体育祭での活躍もあって、楽田はまた一段と校内で知られるようになったようだ。
 昼休みには相変わらず僕のクラスに来て、一緒に弁当を食べているのだけれど、その際によく声をかけられる。春先の廃部阻止のお願いと告白当初の時のように、「熱烈だねぇ」とか「真木野のどこがいいの?」とか、僕に関連する冷やかしのようなものが多かった。
 でも体育祭以降、「練習頑張ってね」とか、「次の大会はいつ?」とか、楽田本人に向いた言葉が増えていっている気がする。
 いい傾向なんだろうけれど、なんとなく、僕はおもしろくない。目先の活躍だけ見ているやつらが、楽田の何をわかっているっていうんだ……なんて、まるで僕が彼の特別な存在であるかのような気負いをしてしまっている。声をかけられるたびにイラっとしては我に返り、そんな自分にも苛立つ。その繰り返しで、最近気持ちが落ち着かない。

「はぁ……」
「どうしたんすか、真木野さん。唐揚げいります?」
「……ああ、じゃあ一個」

 真木野は一日に二回弁当を食べるらしく、昼休みに時々僕におかずなんかを分けてくれる。僕も弁当を持たされていて、量も申し分ないのだけれど、彼から分けてもらえるそれはなんだか別腹のように満腹でも入っていく。

「最近、楽田は人気者だな、と思って」
「え? でも俺が好きなのは真木野さんだけっすからね。それに、次の選挙も投票するんで!」

 相変わらずの一方的とも言える愛情宣言に、最近は投票宣言まで加わって、一層愛が重い。
 体育祭が終わると、文化祭との間に新しい生徒会役員を選ぶ話が持ち上がる。選挙戦もなくはないけれど、大方の候補がこの時季に決まっていく。その話をしているのだろう。
 そして同時に、今期の生徒会として最後の仕事を片付けなくてはならない。通常であれば役職の引継ぎ資料の作成くらいなので、そう大変じゃない。
 でも僕は、なんとなくもやもやした気持ちを抱えつつ楽田からの唐揚げを飲み下していった。


「なんかさ、楽田くんが活躍してるのは良いけど、生徒会が贔屓(ひいき)してるんじゃないかって言われてるんだって?」

 放課後の定例会のついでに引継ぎ資料を作っているさなか、青川さんが不意にそんなことを言い出した。
 僕も浩輝も柿田も、作業をしていた手を止め、問うような眼をして顔を上げる。
 そんな話、聞いたこともない……と、僕が言うより先に、「ああ、それね」と、浩輝が口を開く。

「最近よく聞くよね、“存続の危機に似合ったはずの陸上部が盛り返してるのは生徒会のせいじゃないか”っていうの」
「え、そうなんですか? あたし初耳です」
「僕も……」

 柿田と僕は同学年なので、噂は浩輝と青川さんの学年である三年生のフロアで広まっているということだろうか。
 そんな風に僕らが言うと、浩輝は少し難しい顔をして答える。

「んー……なんて言うか、ほら、楽田がさ、誠のこと好きだのなんだの言ってるじゃん? それでね、贔屓してるんじゃないか、って」
「そんなの誤解もいいとこですよ! 僕はそういう気持ちはないし、ましてや贔屓なんてしてません!」
「わかってるわかってる。ただね、そういう噂もあるよって話だよ」
「そうそう、根も葉もないのはあたしたちも知ってるから」

 浩輝も青川さんもそう苦笑して、僕を宥めるようなことを言ってはくれるけれど、なんだか腑に落ちない。そもそも、僕は楽田からのアプローチにひと言も応えたことはないのだから。
 真相を知らない外野が好き勝手言っているだけだよ、と浩輝たちは言うし、聞き流せばいいんだろうけれど……なんで、そうできないんだろう。
「……真木野くん、顔、すごく怖いけど、大丈夫?」

 お腹でもいたい? なんて柿田に顔を覗き込まれて無用に心配をされ、僕は慌てて笑顔を作り、作業に没頭しようとする。
 その時ふと、浩輝と青川さんが交わしていた言葉が、胸に嫌な影を落とした。

「やっぱり剣道部の前例があるから、似たような境遇の陸上部はなんで? って言われちゃうのかな」
「そうかもねぇ。学校側と部と話し合って決めたんだよって言っても、みんなからは見たら生徒会が休部に追い込んだって思われてるのかも」

 それは、暗に僕のせいだって言いたいんだろうか? と、問おうにも、二人はもう既に別の話題に移っていて、話に割り込む隙がない。わざわざ蒸し返していいものかもわからず、もやもやしつつも、僕も作業に戻った。


「真木野さん、今度俺、秋の大会に出るんすよ。上手くいけば十一月くらいに全国レベルの大会に出れるやつなんすけど」
「へぇ、すごいじゃん」
「んで、今度は百メートルだけじゃなくって、リレーやってみようって話になってて」

 春先、マネージャーが、今年はリレーができるかもしれないと言っていたから、それが実現するということなのだろう。体育祭の楽田の活躍からも、その期待が高くなっているのかもしれない。
 だからそう僕が言うと、楽田は嬉しそうに頷き、こうも言う。

「だから俺、来年も陸上部やれるように、絶対優勝したいんすよねぇ」

 君ならできるよ。きっと来年だって大活躍できる。そう、心から言ってやりたい。その為なら支援は惜しまないよ、とも言ってやりたい。
 でもそうしたらまた、僕が陸上部を贔屓してるとか言われてしまうんだろうか? 先日の噂話がまだ影を落としていて、口を塞いでくる。

(もしここでいま、“頑張って優勝目指しなよ”……って言ったところで、楽田は発奮するだろうか?)

 発奮するなら、それに越したことはない。そうすることで陸上部としての成果が上がり、来年の活動がしやすくなる可能性もある。

 ――でも、そう思われなかったら?

 贔屓を疑われているからもう応援しない――それってあまりに身勝手だし、嬉しそうに来年の抱負を語っている彼の笑顔に水を差しかねない。いま、ここで告げて何になると言うのだろう。いくら楽田の人が好いかもしれないからと言って、そんな言葉を投げていいとは思えない。そんなことはしてはいけない。

(じゃあ、僕はどうすればいい?)

 勉強であれば答えが明確で、参考書の書かれている通りの公式に当てはめればいいだけだ。生徒会の仕事だって、引き継ぎ書に書かれている通りにすればいい。
 でも、向かい合う彼と交わす言葉は、そこに混じる心は、そんな画一的なもので片づけられない気がする。

「真木野さん、今度試合観に来てくださいよ! 俺、絶対優勝するんで!」

 満面の笑みでそう誘われたけれど、僕は曖昧に笑って返すしかできなかった。
 みんな公平に接していたはずの僕の態度のどこに落ち度があったんだろう。それがもし、楽田たちの活動に疑いの目を向けられることになっていたら。

(そんなはずはない。僕は、贔屓なんてしていない)

 そう思っているはずなのに、その考えが、楽田の隣にいると揺らぎそうになってしまう。楽しそうに走る彼を見ていると、僕がいだく感情にまで疑いの目が向けられている気がして、足がすくみ、まっすぐに彼の走る姿を見られない。
 こんな僕が、楽田の競技会を見に行っていいんだろうか。過ぎる考えに、ギリッと胸が痛んで、立ちすくみそうになる。痛みの意味が、わからないからだ。

「真木野さんが来てくれたら、俺、百万力っすよ」

 無邪気にそう言って笑いかけてくる楽田の笑みが、胸に痛い。後ろめたいことなんて何もないはずなのに、罪悪感のようなものを感じてしまう。僕はただ、彼の走る姿や姿勢をすごいと思っているだけなのに。
 誰に打ち明ければいいかわからないモヤモヤした想いを抱えたまま、僕は曖昧に楽田に笑いかけるしかなかった。