チェッ、バカめ。
クイーン・レコードも、ベーシック・エンターテインメントも、コロラドもどこもかしこも、どうしてアタシの音源のCDリリースに乗ってこないのか? 今年は、あのサルサのサウンドが絶対流行るっていうのに、なぜ分からない?
駅近くの商店街にある食堂でグラスに入ったビールを一気に飲み干す。
アタシのアーティスト名は「J-un」と表記して、ジュンと読む。昔は勢力的に音楽活動をしていて、局地的に少しだけ知られていたが、今や、このアーティスト名を知っているヤツなどいないことだろう。
今回、新作音源を送りつけたのは、どれも老舗のメジャーのレコード会社ばかり。しかし、そのレコード会社はアタシにとっては遠い存在ではない。
そこのプロデューサーたちは昔、一緒に仕事をした仲間たちばかりだからだ。
……それなのに冷たいものだ。
まさか、作品の評価が低いのか?
そんな訳はない。今回の新曲は、まず詞がしっかりしている。
気が付いたら、いい歳になってしまった。
もう、この年齢では通用しないのか? もうアラサーで、J-unという表記が似合わない年齢になってしまった。
歳は取りたくないものだ。
アタシは、Jポップというジャンルでヒット曲を生み出したいという夢を、まだ捨てきれないでいる。
日頃から愛用しているこの食堂でたった一人、安い定食をあてに、手酌でビールを飲んでいると、侘しさがブレンドされ諦観に支配された。
貧しさには慣れている。この先の生涯が、貧しくてもいい。しかし、いつまでも現役のミュージシャンではありたい。本質的な意味で。
「続いてのゲストは、荒木アイミさんです」
食堂に置いてある流しっぱなしのテレビから、よく知っている名前が聞こえた。画面に、見慣れた顔が映し出され、番組の司会者と短いトークが繰り広げられる。
「デビュー10周年、おめでとうございます。今回、記念となるベストアルバムをリリースするんですね?」
10周年? 違うだろ。
そうか、計算が合わないと思っていたら、もうあれから10年も経ったということだ。
「いろんな人の支えで、やってこられました」とアイミは司会者に答える。
ほほう、殊勝なことを言えるようになったじゃないか。心にもないくせに。
「デビューした10年前のことって覚えていますか?」
「はい、昨日のことのように。この番組にも当時、出させてもらいました」
「そうでしたっけ?」
男性の司会者とアイミの軽妙なトークが続く。
チェッ。
「くだらない」と吐き捨てるようにつぶやいた。
正確に言うと、アイミはメジャー・デビュー11周年にあたるはずだ。ソロで再デビューする前に「アイミ&ダーティJ」という名義でコロンバスレコードからミニアルバム1枚、シングル2枚をリリースした。……まるで売れなかったが。
アイミからすれば、陳腐な過去かも知れないが、アタシからすれば仲間と可能性を賭けて必死に生き抜いた大事な記憶だ。
このアイミ&ダーティJは、アイミをボーカルとする名古屋のガールズバンドで、アタシがバンドマスター、つまりリーダーを務めていた。
ボーカルがアイミで、ギターがアタシ。ベースは佳津子、ドラムはエミ、ピアノが素子というメンバーだった。
当時、アイミは曲をつくって歌うのは長けていたが、アレンジしたり、演奏するのは素人レベル。
そこでライブのパフォーマンスを重視するメジャーCDレーベルのコロンバスが、名古屋のミュージシャンを集めて、急遽バンドにしたのだ。
しかし、いつからかアイミはアタシらが邪魔になり、一人で東京に出た。そしてソロ活動でヒット曲を飛ばし続け、今では日本を代表するシンガーソングライターとなっている。
「10周年記念として、アイミさんがソロ・デビューする前に、名古屋のバンドのボーカルをしていた当時の曲をこれから披露するんですよね?」
番組の司会者は、意外なことを言った。
何だと? アタシたちと一緒にやっていた頃の曲か?
食い入るようにテレビを見入った。
「そうなんですよ。11年くらい前ですかね、この曲をつくったのは。最初はメロディーがイマイチかと思っていたけど、アレンジをし直してもらってら、しっくりくるようになったのを覚えています」
アイミは淀みなく答える。
本気か?
今までどんなことがあってもアタシたちダーティJと活動していたことは一切話さなかったくせに。
バンドの過去はなかったことにしているから、アタシたちも周りに話すなってコロンバスレコードから口止めもされていたんだぞ。
「それは楽しみです! 何てタイトルですか?」
「ラブ・センセーション」
なぜだ? シングルカットすらされなかったあの曲を選ぶとは。
「うわ、確かに懐かしいイメージのタイトルですね。じゃあ、スタンバイお願いします」
あの曲はイントロがアコースティック・ギターのカッティングのソロで入る。シンプルだが、意外に難しいぞ。一体誰が弾くのだ?
まさか!
アタシは、涙をこらえきれなかった。アイミがギターを持ち、イントロを自ら弾いている。
チェッ、やるじゃないか。
あの時はピアノもギターも演奏が下手くそでどうしようもなかったくせに。
上手くなってやがる。キーはFだから、原曲のままだ。
同じメンバーだった佳津子、エミ、素子は、この番組を見てくれているだろうか?
テレビ画面に映るアイミは、すっかりいい大人の女になっていたが、バンドをしていた十代の頃に戻ったかのように表情が豊かで、声も張りがある。
情熱的だったあの日々と魂は、まだ今もヤツとアタシの胸の中で生きていた。
クイーン・レコードも、ベーシック・エンターテインメントも、コロラドもどこもかしこも、どうしてアタシの音源のCDリリースに乗ってこないのか? 今年は、あのサルサのサウンドが絶対流行るっていうのに、なぜ分からない?
駅近くの商店街にある食堂でグラスに入ったビールを一気に飲み干す。
アタシのアーティスト名は「J-un」と表記して、ジュンと読む。昔は勢力的に音楽活動をしていて、局地的に少しだけ知られていたが、今や、このアーティスト名を知っているヤツなどいないことだろう。
今回、新作音源を送りつけたのは、どれも老舗のメジャーのレコード会社ばかり。しかし、そのレコード会社はアタシにとっては遠い存在ではない。
そこのプロデューサーたちは昔、一緒に仕事をした仲間たちばかりだからだ。
……それなのに冷たいものだ。
まさか、作品の評価が低いのか?
そんな訳はない。今回の新曲は、まず詞がしっかりしている。
気が付いたら、いい歳になってしまった。
もう、この年齢では通用しないのか? もうアラサーで、J-unという表記が似合わない年齢になってしまった。
歳は取りたくないものだ。
アタシは、Jポップというジャンルでヒット曲を生み出したいという夢を、まだ捨てきれないでいる。
日頃から愛用しているこの食堂でたった一人、安い定食をあてに、手酌でビールを飲んでいると、侘しさがブレンドされ諦観に支配された。
貧しさには慣れている。この先の生涯が、貧しくてもいい。しかし、いつまでも現役のミュージシャンではありたい。本質的な意味で。
「続いてのゲストは、荒木アイミさんです」
食堂に置いてある流しっぱなしのテレビから、よく知っている名前が聞こえた。画面に、見慣れた顔が映し出され、番組の司会者と短いトークが繰り広げられる。
「デビュー10周年、おめでとうございます。今回、記念となるベストアルバムをリリースするんですね?」
10周年? 違うだろ。
そうか、計算が合わないと思っていたら、もうあれから10年も経ったということだ。
「いろんな人の支えで、やってこられました」とアイミは司会者に答える。
ほほう、殊勝なことを言えるようになったじゃないか。心にもないくせに。
「デビューした10年前のことって覚えていますか?」
「はい、昨日のことのように。この番組にも当時、出させてもらいました」
「そうでしたっけ?」
男性の司会者とアイミの軽妙なトークが続く。
チェッ。
「くだらない」と吐き捨てるようにつぶやいた。
正確に言うと、アイミはメジャー・デビュー11周年にあたるはずだ。ソロで再デビューする前に「アイミ&ダーティJ」という名義でコロンバスレコードからミニアルバム1枚、シングル2枚をリリースした。……まるで売れなかったが。
アイミからすれば、陳腐な過去かも知れないが、アタシからすれば仲間と可能性を賭けて必死に生き抜いた大事な記憶だ。
このアイミ&ダーティJは、アイミをボーカルとする名古屋のガールズバンドで、アタシがバンドマスター、つまりリーダーを務めていた。
ボーカルがアイミで、ギターがアタシ。ベースは佳津子、ドラムはエミ、ピアノが素子というメンバーだった。
当時、アイミは曲をつくって歌うのは長けていたが、アレンジしたり、演奏するのは素人レベル。
そこでライブのパフォーマンスを重視するメジャーCDレーベルのコロンバスが、名古屋のミュージシャンを集めて、急遽バンドにしたのだ。
しかし、いつからかアイミはアタシらが邪魔になり、一人で東京に出た。そしてソロ活動でヒット曲を飛ばし続け、今では日本を代表するシンガーソングライターとなっている。
「10周年記念として、アイミさんがソロ・デビューする前に、名古屋のバンドのボーカルをしていた当時の曲をこれから披露するんですよね?」
番組の司会者は、意外なことを言った。
何だと? アタシたちと一緒にやっていた頃の曲か?
食い入るようにテレビを見入った。
「そうなんですよ。11年くらい前ですかね、この曲をつくったのは。最初はメロディーがイマイチかと思っていたけど、アレンジをし直してもらってら、しっくりくるようになったのを覚えています」
アイミは淀みなく答える。
本気か?
今までどんなことがあってもアタシたちダーティJと活動していたことは一切話さなかったくせに。
バンドの過去はなかったことにしているから、アタシたちも周りに話すなってコロンバスレコードから口止めもされていたんだぞ。
「それは楽しみです! 何てタイトルですか?」
「ラブ・センセーション」
なぜだ? シングルカットすらされなかったあの曲を選ぶとは。
「うわ、確かに懐かしいイメージのタイトルですね。じゃあ、スタンバイお願いします」
あの曲はイントロがアコースティック・ギターのカッティングのソロで入る。シンプルだが、意外に難しいぞ。一体誰が弾くのだ?
まさか!
アタシは、涙をこらえきれなかった。アイミがギターを持ち、イントロを自ら弾いている。
チェッ、やるじゃないか。
あの時はピアノもギターも演奏が下手くそでどうしようもなかったくせに。
上手くなってやがる。キーはFだから、原曲のままだ。
同じメンバーだった佳津子、エミ、素子は、この番組を見てくれているだろうか?
テレビ画面に映るアイミは、すっかりいい大人の女になっていたが、バンドをしていた十代の頃に戻ったかのように表情が豊かで、声も張りがある。
情熱的だったあの日々と魂は、まだ今もヤツとアタシの胸の中で生きていた。



