あれは小学五年生の頃。五年に進級してすぐに、僕は弟の諒也のことでクラスメイトに揶揄(からか)われていた。
「うわぁ。翔也じゃなくて諒也と同じクラスがよかった」
「なんで双子なのに顔も性格も全然似てないんだろうな」
「お前、捨て子なんじゃねえの?」
 ことあるごとに「諒也だったら」と口々に言う生徒たちの言葉を受けて、僕は子どもながらに深く傷つき、押しつぶされそうになった。
 そんな日々が続いたある日、見かねた早川さんがついに立ち上がったのだ。
「いい加減やめなよ、あんたたち。そんなことして面白いの? 双子だからって全部が全部同じなわけないじゃん。翔也くんには翔也くんにしかない、いいところがあるんだよ」
 正義感の強い早川さんは、臆することなく言い放った。彼女の一言で女子たちが僕の味方につき、さらには担任の耳にも入り、学級会が開かれて僕に対する悪口はその日からなくなったのだ。
 早川さんの言葉に、僕はどれほど救われただろうか。どれほど(うれ)しかっただろうか。
 そういうわけで早川さんは、僕の恩人でもあった。
 現実から目を背けようと僕はゲーム機を起動し、テレビの電源を入れる。ゲームに没頭していると、僕は嫌なことを忘れられる。
 呪文を唱えて、モンスターを()(ちく)していく。作戦名は今日も、『いのちだいじに』だ。
 早川さんは命を大事にしなかった。どうして彼女が死ななければならなかったのか、僕にはわからない。わからないけれど、誰も彼女を責めることはできない。
 きっと彼女は一人で抱え込んで、耐え切れなくなってホームに飛び込んだのだろう。飛び込む瞬間、彼女はなにを考えていたのだろう。

 ──これで私は、自由になれる。

 ふいに、ニュースで流れていたあの言葉が頭を()ぎった。
 早川さんは自由になれたのだろうか。
 僕も彼女のようにこの世界から逃げ出せば、自由になれるのだろうか。
 僕はその日から、初めて自殺というものを真剣に考えるようになった。

 次の日から僕はさっそく、どうやって死のうか考え始めていた。首を()ろうか、それとも早川さんのように駅のホームから飛び降りようか。授業中にもかかわらずそんな物騒なことを熟考していた。
 死というものに恐怖は感じなかった。この辛い毎日から脱却できるのなら、これほど嬉しいことはない。なぜもっと早く考えなかったのか、とさえ思った。
「神村、放課後職員室に来てくれ」
 昼休みに担任の(さわ)()先生に声をかけられ、クラスメイトたちから一斉に視線を浴びる。途端に教室が騒つき始める。
 きっといじめの件だろうと誰もが思ったに違いない。澤田先生が教室から出ていくと、遠山が僕の髪を(わし)(づか)みした。
「おい神村、アンケートに俺の名前書いてねーよな?」
「……書いてないよ」
「本当か? (うそ)だったらぶっ殺すぞ」
 掴んでいた髪を離し、僕の頭を平手打ちして遠山は教室を出ていった。不良仲間の()(ぐち)(とく)()が彼のあとを追う。僕は主に、この三人から目をつけられていた。
 暴力やカツアゲ、(ちょう)()を浴びせられるなどで、他の生徒からは無視されることが多かった。無視というより、なるべく僕と関わらないように避けているのだ。下手に僕に優しくすると、今度は自分がターゲットにされるのではないか、とみんな恐れているようだった。
「神村、お前いじめられてるのか?」
 放課後、職員室に赴くと澤田先生は開口一番にそう訊ねてきた。ある程度予想はしていたけれど、あまりにも直球すぎるその言葉に、僕は一瞬動揺してしまう。
 澤田先生は四十代後半の体育教師で体格がよく、威圧感がある。彼は切れ長の鋭い目で僕を見つめる。
「……いえ、いじめとか、そういうことはまったくされてないです」
 澤田先生の威圧的な眼光に()()され、僕は顔を伏せて否定する。
「本当か? 匿名のアンケートで、神村がいじめられてるって書いた生徒がいたんだが……」
「……たぶん、いたずらだと思います」
「そうか。まあ、本人がそう言うなら、これ以上は追求しないけど、もしいじめられてるなら隠さずに話すんだぞ」
「……はい」
 それより母さん元気か?と澤田先生は話題を変えた。僕の母さんは僕と同じ高校の卒業生で、澤田先生の最初の卒業生が母さんのクラスだったらしい。澤田先生は昨年、数十年ぶりにこの高校に赴任してきたそうだ。
 話が終わると、僕は逃げるように職員室を出た。
 担任に話したところで、解決するとは思えなかった。
 とぼとぼ歩きながら、居心地の悪い教室に戻る。僕が一体、なにをしたというのか。家に帰っても窮屈なだけだし、もうなにもかもどうでもよくなってきた。
 僕も早川さんのように自由になりたかった。