そのとき、轟音とともに電車が到着した。ホームは乗り降りする乗客でごった返し、一時騒がしくなるが電車が出発すると、また辺りは静かになった。
「捜してる人、今の電車には乗ってなかったの?」
鈴森さんの問いかけに返事をせず、僕はさらに奥へ進む。
人が減ったホームを見渡すが、それらしき少女はいない。
線路を挟んで反対側のホームに目を向けると、ベンチに腰掛けた少女の姿があった。俯いているので、ここからでは顔が確認できない。僕は階段を駆け上がって反対側のホームへ向かった。
紺色のブレザーを着た少女は、僕が近づいても俯いたまま顔を上げない。近くで見ると確信した。間違いなく、早川夏希だ。
「神村、いきなり走っていかないでよ」
息を切らした鈴森さんが、階段を下りてきて足を止めた。彼女は早川さんに気づいたようで、「どういうこと?」と僕に訊ねた。
「小学生の頃、同じクラスだった人なんだ。つい最近、ここで亡くなったんだけど……」
早川さんに聞こえないように、僕は小声で話した。
「もしかして、好きだった子?」
その質問には答えず、僕はさらに早川さんに近づいた。彼女は、ゆっくりと顔を上げる。
「……翔也……くん?」
声を震わせて彼女は僕の名前を呼んだ。小学生の頃からかけている丸眼鏡は健在で相変わらずよく似合っていたが、そのレンズの奥の瞳は潤んでいて、怯えている様子だった。短かった髪の毛は肩まで伸ばし、僕の知る早川さんより少し大人びて見えた。
「久しぶり。中学のとき、塾で会って以来だね。元気だった?」
僕は呑気にそう声をかけてしまった。これではまるで生きている者同士の会話だ。言い終えてから、今の僕たちには到底相応しくない言葉だと思った。それに僕は早川さんとはあまり話したことがなかったのに、なぜか今はすらすらと言葉が出てきた。それはきっと、僕と早川さんは似たような状況に置かれているから、仲間意識が僕の中で芽生えたからだろう。
「私のことが……見えるの?」
早川さんは言いながら、涙をぽろぽろ零した。僕がこくんと頷くと、彼女はわっと声を上げて泣いた。
早川さんは一ヶ月ほど前に、この場所で亡くなった。約一ヶ月間、誰にも気づいてもらえず、たった一人でここにいたのだ。どれほど心細く、寂しかったことだろう。
「どうして、自殺なんか……」
僕は途中で言葉を止めた。僕が言えたことではないと気づいたからだ。彼女はしゃくり上げて泣き続ける。僕はどうしていいのかわからず、ただ黙って彼女が泣きやむのを待った。
「そういえば、この前ニュースでやってたね。ここの駅で飛び込み自殺をした女子高生の報道。それがあなたね」
ふいに鈴森さんがそう言って、早川さんの隣に腰を下ろした。そんな言い方ないだろう、と僕が言う前に彼女は言葉を続けた。
「確か、いじめが原因だったよね。死にたくなるほど酷いいじめを受けてたんだね。……辛かったね」
鈴森さんは幼い子どもに語りかけるように、柔らかい口調で言った。早川さんは泣きながら何度も首を縦に振る。
「いじめてたやつらのこと、憎い?」
「んん」
早川さんは声にならない声で頷く。
「そっか。でも、そいつらを憎んでも、もうどうしようもないの。あなたにできることは、自分がしてしまったことを心の底から反省して、死を受け入れること。そうすれば、きっと楽になれるから」
鈴森さんは優しく告げると、立ち上がって早川さんに背を向けて歩いていく。次の電車がそろそろ到着する時間なのか、ホームは再び混雑し始めていた。
まだ泣きやまない早川さんを残して、鈴森さんはホームを出ていった。
僕はどうしようか迷って、「また明日来ます!」と早川さんに声をかけてからホームを出た。
走って鈴森さんを追いかけ、駅舎を出たところで彼女に追いついた。
「あの……なんか驚いたよ。鈴森さんがあんなこと言うなんて」
「あんなことって?」
歩きながら、彼女は僕に一瞥もくれずに訊いた。
「いやだから、なんか優しいなって思って」
「そう?」
「うん。なんで早川さんに優しく声をかけたの?」
交差点に差し掛かり、前方の信号機が赤に変わった。僕は足を止める必要はなかったけれど、命ある鈴森さんは当然立ち止まった。
「神村さ、四十九日って知ってる?」
「えっと、確か亡くなった人は四十九日間この世にとどまることができて、そのあとにあの世に旅立つとか、そんな感じだっけ?」
「うーん、少しだけ補足が必要かな」
目の前の信号が青に変わり、鈴森さんは歩き出した。
「四十九日っていうのはね、簡単に言うと、亡くなった人が気持ちを整理するための期間なの」
「気持ちを整理するための期間?」
「そう。自分の死を受け入れて、この世への未練を断ち切るための期間なの。それができれば、成仏できるのよ」
僕は首を捻った。ならば今の僕は一体なんのために存在しているのだろうか。
「だったらさ、僕は十七日後に死んで、そこからさらに四十九日間猶予があるってことでしょ? それならまだ慌てる必要ないよね。焦ってたけど、ちょっと安心したよ」
僕が安堵の息を漏らすと、鈴森さんは足を止めた。
「あのね、あんたは本当に珍しいケースなんだよ。運がいいというか、不幸中の幸いっていうか、とにかくラッキーなの。今は普通の人間と変わらないけど、死んだらそうはいかないのよ。鬱っぽくなって、なかなか未練を断ち切るのが難しくなるの。自殺の場合は特にね。だからあんたは今のうちに断ち切らないとだめなの。そもそもあんたの場合、死んじゃったらこんなに自由に歩き回れないと思うよ」
鈴森さんは一息にそう言った。そういえば、エンドーさんにも同じようなことを言われたのを思い出した。鈴森さんはさらに続ける。
「だからさ、私はあの子に言ったの。未練を断ち切って、成仏しなさいって。あの子、もうすぐ四十九日でしょ? このままだと成仏できなくて、学校の屋上にいるあの女の子のようになっちゃうんだよ」
鈴森さんは早口で捲し立てる。学校の屋上の少女がふいに頭に浮かんだ。僕の目の前で泣いていた、あの悲哀に満ちた表情が脳裏に蘇る。彼女が早川さんの成れの果てだということになるのだろうか。そう考えると、やり切れない思いが込み上げ、ぐっと下唇を噛みしめた。当然、痛みは感じなかった。
「僕になにかできることないかな。早川さんには、あんなふうになってほしくないんだ」
「私たちにできることは、もうないと思う。あとは本人の気持ち次第だから」
突き放すように彼女は言った。嘘でもいいから、なにか救いのある言葉が欲しかった。
その後バス停で僕たちは別れた。鈴森さんには帰るべき場所がある。僕や早川さんには、この世界には帰る場所がない。やっぱり僕たちは、もうこの世界にいてはいけないのだ。
家に帰ってからも、早川夏希のことが頭から離れなかった。
彼女は確か、僕が自殺を決行する一ヶ月ほど前に亡くなった。つまり彼女に残された時間は、残り約二週間しかない。彼女の様子から見て、きっと成仏することは叶わないだろう。自殺した魂は特に難しいと、鈴森さんやエンドーさんが口にしていた。僕も早川さんも、成仏できずに永遠にこの世を彷徨い、いずれ学校の屋上にいる少女のようになってしまうのだろうか。
深く息をついて、目を閉じた。まぶたの裏に泣きじゃくる早川さんの姿が浮かび、その日はなかなか寝付けなかった。
「捜してる人、今の電車には乗ってなかったの?」
鈴森さんの問いかけに返事をせず、僕はさらに奥へ進む。
人が減ったホームを見渡すが、それらしき少女はいない。
線路を挟んで反対側のホームに目を向けると、ベンチに腰掛けた少女の姿があった。俯いているので、ここからでは顔が確認できない。僕は階段を駆け上がって反対側のホームへ向かった。
紺色のブレザーを着た少女は、僕が近づいても俯いたまま顔を上げない。近くで見ると確信した。間違いなく、早川夏希だ。
「神村、いきなり走っていかないでよ」
息を切らした鈴森さんが、階段を下りてきて足を止めた。彼女は早川さんに気づいたようで、「どういうこと?」と僕に訊ねた。
「小学生の頃、同じクラスだった人なんだ。つい最近、ここで亡くなったんだけど……」
早川さんに聞こえないように、僕は小声で話した。
「もしかして、好きだった子?」
その質問には答えず、僕はさらに早川さんに近づいた。彼女は、ゆっくりと顔を上げる。
「……翔也……くん?」
声を震わせて彼女は僕の名前を呼んだ。小学生の頃からかけている丸眼鏡は健在で相変わらずよく似合っていたが、そのレンズの奥の瞳は潤んでいて、怯えている様子だった。短かった髪の毛は肩まで伸ばし、僕の知る早川さんより少し大人びて見えた。
「久しぶり。中学のとき、塾で会って以来だね。元気だった?」
僕は呑気にそう声をかけてしまった。これではまるで生きている者同士の会話だ。言い終えてから、今の僕たちには到底相応しくない言葉だと思った。それに僕は早川さんとはあまり話したことがなかったのに、なぜか今はすらすらと言葉が出てきた。それはきっと、僕と早川さんは似たような状況に置かれているから、仲間意識が僕の中で芽生えたからだろう。
「私のことが……見えるの?」
早川さんは言いながら、涙をぽろぽろ零した。僕がこくんと頷くと、彼女はわっと声を上げて泣いた。
早川さんは一ヶ月ほど前に、この場所で亡くなった。約一ヶ月間、誰にも気づいてもらえず、たった一人でここにいたのだ。どれほど心細く、寂しかったことだろう。
「どうして、自殺なんか……」
僕は途中で言葉を止めた。僕が言えたことではないと気づいたからだ。彼女はしゃくり上げて泣き続ける。僕はどうしていいのかわからず、ただ黙って彼女が泣きやむのを待った。
「そういえば、この前ニュースでやってたね。ここの駅で飛び込み自殺をした女子高生の報道。それがあなたね」
ふいに鈴森さんがそう言って、早川さんの隣に腰を下ろした。そんな言い方ないだろう、と僕が言う前に彼女は言葉を続けた。
「確か、いじめが原因だったよね。死にたくなるほど酷いいじめを受けてたんだね。……辛かったね」
鈴森さんは幼い子どもに語りかけるように、柔らかい口調で言った。早川さんは泣きながら何度も首を縦に振る。
「いじめてたやつらのこと、憎い?」
「んん」
早川さんは声にならない声で頷く。
「そっか。でも、そいつらを憎んでも、もうどうしようもないの。あなたにできることは、自分がしてしまったことを心の底から反省して、死を受け入れること。そうすれば、きっと楽になれるから」
鈴森さんは優しく告げると、立ち上がって早川さんに背を向けて歩いていく。次の電車がそろそろ到着する時間なのか、ホームは再び混雑し始めていた。
まだ泣きやまない早川さんを残して、鈴森さんはホームを出ていった。
僕はどうしようか迷って、「また明日来ます!」と早川さんに声をかけてからホームを出た。
走って鈴森さんを追いかけ、駅舎を出たところで彼女に追いついた。
「あの……なんか驚いたよ。鈴森さんがあんなこと言うなんて」
「あんなことって?」
歩きながら、彼女は僕に一瞥もくれずに訊いた。
「いやだから、なんか優しいなって思って」
「そう?」
「うん。なんで早川さんに優しく声をかけたの?」
交差点に差し掛かり、前方の信号機が赤に変わった。僕は足を止める必要はなかったけれど、命ある鈴森さんは当然立ち止まった。
「神村さ、四十九日って知ってる?」
「えっと、確か亡くなった人は四十九日間この世にとどまることができて、そのあとにあの世に旅立つとか、そんな感じだっけ?」
「うーん、少しだけ補足が必要かな」
目の前の信号が青に変わり、鈴森さんは歩き出した。
「四十九日っていうのはね、簡単に言うと、亡くなった人が気持ちを整理するための期間なの」
「気持ちを整理するための期間?」
「そう。自分の死を受け入れて、この世への未練を断ち切るための期間なの。それができれば、成仏できるのよ」
僕は首を捻った。ならば今の僕は一体なんのために存在しているのだろうか。
「だったらさ、僕は十七日後に死んで、そこからさらに四十九日間猶予があるってことでしょ? それならまだ慌てる必要ないよね。焦ってたけど、ちょっと安心したよ」
僕が安堵の息を漏らすと、鈴森さんは足を止めた。
「あのね、あんたは本当に珍しいケースなんだよ。運がいいというか、不幸中の幸いっていうか、とにかくラッキーなの。今は普通の人間と変わらないけど、死んだらそうはいかないのよ。鬱っぽくなって、なかなか未練を断ち切るのが難しくなるの。自殺の場合は特にね。だからあんたは今のうちに断ち切らないとだめなの。そもそもあんたの場合、死んじゃったらこんなに自由に歩き回れないと思うよ」
鈴森さんは一息にそう言った。そういえば、エンドーさんにも同じようなことを言われたのを思い出した。鈴森さんはさらに続ける。
「だからさ、私はあの子に言ったの。未練を断ち切って、成仏しなさいって。あの子、もうすぐ四十九日でしょ? このままだと成仏できなくて、学校の屋上にいるあの女の子のようになっちゃうんだよ」
鈴森さんは早口で捲し立てる。学校の屋上の少女がふいに頭に浮かんだ。僕の目の前で泣いていた、あの悲哀に満ちた表情が脳裏に蘇る。彼女が早川さんの成れの果てだということになるのだろうか。そう考えると、やり切れない思いが込み上げ、ぐっと下唇を噛みしめた。当然、痛みは感じなかった。
「僕になにかできることないかな。早川さんには、あんなふうになってほしくないんだ」
「私たちにできることは、もうないと思う。あとは本人の気持ち次第だから」
突き放すように彼女は言った。嘘でもいいから、なにか救いのある言葉が欲しかった。
その後バス停で僕たちは別れた。鈴森さんには帰るべき場所がある。僕や早川さんには、この世界には帰る場所がない。やっぱり僕たちは、もうこの世界にいてはいけないのだ。
家に帰ってからも、早川夏希のことが頭から離れなかった。
彼女は確か、僕が自殺を決行する一ヶ月ほど前に亡くなった。つまり彼女に残された時間は、残り約二週間しかない。彼女の様子から見て、きっと成仏することは叶わないだろう。自殺した魂は特に難しいと、鈴森さんやエンドーさんが口にしていた。僕も早川さんも、成仏できずに永遠にこの世を彷徨い、いずれ学校の屋上にいる少女のようになってしまうのだろうか。
深く息をついて、目を閉じた。まぶたの裏に泣きじゃくる早川さんの姿が浮かび、その日はなかなか寝付けなかった。
