人は死んだら、どうなってしまうのか。
 天国や地獄というものは、本当に存在するのだろうか。
 存在するとしたら、自殺をしてしまった僕は地獄へ行くのかもしれない。それとも、辛い毎日を耐え忍んだご褒美に、天国へ行けるのだろうか。
 わからないけれど、僕はこれで、自由になれたのだ。辛い毎日から解放され、自由を手にしたのだ。
 きっとどこか静かで、空気の()(れい)な河原で目を覚ますのだろうと思っていた。そこはいじめや争いのない、平和な世界に違いない。色とりどりの花が咲いていて、小鳥が気持ちよさそうに飛んでいる。
 そこは、僕の理想の自由な世界。
 人は死んだらどこへ行くのか、僕にはわからないけれど、なんとなく漠然とそんなイメージを抱いていた。
 しかし、次に僕が目を覚ました場所は、そんな美しい世界ではなかった。
 僕は確かに、学校の屋上から飛び降りたはずだ。見えないなにかを掴むように、空へと駆け出したのだ。けれど、気づいたら僕はなぜか校舎を見上げていた。
 確か、あそこから飛び降りたんだよなぁ、と校舎を見上げる。それから自分の体を確かめた。
 怪我(けが)なんてしてないし、どこか痛むこともない。四階建ての校舎の屋上から飛び降りて、無傷で済むなんてありえない。それについ先ほど陽が沈んだばかりなのに、空は真っ暗で星たちが輝いていた。
 夕方に屋上から飛び立って、着地したかと思えば夜になっていた。一瞬の出来事のはずなのに、なぜ空の色が変わってしまったのか、理解の(はん)(ちゅう)を超えている。ポケットの中にあったはずのスマホは、落下したときにどこかへ飛んでいったのか周囲を探しても見当たらなかった。
 どうしてこうなってしまったのか判然としないが、とにかく僕の自殺は失敗に終わったらしい。もう一度屋上へ上がり、飛び降りを試みようにも、すでに気勢をそがれていた。
 なにか釈然としないけれど、今日は諦めて帰宅することにした。帰る前に失くしたスマホの捜索に当たったが、どこを探してもやっぱり見つからず、どうせ誰からも連絡は来ないので渋々その場を去った。
 家に帰ると、リビングは真っ暗で誰もいなかった。
 時刻は夜の八時を回っていた。こんな時間に父さんや母さん、諒也までもが僕を置いて外出しているなんて、いくら僕が空気のような存在だからってそんなことは今まで一度もなかった。そもそも家族でどこかへ出かけるなんて、ここ数年はまったくないのだから。
 先ほどの学校での出来事といい、自宅でも理解に苦しむことが続いて、頭の中が混乱して正常な判断ができそうになかった。不思議と腹も空いていないので、このまま眠ることにした。もうなにもかもどうでもいいし、難しいことを考える気力もなかったから。
 僕は自室に行き、ベッドに潜り込んだ。

「おい、起きろ」
 うとうとしかけてきた頃、聞いたこともない野太い声がどこかから聞こえた。
 目を(こす)りベッドから起き上がると、肥満体質の大男が僕を見下ろしていた。ボンボンがついた黒のニット帽に、丸いサングラスをかけている。服装は黒のブルゾンに黒のパンツ。インナーも同じような暗い色で、全身黒ずくめの大男が目の前に(たたず)んでいる。
 僕は驚きと恐怖のあまり、言葉を失う。
「神村翔也だな? まったく、面倒なことしやがって」
 この大男はなぜ僕の名前を知っているのだろう。そもそもどこから入ってきたのか。面倒なこととはなんだ。いや、その前にこいつは誰だ。今日はなにかがおかしい。立て続けに非現実的なことが起こり、頭がおかしくなりそうだ。
 僕は大男を見上げる。部屋が暗くて表情が(うかが)えない。
「なに(のん)()に寝てんだよ。お前、自分の身になにが起こったのか覚えてねーのか?」
 大男にそう問われ、僕は今日一日の出来事を振り返る。
 いつも通りに登校して、いつも通り遠山たちにいじめられて、放課後になって自殺を試みようと屋上から飛び降り、無傷で着地。なぜか空の色が変わっていて、そして何事もなかったかのように帰宅した。家に帰ると、家族はこんな時間に外出していて、それから謎の大男が僕の前に突如現れた。
 今日起こった出来事を何度も(はん)(すう)して、ピンときた。
 そうか、そうだ。
 僕は死んだのだ。何度思い返しても、屋上から飛び降りたあとからどうもおかしい。僕が死んだと仮定するならば、この奇妙な状況も頷ける。
 そもそも四階建ての屋上から飛び降りたというのに、無傷なんてありえないのだ。呑気に寝ている場合ではなかった。
 つまり今の僕は、幽霊ということなのだろう。家族が不在なのは、おそらく学校もしくは病院から連絡を受けて、僕の遺体が搬送された病院へ向かったからだろう。
 やっぱり僕は、死んでしまったのだ。ただ一つだけ釈然としないのは、この大男の出現だ。本来であれば、死んだ人間の前に現れるのは天使かそれっぽい美少女と相場が決まっている。しかし僕の前にいるのは、そんな理想の天使ちゃんとは遥かにかけ離れた、太々(ふてぶて)しい巨漢のおっさんだ。
 思考を終えたあと、僕は再びゆっくりと大男を見上げる。
 カーテンの隙間から月明りが差し込み、大男の顔を照らす。彼のサングラスのレンズには、不安気な顔をした僕が映っていた。
「おい、聞いてんのかお前」
「あ、すみません。思い出しました。僕、死んだんですね」
 僕は自殺をしたから、きっと天国には行けないのだ。この大男は僕を地獄に連れていくために現れた、悪魔かなにかなのだろう。
「死んでねーよ。説明するの怠いから、ついてこい。百聞は一見にしかずってな」
 大男はそう言って、壁をすり抜けて僕の部屋を出た。やはり、彼はただの人間ではなかった。言われた通りについていくと、僕も壁をすり抜けてしまった。こんなことができるなんて、やっぱり僕は死んでいるのではないだろうか。でも大男は死んでないと言った。もうなにがなんだかわからない。これは夢だ。僕はそう思うことにした。考えることに疲れてしまった。
「おい、早く来い」
「……はい」
 僕は考えることをやめて、大男のあとを追った。