君時雨の夏

 それから、僕と世絆はちょくちょく昼休憩に会うようになった。場所は屋上に続く階段を上がったところで、固く施錠された扉に背を付けて二人で弁当を食べた。世絆いわく、入学早々に見つけた精神と時の部屋らしい。静かで人気のないこの場所は、一人で考え事をするのに最適で、時間が経つのも遅く感じるのだとか。

 「毎日友達といると、なんかこう、息が詰まるのよね。互いに空気読んで話合わせるだけで、ぶっちゃけ面白くないし」

 いつか世絆が漏らした言葉だ。傍から見れば楽しそうでも、実際は全然そんなことはないらしい。「ならどうして僕と会ってるの」と聞くと、「タクは幼馴染だから」とそっけなく返された。気を遣わないで済むという意味だろうか。
 とはいえ、そんな話をするのは稀だった。大抵は、昨日は速見とここまでいった、とか、もし証拠が採れたらこう脅そう、とか、復讐に関する相談をした。速見は世絆が深礼さんの妹であると知っているため、流石に警戒していた。ただ、徐々にそれも揺らいできているらしい。

 「昨日ね、久しぶりにお姉ちゃんと話したの」

 たまに、深礼さんの話を聞くこともあった。基本的に自室に籠り切りだが、稀に部屋から出てきてくれるらしい。そんな時は、なるべく声を掛けるように努めているという。

 「最近タクとよく話すんだ、って言ったら、お姉ちゃん驚いてた。なんか、校舎でタクを見かけると大体一人だから、いつも声を掛けるか迷ってたみたい」
 「それは申し訳ないな。深礼さんにまで気を遣わせて」
 「何言ってんのよ。お姉ちゃん、昔からそういう性格でしょ。そんな他人行儀やめてよ」

 世絆が不満気に頬を膨らます。僕は「ごめん」と軽く笑った。世絆はすぐに機嫌を直して、昔三人で遊んだ頃の話を始めた。記憶の中の僕たちはいつも笑顔で、世界も今とは別物のように優しかった。僕にとってのあの日々は、世絆や深礼さんにとっても同じ日々なのだろうか。

 「いつかまた、三人で遊びたいね」

 世絆がぽつりと言った。いつか、の部分に自信がない。

 「そうだね、いつか……」

 僕も曖昧に返す。並んで座る冷たい床に、白い夏日がうっすらと落ちた。
 


 そうして一週間が経ち、終業式を翌日に控えた日のこと。

 「ついにやったわ」

 蝉の音が一瞬止んだ。昼休憩、僕がいつものように屋上前に着くと、体操座りで待っていた世絆が言った。

 「それは……証拠が採れたってこと?」

 ドキドキしながら訊ねると、世絆が無言で頷いた。僕は思わず心臓が止まりそうになる。

 「昨日の放課後なんだけど…」

 世絆が消え入りそうな声で話し出した。昨日、世絆は遅くまで速見と学校に残っていた。すると速見の方から、ドライブに誘ってきた。そして、車に乗り込んだ世絆が連れられた先は、ラブホテルだった。

 「タク……私……」

 不意に世絆が顔を覆った。細い指の隙間から雫が落ちるのを見て、僕は慌てて駆け寄った。

 「世絆」
 「ごめん、何でもないから」

 世絆は頑なに涙を隠した。きっと、とても怖かったに違いない。そのうえ大嫌いな相手に触れられたのだ。想像を絶する不快さを味わったことだろう。

 「……すごく大切なものを、(うしな)った気がする」

 膝の間に顔を埋めて、世絆が言った。僕は速見に対する嫌悪感で吐きそうだった。欲望の働くままに、生徒に手を出すクズ教師。やっぱり、この世界には汚らしい人間がゴミのように溢れている。

 「でも私、これでいつでもアイツを葬れるんだよね」

 世絆が確かめるように言った。僕は彼女の隣に腰を降ろす。

 「そうだね」
 「タク、色々協力してくれてありがとう。こんなこと、誰にも相談できなかったから…」

 世絆がしおらしく感謝を口にした。

 「気にしないでよ。僕たち、幼馴染なんだからさ」
 「うん……」

 僕はなるべく落ち着いた声を出した。世絆の情緒が不安定になっている手前、せめて僕だけは平静であるべきだ。空気というものは伝染する。特に、不安や恐れといった類のものは。

 「私ずっと、タクに嫌われてると思ってた」

 世絆が告白するように言った。僕は思わず目を丸める。

 「それは、どうして?」
 「んー……」

 つい食い気味に放った問いに、世絆は珍しく言葉を濁した。それを見て、僕はこれ以上の追及をやめた。理由は気になるが、たとえその内容が何であれ、僕の世絆への態度は変わらない。あの日以来、彼女に対して抱く強い思いは、一度も揺らいだことがない。

 「証拠動画は、スマホに保存してあるの?」
 「……うん」

 世絆の声がまた沈んだ。僕はしばらく黙って、掛けるべき言葉を探した。だけど浮かんでくるのは安い慰めばかりで、結局口にするのは一番最初に思ったことだった。

 「……今日はもう忘れなよ。アイツのことも、深礼さんのことも。復讐のことは、一旦頭から追い出そう」
 「……そうする」

 世絆は頷いた。それから、僕たちは普通の幼馴染として、普通の会話をした。やがて昼休憩が終わり、僕たちは教室に戻った。僕は世絆が自分のクラスに入るのを見送ると、自分の足を教室ではなく元来た道に向けた。


 「……これで次は、僕の番だ」


 呟いた口元が緩む。授業開始のチャイムを聞きながら、蒸し暑い廊下を逆戻りしていく。

 世絆は立派に復讐を遂げた。苦しみながらも、悪鬼としての使命を果たした。そして今度は、僕も彼女と同じ悪鬼として、やらなければならないことがある。

 僕は人目を忍んで、学校を抜け出た。そして、正門の傍にある公衆電話に入り、懐かしい番号へとダイヤルを回した。

 その日の夜、僕たちの住む町に、救急車のサイレンが鳴り響いた。