夜が明け、また新しい一日が始まった。昨晩はあまり眠れなかった。それでも眠気はまったく感じない。することもないので、僕は朝早くから家を出た。
頭上には、まるで僕の心を表しているようなどんよりとした曇り空が広がっていた。今日は学校へは行かず、バスに乗って早川さんがいる駅へ向かうことにした。
駅前に到着し、混雑していたバスを降り、駅舎に入る。通勤、通学ラッシュの時間ということもあって、様々な人が行き交う。僕も少し前までは、この途切れることのない波に乗って、終わりの見えない毎日を生きていたのだ。もう僕は、この流れに乗ることができないのだと思うと、虚無感に襲われ、大声で叫び出したくなった。どうしてか生き生きしている連中を見ていると、無性に腹が立ってきた。一度深呼吸をして苛立ちを抑え、僕はホームへ出た。
早川さんは昨日と同じようにベンチに座っていた。俯いて、孤独に耐えるように必死に涙を堪えている様子だった。
早川さんに歩み寄ると、彼女は僕に気づいて顔を上げた。
「……あ、翔也くん」
「おはよう。気分はどう?」
言いながら、僕はベンチの端っこに腰掛けた。
「あまりよくないかな。今日は一人なんだね」
早川さんは僕の方を見ずに言った。
「うん、まあね」
「ねぇ、翔也くんも、死んじゃったの?」
今度は身を乗り出して、彼女は僕の目を見て言った。照れくさくて思わず視線を逸らしてしまう。どうやら彼女は、僕が霊体ではなく幽体だということに気づいていないらしい。
「……うん、まあ、死んだようなものかな」
「病気? 事故? あ、話したくなかったら言わなくてもいいけど」
「えっと……じ、事故だよ。ボケッと歩いてたら、車に轢かれちゃって……」
「そうなんだ。なんか、翔也くんらしいね」
僕が黙り込むと、早川さんは「あ、ごめんね」と慌てて謝った。
言えるはずもなかった。早川さんに触発され、僕も自殺を図っただなんて。早川さんは自由を求めてこのホームから身を投じた。彼女を見る限り、自由になれたとは到底思えない。僕も彼女も、逆に自由を奪われた形になってしまった。
「やっぱり、死ぬんじゃなかったなぁ」
早川さんは、独りごちるように呟いた。本音を言うと、僕も彼女と同じ気持ちだった。
「私ね、高校に入ってから、ずっといじめられてたんだ。いじめられてた子を助けたら、次の日から私がいじめられるようになって、その助けた子も、皆と一緒に私をいじめるようになったの。もう毎日が辛くて、自由になりたかった」
消え入りそうな声で彼女は話す。正義感の強い早川さんは、高校生になっても早川さんのままだったようだ。
「だからね、ここから飛び降りたの。そうすれば自由になれると思ってた。でもなれなかった。私、ここから外に出られないの。ずっと一人だった。これなら、あの辛かった日々の方が、ずっとマシだよ」
今にも泣き出しそうな表情で早川さんは嘆いた。生前、僕の知っている早川さんとはまるで別人のようだ。明るくて、いつも笑顔を絶やさない彼女はもうどこにもいない。
僕も早川さんも結局、命を捨ててもなに一つ変わらなかった。変わったことといえば、学校だけではなく、この世界からも居場所を失ったことだ。僕たちには行く場所も、帰る場所もない。今の僕たちにできることは、未練を断ち切り、速やかにこの世から立ち去ることだけなのだ。
「昨日の人、翔也くんの彼女? 霊感強い子なんだね」
僕が黙り込んでいると、早川さんは話を変えた。
「違うよ。ただのクラスメイト。霊感とか幽霊とか、今まで信じてなかったけど本当にいるもんなんだね」
僕は他人事のように言った。目の前にいる早川さんが幽霊で、僕が幽体であることも、未だに信じられない。ずっと、長い夢でも見ているかのような気分だ。
早川さんは「自分が幽霊なんだから、信じるしかないよね」と苦笑した。どこか物憂げで、寂しそうな笑顔でもあった。
「でも、あの子の言う通りだよね。いじめられたことを恨んでも、意味ないんだよね。私も翔也くんも、こんなところにいちゃだめなんだよね」
彼女は僕にそう言ったけれど、まるで自分に問いかけるような、そんな言い方をしていた。
「そうだね。早川さんは、未練とかあるの?」
「未練? もちろんあるよ。ていうか、未練しかないよ……。だから、考えないようにしてる」
「でも、その未練を断ち切らないと、成仏できないと思うよ」
成仏かぁ、と彼女はか細い声で呟き、できるのかなぁ、と続けた。
「できるよ、きっと」
「そうかなぁ。翔也くんも未練あるでしょ? 私と違って事故死なんだから、当然あるよね」
「うん、まあ、それなりにね」
なんて言えばいいのかわからず、僕は言葉を濁した。未練なんてないと思っているし、それに事故死ではなく本当は自死だ。まだ死んだわけじゃないけれど、僕も早川さんと同じ立場なのだ。人のことを心配している場合ではなかった。
それからしばらく早川さんと話して、僕は駅舎を出た。どこへ行くでもなく、日が暮れるまでひたすら、ふらふらと歩き続けた。
僕が早川夏希と初めて会ったのは、小学二年生の夏だった。親の仕事の都合で、僕は県外からこの町に引っ越してきた。諒也はすぐに友達を作って家に連れてきていたけれど、僕は内気な性格が災いして新しい学校に馴染めず、友達を作ることができなかった。
そんな僕に、優しく声をかけてくれたのが早川さんだった。
「グラウンドでドッジボールするんだけど、翔也くんも一緒にやらない?」
昼休みに一人で時間をつぶしていた僕に、彼女は微笑んで手を差し伸べてくれた。早川さんは誰にでも優しく、相手が誰であろうと変わらない態度で人に接することができる子だった。どんなときでも笑顔を絶やさず、彼女のそばにいるとこちらまで笑顔になるような、太陽のような少女だったのだ。
そして五年生のときに、彼女は僕を救ってくれた。
同じ中学には行けなかったけれど、偶然にも三年間同じ塾に通っていた。僕の恩人である彼女を、今度は僕が救ってあげたいと今は思う。
頭上には、まるで僕の心を表しているようなどんよりとした曇り空が広がっていた。今日は学校へは行かず、バスに乗って早川さんがいる駅へ向かうことにした。
駅前に到着し、混雑していたバスを降り、駅舎に入る。通勤、通学ラッシュの時間ということもあって、様々な人が行き交う。僕も少し前までは、この途切れることのない波に乗って、終わりの見えない毎日を生きていたのだ。もう僕は、この流れに乗ることができないのだと思うと、虚無感に襲われ、大声で叫び出したくなった。どうしてか生き生きしている連中を見ていると、無性に腹が立ってきた。一度深呼吸をして苛立ちを抑え、僕はホームへ出た。
早川さんは昨日と同じようにベンチに座っていた。俯いて、孤独に耐えるように必死に涙を堪えている様子だった。
早川さんに歩み寄ると、彼女は僕に気づいて顔を上げた。
「……あ、翔也くん」
「おはよう。気分はどう?」
言いながら、僕はベンチの端っこに腰掛けた。
「あまりよくないかな。今日は一人なんだね」
早川さんは僕の方を見ずに言った。
「うん、まあね」
「ねぇ、翔也くんも、死んじゃったの?」
今度は身を乗り出して、彼女は僕の目を見て言った。照れくさくて思わず視線を逸らしてしまう。どうやら彼女は、僕が霊体ではなく幽体だということに気づいていないらしい。
「……うん、まあ、死んだようなものかな」
「病気? 事故? あ、話したくなかったら言わなくてもいいけど」
「えっと……じ、事故だよ。ボケッと歩いてたら、車に轢かれちゃって……」
「そうなんだ。なんか、翔也くんらしいね」
僕が黙り込むと、早川さんは「あ、ごめんね」と慌てて謝った。
言えるはずもなかった。早川さんに触発され、僕も自殺を図っただなんて。早川さんは自由を求めてこのホームから身を投じた。彼女を見る限り、自由になれたとは到底思えない。僕も彼女も、逆に自由を奪われた形になってしまった。
「やっぱり、死ぬんじゃなかったなぁ」
早川さんは、独りごちるように呟いた。本音を言うと、僕も彼女と同じ気持ちだった。
「私ね、高校に入ってから、ずっといじめられてたんだ。いじめられてた子を助けたら、次の日から私がいじめられるようになって、その助けた子も、皆と一緒に私をいじめるようになったの。もう毎日が辛くて、自由になりたかった」
消え入りそうな声で彼女は話す。正義感の強い早川さんは、高校生になっても早川さんのままだったようだ。
「だからね、ここから飛び降りたの。そうすれば自由になれると思ってた。でもなれなかった。私、ここから外に出られないの。ずっと一人だった。これなら、あの辛かった日々の方が、ずっとマシだよ」
今にも泣き出しそうな表情で早川さんは嘆いた。生前、僕の知っている早川さんとはまるで別人のようだ。明るくて、いつも笑顔を絶やさない彼女はもうどこにもいない。
僕も早川さんも結局、命を捨ててもなに一つ変わらなかった。変わったことといえば、学校だけではなく、この世界からも居場所を失ったことだ。僕たちには行く場所も、帰る場所もない。今の僕たちにできることは、未練を断ち切り、速やかにこの世から立ち去ることだけなのだ。
「昨日の人、翔也くんの彼女? 霊感強い子なんだね」
僕が黙り込んでいると、早川さんは話を変えた。
「違うよ。ただのクラスメイト。霊感とか幽霊とか、今まで信じてなかったけど本当にいるもんなんだね」
僕は他人事のように言った。目の前にいる早川さんが幽霊で、僕が幽体であることも、未だに信じられない。ずっと、長い夢でも見ているかのような気分だ。
早川さんは「自分が幽霊なんだから、信じるしかないよね」と苦笑した。どこか物憂げで、寂しそうな笑顔でもあった。
「でも、あの子の言う通りだよね。いじめられたことを恨んでも、意味ないんだよね。私も翔也くんも、こんなところにいちゃだめなんだよね」
彼女は僕にそう言ったけれど、まるで自分に問いかけるような、そんな言い方をしていた。
「そうだね。早川さんは、未練とかあるの?」
「未練? もちろんあるよ。ていうか、未練しかないよ……。だから、考えないようにしてる」
「でも、その未練を断ち切らないと、成仏できないと思うよ」
成仏かぁ、と彼女はか細い声で呟き、できるのかなぁ、と続けた。
「できるよ、きっと」
「そうかなぁ。翔也くんも未練あるでしょ? 私と違って事故死なんだから、当然あるよね」
「うん、まあ、それなりにね」
なんて言えばいいのかわからず、僕は言葉を濁した。未練なんてないと思っているし、それに事故死ではなく本当は自死だ。まだ死んだわけじゃないけれど、僕も早川さんと同じ立場なのだ。人のことを心配している場合ではなかった。
それからしばらく早川さんと話して、僕は駅舎を出た。どこへ行くでもなく、日が暮れるまでひたすら、ふらふらと歩き続けた。
僕が早川夏希と初めて会ったのは、小学二年生の夏だった。親の仕事の都合で、僕は県外からこの町に引っ越してきた。諒也はすぐに友達を作って家に連れてきていたけれど、僕は内気な性格が災いして新しい学校に馴染めず、友達を作ることができなかった。
そんな僕に、優しく声をかけてくれたのが早川さんだった。
「グラウンドでドッジボールするんだけど、翔也くんも一緒にやらない?」
昼休みに一人で時間をつぶしていた僕に、彼女は微笑んで手を差し伸べてくれた。早川さんは誰にでも優しく、相手が誰であろうと変わらない態度で人に接することができる子だった。どんなときでも笑顔を絶やさず、彼女のそばにいるとこちらまで笑顔になるような、太陽のような少女だったのだ。
そして五年生のときに、彼女は僕を救ってくれた。
同じ中学には行けなかったけれど、偶然にも三年間同じ塾に通っていた。僕の恩人である彼女を、今度は僕が救ってあげたいと今は思う。
