、噂の内容が聞き捨てならなかったので、つい、食いついてしまったのがいけないんだろう。
「でも、昨日だって陸上部の練習に顔出してたよって聞いたよ。マネージャーさんが言ってたもん」
「……たまたま通りかかったからだよ」
「陸上部の練習は第三グラウンドなのに?」
明花高校は部活動に力を入れているので、部活動に関する施設もかなり充実している。文化部にも運動部にも、それぞれいい機材や施設が用意されているのだ。
例えば吹奏楽部であれば立派な音楽室や楽器だとか、美術部ならデッサンに使う石膏像だとか美術道具だとか。運動部であれば競技ごとのグラウンドがあるくらいだ。
その内の第三グラウンドと呼ばれるところが、陸上部が主に練習に使うトラックがあるのだけれど、それは生徒会室からかなり遠くに位置している。だから、なんでわざわざ? というのだろうし、通りかかった、なんていうのは言い訳だと言っているようなものだからだ。
べつに、生徒会役員が部活動の練習に顔を出してはいけない決まりはない。多少仲がいい生徒同士なら、見に行くことぐらいあるだろう。
問題なのは、僕が、存続がどうこうと言われている上に、好きだと公言している楽田の陸上部に顔を出しているからだろう。しかも僕は、大の運動部嫌いとして有名なはずなのに。
半眼で見てくる柿田を前に、僕はそれでも言い募り、弁明する。
「楽田に、試合を見に来てくれって……競技会に来てくれって言われたから、どんな様子なのか見に行っただけだよ」
「じゃあデートなんじゃん! 公私混同だよ!」
「デートじゃないし、公私混同もしてない!」
「えー、信じられます? 会長、青川さん」
それまで僕と柿田の言い合いだったのに、不意に話を振られて浩輝と青川さんが顔を上げる。しかも二人は、僕らの言い合いをどう聞いていたのか、やけににニヤニヤとした顔をしているのだ。
「な、何ですか二人ともその眼は……」
「えー、だってさぁ……真木野くんって結構ツンデレなんだもん」
「ツンデレって……別に僕は、楽田にデレてなんかいません!」
「あれ? いま俺たち楽田の話したっけ?」
「してないよぉ。陸上部に贔屓がって話しだよ~」
「な……ッ!」
ニヤニヤと僕の反応を楽しんでいる三人のにやけた顔に、一層僕の羞恥心に脂が注がれていく。煽り立てていくのにまんまと乗せられて、感情がボルテージを上げていくのが止まらない。目を細めてほくそ笑んでいる姿が一層イライラさせる。
「もうさ、認めちゃいなよ」
「何がです?」
「誠は楽田のことがまんざらでもないってことだよ」
「はぁ?!」
まんざらって、つまりは僕も彼に気があるとかってことだろうか。それを認めろってことは、つまり、付き合えとかそういうこと……?
その瞬間脳裏に過ぎるのは、走っている楽田の姿と、無防備に笑っている姿で、それらが交互に浮かんでは消えていく。そのどちらにも僕の心臓はうるさく騒ぎ、冷静さがかき消されていく。
「ま、まんざらなわけないでしょう! だって、楽田ですよ?!」
「でもさぁ、練習見に行っちゃったりしてるし、お昼だって一緒に食べてるんでしょう?」
「それってもう付き合ってることになりますよね!」
「なるなる。認めちゃいなよ、誠」
他人事だと思ってやたら楽し気に勝手に盛り上がる三人の様子に、僕はどんどん頭に血がのぼっていく。何か弁明しなくては、不本意な噂が上塗りされてしまう。
僕は長机を叩いて立ち上がり、いつにない大声で声高に叫ぶように答えた。
「確かに、僕は楽田の走りはすごいなと思ってはいます。でも、だからって、陸上部を贔屓しようとは一ミリも思ってません!」
「でもさぁ、楽田くんの走りが良いなって思ってはいるんでしょう?」
「それって、楽田のこと好きってことにもなるんじゃない?」
「だから! なんでそうなるんですか……僕は、楽田なんてこれっぽっちも好きじゃないんですってば!!」
「またまたぁ、素直になりなよ」
「素直な気持ちですよ! だって、僕は走るやつが嫌いなんですから!!」
大声で生徒会室中に響くように叫んだその時、背後の引き戸が開く気配がして、続けて何かが床に落ちていく音がした。
はらりと落ちたそれは、ゆっくりと僕の足許に辿り着く。「秋季陸上競技会出場登録書控え」と書かれたそのタイトルに、僕の胸がぎくりと音を立てる。なんでいま、こんな時に限って……背中に、横顔に注がれる視線に冷たさが混じっていくのを感じる。
「……楽田くん」
凍り付いた声で柿田がその名を呼び、呼ばれた気配が硬く強張る。強張った気配は、じっと僕の方に向けられて、動かない。
いまの話を、どこから聞いていたんだろうか。誤解するように聞こえていなければいいのに……そんな、淡く儚い期待を込めて、僕は振り返ってみる。
でもそれは、向き合った目がいつものように線になって軽薄さをにじませているものではなく、大きく黒目がちな目が、睫毛の端々まで見開かれて僕を見据えていた。じっと、射貫くように。
じりっと焦げ付くように強い視線に射抜かれるように見つめ合ったまま、重い沈黙が漂う。このまま息が停まるか、時が停まるかしてしまうんじゃないかと思っていた程に息苦しいそれは、「真木野さん、」と、戸惑いのにじむ楽田の呟くような声で破られた。
「真木野さん、俺、バカだからよくわかんないんすけど……もしかして、いま、走るやつが嫌いって話、してたっすよね?」
「あのね、楽田くん、そうじゃなくてね……」
青川さんが取り繕うように話をしようとしたけれど、楽田には聞こえていないのか、青川さんの言葉を無視して数歩、僕の方に歩み寄ってくる。一メートルほどの近さで向かい合う楽田は、思っている以上に上背があり、たくましい。
「俺が頑張ってるから、練習見に来てくれてたんじゃないんすか? 応援してくれてるんじゃなかったんすか?」
縋る様な目を向けてくる楽田の視線が痛くて、僕は思わず顔を背けてしまう。それを追うように、楽田が顔を覗き込んでくる。狙いを定めた獲物を見つめる狩りをする動物の眼差しは、モヤシっ子な僕には生命の危機を感じそうなほど鋭い。
だけど、ここで小手先だけの言葉でごまかしても、どこかでこの話を耳にするだろうし、それに対する僕の気持ちをしっかり伝えておかないといけない。贔屓してるんじゃない、僕はあくまで公平に陸上部を見ている。だから、もう応援とか、出来ないって。
それならばいっそ、もういまここですべてをぶちまけてしまえばいい――そう、僕は腹をくくった。
「うん、そうだよ。だって、生徒会が贔屓してるなんて噂が立ってるんだもの……取り消さないとね」
「そんなの誰が言ってるんすか?! そんなの、ただの噂じゃないっすか!」
楽田の腕が伸びて、僕の肩につかみかかる。揺さぶらんばかりに訴えかけてくる眼が、やっぱりダチョウなんかよりもチーターのように獰猛に見える。
――ああ、やっぱり彼だって、僕みたいな、走ることが遅いような奴なんかどうとも思わないような強引さを持つ、あいつと同じ仲間でしかないんだ――だから僕は、肩をつかんでいる手をほどき、努めて冷酷に言い放った。夏に触れてくる手を繋いで、祭り灯りの下で見つめ合って感じた愛しいなんて感情は、嘘でまやかしだったんだと切り捨てて。
「噂でも、生徒会活動に支障が出るような話は根絶やしにしにしないといけない。僕は、生徒会役員なんだから」
そんな……と、振り払われた手の行き場をなくした楽田は、呆然としたまま僕を見つめている。その眼は、信じていたものを裏切られて傷ついた被害者のもので、ひどく僕の心を揺さぶってくる。
でも、ここでまた揺らいでしまったら、生徒会の信用がなくなってしまうかもしれない。それは、生徒会の一員としては避けなくてはいけない。だから、呆然とする瞳を見つめ返し、僕の生徒会役員としての言葉を投げた。
呆然としていた楽田の眼は、やがて薄い膜を張るように潤み、深い色の奥に強い感情を宿らせながら問うてきた。
「……そんなに、走るやつが憎いんすか? それとも、俺が兄ちゃんの弟だってことが、憎いんすか? 兄ちゃんのことが許せないから、俺のことも憎くてそんなこと言うんですか?」
ここで透との一件を持ち出してくるとは思わず、僕が言葉を失っていると、瞬く間に楽田の眼に涙が浮かんで頬を伝っていく。ただ走ることだけを望まれて答えてきた彼の涙は、自分のしたことを忘れるくらいにきれいで、見惚れてしまうほどだった。
でもその涙が、僕のせいで流れているのかと思うと、僕は自分が心底卑怯でズルい奴だと思い知らされ、胸が抉られるように痛んだ。
痛んだけれど――彼をずっと欺いていたようなものなのだから、これは罰なんだろうとも思った。思うことでしか、正気を保てていないとも言えるのだけれど。
「……そうだ、って答えたら、君は満足?」
楽田の顔が一気に赤く染まり、憎しみや怒りの込められている視線が向けられる。
「そんなヒトだったんすか? 真木野さんって……」
呟くように吐かれた言葉と、身がすくみそうに鋭い視線に射抜かれている僕を置いて、楽田はそのまま生徒会室を飛び出していく。
あとには、気まずく沈黙したままの僕らが、互いの顔すら見合わせられないまま佇んでいた。
「だから、僕は贔屓なんてしてないってば」
「でもこのところ陸上部の練習を見に行ってるんでしょう?」
「それはまあ、頑張っている部があれば、応援するじゃんか……サッカー部の試合見に行くとか、そういうのと同じだよ」
いままでは三年生のフロアでしか聞かなかった噂――生徒会が陸上部を贔屓しているというあの話――を、柿田が聞いたというのだ。それも、同じクラスと隣のクラスで別々の日に。
ただの噂話だよ、と僕が聞き流せればよかったのかもしれないのだけれど、噂の内容が聞き捨てならなかったので、つい、食いついてしまったのがいけないんだろう。
「でも、昨日だって陸上部の練習に顔出してたよって聞いたよ。マネージャーさんが言ってたもん」
「……たまたま通りかかったからだよ」
「陸上部の練習は第三グラウンドなのに?」
明花高校は部活動に力を入れているので、部活動に関する施設もかなり充実している。文化部にも運動部にも、それぞれいい機材や施設が用意されているのだ。
例えば吹奏楽部であれば立派な音楽室や楽器だとか、美術部ならデッサンに使う石膏像だとか美術道具だとか。運動部であれば競技ごとのグラウンドがあるくらいだ。
その内の第三グラウンドと呼ばれるところが、陸上部が主に練習に使うトラックがあるのだけれど、それは生徒会室からかなり遠くに位置している。だから、なんでわざわざ? というのだろうし、通りかかった、なんていうのは言い訳だと言っているようなものだからだ。
べつに、生徒会役員が部活動の練習に顔を出してはいけない決まりはない。多少仲がいい生徒同士なら、見に行くことぐらいあるだろう。
問題なのは、僕が、存続がどうこうと言われている上に、好きだと公言している楽田の陸上部に顔を出しているからだろう。しかも僕は、大の運動部嫌いとして有名なはずなのに。
半眼で見てくる柿田を前に、僕はそれでも言い募り、弁明する。
「楽田に、試合を見に来てくれって……競技会に来てくれって言われたから、どんな様子なのか見に行っただけだよ」
「じゃあデートなんじゃん! 公私混同だよ!」
「デートじゃないし、公私混同もしてない!」
「えー、信じられます? 会長、青川さん」
それまで僕と柿田の言い合いだったのに、不意に話を振られて浩輝と青川さんが顔を上げる。しかも二人は、僕らの言い合いをどう聞いていたのか、やけににニヤニヤとした顔をしているのだ。
「な、何ですか二人ともその眼は……」
「えー、だってさぁ……真木野くんって結構ツンデレなんだもん」
「ツンデレって……別に僕は、楽田にデレてなんかいません!」
「あれ? いま俺たち楽田の話したっけ?」
「してないよぉ。陸上部に贔屓がって話しだよ~」
「な……ッ!」
ニヤニヤと僕の反応を楽しんでいる三人のにやけた顔に、一層僕の羞恥心に脂が注がれていく。煽り立てていくのにまんまと乗せられて、感情がボルテージを上げていくのが止まらない。目を細めてほくそ笑んでいる姿が一層イライラさせる。
「もうさ、認めちゃいなよ」
「何がです?」
「誠は楽田のことがまんざらでもないってことだよ」
「はぁ?!」
まんざらって、つまりは僕も彼に気があるとかってことだろうか。それを認めろってことは、つまり、付き合えとかそういうこと……?
その瞬間脳裏に過ぎるのは、走っている楽田の姿と、無防備に笑っている姿で、それらが交互に浮かんでは消えていく。そのどちらにも僕の心臓はうるさく騒ぎ、冷静さがかき消されていく。
「ま、まんざらなわけないでしょう! だって、楽田ですよ?!」
「でもさぁ、練習見に行っちゃったりしてるし、お昼だって一緒に食べてるんでしょう?」
「それってもう付き合ってることになりますよね!」
「なるなる。認めちゃいなよ、誠」
他人事だと思ってやたら楽し気に勝手に盛り上がる三人の様子に、僕はどんどん頭に血がのぼっていく。何か弁明しなくては、不本意な噂が上塗りされてしまう。
僕は長机を叩いて立ち上がり、いつにない大声で声高に叫ぶように答えた。
「確かに、僕は楽田の走りはすごいなと思ってはいます。でも、だからって、陸上部を贔屓しようとは一ミリも思ってません!」
「でもさぁ、楽田くんの走りが良いなって思ってはいるんでしょう?」
「それって、楽田のこと好きってことにもなるんじゃない?」
「だから! なんでそうなるんですか……僕は、楽田なんてこれっぽっちも好きじゃないんですってば!!」
「またまたぁ、素直になりなよ」
「素直な気持ちですよ! だって、僕は走るやつが嫌いなんですから!!」
大声で生徒会室中に響くように叫んだその時、背後の引き戸が開く気配がして、続けて何かが床に落ちていく音がした。
はらりと落ちたそれは、ゆっくりと僕の足許に辿り着く。「秋季陸上競技会出場登録書控え」と書かれたそのタイトルに、僕の胸がぎくりと音を立てる。なんでいま、こんな時に限って……背中に、横顔に注がれる視線に冷たさが混じっていくのを感じる。
「……楽田くん」
凍り付いた声で柿田がその名を呼び、呼ばれた気配が硬く強張る。強張った気配は、じっと僕の方に向けられて、動かない。
いまの話を、どこから聞いていたんだろうか。誤解するように聞こえていなければいいのに……そんな、淡く儚い期待を込めて、僕は振り返ってみる。
でもそれは、向き合った目がいつものように線になって軽薄さをにじませているものではなく、大きく黒目がちな目が、睫毛の端々まで見開かれて僕を見据えていた。じっと、射貫くように。
じりっと焦げ付くように強い視線に射抜かれるように見つめ合ったまま、重い沈黙が漂う。このまま息が停まるか、時が停まるかしてしまうんじゃないかと思っていた程に息苦しいそれは、「真木野さん、」と、戸惑いのにじむ楽田の呟くような声で破られた。
「真木野さん、俺、バカだからよくわかんないんすけど……もしかして、いま、走るやつが嫌いって話、してたっすよね?」
「あのね、楽田くん、そうじゃなくてね……」
青川さんが取り繕うように話をしようとしたけれど、楽田には聞こえていないのか、青川さんの言葉を無視して数歩、僕の方に歩み寄ってくる。一メートルほどの近さで向かい合う楽田は、思っている以上に上背があり、たくましい。
「俺が頑張ってるから、練習見に来てくれてたんじゃないんすか? 応援してくれてるんじゃなかったんすか?」
縋る様な目を向けてくる楽田の視線が痛くて、僕は思わず顔を背けてしまう。それを追うように、楽田が顔を覗き込んでくる。狙いを定めた獲物を見つめる狩りをする動物の眼差しは、モヤシっ子な僕には生命の危機を感じそうなほど鋭い。
だけど、ここで小手先だけの言葉でごまかしても、どこかでこの話を耳にするだろうし、それに対する僕の気持ちをしっかり伝えておかないといけない。贔屓してるんじゃない、僕はあくまで公平に陸上部を見ている。だから、もう応援とか、出来ないって。
それならばいっそ、もういまここですべてをぶちまけてしまえばいい――そう、僕は腹をくくった。
「うん、そうだよ。だって、生徒会が贔屓してるなんて噂が立ってるんだもの……取り消さないとね」
「そんなの誰が言ってるんすか?! そんなの、ただの噂じゃないっすか!」
楽田の腕が伸びて、僕の肩につかみかかる。揺さぶらんばかりに訴えかけてくる眼が、やっぱりダチョウなんかよりもチーターのように獰猛に見える。
――ああ、やっぱり彼だって、僕みたいな、走ることが遅いような奴なんかどうとも思わないような強引さを持つ、あいつと同じ仲間でしかないんだ――だから僕は、肩をつかんでいる手をほどき、努めて冷酷に言い放った。夏に触れてくる手を繋いで、祭り灯りの下で見つめ合って感じた愛しいなんて感情は、嘘でまやかしだったんだと切り捨てて。
「噂でも、生徒会活動に支障が出るような話は根絶やしにしにしないといけない。僕は、生徒会役員なんだから」
そんな……と、振り払われた手の行き場をなくした楽田は、呆然としたまま僕を見つめている。その眼は、信じていたものを裏切られて傷ついた被害者のもので、ひどく僕の心を揺さぶってくる。
でも、ここでまた揺らいでしまったら、生徒会の信用がなくなってしまうかもしれない。それは、生徒会の一員としては避けなくてはいけない。だから、呆然とする瞳を見つめ返し、僕の生徒会役員としての言葉を投げた。
呆然としていた楽田の眼は、やがて薄い膜を張るように潤み、深い色の奥に強い感情を宿らせながら問うてきた。
「……そんなに、走るやつが憎いんすか? それとも、俺が兄ちゃんの弟だってことが、憎いんすか? 兄ちゃんのことが許せないから、俺のことも憎くてそんなこと言うんですか?」
ここで透との一件を持ち出してくるとは思わず、僕が言葉を失っていると、瞬く間に楽田の眼に涙が浮かんで頬を伝っていく。ただ走ることだけを望まれて答えてきた彼の涙は、自分のしたことを忘れるくらいにきれいで、見惚れてしまうほどだった。
でもその涙が、僕のせいで流れているのかと思うと、僕は自分が心底卑怯でズルい奴だと思い知らされ、胸が抉られるように痛んだ。
痛んだけれど――彼をずっと欺いていたようなものなのだから、これは罰なんだろうとも思った。思うことでしか、正気を保てていないとも言えるのだけれど。
「……そうだ、って答えたら、君は満足?」
楽田の顔が一気に赤く染まり、憎しみや怒りの込められている視線が向けられる。
「そんなヒトだったんすか? 真木野さんって……」
呟くように吐かれた言葉と、身がすくみそうに鋭い視線に射抜かれている僕を置いて、楽田はそのまま生徒会室を飛び出していく。
あとには、気まずく沈黙したままの僕らが、互いの顔すら見合わせられないまま佇んでいた。



