──(きた)る、8月某日。
 ジリジリと照りつける太陽の下、俺はとある建物を見上げていた。

「これが……甲子園球場」

 握りしめた拳を胸に当て、ごくりと息を呑む。
 まだ夢を見ている感覚が抜けないが、今俺は正真正銘、憧れの舞台を眼前に立っているのだ。

「大智ぃー、緊張してんの?」
「ま、まあな」

 後ろから肩を組んできたのは、本日メガネを封印した本気モードの龍馬だった。

「そりゃあ緊張もするよなあ。なんせ、夢にまで見た初舞台なんだから……ていうか、それ何?」
「え?」
「だから、それよ」

 龍馬の指の先は、まっすぐに俺の拳を指していた。いや、厳密に言えば、その中身をだ。
 どうやら手の隙間から、ちらっと見えていたらしい。

「ああ、これ……?」

 俺は握っていた手を開く。現れたのは、ちょっと歪な形をした小さな物体で。

「え、なにそれ御守り?」
「……おう」
「これってどう見たって手作りだよなあ!? そんなの持ってた?」
「この前もらったんだよ。その……誕生日に」

 尻すぼみになりながら伝えると、龍馬が急に目の色を変えた。

「いーなあ。お前にもついに彼女ができたかあ」
「はっ? 違うって」
「違う? じゃあ誰からもらったんだよ」
「……」

 俺は一瞬躊躇った後、一息にこう言った。

「この世で一番大切な人」

 龍馬は固まっているようだった。
 ……あれ、俺そんな変なこと言った?

「滉大に報告しなきゃ」
「え?」
「あんな愛おしそうな顔、絶対彼女に決まってるって!」
「ちょっ」

 俺の制止を振り切り、滉大を探しに行った龍馬だったが、すぐにその足を止めた。
 それもそのはず。学校一の王子様は、ここに来ても大人気なのだ。

「松璃華の千早くんですよね! この前の試合観ました!」
「ホームラン最高にかっこよかったです……!」
「あのっ! ぜひ、握手してくださいっ」

 大勢に囲まれているせいで、近づこうにも近づけない。
 渋々諦めて俺の元へ帰ってきた龍馬は、パチンと顔の前で両手を合わせた。

「ねー、誰にも言わないからさ、ほんとのこと教えてよ」
「んー、どうすっかなー」
「頼む! この通り」
「……やっぱり、内緒」
「ケチー」

 むすっと拗ねる龍馬に、俺は何度も「またいつかな」と頭を下げる。
 だってこれは──今はまだ、誰にも言えない俺だけの秘密なのだから。

 その時、夏空からサラリと風が吹いて、誘われるように振り向いた。

「っ!」

 瞬間、ふと遠くにいる彼と目が合った。その人は俺の顔を見るなり満面の笑みを浮かべ、大きく手を振った。
 だから俺は、同じように笑って手を振り返し、思いっきり叫んだ。

「滉大、早く来いよ!」

 ……ああ、さっき俺だけの〜なんて言ったが、ちょっと違ったな。

 いつかきっと、堂々と言えるその時まで。
 これは俺と、王子なアイツの……俺たち二人の、強くなるための隠し事だ。


-End-