学校行って、部活して、くだらない話して、勉強して。そんでまた、部活して。
 そうやって忙しなく日常を繰り返しているうちに時は流れ──。

《これより、第57回──》

 あっという間に、体育祭本番がやってきた。
 6月に入って少し蒸し暑くなってきたとはいえ、今日は気持ちいいくらいの晴天。最高のスポーツ日和をありがとう、神様! と心の中で天に向かって感謝を叫んだ俺は、

「ついに始まったかー」

 噛み締めるようにそんなことを口にしながら、3ー1と書かれたテントの下にある自分の席に座った。

 開会式と準備体操を終え、間もなく最初の競技が始まる。俺の魂にもいよいよ本気のスイッチが入り、うずうずとしてきたところだ。
 が、生憎俺の出場する競技は、どれもプログラム後半。暫くは応援に徹する他なく。

「あー、早く俺らの番こねぇかなー」
「なに? 大智すげぇやる気じゃん。なんかあんの?」
「ばーか。こういうのは全力で楽しんだもん勝ちなんだよ」
「ふはっ、さっすがナンバーワンお祭り男」
「まーな?」

 こういう学校行事には本気で取り組む。それが俺のポリシーなもんでね。
 俺は隣に座った滉大にニィッと見せつけるように歯を出して笑うと、頭に巻いた赤いハチマキをキュッと強く結び直した。


 あれから──そう、今から2週間くらい前。

『その人は今、目の前にいたり……する?』
『──うん。いるよ』

 あんなことがあって。

 ──いや、実は冗談なんかじゃない?
 ──もしかして、滉大は本当に俺のことを?

 暫くは動揺しまくって寝苦しい夜を過ごしたこともあったが……って──ん?

「ちょ、おまっ! ぷ、くくっ」

 ダメだ。ダメなのに、気づいてしまったそれに笑いが止まらない。

「え、何? なに急に笑ってんの」
「なんだよ滉大、そのハチマキ。不器用かよ」
「……え? そんな変?」
「フハッ、変も何も。長さ全然違ぇし、縦になってるし、ぐちゃぐちゃだし」
「……マジ?」
「マジで。……ったく、しゃーねぇなあ。俺が結び直してやっから、貸せ」

 ほら、今はこの通り。何でもなかったみたいに、いつも通りの俺たちだ。

 冷静になって考えてみりゃ、ほんとバカみたいな話だよなあと思う。
 アイツは、端から誰にも答えを教える気はなかったんだ。仮に正解が俺だったとして、あそこで「うん」なんて言うわけがない。

 だいたい俺、男だぜ? やられたよ。

 そうやって上手くはぐらかされ、結局滉大の好きな人はわからず終い。
 だけどもう、追及するのは止めたんだ。

 あの野郎が鉄の意志で教える気がないことは十分なほどわかったし、ヤキモキしてるだけ時間の無駄。
 誰を好いていようがなんだろうが、とどのつまり、普通に一緒に野球できさえすればそれでいーしな。

 ……っと。

「ん、できたぜ」
「おー、サンキュー大智」

 我ながら完璧に結べたと思う。
 なんつーか、どうしようもなくニヤけが止まらない。
 滉大にこんなことができるのは俺だけ、なんて考えたらさ。

「どういた──」

 とその時、ふと紡いでいたはずの言葉が止まった。

 ──本当に、〝俺だけ〟か……?

 途端に心臓が早鐘を打つ。
 この前までは意識したことすらなかったけど……滉大だって、普通に恋愛くらいするんだ。

 こうやって下手くそなハチマキに気づいて直してやんのも、今はこいつに彼女がいないから俺がやってるってだけで。
 いつか大事な人ができたら、きっとその子がこういうこと、やってあげんだよな……。

「大智?」
「ん、あっ、どういたしまして!」

 えっ……いやいやいや、何今の? 何当たり前のことに気づいてしょげてんだよ!?

 トリップから目を覚ました俺は「あはは」と渾身の笑顔を作る。
 奇妙な物を見る目線が突き刺さるが気にしない。
 笑みを貼り付けたまま、「ていうかさ」と無理やり話題を逸らそうとした時だった。

「あれ、滉大のハチマキ綺麗になってんじゃん」

 不意に、背後から聞こえた誰かの声。
 振り向けばそこには、さっきまで何故か不在だった黒縁メガネの男が立っていて、少し驚いたように目を丸くしていた。

「龍馬! お前どこ行ってたんだよ」

 ナイス登場と言わんばかりに声を飛ばす。すると龍馬は、俺に見せつけるように自分の身体を抱きしめた。

「もぉ〜、大智くんたらデリカシーないんだからぁ〜」
「なんだ、トイレかよ」
「こら! せめてお手洗いと言いなさい!」

 ペシペシと腕を叩かれ、わざとらしく「いてー」と叫ぶ。
 そうやってじゃれ合う俺たちの間に、不機嫌そうな顔がぬっと現れた。

「っていうか長谷、〝綺麗になってんじゃん〟て何? 気づいてたんなら言ってくれよ」
「え、なんか可愛いかなって」

 ……可愛い?
 ああ、たしかにちょっと惜しいことしたかも。
 ミニトマトの時もそうだけど、普段完璧な人間のちょっと抜けてる姿って、気のせいか人一倍可愛く見えるんだよな。

「わり、それ直したの俺」

 潔く自首すると、「ええー、犯人大智かよー」と龍馬が抗議の声を上げた。

「ついうっかりと。でも今は深く反省してます!」
「……うむ。ならお主には執行猶予を与えよう」
「ああ神様、いや長谷様……!」
「待て待て、なんだよその妙な小芝居は」
「……」

 瞬間、突如として生まれた奇妙な沈黙。
 暫しそれが続いた後、ぷっと誰かが爆発したみたいに吹き出して。そうなったらもう、みんな止まらなかった。
 さっき変な寂しさを覚えたことなんて完全に忘れて、転げ回る勢いで大笑いする。

 喉は痛いし、腹は苦しい。
 でも。

 あー……やっぱこいつらといると、おもしれーや。





「っしゃあ、そろそろだな」

 応援係に徹すること、数時間。ついに先刻前、満を持して後半戦がスタートした。

 俺たちが出場するスウェーデンリレーは、後半戦で4番目。
 最初の競技がもうすぐ終わりそうになっているから、召集がかかるのももうじきだ。

 ……その前に、決起集会をっと。

「中田、龍馬、滉大。みんな、絶対(ぜって)ぇ頑張ろうな」
「おう(うん)!」

 クラステントの後ろで集まった俺たちリレーメンバーは、肩を組み円陣を作る。
 そうやって円陣を終えた頃、どこからか女子の声援が飛んできた。

「千早くんたち、頑張ってねっ!」

 それは一つ二つと数を増やしていき、いつの間にか大勢の目が俺たちを──訂正。滉大をキラキラと見つめていた。

「ありがとう。応援よろしく頼むな」
「きゃーーーっ!」

 ひらりと手を振った滉大に、黄色い悲鳴がいくつも湧き起こる。

「うんっ。任せて〜〜〜っ!」

 ……はは、ったく。相変わらずやってくれるぜこの男。モテたくてやってるんなら非難轟々なんだろうが、本人には全くその気がないのが周知の事実。天然でこの王子対応やってんだから、ほんと恐れ入るよ。

「……にしても、すげえ人気」

 群がる女子の数に思わず圧倒されていると、不意に「あのっ」という高い声が耳に届いた。

「ゆ、唯川くん」
「ん?」

 俺──?
 呼ばれた声に促されるよう、くるりと振り返る。

「私、応援してるね」
「横田! サンキュ」

 視界に飛び込んできたのは、ポニーテールの彼女だった。俺は驚きつつも、グッと握った拳を向ける。

「あ、そういやさっき凄かったな」
「……へ?」

 ふと思い出した俺は、浮かんだ記憶をそのままに続けた。

「リレー、ぶっちぎりだったじゃん」
「え、うそ……唯川くん、見ててくれたの!?」
「おう、もちろん!」

 その場にいない時以外は、全力でクラスの応援してたしな。そんなことを頭で呟いていた最中、新たなアナウンスが空に響き渡った。

《──男子・スウェーデンリレーに出場する選手は、入場門まで──》

「あー横田。俺、行かなきゃだわ」 
「うん、そだね」

 控えめに眉を垂らした彼女に「ごめんな」と手を挙げる。
 気づけば滉大、龍馬、中田の3人は既に一箇所に集まっていて、急かすような滉大の視線がこっちを向いていた。

「おい大智、そろそろ行くぞ」
「おー、今行く」

 でもその前に。

「さっきはホントありがとな。応援、嬉しかったぜ」

 何故か声をかけてくれた優しい横田に改めてお礼してから、急いで仲間の元へ駆けていった。

 そうして向かった入場門前。走者毎に一列に並んでくださいという案内の元、俺は3年・第四走者列の先頭に並んだ。

 あ〜早く走りてぇなあ。
 軽くストレッチをしながら疼く心を実感する。
 そのままなんとなく左に視線をやった時、風が頬を撫でるように通り抜けていった。

 ……あれ、コイツまた背ぇ伸びた?

 焦げ茶色の頭。目に入ったそれが、先日よりも空に近くなったように見える。
 気のせい? それとも靴でも変えた? 
 1年の頃は、ほとんど同じだったのに──。

「わっ」

 突然何かに視界を奪われ、なんともマヌケな声が出た。

「なにしてんの?」
「べ、別にぃ?」

 一人背比べをしていましたなんて、恥ずかしくて言えない。

「ってか滉大、急にこっち向くなよなぁ」

 代わりに今できたばかりの不満をぶつけると、その人は不服そうに首を斜めにした。
 
「なんで?」
「そりゃあ急に自分の目の前に超ドアップのイケメンフェイスが現れたら普通に驚くからだろうが!」

 丁寧に教えたつもりだった。言ったら気をつけてくれると思った。
 しかし、どうやら逆効果だったらしい。

「じゃあやめない」
「なんでだよ」

 やめないどころか更に距離を詰めてくるのは、なんなのか。とにかく顔が近い、近すぎる。

「んー俺、意外と負けず嫌いなんだよね」
「や、それ今関係な……っておい滉大、肩を掴むな」
「だってこーしないと大智逃げるじゃん」
「っ、そーかもだけど!」

 何この状況? とにかく奇妙な状況なことだけはわかる。ふと奥を見ると、龍馬がこちらを見ながら笑いを堪えているから、相当可笑しな光景なのだろう。というか、気づいているなら助けてくれよ!

 そう思いながらも、ここで面白がるだけなのが龍馬だということは、2年ちょっとの付き合いで嫌ほど知っている。

 黒い頭の先にニョキッと悪魔のツノが生えたのを確認したところで、滉大がじいっと目線を合わせてきた。

「大智って目ぇ茶色いよな」
「そ、そうか?」

 照れ臭くも返した俺に、滉大は「うん。綺麗な色してる」と楽しそうに笑った。

 俺には何が楽しいのかさっぱりわからない。自分の顔の方がよっぽど見ていて楽しいと思うんだが……。
 なんて、再び滉大の顔に意識を移した時だった。

「……あ。滉大、まつ毛付いてるぞ」

 左目の下に張り付くまつ毛を発見し、取ってやろうと手を伸ばす。が、すぐにその手は止まった。

「ん」

  ……ん?

「なに、取ってくれんじゃねーの?」
「あ、ああとるとる! 今とる!」

 やば、びっくりした。まさか目まで瞑るとは思わなくて、一瞬ドキッと……ドキ?

「大智ぃ、取れた?」 
「お、おう。取れたよ」
「ありがとな」

 とにかく俺が男でよかった。もし女の子だったら卒倒もんだろ、こんなの。
 うんうんと頷いて胸に生じた違和感を落ち着かせる。 

 そこへ急に、滉大がフッと笑みを零した。

「……大智、いつも俺に優しいよな」
「え?」
「さっきもハチマキ直してくれたし」
「っ別に……普通だろ?」

 まだ謎にドキッとかした感覚が抜けきっていなかったんだろう。そわそわと視線を動かしながら答える。
 すると滉大は、すぐに「んーん」と首を横に振った。

「大智は優しいよ」
「……そーかぁ? 俺はお前の方が、普通に優しいと思うけどね」

 さっきもちゃーんと女の子たちに手ぇ振り返してあげてたし。

「それに、あんなのお前にしかやったことないし……って、滉大?」

 見ると、恐ろしい顔がこっちを睨んでいる。
 なんか俺、気に障るようなことでも言った? ……いや、言ってないはず。
 なのに滉大は眉間を寄せ、そっぽを向きながらこんなことを言う。

「……やっぱ、ちょっと優しくない」
「はあ? なんだそれ」

 意味わかんねぇ、と思ったけど直後にピンときた。これは、照れ隠しだ。
 滉大のやつ、俺に優しいって褒められたのがそんなに嬉しかったんだな?
 
「素直に喜べよ」
「別に喜んでなんてねえ」
「またまた〜」

 こうやっていつもの何気ないやり取りをしていると、時間が過ぎるのはあっという間だった。
 順に二つ、一つ前の競技が終わっていき──早くも今、俺たちの出番が巡ってきた。

「位置について、よーい」

 ──パーン!




「はぁ〜〜、俺今日興奮して寝られないかも」
「おー、浸ってんなあ」

 放課後の部室。ユニフォームに着替える途中で高揚感たっぷりな声をあげた龍馬に、俺はニヤリといった調子で絡んだ。

「だってさぁ? 1位だぜ、1位!」
「それな?」
「中田くんなんて感動して泣いてたじゃん」
「ハハッ、そーゆうお前だって」
「ちょ、言うなって大智ー」

 みんなで掴んだ1位は、やっぱり特別感がある。俺は、二人を抜いてみせた滉大から1位で受けとったバトンを守り抜いただけなんだけど。
 あの時あの瞬間覚えた、快感。龍馬じゃないけど、思い出しただけで痺れるぜ。

 因みに、その後出場した綱引きでも勝利を収め、体育祭は俺たち赤組が優勝を果たした。それもあってか、尋常じゃないほどの愉悦感が今心に湧いているってわけだ。

「ねぇ、そこのお二人さん」
「「……へ?」」

 お二人さんって……。

「喋んのもいいけど、早くしねーとおいてくぞ」
「「げっ!?」」

 見ると、先程リレーで大活躍だった滉大がユニフォームでそこに立っていた。
 相変わらず切り替えの早いやつだ。数時間前には、俺らと同じように喜びを爆発させて、なんなら二人して熱い抱擁まで交わしたっていうのによ。
 なんて真新しい青春メモリーに想いを馳せていると、

「なになに滉大さん、大智と仲良くしてるからってヤキモチですかー?」

 隣でニヤニヤと目を細めた龍馬が、からからうように指を差した。と同時に、滉大のこめかみにピキッと青筋が立ったように見えたのは見間違いでしょうか?

「長谷くんなんか言った?」

 や、絶対見間違いじゃないじゃん!
 めちゃくちゃ口は笑ってるけど、声には明らかに怒気が含まれている。

「いやー、心配ご無用よ? 俺は永遠の〝滉大智強火担〟ですから」

 その時、ああ終わったなと思った。
 強火だか弱火だか知らねえが、今は明らかに冗談で返す時じゃなかった。悪いけど龍馬、もう為す術はない。

 次に起こる事態を予期して身構えた俺、だったのだけれど。どういうわけだ? 程なくして返ってきたのは、予想とはまるで違う「ふーん」という短い一言だった。

「……え?」

 何故か裏切られた気分になり言葉を失う。
 あれ、滉大怒ってたんじゃなかったの……?

「大智ー、早くしなきゃ滉大に怒られんぞ」
「うわ、ちょっと待って! っていつの間に!?」

 気を取られているうちに、龍馬が着替えを済ませていたらしい。
 ……なんか、なんていうか、無性に気に食わねえ。
 ヘラヘラと笑うそいつを軽く睨んだのち、俺は急いでユニフォームの袖に腕を通した。





「よーし、あと10本だ!」
「はいっ!」

 体育祭があったからといって、練習メニューが軽くなるなんてことはまずない。
 もうすぐ、俺たち高校球児にとっての夢の舞台──夏の甲子園への出場をかけた予選大会が行われるのだ。
 だから最近はより一層、厳しい練習に磨きがかかっている。

 今年の春大で優勝した俺たち松璃華高校は、2回戦から出場できるシード権を獲得している。だが、そんなので気を抜く理由には当然ならないのが、高校野球の現実だ。
 たった一試合。負ければそこで終わりの、狭き門。次へ進むためには、なんとしてでも試合に勝つしか術はないんだ。

 というわけで、本日のメニューの中心は監督直々の千本ノック。
 こりゃあキツくなりそうだなあと思ってはいたけど……。

古宮(こみや)! 遅れるなァ!」
「はいぃっ!!」

 うわー、すげ。昔から1年にも容赦ねぇからなあ、前島監督。

 少し離れたところで滉大とピッチング練習をしていた俺は、「俺ら別メニューでよかったかもな」なーんてことをアイコンタクトで伝え──。

「滉大智!」

 びくぅっ!

「こっちばかり見てないで、自分たちの練習に集中しろ」
「「はいっ!」」

 ひぇー、あの人後ろにも目ぇついてんのかよ。
 思わず心の中でツッコミを入れた俺だったが、次の瞬間にはもう脳を転換させていた。

「滉大ー、次ストレートいくな」
「了解」

 キュッと片手で帽子を被り直す。

 ……実際、うかうかしている時間なんてないのが事実だ。
 いくら俺と滉大が春大で先発バッテリーだったとはいえ、この夏はどうなるかわからない。背番号発表のその時まで。もしかしたら、どちらか一人だけスタメンに選ばれる……なんてことも、有り得るわけだ。

 ──スパーーン!

「ナイスボール」

 そう考えると、嫌でも痛感させられる。泣いても笑っても、今年がラストチャンスなんだ。
 1年の時にも、2年の時にも、あと一歩というところで届かなかった憧れの場所へ。滉大と一緒に行けるチャンスは、もう──。

「あれ、唯川汗すごいよ?」
「え?」

 もう一度球を投げようとしたところで、ふと動きを止めた。

 声をかけてきたのは、3年で唯一のマネージャーをやってくれている、遠野(とうの)芙由加(ふゆか)だった。

「私、タオル持ってくるね」
「悪いな」
「ううん。ちょっと待ってて」

 野球部のマネージャーは、意外と体力勝負なところがある。浮ついた気持ちで入ると長続きせず、思っていたのと違うと数日で辞めていく人も多い。そんな中、俺たちのサポートを数年間献身的に務めてくれている遠野には本当、頭が上がらない。

 前に何でマネージャーやってんのかって訊いたら、〝野球が好きなんだ〟と教えてくれた。なんでも、二人いる兄の影響なんだとか。

「はい、どうぞ」
「サンキュ、遠野」

 遠野の手からタオルを受け取った俺は、早速首元を拭った。しかし、続いて額に当てた時、違和感にぶち当たった。

 思ったよりもかなりぐっしょりと湿っている。でも、何でだ?

 走ったわけでもないのに──。
 そう、疑問に思った瞬間。

「唯川!?」

 グラッと視界が揺れた。
 突如目の前が色を失ったみたいにモノクロの世界になって。

「大智! ……いち!」

 あれ……? 俺、呼ばれてる?
 返事、しなきゃ……。

「……ち!」

 わ、またイケメンのドアップかよ……やめろって言ったはずなのに、ほんと言うこと聞かないやつ……。
 っていうか、なんでそんな必死な顔してんだよ。

 なあ……こう、だい……。





『先輩、大智先輩』

 ……ん?

『なにボーッとしてんすか? 早く投球練習しますよ』

 ……伊東?
 何言ってんだ? 俺の相手は、滉大に決まって……あっ!
 滉大! お前どこ行ってたんだよ。っていうか……え? 誰だよ、そいつ──。

『悪いな大智。俺、こいつと組むことにしたんだ』

 は……?
 なんだそれ。趣味の悪い冗談やめろって。

『本当なんだよ。……じゃあな。今までありがとう、大智』

 そんな──。

 うっ……痛い。頭がズキズキする。
 なんなんだ、この不快感。
 気持ち悪ぃ。

「大智……?」

 あれ? またアイツの声がする。
 でもお前はさっき、どこかへ行ったはずだろう……? 俺の知らない、誰かと一緒に。

「……くな」
「え?」
「行くな……滉大」

 俺の方がお前のこと絶対わかってやれる。そいつより、俺の方が絶対お前の良さを引き出してやれる。
 だからさ……だから──。

「ああ、行かないよ」

 その瞬間、ぎゅっと温かい感覚が右手を包み込んだ。

「俺は、どこにも行かないから」

 ──なんだろう、これ。
 優しくて、それでいて力強い、安心感のある温もり──。


 はっと気づいた時には、俺はどこかのベッドの上で仰向けになっていた。
 なんだかひどい悪夢を見ていた気がする。それに、身体がいつになく怠くて重い。

 次第に鮮明になっていく意識の中、そういえば部活中に倒れたんだっけと思い出した。
 ということはここは保健室で、誰かが俺を運んでくれたのだろうか。目を瞑ったままなのでわからないが、きっとそういうことなのだろう。あとでお礼言わないとな。

 そんなことを考えながらようやく目を開ける。しかし1mmほど開いたところで、異変に気づいた。

 ──なんか俺、滉大に手握られてる?

 俺はもう一度、今度は薄く瞼を開け固定してみることにした。恐る恐る。でもちゃんと。確かめるために。
 するとやはりそこには滉大の姿があって。隙間なく握られた、俺の右手。

 なにこれドッキリ?
 一瞬思ったが、滉大がそんなことをするようなやつじゃないことは俺が一番知っている。

 じゃあなんで? これって普通のこと?
 わからないまま再び目を瞑り直した。気まずさから逃げるための、必殺寝たフリ作戦だ。
 我ながら名案! だなんて内心ほくそ笑んでいると、滉大の手が俺の髪を撫でた。

「大智……早く元気になれよな」

 なんだよそれ。調子狂うじゃん。
 お前のそんな声、初めて聞いた。

「でも──」

 それは、じんわりと心が温かくなっていくのを感じた最中のこと。ギシッと軋むベッドの上。

「今は絶対起きんなよ」

 滉大が、俺の額に意味不明な(まじな)いをかけた。