家が金持ちだと、楽ばっかりしてるんだろうと思われがちだが、実際のところそうではない。
確かに小学生の頃からスマホは持たされていたし、学校への送り迎えも家の使用人が車でしてくれていた。傍から見れば楽をしているように見えるが、こうしているのには深いわけがある。
俺の父親はとある大企業の役員として世間的にも有名だ。父に昔から仕えている秘書曰く、仕事もできて人格者であるから人望も厚いんだとか。
しかしある程度の地位を築いていくと、何かと理由をつけて文句を垂れたり、恨みを持つ輩が社内外関係なく現れてくる。
父はそんな人たちも実力で黙らせてきたらしいが、一部常識が通じず父の家族、つまり母や一人息子の俺に危害を加えようとする者もいた。
実際に昔、知らない人に誘拐されかけたことが何度かあった。
そういった経験を経て、変な輩から俺たちを守るため父は俺にスマホを持たせ学校の送迎も車でしてくれるようになったのだ。
一応教師陣には俺の境遇を説明してあり、学校生活の中でも教師たちはいろいろ気を遣ってくれていたが、特に事情を説明していない生徒たちからは家が金持ちゆえ俺ばかり贔屓されていると解釈された。しかも当時の俺は誘拐未遂やら近付いてくるのが金目当ての人だけだったということもあり、自衛も兼ねて結構、いやかなり人に冷たく当たっていた。そんなこんな様々な要因で、俺は学校で浮いた存在だった。当然友達もいない。
そんな小中学生時代を送り、学校生活が寂しくなかったかと聞かれたら、勿論寂しいと思う瞬間はあった。でも、その他大勢のことなんかどうでもいいと思っていた。
俺には、たった一人だけど、ずっと傍に居てくれた人がいたから。

「あっ、れんくん!」

それが、廊下で数人の女子に囲まれながら俺に向かってぶんぶん手を振っているこの男、圭太だ。
圭太は小中高共に同じ学校に通っている同級生で、父の秘書の息子でもある。
元々は違う小学校に通っていたが、俺が誘拐されかけたのをきっかけに俺の通う学校へ転入してきた。つまり、俺を一人で行動させない為のボディガードとして、無理やり学校を移されたのである。
圭太は幼い頃から武道を習っており、その辺の子どもと比べて腕っ節も強く、何より親同士が知り合いということもあって俺のボディガードとしては適任だった。
しかしまともに会ったこともない、友達でもない俺のせいでたくさん友達がいた学校を離れる羽目になり、圭太は初め、俺をかなり嫌っていた。知り合った当初の俺たちのギスギスさ加減は相当なものだったと思う。
でもいつの間にか仲良くなり、今では俺の「蓮太郎」という名前を略し「れん」と呼ぶ唯一の人間となった。
そんな圭太のおかげで、俺は友達が居なくても一人じゃなく、寂しいと感じることも少なかった。

「えー、圭太くんもう帰っちゃうの?」
「一緒にカラオケ行こうよー」
「れんくんと帰るから、ごめんね!また明日!」

圭太は周りにいた女子の集団に挨拶して、俺の方に駆け寄ってくる。

「お待たせれんくん。さ、帰ろっか」
「……あぁ」

女子たちの鋭い視線を感じつつも気付かないふりをして、俺は圭太と歩き出した。
今のを見てわかる通り、圭太は結構人気者だ。主に女子から。
モデル並みのスタイルの良さとそれに見合う日本人離れした端整な顔。そして穏やかかつ明るい性格だから、昔からあんなふうに人に囲まれるような男だった。
高校生になった今は圭太の人気に更に拍車がかかり、常に周りには人がいて、毎日誰かしらから告白されているという状況らしい。
そんな人気者の圭太のことを、腹黒い俺が金で物を言わせ独占している、圭太は俺に弱みを握られ逆らえないだけ、というのが、誰もが知っている噂で共通認識だ。それゆえに女子たちは「圭太が可哀想」「邪魔者め」って鋭い視線を俺に向ける。
金で物を言わせた事など一度もないが、俺が訂正したとて信じて貰えないしいちいち反論するのも面倒なので、とりあえず放置している。

放課後、いつもは校門前に停まっているうちの送迎用の車が無い。しかし俺たちは気にせずにそのまま歩いて帰路につく。
高校生になってから、俺の希望で徒歩で登下校する日も設けるようになった。車だけで移動していたら近い将来苦労しそうだし、ここ数年は変な輩に声をかけられることも減ったので徒歩で登下校しても問題ないと思ったからである。もちろん、両親からの許可も貰い済みだ。
例え変な輩に絡まれたとしても、自衛のために習得した護身術があるので自分の身は自分で守れる。
だから本当は、圭太が俺のボディガードとして同じ学校に通うのは中学までの予定だったのだ。
しかし圭太は、俺を一人にするのは心配だからと同じ高校に入学した。気を遣わなくていいって言ったんだけど自分が傍に居たいからと譲らなかった。
正直言って凄く嬉しかった。
俺のボディガードは小中学生の時と違い義務では無い。圭太も俺の存在に左右されず好きに進路を選んでよかったのだ。
それでも圭太は俺を選んでくれた。
圭太を縛っている事を申し訳ないと思いつつも、俺は彼を強く拒否することができなかった。
それくらい、俺の中で圭太は大きな存在になっているのだ。

学校から暫く歩き、人が疎らな閑静な住宅街に差し掛かった。あと五分くらい歩けば自宅に帰り着く。
俺の家から圭太の家までは結構距離が離れているため、車で登下校する際は圭太も同じ車で送迎させている。そして俺が歩いて登下校した日の夜は、そのまま帰らせるのも悪いので我が家に泊まってもらうのがいつもの流れだ。
だから今日も圭太は俺の家に泊まることになっている。

「そういえば、母さんが今日の晩御飯はグラタンだって言ってたぞ」
「ほんと?やった、楽しみだなぁ」

グラタンは圭太の好物だ。圭太が泊まる日は決まって圭太の好物が食卓に並ぶ。父も母も、だいぶ圭太を気に入ってるから息子の俺よりも甘やかしているんだよな。
俺と違って、圭太は喜びを全面に出すタイプなので甘やかし甲斐があるのだろう。両親の気持ちもまぁ、分からなくもない。
ぼんやりとそんな事を考えていた時だった。
圭太の手が、俺の左手にするりと触れて柔く握りこんだのだ。

「なっ……なんだ、急に」
「ちょっとくらいいいかなと思って。いや?」

圭太が戸惑う俺の顔を覗き込み、眉を下げてこてんと首を傾げる。

「い、いやって、いうか……だ、誰かに見られたらどうすんだ、それくらい考えろバカ」

頬が熱くなって、咄嗟に繋がれた圭太の手を払う。すると圭太は「そうだよね」と明らかにしゅんとしてしまった。垂れた犬の耳と尻尾の幻覚まで見えて罪悪感で胸が痛む。
さて、なぜ急に圭太が俺の手を握ってきたのか、と疑問に思った者もいるだろう。
その答えはずばり、俺と圭太が手を握ってもなんら問題ない関係、所謂恋人同士であるからだ。
さっきまで圭太は自分のボディガードやらなんやらとのたまっていたではないか、というのは当然の意見だ。かく言う俺もちょっと、どうしてそうなったのか未だに不思議で仕方ない。
あと、恋人同士と言っても、正式な恋人同士ではない。お試しの恋人同士、恋人(仮)状態だ。
なぜそんな訳分からんことになってしまったのか。
事の発端は数ヶ月前。
今日みたいに歩いて帰っていた日に突然、圭太が俺に「好きだ」と告白してきたのだ。
そりゃもうめちゃくちゃ驚いた。いやいやお前が俺を好きになるわけ無いだろうって、何度も圭太に確認した。
俺は、人とのコミニュケーションが得意ではない。端的に言うと、思ってることと反対のことが口から出てしまうことが多いのだ。
友達がいないからなのか、幼い頃人間不信だったのが原因なのかは分からないが、気が付いたらこうなっていた。
ちなみに両親や使用人に対しては至って普通に接することができる。何故か身内以外、特に圭太にだけ俺はかなり変なのだ。
感謝してるのにろくにお礼も言えないし、強い言葉を投げかけたのに謝りもできない。嬉しいのに嬉しくない態度をとって、圭太が作ってくれた弁当も「食えなくはない」とか偉そうに言う始末。すごく美味しかったのに。
だからまぁはっきり言って、俺の圭太への態度はあまり褒められたものではない。学校の人が俺をよく思っていないのはそんな姿を見たことがあるからというのもあるだろう。
とっくの昔に嫌われていてもおかしくないことばかりしてるのに、圭太は俺が心配だからと同じ高校に進学し、あまつさえ好きだと告白してきた。
訳が分からない。

「俺は、れんくんが優しくていい子ってこと、ちゃんと知ってるよ」

告白した想いをいつまでも疑う俺に、圭太が言った。
いい子だなんて柄では無いんだけど、俺の事をちゃんと見てくれているのが嬉しかった。でも素直に嬉しいって言葉には出来なくて、とうとう俯いてしまった俺に圭太が提案してきたのが、お試しの恋人という関係だった。
俺の嫌がることは何もしない。俺が少しでも嫌だと思ったら関係を解消する、という条件付きで。
圭太の表情や声色は真剣そのもので、彼が本気である事がビシビシ伝わってきた。
圭太は自分にとって、特別な存在だというのは理解している。でもそれが恋愛の好きなのかと聞かれたら、よく分からない。
だって俺は恋人どころか、友達すらできたことがないんだぞ。

「大丈夫。難しく考えないで。お試しなんだから、気楽にやればいいよ」

圭太は迷っている俺の手を握り、優しい微笑みを浮かべた。その微笑みを見ていたら不思議と安心して緊張が解けていく。
たしかに、あくまでもお試しなのだから難しく考える必要は無いのかもしれない。嫌だと思ったら辞めていいんだし。
それにもしかしたら、恋人という関係になったら、圭太に対する変な態度も解消できるかもしれない。これはいい機会だぞ。
なんて希望を持って、俺は圭太を見上げた。

「お、お試し、なら……付き合ってやってもいい」

という訳で、早々妙に上から目線な発言をしてしまったが、俺と圭太のお試し交際が始まったのである。
だがしかし、圭太に手を繋がれたときの発言を見てわかる通り、俺の圭太に対する態度はお付き合いを経ても何ら改善されていない。むしろ悪化してるまである。
俺だってこのままでいいなんて思ってない。どうにか改善しようと意識しているんだ。
でもできない。
圭太が俺に甘い言葉を吐いたり距離が近くなればなるほど、体温が上がり妙に焦って頭が真っ白になって、気が付いたら余計な一言と共に悪態をついてしまう。
その度に圭太はしゅんとして、俺は申し訳ない気持ちになるけど謝ることもできない。自分のコミニュケーションの下手さにはほとほと呆れる。
そして今も、俺に手を払われしゅんとしてる圭太を前に俺は罪悪感に胸を締め付けられていた。
違う、嫌だったわけじゃない。拒絶したいわけじゃないんだ。
まだ同性同士の恋愛に寛容じゃない人が多い世の中だ。もしご近所さんに見られでもしたら、変な噂がたってゆくゆくは学校にも広まり、俺だけじゃなく圭太まで遠巻きにされるかもしれない。そんな状況は、俺の本意では無い。
しかしそんな考えすらも言葉にできず、俺は気まずさから顔を逸らした。

「じゃあ、れんくんの部屋でならいい?」
「え?」
「部屋だったらくっついてても誰にも見られる心配ないし」

先程のしゅんとした表情から一変、圭太が笑みを浮かべて言った。
たしかに俺の部屋だったら誰かに目撃される心配はない。というか今までも手を繋ぐとかちょっとくっつくとかするのは俺の部屋でだけだったし。
その事に関しては嫌だとか思わないので、ここで一発「いいよ」と頷けば圭太もこれ以上傷つかず万事解決だ。
そう。解決……なんだけども。

「ち、調子に乗るなよ!」

咄嗟に口をついて出たのは、一ミリの可愛げも存在しない言葉だった。


―――


食欲をそそる香りと湯気をたちのぼらせるミートグラタンを前に、俺は物凄く落ち込んでいた。
あの後俺はそのまま走り出して一人で帰宅し、夕食の時間になるまで自室に引き篭っていた。
圭太が急にあんな事を言うからって最初は怒りが勝っていたけど、段々冷静になって、あれはないわ……自分クソすぎる……と落ち込みにシフトチェンジし現在まで引き摺ってしまってる。
俺のすぐ後に帰ってきた圭太が部屋の外から俺に声をかけてくれたんだけど、俺が返事をする前に母に捕まっていろいろ手伝いをしていたみたいなので、夕食の席に着くこの時間まで顔を合わせなかった。なので、ひどい態度をとってしまったことを謝れてもいない。
俺のとなりでグラタンを幸せそうに頬張っている圭太の様子は至って普通だ。落ち込んでたり、怒ってたりという感じは無い。
じゃあ謝らなくてもいいかも……なんて考えが過ぎったが、慌てて首を横に振る。
それは人としてよくない。父も言っていた。ありがとうとごめんなさいが言えない人間にだけはなるなって。対圭太にだけはそうなりかけてるけど、俺はそれを改善しなければならないのだ。
圭太を傷つけたいわけじゃないからな。
それから晩御飯を食べ終え、部屋に戻る際に圭太に話があると声をかけようとしたのだが、圭太が母の代わりに食器の片付けなどを始めてしまったためタイミングを逃してしまった。
ダイニングにはまだ両親がいて、食器を片付けている圭太になにかと話しかけている。そんな中話があるなんて声はかけられない。何かあったのかと、両親が詮索してくるのが目に見えてるから。
圭太の手伝いもせずどうしようともだもだしていたら、母に先にお風呂に入ることを勧められ、断るのも不自然なので仕方なく脱衣所に向かった。
謝ることを決意したものの、タイミングを逃し続けていたらその決意がどんどん萎んでいってしまう。現にさっき頭を振って追い出した「謝らなくていいかも……」なんて考えがまたよぎっている。
いやだめだ。変わるんだろ、俺。
話しかけられるタイミングはいくらでもある。とりあえず今は何も考えず風呂に入ろう。
そう頭を切り替え、シャツを脱ぎ洗濯機に放り込んだときだった。
ドアを開けて、圭太が脱衣所に入ってきたのだ。

「え、わ……!?ごっ、ごめんれんくん!」
「は?」

目が合うや否や、圭太は突然ぼふっと顔を赤くして両手で目を覆う。
一体なんだ、その反応は。

「その、タオルを取ってきてほしいって頼まれただけで、決して、裸を見るつもりはなくて……!」
「裸って……」

自身の体を見下ろせば、たしかに上半身は裸だった。でも下はベルトを少し緩めてはいるもののちゃんとスラックスを履いている。
もしかして圭太は俺の上裸を見ただけでこんな感じになっているのか?
小学生の頃は時々一緒にお風呂に入っていたし、プールに行ってお互い水着で遊んだこともある。なんならスラックスを履いている今より露出多めの姿を晒していた。
圭太はそんな俺の隣りで普通に笑っていたというのに、今更照れる要素がどこにあるというんだ。

「俺の体なんか昔から見てるだろ」
「そ、そうだけど、ここ数年は見てなかったし……それにあの頃と今じゃ関係がまるで違うから……うぅっ、目に毒すぎる……」

俺に背を向けた圭太が、何やらもごもご言って唸り始める。
本当によくわからんやつだな。
呆れてため息をついたところで、ふと気が付いた。
両親は近くにいなくて丁度二人きり。邪魔者はいない。
もしかしたらこれは、圭太と話をする絶好のタイミングなのではないか?
というか、うん、今しかないよな。
たぶんこの機会を逃したら、俺の意思が更に萎んでなくなってしまうだろうし。

「……おい、圭太」
「な、なに?」

拳を握って気合を入れ名前を呼べば、圭太は少しだけこちらを振り向き、指の隙間から僅かに目を覗かせた。

「今日のこと、なんだけど……」
「?うん」
「お、俺、あのとき圭太に……」
「…………」
「そ、その……」
「れ、れんくん!」

ゆっくりではあるが、なんとか続けられそうだった言葉を遮る形で圭太が声を発した。
驚いて無意識に俯かせていた顔を上げれば、圭太はこちらを見ないようにしながら浴室の方を指さした。

「とりあえずお風呂入りな!このままだとれんくんが風邪ひいちゃうから!」
「え……で、でも……」
「今は!とりあえず!ね?」
「……わかったよ」

なんだよ、せっかく謝れそうだったのに。
話の腰を折られ、自分が謝る立場であるのにも関わらず少しだけムカッときてしまい、当てつけのようにベルトを更に緩める。
こいつは俺の素肌に弱いようだからな。

「下はせめて俺が出ていってから脱いで!」
「なんで俺がお前の言う事聞かなきゃならないんだよ」
「それは、そうだけどぉ……」

圭太はへにゃへにゃで情けない声を出して、こちらに背を向けつつタオルが収納してある棚を手早く漁る。タオルを何枚か取って素早くドアの方に向かい、そのまま出ていくのだろうと思っていたのだがピタッと立ち止まった。

「……れんくん」
「なに」
「後でれんくんの部屋行くから、さっきの話の続き、聞かせてほしい」

相変わらずこちらは見ないものの、はっきりとした声で圭太が言った。
たぶん圭太は、俺が何か言いたがっていることも、それが俺にとって結構勇気を振り絞ったということもわかっている。
そのうえで話を遮ったのかと不満に思わなくも無いが……それでも圭太は俺に話す機会をくれようとしているのがわかった。

「……好きにしろ」

やっぱり素直に頷くことはできず、冷たく言い放って浴室に入った。
浴室のドアの向こうから圭太の「ありがとう!」って嬉しそうな声がしたので、とりあえずネガティブな意味じゃないというのは理解してくれたらしい。
俺は少しほっとして、でもちょっとそわそわしながら汗を流した。



コンコンというノックの音で、俺は思わずビクッと肩を震わせた。

「れんくん。圭太だけど……入ってもいい?」

部屋の外から声がして、俺は気持ちを落ち着かせる為に深く息を吐いてから立ち上がる。
ドアを開ければそこには寝巻き代わりに使ってるスウェット姿の圭太がいて、俺を見るなりふわりと優しい笑みを浮かべた。

「……入れよ」
「うん、ありがとう」

圭太を招き入れた後、勉強机に広げていた教科書とノートを閉じる。それを見た圭太が「勉強中だった?」なんて申し訳なさそうに言った。

「もう終わったところだ」

まぁ本当は何も終わってないんだけど。
圭太を待つ間の時間つぶしとして課題をしようと机に向かったはいいものの、いやにそわそわして問題の内容が何一つ頭に入ってこなかった。たぶん今日は何をしてもそんな感じになってしまうだろう。課題の提出が明日じゃなくてよかった。

「俺も後で課題やらなきゃなぁ」

そう言って圭太がいつものようにへらりと笑う。
俺は緊張で落ち着かないというのに、相変わらず呑気な奴だ。
……いや、もしかしたら、明らかにそわそわしている俺の緊張を解すためにあえていつも通りでいてくれているのかもしれない。
せっかく圭太が場を整えてくれたんだ。ひよってる場合では無い。
よし、と意気込み顔を上げ、圭太の優しく細められている目を真っ直ぐに見つめた。

「……圭太」
「うん?」
「その……今日の、帰りのとき……」
「……うん」
「っ、ぅ……え、っと……」

くそ、まただ。
一度、言うんだと気持ちを奮い立たせたものの、話し始めたらどうしてか言葉が続かなくなる。胸の真ん中辺りがむずむずしてきて、どうにも言いたいことが声になって出てこない。
ただ圭太に謝りたいだけなのに。
俺ってこんなにひねく者だったろうか。

「……れんくん、手、触ってもいい?」
「!」

もこもご煮え切らない俺に圭太が言った。
俺が「調子に乗るなよ」なんか言ったから、わざわざ確認してくれたんだ。
付き合ってから軽いスキンシップは何回かしてきたが、手に触れるなんていう小学生でも照れないようなことに未だに慣れることはなくて、意識するだけでじわりと頬が熱くなる。
いつもだったらこの時点で恥ずかしさに負けて悪態をついているが、俺はぐっと言葉を飲み込んで、小さくこくりと頷いた。

「ありがとう」

圭太の大きな手が一回りくらい小さい俺の手を包み込む。
落ち着かないけど、嫌な気持ちはない。
そもそも圭太にされて嫌だったことなんて今のところないんだけども。

「れんくん。大丈夫、ちゃんとわかってるよ」
「え……?」
「れんくんの気持ち、ちゃんと伝わってるから」

顔を上げ目が合った圭太は、先程のような優しい笑みを浮かべていた。
……いや、ちょっと違う、かも?
優しさだけを含んでる瞳じゃない気がする。
もっと深い、俺の知らない何か。

「れんくん」

じっと圭太の瞳を見つめていたら、圭太は見せつけるよう俺の手に顔を寄せ、指先に軽く唇を押し当てる。

「へ!?な、なにを……!」

思わぬ行動に瞠目する俺を見て圭太は楽しそうに笑みを深めた。

「大好きだよ、れんくん」
「ッ……!」

真っ直ぐに、真剣に、何度も何度も言われてきた言葉。
圭太の気持ちは分かってるはずなのに、その言葉を囁かれただけでこれでもかってくらい心臓が騒ぎ出す。
そして夕方からいろいろと溜め込んできた俺の心のキャパシティはその突然の告白でとうとういっぱいになり、耐えられなくなって握られていた手を少し強引に抜き取った。

「き、急にそんなこと言うな」
「いつも言ってるじゃん。いい加減慣れてよ」

慣れるわけ無いだろ!
くそ、言えそうだったのに、すっかり水をさされてしまった。
……でも圭太は、俺の気持ちを「わかってる」と言った。
昔からそうだ。口下手で天邪鬼な俺の言いたいこと、こいつは何でかよく察してくれる。
だからこれまで……いや今も、それに甘えてる。

「ね、今日一緒に寝ていい?」
「ダメに決まってるだろ!」

けれど自分は他人を甘やかすことはなく、楽しそうに笑う圭太を部屋から追い出しベッドに潜り込んだ。
もういい、今日のことは気にしないでおこう。圭太も怒っていないようだったし。
言いたいことは言えなかったけど、無事に仲直り(?)できたことにほっとし、俺は静かに目を閉じた。


―――


「ねぇ、蓮太郎くん。もしよかったらなんだけど……私たちに勉強、教えてくれないかな……?」

クラスメイトの女子二人にそう話しかけられたのは、定期テストの結果が出た日のことだった。

「……え?俺?」

クラスメイトに話しかけられることなんて滅多にないから、暫し呆けたのちに聞き返す。
うんうん、なんて頷いているクラスメイトの二人は、名前は知ってるけど接点なんかないから一言も言葉を交わしたことがない子たちだ。
そんな二人が何故に突然、俺に勉強を教えてほしいと声をかけてきたのだろうか。訳分からなすぎてたぶん今めちゃくちゃ怪訝な顔をしていると思う。

「うん。あっ、勿論、ちゃんとお礼はするよ!」
「私たちにできる範囲でだけど、リクエストにも応えられるし!」

また、俺の家の金目当てだろうか。
それとも、圭太との関係を取り持ってほしいとか?
俺に近付いてくる人間の目的は大抵それだ。

「……無理」

顔を逸らし席を立つ。
丁度昼休みに入ったところだったから教室内には人が多く、俺たちは注目を集めていたようでほとんどみんながこちらを見ていた。見られることに慣れてはいるが、決して心地良いと感じるものでは無い。
俺はすぐに鞄から弁当を取り出し、女子二人の呼び止める声を無視して逃げるように教室を出た。

昼休みはいつも体育館裏で圭太と二人で過ごす。
高校に入学したての頃は教室で過ごしていたのだが、来なくていいと言っているのに圭太が毎回俺のクラスに弁当を食べに来ては周りから相当な視線を集めてしまった。それが嫌で、教室以外のどこかで気を休められる場所は無いかと探し出したのが、体育館裏だった。
体育館裏は屋外ではあるが、体育館へと続く短い階段に腰掛ければ建物で日除けもできるし地面で弁当を食べる派目にもならない。
そんな、ちょっとした休憩だったりに都合の良い場所、運動部か不良の溜まり場になっているのが定石だ(昔漫画で読んだことがある)。
でもうちの学校は、何故か普通に閑散としていた。
体育館裏という穴場を見つけてくれたのは圭太だったので、改めて本当に誰も来ない場所なのか聞いてみたら、数日間様子を見ていたが誰も来なかったと言った。
圭太が言うのであれば、おそらく本当に誰にも見つかっていない穴場だったのだろう。
都合のいいこともあるもんなんだな、と若干腑に落ちない部分もあったが、最終的にはまぁいいかと深くは考えないことにしてありがたく体育館裏を使わせてもらっている。
そして今日も、逃げるように教室を出てから体育館裏にやって来て、先に着いていた圭太と弁当を食べ始めたのだが、その際に圭太に「様子が変だけど、なにかあった?」と指摘されてしまった。
特段変わった態度をとっていた訳ではないはずなのに、どうしてわかるのだろうか。目敏すぎてちょっと怖い。
しかもこういう時は隠したって俺から聞き出すまでしつこく問い詰めてきて面倒だから、どうでもいい事でも大人しく言うしかないのだ。

「え、クラスの子たちに?」

渋々クラスメイト二人に突然勉強を見て欲しいと打診されたことを言えば、圭太は目を丸くした後眉間に皺を寄せ何やら複雑そうな表情をした。

「どうかしたか?」
「……いや、なんでもないよ」

あんまり見せない顔だったもので気になって問うてみたものの、にこりと笑うだけで答えてはくれない。これもいつもの事だ。
俺のことは口を割るまで聞いてくるくせにな。

「れんくんは、そのクラスの子の勉強、見てあげるの?」
「んなわけないだろ。大して知りもしない奴の勉強まで見てられるか」
「ふふっ、そうだよね。れんくんは俺の勉強見るので手一杯だもんね」

そう。中学の頃からだったか、俺は自身の勉強の傍ら圭太の勉強も見てやっている。
圭太は顔もスタイルもいいし運動もできて性格もいいから勉強までもできる超完璧超人と見なされがちだが、実際のところ勉強はそんなに得意ではない。まぁ、得意ではないと言っても、学年の中でのテストの順位は上の下くらいで、決して全くできないという訳ではないのだが。
ただ本人が勉強は苦手と言っているので、俺が見てやってる分と自身の努力で成績をキープしている状態である。

「今回のテストの結果はどうだったんだ?いつもより自信はあると言っていたが」
「前回より十番も順位上がってた!れんくんがたくさん教えてくれたおかげだよ、本当にありがとう。目標達成できたし、これで父さんに叱られなくて済む……」
「へぇ、よかったじゃないか」

今回のテスト期間もかなり頑張っていたからな、報われたようでよかった。
毎回テスト前になると、圭太の父親は圭太に合計で何点以上取れ、と目標を設定させる。達成できなかったからと言って特にペナルティを与えはしないが、数時間に渡る説教が始まるためかなり面倒なんだとか。
圭太の成績はその辺の学生と比べてみても十分優秀だ。俺自身もそんなに頑張らなくてもいいのに、と思っているほどに。
でも圭太の父親はそれに甘んじず、圭太に更に上を目指させている。
その理由は、自身の上司の息子である俺のボディガードをしているから、というものだ。
圭太の父親と俺の父親は学生時代の先輩後輩で、俺の父親が会社の役員になってからはずっと秘書をやっている。付き合いでいうと二十年以上だ。
仕事では俺の父親を傍で支える右腕的存在、プライベートでは父親の後輩兼親友なのが圭太の父親であるが、そんな彼はどういうわけか俺の父親をかなり慕っている。そりゃもう、ものすごく。もはや神聖視してると言っても過言じゃないくらいだ。
そんな、自分が長年慕っている人の息子、つまり俺のボディガードを務める者は、出で立ちから性格、成績までも、俺に相応しいレベルでなければならない。
というのが、圭太の父親が掲げている理念だ。
その為圭太もそれ相応のレベルを求められているわけである。しかも、相応しくないと判断されればすぐさまボディガードを解任させる、という制約までついてるから驚きだ。
元々父は、俺を近くで見守ってくれる同世代の誰かがいてくれるだけで十分と思っていた。なので一度、そこまでしなくていいって圭太の父親に言ったらしいのだが、そこだけは絶対に譲れないと必死の形相で言われたため今は好きにさせているらしい。
圭太が嫌々父親の言う事を聞いているのであれば俺もそこまでしなくていいって言えるんだけど、なんと本人も「れんくんのそばに居るために必要なんだ」とノリノリだからやめろなんてことも言えず、結果的に父と同じで好きにさせてる。
まぁ勉強はできて損はないからな。それに圭太がボディガードとして俺の近くにいる分には別に、困らないし。

「れんくんは今回も学年で一番だったんだよね」
「あぁ」

先程先生から渡された各教科の点数と順位を思い出しながら頷く。
そう、高校に入学してから何度目かのテストだが、俺はその全てで学年一位を取り続けている。中学時代を含めたらもう、数えるのも面倒なくらいだ。圭太の父親が圭太に求めているレベルが高いのも半分はこれのせいと言える。
けれど、昔から勉強が得意だったというわけでもない。無趣味すぎて家でやることといえば勉強くらいで、自然と学力が付いてきただけなのである。圭太に勉強を教え始めてからは更に伸びたから今じゃテスト勉強はほぼそれで済ませてるレベルだ。

「やっぱり、れんくんはさすがだなぁ」

きらきらした目でそんなことを言われ、嬉しさと同時に照れ臭さが湧き上がって頬が熱くなる。
教師や親に散々言われ慣れた褒め言葉なはずなのに、圭太に言われたらどうしてこうも毎回心乱されるんだろう。

「俺が教えてやってるんだから、お前にもそれなりに頑張ってもらわないと困る」
「うん。れんくんの期待に応えられるように頑張るよ」
「期待してるわけじゃない。ボディガードが変わる羽目になったらいろいろ面倒なだけだ」
「ふふっ、そうだね。俺も他人にれんくんのボディガードをやらせるつもりないし、傍を離れるつもりないから、安心して」

圭太が俺の顔を覗き込み蕩けるような笑みを浮かべた。
この、言葉にしていないのにひたすらに「好き」と言われているような感覚になる圭太の表情、向けられるとそわそわしてしまうから苦手だ。

「近い」

俺は咄嗟に顔を逸らして、更に圭太の緩み切った顔を手で押し返す。圭太は何やら抗議していたが表情は未だゆるゆるだ。
まったく、なにがそんなに嬉しいんだか。
呆れ半分でため息をつく。気を取り直して弁当を食べようと思い顔を押し返していた手を圭太から離した。けれどすぐにその手を取られ、ぎゅっと握りこまれてしまった。

「れんくんも、だめだからね?」
「あ?……なにが」
「俺以外の人に守られたり……俺以外の人に目を向けちゃ、だめだからね?」

圭太が、更に笑みを深める。
でも笑顔の種類が、さっきのとは違う。
以前、俺が圭太に謝ろうとした時にも見せていた、何か別の真意を含んだものだ。
この顔を見たらどうしてかお腹の奥がぞわりとする。
しかも、自分以外に目を向けるなとか、変なこと言って。俺が圭太以外にまともな関係を築けている人がいないって、知っているくせに。

「そ、れは……圭太の頑張り次第、だろ」

動揺していやに上から目線で言ってしまったが、圭太は気を悪くした様子もなく、依然嬉しそうに笑って元気よく頷いた。

「任せてよ!」

なにを任せればいいのかよくわからんが、圭太が楽しそうならばまぁ、いいか。



そんな昼休みを過ごし、いつも通り何事もなく迎えた放課後に、俺はまた例のクラスメイト二人に声をかけられていた。

「昼はごめんね、急に勉強見てくれなんか頼んだりして」
「いや……別に、大丈夫」
「それでさ、改めてお願いできたらなって思うんだけど……やっぱり嫌かな?」

まさかまたお願いしてくるとは思わずたじろぐ。
そんなに金に困っているのだろうか。それとも圭太とどうしても関わりを持ちたいのか?

「悪いが、金とか圭太の仲を取り持つとかの期待には応えられない」

そうきっぱり断り鞄を持って立ち上がったのだが、慌てた様子の二人に「まってまって!」と止められる。

「私たちそういうの目的で言ってるわけじゃなくて、ただただ純粋に勉強見てほしいだけなの」
「はぁ?」
「ほら、蓮太郎くん今回のテストも一番だったでしょ?それに、教えるのもすごく上手かったって、蓮太郎くんと同中で他校の子から聞いたからさ、もう頼むしかないって思って声かけたの」

そんなの誰に言われたんだ。
まぁたしかに、何度か図書室とか放課後の教室とかで圭太の勉強を見てやったことがあったので、誰かに内容を聞かれていても何らおかしくはないのだが……。だからと言って、なんの交友もない俺に頼んでくるのはおかしい。お金とか、圭太関連とかではないのなら尚更だ。
なにか裏があるはずと思い探るように二人を見ていれば、二人は顔を見合せ何故か苦しそうに眉間に皺を寄せ頷き合った。

「これ……見てほしい」

すると二人は俺に、今日配られた全教科のテスト結果が載っている紙を手渡してきた。
突然なんだと怪訝に思いながらもそれを覗き込んで、それぞれの点数と順位を確認し、思わず「えっ」と声を上げてしまった。
だって、どちらも各教科の点数は赤点しかなく、順位も下から数えて十番以内という、少なくとも俺は今までに見た事がないものだったから。
驚愕する俺の反応に、二人は肩を落とし「ヤバいよね……」と呟く。

「私たちずっとこんなんで、今まで勉強を教えてくれた人も全員音を上げちゃってさ……」
「なのに先生からは次赤点取ったらもう助けてやれないなんか言われちゃって……!蓮太郎くんに声かけたのもほんと、藁にもすがる思いだったの」
「だからお願い!次のテストまででいいから、勉強見てください!」

なるほど……。俺に頼んできた理由はとりあえずわかった。二人がもう崖っぷちにいることも。
こんな頼まれ方をしたら、頷くしかないだろう。

「……はぁ……わかったよ」

俺のため息とともに吐き出した了承の言葉に、二人はこれでもかと顔を輝かせた。

「ほんと!?うわマジ……マジで!?」
「ありがとう蓮太郎くん!神過ぎる……!」
「ただし、予定が空いてる日かつ、夜の俺が寝るまでの間だけだ。それ以上の時間はとれない」
「ぜんっぜん大丈夫!ちょっとでも時間とってもらえるだけで超ありがたいから!」

こちらの出した条件に、二人は首が取れるんじゃないかというくらいの勢いで頷いた。
それからは基本的に夜に通話で勉強を見る、という話になり、俺は二人と連絡先を交換した。二人は泣いて喜んで、詳しいことはまたメッセージを送ると言って、何度も俺にお礼を言いながら帰って行った。
本当に切羽詰まっていたのだろう。正直面倒事ではあるが、放っておいて二人がいつの間にか留年とか退学とかになる方が寝覚めが悪いので頼まれた以上はやるしかない。

「れんくん、お待たせ!」

少しして、教室の出入口の方から聞き慣れた声で名前を呼ばれたのでそちらを見れば、俺に手を振る圭太の姿があった。
今日は圭太がクラスの日直で、放課後に少しやる事があるため待っていてほしいと言われていたのだ。
鞄を持って圭太のもとへ行き二人並んで学校を出る。
校門前には既にうちの送迎車が待ち構えていたのでそれに乗り込み、座り慣れたシートに身を沈めて俺は深く息を吐いた。
久しぶりに身内以外と会話して、ちょっと気疲れしてしまった。

「れんくん、疲れ気味?」

隣りに座った圭太が目敏く気付き、心配そうに眉を下げ顔を覗き込んでくる。

「いや……」

咄嗟に何でもないと否定しようとしたときだった。
滅多に動かない俺のスマホがメッセージを受け取ってバイブレーションした。しかも一回だけじゃなく、何回かブブッと震えている。
俺にメッセージを送ってくるのは圭太か両親くらいだ。しかもこんな一度に何回もは送ってこない。
もしかしたら緊急事態かも。
なんて思ってスマホを見れば、見慣れない名前からのメッセージだった。
誰だっけ……と一瞬考えたけれどすぐに思い出した。先程連絡先を交換した人たちだ。
なにやら「勉強がんばろうの会」という名前の三人のグループ?を作って、そこに二人がメッセージを送ってきたらしい。
こうやって複数人でやり取りできる機能もあるのか。メッセージアプリは使い慣れてないから知らなかった。
とりあえず何か返しておこうと思い、以前圭太がプレゼントしてくれたよく分からないクマっぽいキャラクターのスタンプを送っておく。

「れんくん、ご両親から何かあったの?」

一連の流れを見ていたであろう圭太が首を傾げてそう聞いてきた。圭太も俺が普段やり取りしているのは両親くらいだって知ってるから、そう思うのも無理もない。
圭太にも、言った方がいいのだろうか。昼に話したクラスメイト二人の勉強を見ることになったって。
……いや、言ったとて、圭太にとっては関係の無い話すぎてどうでもいいと思われるかも。
クラスメイトの勉強を見るのは俺の予定が空いている夜だけで、帰りが遅くなったり圭太の勉強を見る時間が削られたりするわけでもないしな。
影響なし、と判断して、スマホをカバンに仕舞いながら「なんでもない」と答え窓の外に視線を向けた。
顔を見られたら、絶対何かあると気付かれてしつこく問いただしてくるかもしれないし。

「……そっか」

けれど圭太はそれだけ呟くと、最近読んだらしい小説の内容に話題を変えた。
俺も丁度読み終わった小説だったのでその話で盛り上がり、俺の家に着いてからは俺だけ降りていつも通り圭太の家に向かっていく車を見送り家に入った。
今日はテストの結果が返ってきたばっかりだし、慣れない人との会話で少し疲れたので課題も勉強もやめとこう。急ぎのものもないしね。
明日の用意だけ今のうちにと自室でカバンの教科書類を明日使う物と入れ替えていたら、またスマホが震えた。
またグループであの二人がなにかメッセージを送っているのだろうと予想してみれば案の定そうで、「かわいいスタンプ使ってる!?」とか、「蓮太郎くん、やっぱりかわいい人だった……」とかいろいろ送られてきていた。
テンションがよく分からないのでとりあえず「直近は明後日の夜が空いてる」と送ったら「スーパードライ……」なんて更によくわからない返答が来た。
最近の高校生のノリってみんなこんななのかな。俺にはついて行けそうにない。


―――


それから暫くたったある夜。

「蓮太郎くんって、なんで友達少ないの?」

何度目かになる通話勉強会で、俺が勉強を見ているうちの一人、中原さんがそう問いかけてきた。
勉強会を経て、俺と件の二人はそこそこ打ち解けた。こうやって、画像で送られてくる答案を俺が採点をしている間にちょっと踏み込んだ質問を投げかけてくるくらいには。

「あ、それ私も思ってた!」

問題を解くのに悪戦苦闘していたもう一人、松田さんも、飽きがきていたのかここぞとばかりに話に乗っかってくる。

「たしかに蓮太郎くんって、目付き悪いし近寄り難い雰囲気あるしぶっきらぼうだから誤解されやすいのは分かるけど、実際は優しいしすごい気遣い屋さんだからすぐ友達できると思うんだけどなぁ」
「な、なんだ、急に」
「あ、あとすぐ照れるところがかわいい」
「かわいくない」

かわいいなんか俺に一番縁遠い言葉だろ。俺ほど可愛げのない人間なんか居ない。しかも男だし。

「圭太くんなら蓮太郎くんがどんな人かは知ってるはずでしょ?周りに、蓮太郎くんはみんなが思ってるような人じゃないよーって教えてあげればいいのに」
「てか私らももう友達なんだから、私らが広めればいいんじゃない?」
「やめろ恥ずかしい。そもそも友達がほしいとか今は思ってないから」
「えぇ!?なんで?」
「もしや、お金とか圭太くん関連で昔何かあった?」

鋭い指摘に思わず黙ると、「苦労したんだね……」と哀れむように松田さんが言った。
たしかにいろいろあったけど、そのおかげで本当に信頼すべき人の基準がハッキリしたので良い経験になったとも思ってる。

「じゃあ私たち、蓮太郎くんの数少ない選ばれし友達だね……!」
「選ばれし、っていうか……」

ぐいぐいきて気付いたらそうなってたの方が合っている気がする。

「圭太くんにいつもお世話になってますって言っといた方がいいかな」
「やめろ。そんな事より、中原さんの回答、問一から問五まで全部間違えてる」
「うそ!?」

無理矢理話題を変え意識をこちらに向けさせることに成功しひとまず安心する。
未だに不定期に勉強会をしていることは圭太に言っていない。報告する必要はないとは思うが少し後ろめたく感じているのも事実で、二人から圭太に漏れてしまうのを恐れている。
言いたいことを言えないなんてことは多々あるが、圭太にこういった隠し事をするのは初めてなのでちょっとそわそわしているのだ。
まぁバレたとしても怒らないだろうし、何も言わないだろうけども。



そんな勉強会があった翌日の昼休み。
いつものように体育館裏に行ったのだが、いつもは先に来ている圭太の姿がまだなかった。
なにか来ているかもしれないと思って見たスマホにも連絡はきていない。
珍しいこともあるもんだ。まぁ先生に呼び止められているってのも、ない話じゃないからな。
特段深くは考えず先に弁当を広げ食べ始める。
しかし俺が弁当を食べ終えても圭太はやって来ず、ようやく姿を現したのは昼休みも半分以上が過ぎた頃だった。

「れんくん、遅くなってごめん……!」

息を切らしながら謝った圭太に、いいから食えよと促す。
圭太はもう一度ごめんねと謝り眉を下げながら俺の横に座って弁当を広げた。

「先生に呼ばれてたのか?」

紙パックのオレンジジュースを飲みながらそう質問すると、圭太は「あー」と少し目を泳がせた後いつものように笑った。

「そんな感じ。なかなか解放されなくて」
「……そう」

今、明らかに誤魔化したな。
圭太は基本的に隠し事をしない。
嬉しそうにしてたりしょげていたりした時に何かあったのか聞くと、それがどんな内容だろうと誤魔化さず洗いざらい話す(愚痴りたい意図もあるだろうが)。
他にも、クラスでどんなことがあったとかどんな話をしたとか、買った物とかそれの感想。直近の予定だったり出かける場所だったり、果てには誰々に告白されたなんてことも、聞いてないのに逐一報告してくる。まるでなんでも「聞いて聞いて」と親に共有してくる五歳児だ。
本人は俺を不安にさせたくないから、なんて言っているが、そこまであけすけにされたらさすがに不安なんて抱かない。
……が、告白の話題だけは別だ。
本当に、純粋に安心してほしいから告白されたことまでも報告してるのは、なんとなくわかる。しかし、告白されたと言われる度になんだかモヤっとして、断ったから安心してねと言われる度にまんまとほっとしてる自分がいて、単純すぎて自分にちょっとムカついてしまう。
そもそもなんで俺が圭太の告白事情で一喜一憂しなければならないんだ、って話だ。圭太がいつどこで誰に告白されようが、俺には関係ないことだし。
……いや、一応付き合ってるから、あるっちゃある、のか?
って、今はそんなことを思案してる場合じゃなくて。
本当に全部俺に話してるわけじゃないっていうのは勿論わかっているが、こんな感じであからさまに隠し事をするのは珍しくて、何か重大な問題が起こったんじゃないかと勘繰っている。
きっと詰め寄っても隠した内容は教えてくれないだろうが、普段と違う圭太の様子は非常に気になる。俺が知る方法はないんだろうけども。
とりあえず、今回は誤魔化されてやろう。
俺は特に気にした素振りは見せず話を他に移した。すると圭太が小さくほっと息を吐いたのがわかった。
ほんのちょっとだけ寂しいと思ったけれど、自分の気持ちを言葉にできるほど無垢な人間ではないため、それを心の中で燻らすことしかできなかった。


―――


そんなことがあった日から、圭太が昼休みに体育館裏にいる時間が極端に短くなった。
あと数分で予鈴がなってしまうっていうくらいの時間に来て、圭太は急いで弁当をかきこむからろくに会話もせず解散する、という流れができてしまってるくらいに。
なぜ来るのが遅くなっているのかという大抵の言い分は、先生に呼ばれたからとか委員会がとか様々だが、まぁ全部嘘だろう。分かりやすすぎる。
本人はこれで誤魔化せていると思っているのか?
気にしないようにしていたのに、こんなふうにあからさまな態度をとられるとどうしても気になってしまう。
が、かと言って何をしているのか答えるまで問い質す気も今のところない。昼を一緒に過ごそうとか約束したわけではないからな。俺に問い質す権利はないのだ。
けれど、モヤモヤするもんはする。
今日はいつ来るんだろうとそわそわしてしまうのも煩わしいから、忙しいなら来なくていいって言ってみたんだけど、「れんくんに会いたいから」と圭太は笑った。
じゃあよくわかんないことしてないでさっさと来いよ、なんて思ったけどやっぱりそれは言えなくて、モヤモヤは募るばかりだ。



そして今日は遂に、明確に「用事があるから体育館裏には行けない」と連絡があった。
ちなみに、緊急時に何処かしらとすぐに連絡がとれるようスマホは肌身離さず持っておけ、という圭太の数年にわたる根気強い指導のもと、あまり使わないのにスマホは常に持ち歩くようになった。
今まであんまり恩恵は感じなかったけど、今回ばかりは待ちぼうけを食らう羽目にならなくてよかったと感謝した。
スマホをポケットにしまいこみ、ひとり弁当を広げる。
なんだかんだ食事は誰かととることがほとんどだったから、はじめは誰もいないことに違和感があったが、静かな体育館裏でのぼっち飯にもそこそこ慣れてきた。
慣れてきた、けれども……ひとりの食事というはなんとも味気ない。人と食べるごはんは美味しいって何処かで聞いた事があるが、あれは本当だったんだな。新たな学びである。
圭太は……ちゃんと弁当は食べれているんだろうか。
用事は俺に言っているような先生の手伝い等ではないだろうが、ここに来れないようなことをしているのは確かで。
あいつは人気者でただでさえ常に周りに人がいるから、昼休みくらい気を抜いて休めてるといいんだが。



なんて、心配をしていたのに。

「今日ついに!昼休みに圭太くんとずっと一緒に過ごせましたー!」

放課後、職員室に提出物を持っていく道中、他クラスの女子たちのそんな話を耳にしてしまった。
俺は階段を降りている途中で、女子たちは踊り場で雑談をしていたようだった。丁度死角なので、女子たちは俺がいることに気付いていない。しかもそこそこの声量だったので、壁を隔てていても会話がよく聞こえた。

「まじで!?」
「うんっ!まだ一緒にいてほしいって頼んだらいてくれたの」

うっとりした女子の言葉に、一緒にいる数人の女子が「よかったじゃん」など次々賛辞を送る。
これが誰かも知らない男だったら、俺も心の中で祝福の言葉を述べられただろう。
しかし話題になっているのは圭太のことだ。さすがにそんな言葉を送る気になれない。

「二人最近ちょういい感じだから、あと少しでいけるんじゃない?」
「そうかな、いけるかな?」
「いけるいける!」

きゃっきゃと盛り上がっている声を聞きながら、俺は急激に重くなった足をなんとか動かし来た道を戻る。
今の話、本当だろうか。
……本当、なのだろうな。
今日、圭太が体育館裏に来なかったのはあの子といたからだ。しかもあの口ぶりから察するに、昼休みを共に過ごしたのは今回が初めてではない。たぶん、圭太が変な誤魔化しをし始めた頃から。
あいつは、俺に隠してまで女の子と一緒にいたかったのか。
いつも俺のことを、誰よりも優先してくれていた、あの圭太が。
心臓が嫌にどくどく鳴っている。
気持ちを落ち着かせようと吐き出した息も、胸に当てた手も、全部が震えているのに気が付いてぜんぜん落ち着けない。
人の気持ちというのは移ろいでいくものだというのは、わかってる。そもそも圭太が俺を好きなのも、気の迷いか一過性のものだと思っていた。
こんな関係、いつかは終わりがくる。
だから覚悟は……できていたと思っていたんだけどな。
いざ圭太の気持ちが離れていると目の当たりにしたら、全く覚悟できていなかったことを思い知る。
拒否も受け入れもせず、はっきりした態度をしていなかったのは自分なのに。手放すことを今更惜しく思ってしまってるなんて圭太に知れたら、虫がよすぎると呆れられるだろう。
圭太とあの女子が両思いなら、俺は潔く身を引いて、これまで俺に拘束されてきた分自由に、幸せに――。

「あれ、れんくん、もう職員室行ってきたの?」

俺のクラスへ向かうところだったのだろう。教室から廊下に出てきた圭太が俺を見つけるなり、ふわりと微笑んで駆け寄ってきた。
――あぁ、無理だ。
俺は、圭太の幸せを願えない。
なんで、なんで……。
こんなどうにもできない気持ちにさせておいて今更、お前は離れていくのか。
俺は、どうしたらいいんだ。

「……れんくん?」
「っ!」

黙って俯いてしまった俺の顔を圭太が覗き込んでくる。そして伸ばされた手を、俺は反射的に振り払ってしまった。
こうやってなんの前触れもなく圭太の手を拒否するのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。
圭太も予想外だったからかひどく驚いた顔をしている。
まずい、と思って咄嗟に顔を逸らし、何か言い訳を並び立てようとしたときだった。

「圭太くん!」

後ろから圭太の名前を呼ぶ声が聞こえたのでそちらを振り返れば、そこには小柄で可愛らしい見た目の女子が立っていた。
そしてこちらに……厳密には圭太の方に駆け寄ってくると、そのまま圭太の腕に抱き着いたのだ。
その瞬間、胸の奥がざわりとして、なにやら黒いものが溢れ出す。
これ以上その光景を見ていられなくて、俺は咄嗟に顔を背けた。

「圭太くん……また話、聞いてほしいの。いいかな?」

その女子のしおらしい声をきいて気付いた。さっき階段の踊り場で、圭太といい感じだと話していた人のものであると。
じゃあこの子が、圭太の……。
怖いもの見たさで女子の方にちらりと視線を向ける。するとその女子も俺を見ていて、目が合うやいなや、ニヤリと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
……圭太はこんな、猫を被ってる性悪な女に捕まったっていうのか?
幸いと言っていいかはわからないが、俺は悪意を向けられ慣れてはいるので、あの女子の安い挑発に乗ることはしない。
が、気分が悪くないかと言ったら全くもってそうじゃない。最悪を最悪で煮詰めたような最悪な気分だ。
不快感で自身の顔が歪むのを感じる。
数秒俺は女子と睨み合っていたんだけど、圭太がため息をついたことにより女子が視線を逸らし、弱々しい泣きそうな顔を作って圭太の方を見上げた。
実に器用である。

「話って、今?俺もうれんくんと帰ろうとしてたんだけど……」
「うん、今がいい。だめ?」
「うーん……」

頬をかいて悩む圭太が女子を見下ろす。
女子はこれでもかってくらい目をうるうるさせて懇願するよう圭太の顔を見つめていた。

「……わかった。ごめん、れんくん。この子の話聞いてくるから、もうちょっと待っててもらってもいいかな?」
「は?」

予想外の返答に、頭が真っ白になった。
圭太が俺じゃなく、他の人を優先した。こんなこと、初めてだった。
――あぁ、いや。そうだ、そうだった。
圭太の気持ちは、俺から離れてしまっていたんだったな。
じゃあ、仕方ないか。
……って、んなわけあるか。
ふざけんな、なんだそれ。
なんで俺がこいつらに付き合って待たなきゃなんないんだ。
そんな馬鹿らしい話あってたまるか。

「帰る」
「えっ?」
「話きいてやるんだろ、さっさと行けよ。俺は帰る。車は手配しといてやる」
「あっ、れんくん!」
「圭太くん、蓮太郎くん帰りたいみたいだから、引き止めちゃ悪いよ」

荷物を取りに行くため教室に向かって歩き出したとき、女子のそんな言葉が聞こえた。
あの女子はたぶんまた、圭太が見ていないところで勝ち誇ったように笑っているのだろう。見なくてもわかる。
圭太のやつ、見る目ないな。
もう一度、圭太の呼び止める声がした。けれど呼び止めるだけで、追いかけてはこない。
女子に捕まってるとは言え、男の力だったら簡単に振り払えるのに。
そうしないってことは……そういうことじゃん。
俺は湧き上がる苛立ちを抑えながらも早足に廊下を歩いた。



それから俺は本当に一人で帰った。
一人で送迎車に乗ったの、いつぶりだろう。
車内がいやに広く感じた。
ちなみに、送迎してくれている運転手さんには圭太だけ改めて迎えに行ってやってほしいことをちゃんと伝えた。えらいと思う。
夕飯の時間になって風呂に入っても、胸にわだかまってるもやもやは解消されず今日はずっとイライラしてしまってる。両親にも珍しく機嫌が悪いなと言われてしまった。それくらい苛立ってる。
でも、なんでこんなに苛立ってしまってるのかはわからない。
俺がいつまで何に怒ってるのか、自分でもわからないのだ。
気持ちの切り替えは早いほうだと思ってたんだけどな。
勉強をする気にもなれなくて、ベッドにうつ伏せで寝転がりながら今日のできごとを思い返しては悶々としていたときだった。
珍しくスマホが着信音を響かせた。
メッセージでさえほとんどこないというのに電話がかかってくるだなんて……。今日は勉強会の約束はしていないし両親は家にいるから、かけてくる相手は一人しかいない。
けれど今は話をする気分ではないので、鳴り続けてるスマホを眺めながらも無視をした。
少し長めだった着信音がピタッと止む。
無視をしたのは自分なのに、どこか残念な気持ちで小さくため息を吐いたら、またスマホから着信音が鳴った。
驚いて体を起こし確認すればやっぱり圭太からで、今度はさっきよりも着信音が長く響く。
これ、出るまで続くやつだ。
こうやってごり押してくるんだから、ひとりで悩んでる暇もない。昔からそうだ。

「はぁ……」

俺はため息をつき、諦めてスマホを手に取る。そして通話ボタンをタップしスマホを耳に当てた。

「……もしもし」
「あっ、れんくん、急にごめん。今平気?」

つい数秒前まで話したくなかったのに、圭太の声を聞いた瞬間そんな気分も霧散して沈んでいた心が浮上するのがわかった。
俺ってもしかしてすごい単純なんだろうか。
でも機嫌がよくなっているとバレるのは癪なのでわざと不機嫌な声で「なに」と返してしまった。
単純だけど嫌なやつだ、俺は……。

「今日はごめんね」
「……そんなどうでもいいことで電話してきたのか」
「うん、ちゃんと謝りたかったから。ほんとにごめん」

申し訳無さそうな声色に、不機嫌を装ってしまった罪悪感が胸を刺す。
圭太が電話をかけてきた時点で怒りなんて萎んでいたから、これ以上責め立てる気も起きない。
てかそもそも、俺に責め立てる権利ないし。

「……べつに、なんとも思ってない」
「そっか、よかった……。今日のうちに謝れてよかったよ」

電話口で圭太が安心したように息を吐いたのがわかった。
これで一件落着と思っているのだろう。
……が、俺にはまだ気に食わないことがあったことを思い出した。
あの女子に関してだ。
圭太は昼休みも放課後も、俺ではなくあの女子を優先した。しかも今日だけじゃない。ここ最近はずっと、あの女子を優先していたはずだ。
その事実確認くらい、してもいいよな。仮とは言え、今圭太と付き合ってるのは俺なんだし。

「……あのさ」
「うん?」
「ここ最近体育館裏に来るの遅かったのって、先生に呼ばれてとかじゃなくて、あの女子といたからだろ?」
「えっ」

俺の言葉に圭太が驚いた声を上げる。そして「あー、えっと……」なんて珍しく煮え切らない態度を見せた。

「べつに誤魔化さなくていい。全部わかってるから」
「…………」

数秒、沈黙が流れる。
そして不意に深く息を吐き出す音が聞こえ、圭太が「うん」と小さく答えた。

「れんくんの言った通り、あの子といた」
「……そう」
「嘘ついてごめん……」
「なんか理由があるんだろ、言ってみろよ」
「それは……」
「なんだ、はっきりしろ」
「……言うほどのことじゃ、ないし」
「なんで?」
「れんくんには、関係ないことだから」

ズキリと胸が痛んだ。
関係ないって、なんだよ。
あの女子に乗り換えようとしていることが、関係ないって?
今現在、付き合ってるのは俺なのに?
俺が知っても仕方ないって?
なんだ、それ。
鎮んでいた怒りが、またふつふつと湧き上がってくる。
それと同時に突き放されたことの悲しみと寂しさが大きくなって、胸の痛みが強くなっていった。
あぁ……これ以上は、無理だ。

「あっそ。もういいよ」
「え?」
「もう、知らん。好きにしろ」
「ちょ、れんく――」

呼び止める声を無視して、俺は通話を切った。
そのあとすぐにまた電話がかかってきたけどスマホの電源も切って今度こそ本当に無視した。
スマホを乱雑に放って、苛立ちを発散させるために枕をボスボス殴る。
なんだよあいつ。ムカつく、ムカつく!
散々好きって言ったくせに、他にいいヤツが見つかったら関係ないっつって簡単にぽいですか。
弄びやがって、最低男!
圭太のバカ!アホ!
圭太なんか、圭太なんかきらいだ……!

「っ……」

枕を殴る手を止め、深く息を吐きながら今度は枕に顔を埋める。
圭太はムカつく。すごくムカつく。それは本当。バカなのもアホなのも本当。
でも……きらいは、うそだ。
今更、きらいになんか、なれるわけない。
こんな俺のことを好きって言ってくれたのに、その気持ちを留めておけなかったのは俺だ。
躱して誤魔化して、俺のほうが圭太の想いを弄んだ、最低男だ……。
ぽろっと、涙がこぼれた。
泣きたいわけじゃないのに、涙が止まらない。
疲れて寝落ちるまで、俺は枕に顔を埋めたまま静かに泣いた。


―――


その翌日から俺は圭太となるべく顔をあわせないよう行動し始めた。
登下校も俺とは別の車を手配してもらって一人でするようになり、昼も体育館裏には行かず教室で過ごしている。
圭太の心変わりは自分のせいではあるけど、自分の気持ちの整理はすぐにはできず、顔を合わせるのも気まずくて、結果的に圭太を徹底的に避ける形になってしまってる。けど、なんとか順応していけてるとは思う。圭太と出会ってから顔をあわせない日は休日や長期休暇以外なかったのでちょっと違和感があるけれども。、
俺が圭太といないことに気付いた勉強を見てあげている二人からは心配されたけど、なんでもないって答えることしかできなかった。
現状に関して、圭太がどう思っているかはわからない。なにせ顔もあわせてないからな。
怒ってたらどうしよう、余計嫌われていたらどうしよう、と心配した瞬間もあったけど、俺のおもりから解放されて喜んでいるかもと自分で想像して自分でダメージを受けてしまったため、考えるのをやめた。



そんなこんな、圭太と顔をあわせなくなって数週間。
俺は気分転換も兼ねて、ひとり街へと繰り出していた。
これまではなるべく一人で外出はするなと言われてきたため、外出するときは圭太か家に勤めている使用人がついてくるのが常だった。しかし今はひとりきり。本当に久々のひとりの外出だ。
しかしその上で、初めて親に嘘を言って出てきてしまった。
本当は圭太はいないのに、圭太と一緒に出かけると言ってしまったのだ。
でも仕方ない。家にいてもいらないことをぐるぐる考えてしまうし、今の状況じゃ圭太に声はかけられないし、それに何より、一人になりたかったし……。
というか、この歳になってまで同伴じゃないと外出できないって、窮屈にもほどがある。もう誰かに変に狙われるってこともほとんどない。例え狙われたとしても俺だって男だし、昔と違って自衛できる術は身に付けてるんだ。俺はもうひとりでも大丈夫。やっていける。圭太がいなくたって、俺はできるんだ。
……なんて、意気込んでいたのに。
ふらっと入った雑貨屋で興味深いものを見つけたとき、「なぁ、これなんだと思う?」と言って圭太の服を引っ張ろうとしたのに、当然ながら手は空を切ってなんとも虚しい気持ちになった。
そうだった、俺は今ひとりなんだった、いけないいけない。と気を取り直しても、同じようなミスを何度も繰り返してしまう。
出かけるときは圭太がいることが当たり前になりすぎた俺の体が、自然と圭太を求めてるとでも言うのだろうか。
ここまでくると最早自分のことながらドン引きである。
俺、気付かないうちにこんなにも圭太に依存していたのか。
そりゃあいつも、重荷に感じて他に気持ちが行っちゃうよな。

「はぁ……」

息抜きのつもりが、俺にとっての圭太の存在の大きさを再認識するだけになってしまった。
今日はもう、本屋で参考書だけ買って帰ろう。
そう思って近くの本屋に入り、そこでも面白そうな本を見かけてはいない圭太に話しかける、なんてことを繰り返しながらも、なんとか参考書を買うことができた。
参考書を買うだけでこんなに疲れるなんて思ってなかった。
ため息をついながら本屋を出て、そのまま真っすぐ帰路につこうとしたときだった。
視界の端を、よく見知った顔が通り過ぎていったのだ。
俺はそれが、今日ずっと頭を過っていた圭太であると、すぐに気が付いた。
驚いて通り過ぎていった方に目を向ける。捉えた後ろ姿は、間違いなく圭太だった。
姿を見ただけなのに心が浮き立つのがわかった。
……俺、どんだけ圭太のこと好きなんだよ。
頭の隅っこで自分を嘲笑しつつも、意識はもう圭太にばかり向いている。ほとんど無意識にそちらに足が向いて、駆け寄ろうとした。
けれども、彼の隣りにいる人物を見て、俺は咄嗟に足を止めた。
圭太の隣りには、あの女子がいたのだ。
馴れ馴れしく圭太の腕に巻き付いて、これでもかってくらい体を密着させている。
頭が真っ白になった。
なんで、圭太はあの子といるんだ。
いい感じらしいんだから当たり前だろう、と現実を見ている自分の言葉が聞こえた。でもその声がだんだん小さくなっていって、なんでなんでって、聞き分けのない自分の声が大きく響いていく。
俺をほっぽって、なんでそんな女と。
お前が触れていいのは俺だけなのに、なんで簡単に触れさせているんだ。
なんで隣りを簡単にその女に歩かせているんだ。
お前の横は、俺の場所なのに……!

「っ!」

気が付いたら俺は二人の方に駆け寄り、圭太の腕を掴んで引き止めていた。
怪訝な顔でこちらを振り向いた圭太だったけど、掴んだのが俺だとわかった瞬間目を見開いて「れんくん!?」と驚いた声を上げた。

「なんでこんなところに……」
「それは、こっちのセリフ――」
「ちょっと、急になによ!」
「!」

結構な力で肩を押され、バランスを崩し思わず圭太の腕も離してしまう。
なんとか体勢を立て直し顔を上げれば、あの女子が相変わらず圭太の腕に抱きつてこちらを睨みつけていた。
この女子が、力任せに俺を突き飛ばしたらしい。

「今、私が圭太くんとデートしてるの。邪魔しないでよ」

デート、という明確なワードを出され、ズキッと胸が痛むと同時にどす黒くて重たいものが心を覆い尽くしていく。

「その手でさわるな」
「はぁ?」
「その汚ねぇ手で圭太にさわるなって言ってんだ!」
「なっ……!?」

黒いものがどんどん頭を、心を、全身を覆っていく。でも、何言ってんだ俺、落ち着け、ってどこか冷静な自分もいて、そのちぐはぐな感情のせいで余計にわけわからなくなってくる。

「な、なんなのあんた、男のくせに圭太くんに金魚のフンみたいにくっついて!今日も、ここまでずっと尾けて来たわけ!?ストーカーかよ、キモっ!こっちは迷惑してんだよ!」

もう一度肩を押されるが、今度は構えられていたのでよろめかずにすんだ。俺も負けじとひと睨みすれば、女子はひとつ大きな舌打ちをして、圭太の腕をぐいぐい引っ張り「もう行こう」と連れて行こうとする。
圭太が、なんの抵抗もなく足を進めようとした。だから俺は行かせまいと、彼の腕をさっきよりも強く掴んだ。
あの女子がまた何か言っているが、俺はとにかく行かせたくなくて、必死に圭太の腕を掴んでいた。
すると不意に、圭太が俺に顔を近付けてきた。
久しぶりに近付いた距離に心臓が跳ねる。
けれど、俺を見つめている圭太の瞳がいつもの、優しくて愛おしいものを見るようなものではないことに気付き、さっと血の気が引いた。
怒りのようなものは感じない、かといってポジティブなものも感じない。何の感情も籠もっていない、冷めたような、そんな目をしている。
いつもであれば逸らしている目が、逸らせない。
怖いのに、金縛りにあったかのようにその場から動くこともできず、逃げ出すことも叶わない。

「……ねぇ、れんくん。れんくんは俺にどうしてほしいの?」
「ぇ……?」

聞いたことがないくらいの冷めた声に、俺は思わず体を震わせる。
どうしてほしい、って、なにが……。

「れんくんはどうして俺を引き止めるの?」
「え、と……」
「俺にしてほしいことがあるから引き止めてるんだよね?」
「それは……」
「本当のこと、言ってくれなきゃわからないよ」

……そうだ。
俺はいつも、自分の思っていることと反対のことばかり言って、圭太にすべて察してもらっている。圭太は俺の考えていることなんでもわかるって、ずっと甘えてしまっていたんだ。
今ここで、自分の言葉で圭太に本心を伝えないと、たぶんもう二度と彼は俺の傍に戻ってこないだろう。
そんなの、嫌だ。
俺はずっと、ずっと……圭太と一緒にいたいんだ――。

「……いか、ないで」

小さな声だった。
でも、そんな声でも圭太は拾ってくれて、俺の顔を覗き込んだ。

「……どこへ?」
「他の人のところに、行かないで。俺から離れて行かないで……!」

ひとつ本心を言ってしまえば、せき止められていたものが一気に流れ出すように、熱くて、どろりとした感情が内側から溢れ出てくる。

「俺以外の人に触らないで。誰にも触らせないで。笑った顔も、俺以外に向けないで」
「……俺が、れんくん以外の人と仲良くしてるの、嫌だったんだ?」
「いや、だった。すごく嫌だった。他の人を優先するのも嫌だった。優しくするのも嫌だった。圭太は俺にだけ優しくしてればいいのにって思った」
「どうして、そう思ったの?」
「どうして……」

どうして、だろう。
あれが嫌だった、こうしてほしかったばかりで、なぜそう思うのかまでは思い至らない。

「大丈夫。自分の思ったこと、感じたこと全部、言葉にすればいいだけだよ」

考え込む俺の耳に吹き込まれた甘い声の囁きに、俺ははっと顔を上げる。
先程まで何の感情も読めない目をしていた圭太が、いつも俺に向けているような、優しくて、あたたかくて、深い何かを孕んだ目を俺に向けてくれていた。

「お、俺は……」
「うん」
「圭太がずっと、特別で……ずっと一緒にいてほしいって思うくらい、誰よりも大切で……他の誰よりも――」
「…………」
「圭太のことが、だいすきだから」

――あぁそうか。
俺、圭太のことが好きだったんだ。

「だから、誰にも取られたくないって思ったんだ……」

どうして今まで気付かなかったんだろう。答えはもうすぐそこにあったはずなのに。
俺はずっと、圭太へ想いを向けていたはずなのに。

「っ、あはは!」

自覚したことで納得やら、衝撃やら、いろんなことを感じていたら、目の前の圭太が突然笑い声を上げた。

「やっと聞けた」
「え……?」
「っというわけだから、その汚い手、離してくれない?」

上機嫌な声のまま、圭太が後ろを向いてそう言う。
誰に向かって言ったのか。
考えなくてもわかる、圭太の腕に絡みついていたあの女子だ。

「へ……?」
「いつまでくっついてんの?離してよ」

圭太が腕を振り、呆気に取られていた女子が簡単に剥がされる。
そして俺の腰を抱き、このままじゃ歩きにくいっていうくらい密着してきた。

「話してくれてありがとう、れんくん。俺もれんくんのことが大好きだよ」
「はぇっ!?」

優しく甘い声音で囁かれ、顔が熱くなると同時に背中にぞくぞくした感覚が走る。
こいつ、なんつー声でなんつーことを……!

「ち、ちょっと、どういうこと!?」

ようやく状況を少し理解できたのか、圭太にくっついていた女子が震えた声を上げる。
俺もいまいち状況を整理しきれていないので、助けを求めようと圭太を見上げ――ぎょっとした。
だって、さっき俺に向けていたものの比じゃないくらいの冷たい表情と視線を女子に向けているんだぞ。最早絶対零度。そんなの誰でも驚くだろう。

「なんで急にそいつのところに行くの!?圭太くんは私を選んだんじゃないの!?」
「は?思い上がるなよ」
「えっ」

いつも優しい圭太からは想像もできないようなドスの効いた声に、言われた女子だけでなく俺までもびくっと肩を震わせてしまった。
すぐに「れんくんに言ったんじゃないよ」と優しい声で訂正されたが、わかっているので何ら問題はないが重要なのはそこじゃない。
圭太、そんな声も出せたんだな……。

「誰がいつ、お前のことを選んだって?」
「だ、だって……そいつより私を優先したじゃん。一緒にいてって言ったら、いてくれたじゃん!」
「周りがうるさいから付き合ってやってただけ。俺が嫌がってるの、わかんなかったの?そこまで頭悪かったんだ?」
「な、な……!」
「てかさっき、れんくんのこと邪魔とかストーカーとか言ってたけど、邪魔なのお前だしストーカーなのもお前な。散々つきまとわれて迷惑してたんだ。自覚しろよ、不愉快だ」

圭太の言葉に女子は顔を赤くしたり青くしたりところころ変えていく。
思い当たる節はあったのか、特に反論はない。

「わかったらもう俺とれんくんの邪魔するなよ」
「ぅ……」
「あと、次れんくんのこと悪く言ったら容赦しねぇから。周りの奴らにも言っとけよ。わかった?」
「…………」
「わかったかって聞いてんだけど?」
「は、はい……」

最後に圭太に睨まれ、女子はそのままその場に力なくへたり込んでしまった。
なにがなんだかわからないが、圭太はずっとこの女子に迷惑していた、ってことでいいのか?
それが今、解決したって思っても、いいのか?
項垂れてしまっている女子を見下ろしながらなんとか状況を整理しようと頭を働かせていれば、圭太が俺の腰を抱き直しひとつ息を吐く。

「さて、ここは人の目もあるし、とりあえず二人になれる場所に移動しようか」
「え?……あ」

そうだった、圭太を引き止めるのに必死で忘れていたが、ここはガッツリ街中だった。しかもそこそこのギャラリーができてしまっている。
俺さっき、めちゃくちゃ恥ずかしいことばっかり言ってなかったか?
そう冷静になりかけたとき、圭太が俺の腰を抱いたまま歩き出したので俺も慌てて歩を進める。
ギャラリーの間を抜け、賑やかな街を早足に歩きながら、俺は先程の圭太の言葉を思い出していた。

『俺もれんくんのことが大好きだよ』

その言葉が本当なら、俺は圭太に嫌われたわけではない、ということだよな……。
てか、嫌われていなかったを通り越して、俺たちって、両想い……ってことになるのか?
ちらりと隣りの圭太を盗み見る。
しかし圭太はすぐに俺の視線に気が付いて、こちらに柔らかい笑みを向けてくれた。

「どうしたの?れんくん」
「え……っと、その……」

少し歩速を緩め、圭太が俺の顔を覗き込む。
圭太ってほんとうに……どんな状況でも俺と目を合わせようとするんだよな。俺はすぐに逸らしてしまうけど、本当は俺を見てくれるのが嬉しかったんだ。
って、今はそんな回想をしている場合じゃなくて。

「……圭太は俺のこと、まだ好きなのか?」
「当たり前じゃん」

あっけらかんと答え、圭太が眩しいものを見るように目を細める。

「俺はずっと、ずーっと……れんくんのことが大好きだよ」
「っ……」

そのまっすぐすぎる言葉に、自然と頬が熱くなる。
するとまた、圭太が笑い声を上げた。
今日はよく笑うな、と見上げた先の彼は、本当に、心の底から嬉しそうに笑っていた。

「堕ちてきてくれてありがとう――俺のかわいいれんくん」