二十年ほど前だと、テストの成績は点数と共に上位五十位くらいまでの生徒は名前が廊下に張り出されていた、なんて聞く。そんな個人情報もプライバシーもへったくれもない扱いはさすがにないけれど、それでも、成績上位者と言うのは何となく漏れ聞こえてくるらしい。
「真木野くんは今回も一位なの?」
テストの結果が出そろい、総合成績も明らかになった頃の放課後、いつものように僕は生徒会室にいた。月ごとの収支の報告書の作成のためなので、話しかけられてもさほど煩わしくはない。
だから、パソコンからちらりと上目遣いで、すぐ傍に立ってこちらを見てくる柿田の方を見やり、「まあ、そんなところ」と、答えるに留めた。
テストの結果は、いつもそんなものなのだ。学年で一位か二位の常連で、それは高校入学時から不動だ。
だからと言って、それが特別優れているとは思えない。何せ、僕は勉強するしかできないのだから。
「すごいねー、いつもながら。しかも今回は楽田くんの勉強も看ながらだったんでしょ?」
「まあ、ヒトに教えるのは自分の復習にもなるんで」
「ふぅん……。ねえ、だから今回楽田くんの成績すごかったの?」
「すごかった?」
すごかった、の意味がいい意味なのかそうでないのか分かりかねて、思わず顔ごと柿田の方を向いた時、「真木野さーん!」と、聞き慣れた懐っこい声が廊下から聞こえてくる。
柿田とその声の方に振り返り、「噂をすれば、」と言った瞬間に生徒会室の引き戸が大きく開かれ、ユニフォーム姿の楽田が駆け込んできた。
「真木野さん! 見て! これ見て!」
そう言いながら、珍しく息せき切って何か紙切れを差し出してくる。何回か楽田の練習を見て来たけれど、彼はどんなに走り込んでも、滅多なことで呼吸を乱すことがない。それなのに、いまは呼吸もままならない様子なのだ。
そんなに彼を取り乱すような何があったのか、と問うより先に促されて手渡された髪を開くと、そこには数字が羅列している。
“一年三組 三十五番 楽田走介 現代文80 数Ⅰ82 数A81……”
どうやら先日のテストの結果が記されているようで、ざっと見る限りその平均点は八十点を超えているようだ。これなら、陸上部の不条理なあのルールをクリアできていることになるのではないだろうか。
「楽田、これ……」
「真木野さんのお陰っす! 俺、また陸上部で走れます!」
楽田が涙目でそう言いながら、どさくさに紛れて手を握りしめて迫って来ても、僕はそれを振り払えないほど唖然としていた。何故なら、半月ほど前まで彼は、中一レベルの学力も危うかったのに、こんな点数を取ってくるなんて思えなかったからだ。
「すごい! 楽田くん、学年トップ二十位くらい入ってるんじゃない?」
「真木野さんが勉強教えてくれたんで、マジで百万力でした!」
それを言うなら百人力では? と、訂正することもできず、僕は手許の紙を眺める。数字は見間違いではなく、ちゃんと彼の成績が知らされている。
すごいね、とか、頑張ったね、とか、そういうありきたりな言葉を返すことは簡単だし、僕がそうなればと思いながら勉強を看てやっていたところもなくはない。だけど、それを本当に実現させられたのは、楽田自身の努力が大きいに他ならないんじゃないだろうか。
「べつに、僕は何もしてないよ」
「真木野さんが教えてくれたからっすよ、絶対! 俺だけだったらきっとこんな点数獲れないっす」
ニコニコと満面の笑みを惜しげもなく向けられて、僕はどう返せばいいのかわからず、「……よかったね」とだけぼそぼそ素っ気なく言い、楽田にメモを押し返す。
「でも意外だなぁ。真木野くんって案外面倒見いいんだねぇ」
「べつに、そういうわけじゃ……」
確かに、陸上競技のせいかと関係ない理不尽なルールで、自滅するように部活をクビになるのはどうか、という思いはあったから、それで彼の勉強を看ることになった経緯があるにはあるけれど……自分でも、なんでこんな結果が出る程に、楽田に世話を焼いてしまったのかがわからない。べつに、陸上部が潰れるなら、それでいいんじゃないかとさえ思っているはずなのに。
自分でも自分の行動とそれが招いた結果が不可解で頭を抱えそうになっていると、楽田が、「そうだ、真木野さん」と、声をかけてくる。
「今日帰りって暇っすか?」
「まあ、いまやってる仕事が終われば帰れるけど」
「じゃあ、今日一緒に帰りましょーよ」
「え、なんで?」
「お礼させてください!」
じゃあ、またあとで、と言い置いて、楽田はメモを手に部活の練習に戻っていく。軽やかな足音が遠ざかっていくのを、僕は呆然としたまま聞きつつ、夏の始まりの陽射しの中に溶けていった彼の背中を見つめていた。
お礼なんてされるような事はしていない、と思っている。だけど、生徒会室を出てそのまま靴を履き替えに通用口に行き、校門へ向かおうとしたら、柿田からどこへ行くのだと言われた。
「どこって、帰るんだけど」
「楽田くんに待っててって言われてたじゃない。すっぽかすの?」
「……べつに、僕はお礼なんて……」
「でもさっきちゃんと断らなかったじゃない。楽田くん、お礼するって言ってたのに、すっぽかすの?」
「そう言われても……」
人の好意はちゃんと受け取りなよ、と、至極もっともな正論を言い置いて、柿田が手を振って去っていく。やはりまた言い返せなかった僕は、仕方なく靴を履き替えてグランドの方へ向かうことにした。
すっかり夏の日差しになっている空は、まだまだ暮れそうになく明るい。その底抜けな明るさが、どことなく楽田を彷彿とさせ、僕はひとり小さく笑う。
(太陽のようなやつ、というよりも、もっと底抜けにカラッと明るいよな、楽田って)
その明るさの中にも、影のようにお兄さんとの確執……とまで行かないけれど、蟠りのようなものがあるという。どれくらいの影をそれが楽田の中に落としているのか、僕にはわからないけれど、一ミリの悩みもない人間なんていないんだな、と当り前のことを改めて思い知らされる。
(でもだからって、楽田はお兄さんのことを悪くは言わないんだよな……人がいいのか、わかってないのか……)
ヒトの家のことなんて僕が考えたってどうなるわけでもないのに、そんなことを当てもなく考えてしまう。いままで、他人の、それも家庭内のことなんて関心もなかったのに。
テストも終わって、今日の僕は相当に暇なのかな……そんなことを思っていたら、ポン、と肩を叩かれた。振り返ると、肩にスポーツタオルをかけて制服のシャツを寛がせている楽田が立っていた。チラつく胸元の日焼けしていない肌の色に妙に目が惹き付けられてしまい、慌てて目を反らす。そんなところにいちいち色気を感じなくていいだろうに……
「すんません、お待たせしたっす。行きましょう」
断るかどうか迷っている内に、僕は楽田に手を牽かれて歩き始めていて、止める間もない。断ろうにも、連絡先の交換という初歩的なことをしていない僕と楽田は、アナログにこうして待ち合わせてでないと断りの一つも入れられない。
だから待っていただけなのに……どうしていま僕は、楽田とコンビニでアイスをかじっているのだろうか。しかも、そのアイスは楽田が奢ってくれたのだ。
「美味いっすねー! やっぱ暑い時はアイスっすね」
「べつに奢ったりしなくてもいいのに」
「だってお礼ですから!」
「ああ、そう……」
コンビニアイスくらいなら、後ろめたさもあまりないからいいかな、と思えてくると、段々と自分が小さな子どもになったような気分になる。
僕は小さい頃から真面目な子どもとして通っていたからか、こうやって買い食いに誘われたことなんてほとんどない。それこそ、僕を誘ったら先生に密告される、なんて思われていたのかもしれない。
(あの頃から、僕は周りから浮いてたし、近寄りがたかったのかな。すでに裏生徒会長的な要素があった、というのか……)
勉強ばかりで、真面目で硬くて……というのが僕のイメージなんだろう。それは的外れでもないから否定する気はない。でも、その先行イメージが独り歩きして、“裏生徒会長”とまで呼ばれている現状が気にならないかと言うと――――
「真木野さん、あれ、なんすかね?」
「え?」
アイスを粗方食べ終える頃、楽田がすでに食べ終え、木の棒だけになったものを咥えたまま遠くの方を指して訊いてきた。指した方には、色とりどりの提灯が飾られた商店街らしき通りが見える。日がゆっくりと傾き始めてオレンジに染まる中、もうすぐまつりが開催される放送が流れているのが聞こえた。
「夏祭りやるみたいだね」
「祭り?!」
祭りという言葉に、楽田が目を輝かせて反応し、その眼を僕の方に向けてくる。期待を感じられる眼差しには圧力があって、反らすことができない。
捉えられるような眼差しを感じてたじろぎそうになっていたら、突然腕をつかまれ、楽田がまた僕の手を牽いていく。
「楽田?!」
「行きましょう、真木野さん!」
「行くってどこに?」
「お祭りっすよ! 行かなきゃ!」
犬だったら尻尾を振りきれんばかりに振っているんじゃないだろうかと思うほど、楽田は祭り会場となっている商店街の方へ一直線に歩いて行く。左手には僕の腕と言うか手を握りしめ、放してくれそうな気配もない。
白熱灯のきらびやかな提灯の灯りが近づくにつれ、明るさしかないまばゆいばかりの場所に、僕は足がすくみそうになる。足が速い奴らのような、底抜けに明るい人間しかいることが許されていないような場所もまた、僕は苦手だからだ。
僕はいいよ、そう、断りの言葉を口にしかけて腕をほどこうとして、出来なかった。白く明るくやわらかな光に縁どられる楽田の横顔が、あまりに混じりけなく楽しそうに輝いていたからだ。つい、見惚れてしまうほどに、その横顔は無垢で綺麗で、僕は断りの言葉を呑み込んでしまった。
その内にひょいと楽田がこちらを振り返り、あの満面の、太陽にも見まがう笑みで言うのだ。
「真木野さん、何して遊ぶ? なんか食う?」
まるでここがこの世の楽園か天国でもあるかのような、楽田のきらきらした笑みに、僕の胸の奥が音を立てて反応する。あまりに大きな音で、楽田に聞こえてしまったんじゃないかと焦ったほどに大きな音で。
「僕、お祭りってあんまり来たことないんだ……」
だから、やっぱり帰ろう。僕といても楽しくなんかないよ、と言いそうになったけれど、その続きを楽田が勝手に掬い上げて、続ける。
「そうなんすか?! じゃあ、いっぱい遊びましょうよ!」
指を絡ませるように繋ぐ形になった手のひらが、熱い。日に焼けた楽田の腕に牽かれて進む覚束ない歩みにさえワクワクし始めているのを、自分でも感じる。何なんだろう、この感触……全く知らない未知の感覚のはずなのに、楽しいと確信している。
通りを進むごとに増えていく人だかりの中で、僕らが手を繋いでいても誰も何も言わない。それが妙に心地よく、戸惑う気持ちが消えていく。
「真木野さん、まずはメシ食いましょう!」
そう言いながら、機嫌よく露店のメニューを見て回る楽田の姿に、僕は惹き付けられるように見入っていた。
「真木野くんは今回も一位なの?」
テストの結果が出そろい、総合成績も明らかになった頃の放課後、いつものように僕は生徒会室にいた。月ごとの収支の報告書の作成のためなので、話しかけられてもさほど煩わしくはない。
だから、パソコンからちらりと上目遣いで、すぐ傍に立ってこちらを見てくる柿田の方を見やり、「まあ、そんなところ」と、答えるに留めた。
テストの結果は、いつもそんなものなのだ。学年で一位か二位の常連で、それは高校入学時から不動だ。
だからと言って、それが特別優れているとは思えない。何せ、僕は勉強するしかできないのだから。
「すごいねー、いつもながら。しかも今回は楽田くんの勉強も看ながらだったんでしょ?」
「まあ、ヒトに教えるのは自分の復習にもなるんで」
「ふぅん……。ねえ、だから今回楽田くんの成績すごかったの?」
「すごかった?」
すごかった、の意味がいい意味なのかそうでないのか分かりかねて、思わず顔ごと柿田の方を向いた時、「真木野さーん!」と、聞き慣れた懐っこい声が廊下から聞こえてくる。
柿田とその声の方に振り返り、「噂をすれば、」と言った瞬間に生徒会室の引き戸が大きく開かれ、ユニフォーム姿の楽田が駆け込んできた。
「真木野さん! 見て! これ見て!」
そう言いながら、珍しく息せき切って何か紙切れを差し出してくる。何回か楽田の練習を見て来たけれど、彼はどんなに走り込んでも、滅多なことで呼吸を乱すことがない。それなのに、いまは呼吸もままならない様子なのだ。
そんなに彼を取り乱すような何があったのか、と問うより先に促されて手渡された髪を開くと、そこには数字が羅列している。
“一年三組 三十五番 楽田走介 現代文80 数Ⅰ82 数A81……”
どうやら先日のテストの結果が記されているようで、ざっと見る限りその平均点は八十点を超えているようだ。これなら、陸上部の不条理なあのルールをクリアできていることになるのではないだろうか。
「楽田、これ……」
「真木野さんのお陰っす! 俺、また陸上部で走れます!」
楽田が涙目でそう言いながら、どさくさに紛れて手を握りしめて迫って来ても、僕はそれを振り払えないほど唖然としていた。何故なら、半月ほど前まで彼は、中一レベルの学力も危うかったのに、こんな点数を取ってくるなんて思えなかったからだ。
「すごい! 楽田くん、学年トップ二十位くらい入ってるんじゃない?」
「真木野さんが勉強教えてくれたんで、マジで百万力でした!」
それを言うなら百人力では? と、訂正することもできず、僕は手許の紙を眺める。数字は見間違いではなく、ちゃんと彼の成績が知らされている。
すごいね、とか、頑張ったね、とか、そういうありきたりな言葉を返すことは簡単だし、僕がそうなればと思いながら勉強を看てやっていたところもなくはない。だけど、それを本当に実現させられたのは、楽田自身の努力が大きいに他ならないんじゃないだろうか。
「べつに、僕は何もしてないよ」
「真木野さんが教えてくれたからっすよ、絶対! 俺だけだったらきっとこんな点数獲れないっす」
ニコニコと満面の笑みを惜しげもなく向けられて、僕はどう返せばいいのかわからず、「……よかったね」とだけぼそぼそ素っ気なく言い、楽田にメモを押し返す。
「でも意外だなぁ。真木野くんって案外面倒見いいんだねぇ」
「べつに、そういうわけじゃ……」
確かに、陸上競技のせいかと関係ない理不尽なルールで、自滅するように部活をクビになるのはどうか、という思いはあったから、それで彼の勉強を看ることになった経緯があるにはあるけれど……自分でも、なんでこんな結果が出る程に、楽田に世話を焼いてしまったのかがわからない。べつに、陸上部が潰れるなら、それでいいんじゃないかとさえ思っているはずなのに。
自分でも自分の行動とそれが招いた結果が不可解で頭を抱えそうになっていると、楽田が、「そうだ、真木野さん」と、声をかけてくる。
「今日帰りって暇っすか?」
「まあ、いまやってる仕事が終われば帰れるけど」
「じゃあ、今日一緒に帰りましょーよ」
「え、なんで?」
「お礼させてください!」
じゃあ、またあとで、と言い置いて、楽田はメモを手に部活の練習に戻っていく。軽やかな足音が遠ざかっていくのを、僕は呆然としたまま聞きつつ、夏の始まりの陽射しの中に溶けていった彼の背中を見つめていた。
お礼なんてされるような事はしていない、と思っている。だけど、生徒会室を出てそのまま靴を履き替えに通用口に行き、校門へ向かおうとしたら、柿田からどこへ行くのだと言われた。
「どこって、帰るんだけど」
「楽田くんに待っててって言われてたじゃない。すっぽかすの?」
「……べつに、僕はお礼なんて……」
「でもさっきちゃんと断らなかったじゃない。楽田くん、お礼するって言ってたのに、すっぽかすの?」
「そう言われても……」
人の好意はちゃんと受け取りなよ、と、至極もっともな正論を言い置いて、柿田が手を振って去っていく。やはりまた言い返せなかった僕は、仕方なく靴を履き替えてグランドの方へ向かうことにした。
すっかり夏の日差しになっている空は、まだまだ暮れそうになく明るい。その底抜けな明るさが、どことなく楽田を彷彿とさせ、僕はひとり小さく笑う。
(太陽のようなやつ、というよりも、もっと底抜けにカラッと明るいよな、楽田って)
その明るさの中にも、影のようにお兄さんとの確執……とまで行かないけれど、蟠りのようなものがあるという。どれくらいの影をそれが楽田の中に落としているのか、僕にはわからないけれど、一ミリの悩みもない人間なんていないんだな、と当り前のことを改めて思い知らされる。
(でもだからって、楽田はお兄さんのことを悪くは言わないんだよな……人がいいのか、わかってないのか……)
ヒトの家のことなんて僕が考えたってどうなるわけでもないのに、そんなことを当てもなく考えてしまう。いままで、他人の、それも家庭内のことなんて関心もなかったのに。
テストも終わって、今日の僕は相当に暇なのかな……そんなことを思っていたら、ポン、と肩を叩かれた。振り返ると、肩にスポーツタオルをかけて制服のシャツを寛がせている楽田が立っていた。チラつく胸元の日焼けしていない肌の色に妙に目が惹き付けられてしまい、慌てて目を反らす。そんなところにいちいち色気を感じなくていいだろうに……
「すんません、お待たせしたっす。行きましょう」
断るかどうか迷っている内に、僕は楽田に手を牽かれて歩き始めていて、止める間もない。断ろうにも、連絡先の交換という初歩的なことをしていない僕と楽田は、アナログにこうして待ち合わせてでないと断りの一つも入れられない。
だから待っていただけなのに……どうしていま僕は、楽田とコンビニでアイスをかじっているのだろうか。しかも、そのアイスは楽田が奢ってくれたのだ。
「美味いっすねー! やっぱ暑い時はアイスっすね」
「べつに奢ったりしなくてもいいのに」
「だってお礼ですから!」
「ああ、そう……」
コンビニアイスくらいなら、後ろめたさもあまりないからいいかな、と思えてくると、段々と自分が小さな子どもになったような気分になる。
僕は小さい頃から真面目な子どもとして通っていたからか、こうやって買い食いに誘われたことなんてほとんどない。それこそ、僕を誘ったら先生に密告される、なんて思われていたのかもしれない。
(あの頃から、僕は周りから浮いてたし、近寄りがたかったのかな。すでに裏生徒会長的な要素があった、というのか……)
勉強ばかりで、真面目で硬くて……というのが僕のイメージなんだろう。それは的外れでもないから否定する気はない。でも、その先行イメージが独り歩きして、“裏生徒会長”とまで呼ばれている現状が気にならないかと言うと――――
「真木野さん、あれ、なんすかね?」
「え?」
アイスを粗方食べ終える頃、楽田がすでに食べ終え、木の棒だけになったものを咥えたまま遠くの方を指して訊いてきた。指した方には、色とりどりの提灯が飾られた商店街らしき通りが見える。日がゆっくりと傾き始めてオレンジに染まる中、もうすぐまつりが開催される放送が流れているのが聞こえた。
「夏祭りやるみたいだね」
「祭り?!」
祭りという言葉に、楽田が目を輝かせて反応し、その眼を僕の方に向けてくる。期待を感じられる眼差しには圧力があって、反らすことができない。
捉えられるような眼差しを感じてたじろぎそうになっていたら、突然腕をつかまれ、楽田がまた僕の手を牽いていく。
「楽田?!」
「行きましょう、真木野さん!」
「行くってどこに?」
「お祭りっすよ! 行かなきゃ!」
犬だったら尻尾を振りきれんばかりに振っているんじゃないだろうかと思うほど、楽田は祭り会場となっている商店街の方へ一直線に歩いて行く。左手には僕の腕と言うか手を握りしめ、放してくれそうな気配もない。
白熱灯のきらびやかな提灯の灯りが近づくにつれ、明るさしかないまばゆいばかりの場所に、僕は足がすくみそうになる。足が速い奴らのような、底抜けに明るい人間しかいることが許されていないような場所もまた、僕は苦手だからだ。
僕はいいよ、そう、断りの言葉を口にしかけて腕をほどこうとして、出来なかった。白く明るくやわらかな光に縁どられる楽田の横顔が、あまりに混じりけなく楽しそうに輝いていたからだ。つい、見惚れてしまうほどに、その横顔は無垢で綺麗で、僕は断りの言葉を呑み込んでしまった。
その内にひょいと楽田がこちらを振り返り、あの満面の、太陽にも見まがう笑みで言うのだ。
「真木野さん、何して遊ぶ? なんか食う?」
まるでここがこの世の楽園か天国でもあるかのような、楽田のきらきらした笑みに、僕の胸の奥が音を立てて反応する。あまりに大きな音で、楽田に聞こえてしまったんじゃないかと焦ったほどに大きな音で。
「僕、お祭りってあんまり来たことないんだ……」
だから、やっぱり帰ろう。僕といても楽しくなんかないよ、と言いそうになったけれど、その続きを楽田が勝手に掬い上げて、続ける。
「そうなんすか?! じゃあ、いっぱい遊びましょうよ!」
指を絡ませるように繋ぐ形になった手のひらが、熱い。日に焼けた楽田の腕に牽かれて進む覚束ない歩みにさえワクワクし始めているのを、自分でも感じる。何なんだろう、この感触……全く知らない未知の感覚のはずなのに、楽しいと確信している。
通りを進むごとに増えていく人だかりの中で、僕らが手を繋いでいても誰も何も言わない。それが妙に心地よく、戸惑う気持ちが消えていく。
「真木野さん、まずはメシ食いましょう!」
そう言いながら、機嫌よく露店のメニューを見て回る楽田の姿に、僕は惹き付けられるように見入っていた。



