一時間ほどなにも考えずにいると、どこかから叫び声が聞こえてきた。我に返った僕は、何事だろうと声がする方へ向かった。その声の主は、集中治療室の扉の向こうにいるようだ。廊下を歩いている人には、どうやら聞こえていないらしい。僕は扉をすり抜け、中へ足を踏み入れる。
「なんでだよぉ。死にたくねぇよぉ」
 ベッドのそばで泣き叫んでいたのは、二十代前半くらいの金髪の若い男性だった。よく見るとベッドに横たわっていたのは、叫んでいた彼自身だ。たった今亡くなって、魂が抜け出たところなのだろうか。体や服がやや黒ずんでいるけれど、死因はなんであるのか判然としなかった。
「まだ、やりたいことたくさんあったのに……」
 悲痛な叫び声を上げ、彼は泣き続ける。そばにいる中年の男女は彼の両親だろうか。二人とも涙を流し、早すぎる息子の死を嘆いていた。
 視線に気づいたのか、彼は僕を振り返った。両目からは涙が(あふ)れ、子どものような表情で泣いている。僕は軽く頭を下げて、逃げるようにその場を離れた。
 病院を出て、僕はどこへ向かうでもなくひたすら歩いた。
 これから、どうしよう。最近お決まりになってきたセリフを呟きながら、とぼとぼ歩いた。
 あの幽霊らしくない明るい女性と話したことを、頭の中で反芻する。
 未練なんてないように見えた彼女にも、やっぱりあったのだ。早川さんも、学校の屋上の少女も、つい先ほど目撃した若い男性にも、僕が今まですれ違った幽霊たちだって、この世に未練を残したまま死んでしまったのだ。僕にもきっとあるはずだ。でも、それがなにかわからない。しばらく考えながら歩いていると、後ろから声をかけられた。
「神村?」
 振り返ると、鈴森さんが立っていた。
「……泣いてるの?」
 彼女の言葉で、僕は自分が涙を流していることに気がついた。慌てて涙を拭い、顔を逸らした。
「全然学校に来ないから、これから病院に行こうと思ってたんだけど……神村、大丈夫?」
 僕の顔を覗き込んで、彼女は心配そうに訊いた。
 大丈夫だと告げると、鈴森さんはちょっと付き合って、と僕の返事も待たずに道の先にあったバス停へ向かって歩いていく。僕は仕方なく彼女のあとを追い、ちょうどやってきたバスに二人で乗車した。
 鈴森さんはなにも言わずに大型商業施設のそばのバス停で降り、無言のままファストフード店に入っていった。
 注文を終えてトレイに載せたハンバーガーセットを運び、彼女は二人席に腰を下ろした。僕は向かいの席に座る。
「えっと、これって僕はここにいる必要あるの?」
 付き合ってと言われてここまでやってきて、なんの説明もないままただ鈴森さんがハンバーガーを食べている様子をじっと見ているという、謎の時間が先ほどから流れていた。
 彼女はハンバーガーを黙々と頬張りながら僕のことを見つめている。すぐ隣に高校生の男女がいるからか、声を発することができないのだろう。
 ゆっくりと時間をかけて食べ終えると、鈴森さんは「行こう」と小声で呟いて店を出て、今度はエレベーターに乗った。彼女は迷うことなく最上階である四階のボタンを押した。ここの商業施設の最上階には、確か映画館が入っていたはずだ。
 エレベーターを降りると、鈴森さんは映画のチケットを購入し、「ほら、行くよ」とぽかんと突っ立っていた僕に声をかけて劇場へと歩いていく。僕はぽかんと口を開けて、言われるがまま彼女についていった。
 鈴森さんが選んだのは最前列の座席で、周囲には誰もいなかったので僕は彼女の隣の席に腰を下ろした。きっと僕が隣に座れるよう、人気のない最前列の座席を選択したのだろう。後ろを振り返るとカップルと思しき男女の姿が多く、おそらく恋愛映画なのだろうと悟った。
「そろそろ教えてくれない? さっきから鈴森さんはなにをしてんの?」
 彼女は首を振って周囲に人がいないことを確認してから、ようやく口を開いてくれた。
「神村の未練を探してるに決まってるじゃん」
「えっと、それはつまり……どういうこと?」
 彼女の言葉の意味がわからず、僕は質問を重ねる。目の前のスクリーンには、近日公開予定のアニメ映画の予告編が流れていた。
「もしかしたら神村は、こうやって青春っぽいことをしたかったのかなって。普通に同級生とハンバーガーを食べたり、一緒に映画を観て感想を語り合ったり、なんかそういうの。それが心残りなのかもしれないから誘ったの」
 鈴森さんが言い終えた直後、唐突に映画が始まってそれ以上会話は続けられなかった。
 友達と放課後にハンバーガーを食べにいったり、流行りの映画を観に行ったりなど、確かにそういったシチュエーションに憧れがないわけではなかった。
 まさか鈴森さんがそこまで考えて行動してくれていたなんて。渦中にいる僕自身よりも、僕の未練について真剣に考えてくれていることが嬉しかった。