そんなある日のこと。僕にとってショッキングなニュースが飛び込んできた。そのニュースは、僕の人生を変えるほどの衝撃的なものだった。それは僕が自殺を決行する、一ヶ月前の朝のニュースだ。
 隣町にある高校の女子生徒が、飛び込み自殺をしたとのことだった。
 ニュースでは見覚えのある駅舎、聞き覚えのある町の名前が報道された。まさか僕の住んでいる町の、すぐ隣の町の高校生が自殺をするなんて、と僕は自宅のテレビに釘付(くぎづ)けになった。
「S市在住の十五歳の女子生徒が……」と険しい表情をした中年の男性アナウンサーが淡々と訃報を伝えた。
 僕と同じ、高校一年生だ。
 少女が持っていた(かばん)の中から遺書が見つかり、そこには同級生からいじめを受けていた、という内容が書かれていたそうだ。さらに最後には、『これで私は、自由になれる』と(つづ)られていたらしい。
 その言葉を聞いて、ドクンと心臓が跳ねた。やけに胸に突き刺さる言葉でもあった。
 男性アナウンサーは終始、神妙な面持ちで遺書の一部を読み上げていた。
 僕はそのニュースをもっと見ていたかったけれど、すぐにどうでもいい芸能ニュースに変わった。
 僕が一番驚いたのは、そのあと学校へ行ってからだった。
 夏休み明けの初日、いつも通りバスに乗って学校に着くと、酷い落書きがされた上靴に履き替え、重い足取りで教室に向かった。
 教室へ向かう途中で今朝のニュースを見たのか、すでに(うわさ)をしている生徒がいた。隣町の高校で起きた出来事なのだから、皆興味があるのは(うなず)ける。そんな中、生徒たちの噂話が僕の耳に届いた。
「死んだのは早川(はやかわ)(なつ)()っていう人らしいよ」
 よく知っている名前が()()を打った。最初は同姓同名の別人ではないだろうかと思った。しかし聞けば聞くほど、僕のよく知る早川夏希に相違なかった。
 彼女とは同じ小学校に通っていたが、家が少し離れていることもあって中学は別々だった。それでも通っていた塾が同じだったので、中学の頃は週に二回は顔を合わせていた。
 早川夏希は紛れもなく僕の初恋の人で、恩人でもあった。
 あの明るい彼女が自殺をしたなんて、僕には信じられなかった。
「おい(かみ)(むら)、ちょっと金貸してくんねぇ? なんか喉が渇いたんだよ」
 教室の前で、いきなり同じクラスの(とお)(やま)に捕まってしまった。こいつに逆らうと面倒なことになるので、僕はすぐさま財布から百円玉二枚を取り出して彼に渡した。毎度のことのように、断れない自分にうんざりする。
「……はい」
「おう、悪りぃな。そのうち返すからよ」
 そう言って自販機へ向かう遠山の背中を、僕は(にら)みつける。今まで彼に貸した金が返ってきた試しはない。返ってくるのはいつも、遠山の重たい右ストレートだけだ。いまや僕の肩は、遠山のサンドバッグになっていた。
 その日の一時限目は、全クラスホームルームに変更された。近隣の高校でいじめが原因の自殺が起きたことで、全校生徒にアンケート用紙が配布された。
 それはもちろん、いじめに関するアンケートだ。

①あなたは今、いじめられていますか?

 そのストレートすぎる問いに、僕は『いいえ』に丸をつけた。匿名でも構わないとはいえ、変なプライドが邪魔をして正直に回答ができなかった。
 僕はいじめられている哀れな生徒、という(れん)(びん)の目で見られるのが嫌だった。その次の問いにも、僕は真実を書かなかった。
 アンケートを書きながら、クラスメイトたちの好奇の視線を感じる。
「あいつ、なんて書くのかな」
 そんな言葉が聞こえたような気がした。
 結局僕は、アンケートのすべての問いに正直に回答することができず、差し伸べられた救いの手を自ら払いのけてしまった。仮に『はい』を選択したとしても、僕を取り巻く日常が変化するとは思えなかった。
 その日も一通りいじめを受けて、殴られてパンパンに()れ上がった左肩をさすりながら家に帰った。
「翔也おかえり。あんたと同じ小学校に通ってた、早川さんだっけ? 亡くなったんだってね」
 家に帰るなり、どこかで噂を聞きつけたのかいきなり母さんが物憂げな顔で言った。小さな町で起こった悲劇だ、情報が回るのも早いようだ。
「本当に早川さんなの?」
 僕は訊ねた。
「本当らしいよ。さっき買い物に行ったら、噂好きの隣の奥さんがそう言ってたから、間違いないわ。あんたの学校は、いじめとかあるの?」
「……ないと思う」
「そう、それならよかった。あ、諒也おかえり! 冷蔵庫にシュークリーム入ってるけど、食べる?」
 話の途中で、諒也が帰宅した。母さんは声色を変えて諒也の鞄を受け取り、先ほどの話などなかったように笑顔を見せる。シュークリームがあるなんて僕には教えてくれなかったのに。それに母さんが『あんた』と呼ぶのは僕だけ だ。
 諒也は「いらない」と答えて階段を上がっていく。僕のことなど見えていないのか、(いち)(べつ)をくれることもなかった。諒也とは会話らしい会話も、もう何年も交わしていない。(けん)()が絶えない兄弟よりはマシなのかもしれないけれど、喧嘩がまったくない兄弟はそれはそれで(いびつ)な気もした。
 夜になって父さんが帰宅すると、夕食の話題は諒也の学校のことばかりで、僕に話を振ってくることはほとんどなかった。どうせ諒也は(だる)そうに答えるだけなのだから、少しは僕に質問を投げてくれてもいいのに。
 夕食を早めに切り上げ、そそくさと自室に逃げるように駆け込み、ベッドにダイブした。明日までに提出期限の課題が鞄の中に入っていたけれど、手をつける気にならなかった。一階の食卓から、母さんの楽しそうな笑い声が聞こえてきてため息が零れる。
 その声をかき消すようにイヤホンを挿し、音楽を流して現実逃避することにした。
 一時間ほど音楽を聴き続け、そろそろ課題をやらねばと勉強机に座る。しかし、課題は一向に(はかど)らなかった。家族の件は一旦音楽でなんとか消化できたけれど、今度は早川さんの自殺の件が再び頭の中を支配していた。
 あの早川さんが自殺? 何度思い返してみても、やっぱり僕には信じられなかった。小学生の頃の彼女は明るい性格で、いつもクラスの中心にいて、誰からも好かれていた。そんな彼女がなぜいじめを受け、自殺にまで至ったのか。
 どうしてそうなったのか気になるけれど、それよりも彼女が死んでしまったことがなによりもショックだった。
 早川さんは僕の初恋の人でもあり、僕という存在を肯定してくれた唯一の恩人だった。