転移先で懐かしい空気に包まれる。
 ここは何の変哲もない中級ダンジョンの近くの廃村。
 久しぶりに訪れたこの場所で何とも言えない寂寥感を覚えた。

 ダンジョン……世界の色々な場所にある正体自体が不明なその穴には大いなる危険と財産が眠っている。
 そんな、どこの誰が言い出したのかわからないような突拍子もないことをまっすぐに信じて日々ダンジョンに潜る奇特な者たちが探索者と呼ばれる人間だ。

 この廃村も八年ほど前まではそんな探索者たちで賑わっていた。
 八年前のあの事件さえ起きなければ。

 十年前、魔王討伐の旅に出たファレスだったが、最初の一年で彼は魔族・魔王配下たちの強さに苦汁を嘗めさせられていた。
 王城では色々な訓練を積んだが、それは訓練でしかなかったことを痛感させられたのである。
 そしてファレスは考えを改めた。
 実戦の経験を積んでから魔王に挑もうと。

 元々、人魔戦線が切迫してファレスが派遣されたわけではなかった。
 だから、おそらくこうなることを予見したうえで国王は十六の誕生日に魔王討伐を命じたのだろうとファレスは一年間の戦いで理解した。

 それからはファレスは数々のダンジョンに挑んだ。
 
 今、目の前にあるこのダンジョンもそんな勇者生活二年目に挑んだダンジョンのうちの一つだった。

 シローテダンジョン。
 ダンジョンには最初の発見者の名前が付けられるため、ここの発見者はシローテという人物だったのだろう。
 俺が初めてここを訪れたとき、このシローテダンジョンは脱初心者向けダンジョンとして賑わっており、実力を試したい初心者探索者や安定した財源を求める中堅探索者が多く拠点としていた。

 そこで出会ったのがシダという少年とマインという少女の探索者パーティだった。
 それは全くの気まぐれだった。
 ここを訪れる少し前に色々とあって軽い人間不信になっていた俺は、彼らの互いを理解し信頼しているという色の瞳に強く惹かれた。
 
 最初に声をかけて来たのはシダという少年だった。
 一人で黙々と探索を続ける俺に気をかけてくれたようで、俺たちはすぐに打ち解けた。
 そうしているうちに自然とパーティメンバーのマインとも仲が良くなった。
 二人は良いパーティでシダが前線を張り、マインが風の魔法で援護する。
 そんな戦い方が型にはまっている、そんな印象を受ける探索者だった。
 そこに前衛も後衛もできる俺が加わって、俺たちはバランスの取れた理想形に近いパーティとして、この村で名を上げていった。

 歳も十六と十七で近かったこともあり、ダンジョン外でも俺たちは一緒に行動することが多くなっていた。

 だが、俺は自分が勇者であることを伝えることができなかった。
 くだらない恐怖心だった。
 少し惹かれた女性に裏切られただけで、他人を信じられなくなるなんて。
 二人は違うと分かっていたのに。

 だが、それは起こってしまった。

 あの日、俺はある花を探しに二人と別れて森に入っていた。
 その花は古くから恋愛成就の効果があるという言い伝えのある花で、それを二人に送ってやろうと画策したのだ。
 二人はお互いに隠しているつもりだったようだが、両片思いな空気間はこちらが恥ずかしくなるほどだった。
 その微妙な距離感が何とももどかしく、幸せになってほしいと思った俺は、拠点を移すことを伝える際にそれとなく渡して二人を応援してやるつもりだった。
 
 その花自体はそこそこ簡単に見つけることができた。
 元々この国の森深くには多く群生していることが知られる花だったこともあり、俺はあの二人の幸せな未来を思い描いて花を摘むと足早に村に戻った。

 そして、自らの愚かさを呪った。
 俺はこの村で長く過ごしすぎたのだ。

 最初の一年で魔族に特攻を仕掛け散々暴れ散らかした挙句、敵を一掃するでもなく実力を高めるために引き返した。
 そんな男の顔を、魔族からすれば様々な者の仇であろう男を忘れるはずがなかった。

 視界に飛び込んできたのは、崩れ落ちた家々と、赤黒く濁った血溜まり。
 人々の叫びはもう聞えない。代わりに聞こえるのは魔族の低くくぐもった笑い声だけ。
 もちろん俺はすぐに魔族を斬った。
 今まで隠していた勇者の力を全力で振るって。
 だが、俺が戻るまでこの村に居たのはせいぜい中堅の探索者。魔族に対抗できるはずもなく、シダはマインを庇って瀕死、マインはすっかり呆然自失となってしまっていた。

 俺は必死にシダへ回復魔法をかけ続け、なんとか延命を試みた。
 けれど、シダの顔は痛みに歪み、か細い息さえ苦しげだった。

「……もう、いいよ。……もう、止めてファレス」

 震える声でマインが俺の手を押さえた。
 その時の彼女の顔は、今でも忘れられない。

 この時の選択は今でも後悔している。
 俺の力なら、もしかしたらまだ何とかなったかもしれないのに、俺自身がシダの辛そうな表情をマインの絶望に満ちた表情を見ていられなかった。
 それからは二人にしてほしいというマインの言う通りにその場を離れてしまった。

 少しして様子を窺いに戻った俺が見たのは、冷たくなったシダと秒読みで体温を失っていくマインの姿だった。

 俺も後を追いたかった。
 自分がいればどうにでもなった現場にいなかったせいで起こった悲劇。
 おそらく俺への復讐をしようと攻撃を仕掛けてきた魔族。
 どれも推論で確証はない。
 それでも俺は自分のせいだとしか思えなかった。

 しかし、俺には自害が許されなかった。
 俺は勇者だから。
 ここで死んでしまう訳にはいかなかった。

 だからもし、勇者の役目を終えられる日が来るならばここで死にたいと思っていた。
 と言っても、今、自害するつもりはない。
 俺はここで生きるのだ。
 
 あれから旅をして色々と考えた。
 何せもう、八年も前のことだ。
 感情に任せて死を選んで、いったい誰が喜ぶのか。
 王国を見守るというミアとの約束もある。
 俺はここでシダとマインの分も生きる、それこそがあの日、間に合わなかった俺にできる最大の贖罪だ。

 あの日救えなかった仲間に謝罪と休眠の場所を提供するために。

 村でダンジョンに最も近い場所の瓦礫などを魔法で片付ける。
 そして、辺りの瓦礫などを再度利用可能な状態に復元し、そこそこ立派な建物をくみ上げていく。
 この魔法の名は仲間に捧げる理想郷(ディヴォート・エデン)
 俺は空を抱くようにしてこの魔法を発動させた。

「シダ、マイン。ここは君たちに、探索者に捧げる安息の宿『ピロテス』だ」

 朽ちた村に、新たな歴史が刻まれる。
 その歴史はファレスの後悔の証であり、俺の生きていくための場所だった。
 
 永遠の愛を象徴する花の名を冠する宿が、その廃村に新たな風を呼び起す。
 その優しく暖かな風はファレスにいつかの仲間を思い起こさせた。