実力テストが終わると梅雨も完全に明けて暑さが本格的になる。
生徒会の活動は特に夏休み中はないため、僕は休みの間学校から出された課題と、通っている塾の課題をする事で淡々と過ごしていた。
(いまごろ、楽田は練習して走っているのかな?)
授業の合間や、課題をしている午後なんかに、ふとそんなことを考え、そして同時にあの祭りのことや、帰り道に見上げた花火の光景を思い出す。
透との遭遇という、思い起こすのも気が滅入りそうな出来事があったとはいえ、手を繋いで二人で歩いたことや、露店を巡ったこと、そして、花火の残像の中言われた言葉を反芻しては耳の端まで熱くなってしまう。
まるで楽田の面影をよすがに生きるいにしえの乙女のようで、我ながら苦笑してしまう。ああ、誰かが心の中にいると、ヒトってこうなってしまうんだな、と。ふわふわして、心許なくて、でも妙に楽しい。ウキウキ、なんて柄にもないオノマトペがついてしまいそうな心境は、未知の感覚で戸惑いの方が大きいけれど。
「珍しく誠から遊びの誘いがあったかと思えば、妙に機嫌が良いんだね」
一人でいるとなんだかワケもなくソワソワしてしまって落ち着かないので、幼馴染でもある浩輝を誘って映画に行った。特に見たい映画があったわけではないのだけれど、誰かと言葉を交わしたかったのだ。
(楽田みたいにコミュ強なら、映画に行くなんて余計なアクションいらないんだろうな……)
そんな余計なことを考えては頭を振って打ち消し、ファストフードのジュースを啜る。
映画の感想を軽く話し合いつつも、僕の本来も目的が映画でないことは、感想に対してそんなに食いついてこない、上の空の態度でバレてしまった。その上、ガラにもなく浩輝に先程ポップコーンを奢ったりしたものだから、そんなことを言われたのだろう。
「べつに、ポップコーン奢ったくらいでヒトが上機嫌だなんて、随分な言い草だよ、浩兄」
「だって、いつもなら絶対きっちり割り勘じゃん。」
「……ヒトをそんな守銭奴みたいに言わないで」
ムッとしながらポテトをかじっている僕を、浩輝はまだ何か言いたげに頬杖をついて見つめている。その視線が居心地悪くて、つい自分から、「なに?」と、水を向けてしまう。それが余計に浩輝をニヤつかせるとわかっているのに。
「随分、誠も変わったなぁと思って」
「僕が? どこが?」
思ってもいなかった言葉に手にしていたポテトを落としそうになるほど驚いても、浩輝はそれが冗談だとは言わず、むしろ、「そうだなぁ、雰囲気とか?」と言う。
「前はさ、いかにもクールビューティーで、裏生徒会長! って呼ばれているのが納得な感じだったけど、最近なんかこう、やわらかいよね、空気とか」
「……そんなに僕、血が通ってない感じだった?」
そこまで言ってないよ、と浩輝は苦笑するけれど、裏や陰で僕が呼ばれていたあだ名の由来はだいたいそういうものだろう。でもそれが変わったというのが心外だった。そんな変わろうと決意したわけでも、行動を取っているわけでもなかったから。
だから首をかしげていると、浩輝はまるで僕が久しぶりに会う親戚の子どもか何かのように目を細め、そっと頭を撫でた。
「でも、いい感じだと思うよ、誠。あの人を寄せ付けない感じより、ずっといい」
「べつに、変わろうって思ってるわけじゃ……」
「じゃあ何か影響を受けてるとかかな。例えば……陸上部の楽田くんとか」
まったく構えていなかった人物の名を、それも自分の変化の要因として挙げられ、僕は飲みかけていたコーラを吹き出しそうになった。
「な……なんで、あいつなの……」
「だって、いままでの誠なら信じられないタイプと仲がいいじゃない。楽田くんは誠が一番嫌いな、足が速い奴なのに、勉強まで面倒看ちゃったりして」
「そ、それは……あまりに目も当てられなかったから……」
たまたまあの放課後に会って、話をして、放っておけなかった。つい、出来心で敵とも言える相手に、塩どころか米も魚も送ってしまった気がしていたほどだ。しかも、一日二日、適当に相手をしていればいいかなと思っていたのに、楽田の理解度が上がっていく様子を見ているのが楽しくて、つい、直前まで面倒を看てしまっていた。
でもそのお陰で、楽田は今までで一番いい成績だったとは言うのだけれど。
「去年までの誠だったら、きっと“自業自得だろ”って言って、勉強を教えるなんてしようともしなかったんじゃない?」
「……そんなことないよ」
「べつに勉強みてやるのは悪い事じゃないんだからいいんじゃない? あからさまに嫌ってたタイプと、そんな風に接することができるようになるって。いい感じに変われてるじゃん」
べつにそんな大それた変化を求めているつもりは毛頭ないし、大したことをした覚えもない。だけど、当事者じゃない誰かに褒められるというのは、悪い気分じゃなく、寧ろ、嬉しく思っていた。
褒めによる嬉しさを自覚してしまうと、急激に恥ずかしくなってきて居た堪れない気分になってくる。ぼそぼそとポテトを摘まんで俯いていると、「誠、」と、浩輝が改まったように呼ぶ。
顔をあげると、よく知る、人当たりの良い笑顔ではない、真面目な顔の浩輝がいた。
「明花高校のことを一生懸命考えてくれて、あえてみんなに厳しく接してくれている誠が、“裏生徒会長”なんて呼ばれているのを、俺が本気で面白がっているって思ってる?」
「べつに事実だし……」
「誠、そういう諦めた態度が、周りを増長させてるかもしれないんだよ」
「……じゃあ、僕にもっと明るいキャラになれって言うの?」
例えば楽田みたいに? とはあえて言わなかった。それだとまるで僕が彼を馬鹿にしているのと同義になってしまうからだ。
だけど、浩輝が言いたいのは、そういうことではないようだ。
「まあ、そうなれれば一番いいんだろうけれど、誠の性格上、難しいだろうから。だから、楽田くんみたいな、根っから明るいキャラのやつと一緒にいるのって、いいんじゃないかなって思うんだよね」
「そうかな……」
訝しむ僕を、浩輝はそうだよ、と笑い、ジュースを飲み始める。
そうしながら、「って言うかさ」と、浩輝は顔をあげて言葉を続けてこう断言してくる。
「誠、結構楽田くんのこと、好きでしょう?」
「は? なに言ってんの、浩兄!」
思わず椅子から立ち上がって身を乗り出さんばかりにした僕を、浩輝はおかしそうに宥めつつ、肩をすくめ、「だって、本当に変わったんだもん」と言うのだ。
「か、仮に僕が楽田のせいで変わって来たにしても……その……好きって言うのは……」
僕はそんなに感情が駄々洩れになっているような人間だっただろうか、と自分の顔を鏡で確認したくなったけれど、浩輝は僕の動揺ぶりを愉しむように眺めている。
「好きって言うのは、べつに、恋愛のそれかどうかなんて俺がどうこう言えないよ。友達としての好きだってあり得るんだからさ。誠の周りには、そういうヒトっていままであんまりいなかったから」
言われてみれば、そうかもしれない。僕が誰かと事務的な会話以上の言葉を交わす存在は、浩輝をはじめとする生徒会のメンバー、そして家族ぐらいだ。クラスメイトと交わす言葉だって必要最低限が殆どだ。世間話すらしたこともないかもしれない。それはきっと、小学校の時の、透との一件以降が特に顕著にそうなっていった気がする。
だから、楽田という、僕とは正反対の、天敵とも言えるようなタイプと関わっていく内に、何らかの変化が生じているのは当然なのかもしれない。
(でもそれを、好きなんでしょう? って言われると、その……うん、と言っていいのか……迷う……)
友達として好きなのか、という可能性もゼロではないのではないと考えてみて、それなら、あの祭りの帰り道の花火の下で覚えた感情は何なのだろうかと思えてくる。甘くて苦しい、息が詰まりそうな速い鼓動と熱は、所謂友情で片づけるにはあまりに甘い味がするのだ。
だったらこれは、やはり恋とか言うものなんだろうか? そう、断定してもいいんだろうか。あまりにサンプルが乏しすぎて、決めてしまうのが怖い。
「……そんなこと、わかんないよ」
そう、ぽつりと呟く僕を、浩輝は同調するように頷いている。でも、それ以上は何も言ってくれなかった。当たり前だ、僕の感情の話なんだから。
繋げなくなった手を惜しいと思ってしまった。見つめられて胸の中が花火みたいに弾けるかと思った。あの感情を、僕は、何と呼べばいいのか知っている気がする。でも知っているとすれば……あの、小学校時代のあまりに苦く痛い記憶だけ。あれと同じ感情を、僕はいま抱いているのだろうか。あまりに覚える感触が違いすぎて、戸惑いしかない。
わからない。でも、わからないままで放っておきたくない気もするし、わかってしまうのも怖い気もする。それでも、僕は楽田のことを考えたり思い出したりすると、甘い何かを感じる。それは確かだ。
(このまま、甘いばかりなら、いいのに……)
そんな宙ぶらりんで曖昧な気持ちを胸に宿したまま、僕はジュースを飲み干した。
生徒会の活動は特に夏休み中はないため、僕は休みの間学校から出された課題と、通っている塾の課題をする事で淡々と過ごしていた。
(いまごろ、楽田は練習して走っているのかな?)
授業の合間や、課題をしている午後なんかに、ふとそんなことを考え、そして同時にあの祭りのことや、帰り道に見上げた花火の光景を思い出す。
透との遭遇という、思い起こすのも気が滅入りそうな出来事があったとはいえ、手を繋いで二人で歩いたことや、露店を巡ったこと、そして、花火の残像の中言われた言葉を反芻しては耳の端まで熱くなってしまう。
まるで楽田の面影をよすがに生きるいにしえの乙女のようで、我ながら苦笑してしまう。ああ、誰かが心の中にいると、ヒトってこうなってしまうんだな、と。ふわふわして、心許なくて、でも妙に楽しい。ウキウキ、なんて柄にもないオノマトペがついてしまいそうな心境は、未知の感覚で戸惑いの方が大きいけれど。
「珍しく誠から遊びの誘いがあったかと思えば、妙に機嫌が良いんだね」
一人でいるとなんだかワケもなくソワソワしてしまって落ち着かないので、幼馴染でもある浩輝を誘って映画に行った。特に見たい映画があったわけではないのだけれど、誰かと言葉を交わしたかったのだ。
(楽田みたいにコミュ強なら、映画に行くなんて余計なアクションいらないんだろうな……)
そんな余計なことを考えては頭を振って打ち消し、ファストフードのジュースを啜る。
映画の感想を軽く話し合いつつも、僕の本来も目的が映画でないことは、感想に対してそんなに食いついてこない、上の空の態度でバレてしまった。その上、ガラにもなく浩輝に先程ポップコーンを奢ったりしたものだから、そんなことを言われたのだろう。
「べつに、ポップコーン奢ったくらいでヒトが上機嫌だなんて、随分な言い草だよ、浩兄」
「だって、いつもなら絶対きっちり割り勘じゃん。」
「……ヒトをそんな守銭奴みたいに言わないで」
ムッとしながらポテトをかじっている僕を、浩輝はまだ何か言いたげに頬杖をついて見つめている。その視線が居心地悪くて、つい自分から、「なに?」と、水を向けてしまう。それが余計に浩輝をニヤつかせるとわかっているのに。
「随分、誠も変わったなぁと思って」
「僕が? どこが?」
思ってもいなかった言葉に手にしていたポテトを落としそうになるほど驚いても、浩輝はそれが冗談だとは言わず、むしろ、「そうだなぁ、雰囲気とか?」と言う。
「前はさ、いかにもクールビューティーで、裏生徒会長! って呼ばれているのが納得な感じだったけど、最近なんかこう、やわらかいよね、空気とか」
「……そんなに僕、血が通ってない感じだった?」
そこまで言ってないよ、と浩輝は苦笑するけれど、裏や陰で僕が呼ばれていたあだ名の由来はだいたいそういうものだろう。でもそれが変わったというのが心外だった。そんな変わろうと決意したわけでも、行動を取っているわけでもなかったから。
だから首をかしげていると、浩輝はまるで僕が久しぶりに会う親戚の子どもか何かのように目を細め、そっと頭を撫でた。
「でも、いい感じだと思うよ、誠。あの人を寄せ付けない感じより、ずっといい」
「べつに、変わろうって思ってるわけじゃ……」
「じゃあ何か影響を受けてるとかかな。例えば……陸上部の楽田くんとか」
まったく構えていなかった人物の名を、それも自分の変化の要因として挙げられ、僕は飲みかけていたコーラを吹き出しそうになった。
「な……なんで、あいつなの……」
「だって、いままでの誠なら信じられないタイプと仲がいいじゃない。楽田くんは誠が一番嫌いな、足が速い奴なのに、勉強まで面倒看ちゃったりして」
「そ、それは……あまりに目も当てられなかったから……」
たまたまあの放課後に会って、話をして、放っておけなかった。つい、出来心で敵とも言える相手に、塩どころか米も魚も送ってしまった気がしていたほどだ。しかも、一日二日、適当に相手をしていればいいかなと思っていたのに、楽田の理解度が上がっていく様子を見ているのが楽しくて、つい、直前まで面倒を看てしまっていた。
でもそのお陰で、楽田は今までで一番いい成績だったとは言うのだけれど。
「去年までの誠だったら、きっと“自業自得だろ”って言って、勉強を教えるなんてしようともしなかったんじゃない?」
「……そんなことないよ」
「べつに勉強みてやるのは悪い事じゃないんだからいいんじゃない? あからさまに嫌ってたタイプと、そんな風に接することができるようになるって。いい感じに変われてるじゃん」
べつにそんな大それた変化を求めているつもりは毛頭ないし、大したことをした覚えもない。だけど、当事者じゃない誰かに褒められるというのは、悪い気分じゃなく、寧ろ、嬉しく思っていた。
褒めによる嬉しさを自覚してしまうと、急激に恥ずかしくなってきて居た堪れない気分になってくる。ぼそぼそとポテトを摘まんで俯いていると、「誠、」と、浩輝が改まったように呼ぶ。
顔をあげると、よく知る、人当たりの良い笑顔ではない、真面目な顔の浩輝がいた。
「明花高校のことを一生懸命考えてくれて、あえてみんなに厳しく接してくれている誠が、“裏生徒会長”なんて呼ばれているのを、俺が本気で面白がっているって思ってる?」
「べつに事実だし……」
「誠、そういう諦めた態度が、周りを増長させてるかもしれないんだよ」
「……じゃあ、僕にもっと明るいキャラになれって言うの?」
例えば楽田みたいに? とはあえて言わなかった。それだとまるで僕が彼を馬鹿にしているのと同義になってしまうからだ。
だけど、浩輝が言いたいのは、そういうことではないようだ。
「まあ、そうなれれば一番いいんだろうけれど、誠の性格上、難しいだろうから。だから、楽田くんみたいな、根っから明るいキャラのやつと一緒にいるのって、いいんじゃないかなって思うんだよね」
「そうかな……」
訝しむ僕を、浩輝はそうだよ、と笑い、ジュースを飲み始める。
そうしながら、「って言うかさ」と、浩輝は顔をあげて言葉を続けてこう断言してくる。
「誠、結構楽田くんのこと、好きでしょう?」
「は? なに言ってんの、浩兄!」
思わず椅子から立ち上がって身を乗り出さんばかりにした僕を、浩輝はおかしそうに宥めつつ、肩をすくめ、「だって、本当に変わったんだもん」と言うのだ。
「か、仮に僕が楽田のせいで変わって来たにしても……その……好きって言うのは……」
僕はそんなに感情が駄々洩れになっているような人間だっただろうか、と自分の顔を鏡で確認したくなったけれど、浩輝は僕の動揺ぶりを愉しむように眺めている。
「好きって言うのは、べつに、恋愛のそれかどうかなんて俺がどうこう言えないよ。友達としての好きだってあり得るんだからさ。誠の周りには、そういうヒトっていままであんまりいなかったから」
言われてみれば、そうかもしれない。僕が誰かと事務的な会話以上の言葉を交わす存在は、浩輝をはじめとする生徒会のメンバー、そして家族ぐらいだ。クラスメイトと交わす言葉だって必要最低限が殆どだ。世間話すらしたこともないかもしれない。それはきっと、小学校の時の、透との一件以降が特に顕著にそうなっていった気がする。
だから、楽田という、僕とは正反対の、天敵とも言えるようなタイプと関わっていく内に、何らかの変化が生じているのは当然なのかもしれない。
(でもそれを、好きなんでしょう? って言われると、その……うん、と言っていいのか……迷う……)
友達として好きなのか、という可能性もゼロではないのではないと考えてみて、それなら、あの祭りの帰り道の花火の下で覚えた感情は何なのだろうかと思えてくる。甘くて苦しい、息が詰まりそうな速い鼓動と熱は、所謂友情で片づけるにはあまりに甘い味がするのだ。
だったらこれは、やはり恋とか言うものなんだろうか? そう、断定してもいいんだろうか。あまりにサンプルが乏しすぎて、決めてしまうのが怖い。
「……そんなこと、わかんないよ」
そう、ぽつりと呟く僕を、浩輝は同調するように頷いている。でも、それ以上は何も言ってくれなかった。当たり前だ、僕の感情の話なんだから。
繋げなくなった手を惜しいと思ってしまった。見つめられて胸の中が花火みたいに弾けるかと思った。あの感情を、僕は、何と呼べばいいのか知っている気がする。でも知っているとすれば……あの、小学校時代のあまりに苦く痛い記憶だけ。あれと同じ感情を、僕はいま抱いているのだろうか。あまりに覚える感触が違いすぎて、戸惑いしかない。
わからない。でも、わからないままで放っておきたくない気もするし、わかってしまうのも怖い気もする。それでも、僕は楽田のことを考えたり思い出したりすると、甘い何かを感じる。それは確かだ。
(このまま、甘いばかりなら、いいのに……)
そんな宙ぶらりんで曖昧な気持ちを胸に宿したまま、僕はジュースを飲み干した。



