「ケイル副隊長……まだ着かないんですか? もうずっと建物も何も見ていませんが」

 魔族被害復興支援視察隊として派遣された第二近衛騎士隊のケイルとダンカンは何もない山道でひたすら馬を走らせていた。

「まだ先だ。この程度で音を上げるんなんて、戻ったら基礎体力訓練をやり直すか?」

「ひっ! そ、そんなわけないですよ。ただ似た光景ばかりが続いていたので、通り過ぎてしまったのでは、と……」

「ほう? それは俺が地図も読めない無能な副隊長だとでも言いたいのか?」

「め、滅相もない! ……無駄口でした。申し訳ありません」

「ははっ! 冗談だ。それにお前の気持ちもわからなくはない。なにせ名前すらない村だ。おそらくもう、生活者もいないのだろうな」

「そうですか……でも、やはりミア王女はすごいですよね! 俺なんて魔王討伐という偉業ばかりが見えて、その間に魔族によってどんな被害を受けたかを考えもしませんでした」

「ああ、そうだな。最近の王女の活躍は目覚ましい。俺たちも見習わないとな」

「はい!」

 王女のことを考えてやる気を持ち直した二人はファレスたちのいる村跡地に向けて、再び馬を走らせた。

 ◇◇◇

 ネイロスが来てから少し経った、朝。
 とりあえずネイロスには俺の部屋で元々使っていた幻妖の羊の布団を敷いて寝てもらっている。
 俺はネイロス用の家でも建ててやろうかと思ったのだが、それを言うと何故か不機嫌になったので仕方なく同室で寝ることになった。
 
「ネイロス」

 妖艶な元魔王の寝顔はそれに反して中々に可愛らしい。

「ううむ、ファレスよ。もう、朝なのか?」

「ああ、客はいつ来るかわからないからな。寝ていたい気持ちもわかるが、頑張って起きてくれ」

 するととろんとした眼をこすりながら、ネイロスがゆっくりと体を起こしていく。

「前々から思っていたが、このような布団は、初めてだったぞ……人間は皆、こんな布団で寝ているのか?」

 日中の溌剌とした喋り方ではなく、ゆっくりと布団の魔力に何とか抗うようにそう聞いてくるネイロス。

「いや、これは最高級品さ。人間でも王族御用達な一流の家具職人による逸品だ」

「ほう……いつかその職人にも会ってみたいな」

「ああ、いつか来てくれって言ってあるから。ここにいればそのうち会えるさ」

「ふふっ、そうか。ここにいれば……な。うむ、気分のいい目覚めだ」

 満足そうな笑みを浮かべて、ようやくネイロスが起き上がった。

「さ、支度をして朝食だ……あ、朝風呂にでも入るか?」

「うむ! それは良いな! 起こしてもらった礼だ! 妾が手ずから背中を流してやろうぞ!」

「何言ってんだ。俺はもうとっくに済ませてある。朝食作っておくから、さっさと入って来いよ」

「ううむ、ノリの悪い男だなファレスは」

 ぶつぶつと文句を垂れながら、入浴施設の方へ歩いて行くネイロスを見送り俺はキッチンへと入った。

 ◇◇◇

「ファレス! 女風呂の掃除は終わったぞ!」

 惜しげもなく、そのシミ一つない脚を堂々と出して、ネイロスは頼んでいた風呂掃除から戻って来た。

「ありがとな。だけど、宿泊客がいるときはもう少し身だしなみに気を付けてくれよ?」

「む? なにかダメだったか?」

 ネイロスは呑み込みも早く働き者だ。
 偏見だが王族や身分の高い人は、こういう家事的な分野は苦手なんじゃないかと思っていたが、ネイロスに関してはやったことがなかっただけで、なんでもすぐにこなせるようになった。
 だが、何かが終わる度にまず俺に報告に来るため、今回のようにズボンをまくり上げたままだったり、洗濯物を乾かすのに風の魔法を使い、自分の髪をぼさぼさにしたまま戻ってきたりと所々に抜けているところがある。

「一応ここはレストランスペースだからな。俺たちだけでもきれいにして使っておきたい。だから、掃除や洗濯は渡した作業着で、ここに戻って来る時は着替えてからで頼む」

「うむ、分かったぞ! ファレスはしっかりしているのだな」

「いや、このくらい客商売なら普通だぞ?」

「ふむ……そういうものか」

 そう言われるとネイロスは俺たちの部屋に向かい、すぐに着替えて戻って来た。

「これで良いか?」

「ああ、ばっちりだ! さ、昼飯にするぞ」

「! 待っておったぞ!」

 ああ、楽しいな。
 一人で気ままに、というのももちろん楽しかったのだが、一緒に何かをする人がいるというのはやはり楽しいものだ。
 はじめこそ、魔王を従業員になんて……と思ったが、今のネイロスに魔族的な特徴は一切ないし、仕事にも真面目で、飯もおいしそうに食べてくれる。
 仲間とも恋人とも少し違う、同居人のようなこの関係はとても心地がいい。

「ファレスー? まだか~?」

「ああ、今持ってくよ」

 テーブルで待つネイロスと共に昼食を食べる。
 今日の昼食はいつもよりもおいしい気がした。

「? 何かいいことでもあったのか?」

「いや、ネイロスが来てくれてよかったなって思ってさ」

「なんだ唐突に? 今夜こそ、同じ布団で寝るか?」

 冗談めかしてそんなことを言うネイロス。
 こんな軽口も叩ける相手がいてこそなのだ。

「ははっ」

「……笑う所ではないのだが」

 少し不服そうな顔をするネイロスと共に昼食を食べ終え、皿を洗う。
 あとはこれで宿泊客がいれば完璧なんだけどな、とそんなことを考えていると不意にネイロスが呟いた。

「む? 人と馬の気配がするな。ファレス、客かもしれんぞ!」

「お、本当か? 探索者かな? 久しぶりの客だ!」

 俺の願いが届いたのか、どうやら人がこちらに向かっているようだ。
 それも、馬に乗っているとは。

「良かったな! あの立派な厩も使われなければ宝の持ち腐れだ」

「ああ! ……でも、よくそんな音が聞こえるな。俺も聴力には自信があるけど、全く聞こえないんだが」

「まあ、妾は元魔王だからな! それにきっと、魔族が近づけば妾よりもお主の方が先に気付くのではないか?」

「そういうものか」

 俺たちは俺にとっては久しぶりで、ネイロスにとっては初めてとなる客をはやる気持ちを押さえながら待っていた。

 ◇◇◇

「もうすぐ到着のはずだぞダンカン」

 王都を出てから何日が経っただろうか?
 何もない田舎道を上司と部下の二人で走り続けたケイルとダンカンは互いに表情には出さないがかなり疲れが溜まっていた。

「! やっとですね! いったいどんなところやら……?」

 そんな疲れの溜まっている彼らの目に、徐々に大きくなっていく建物が映り現れた。

「……副団長。あの~、見間違いですかね?」

 ダンカンは二度見、三度見と繰り返しながら、横を走るケイルに尋ねる。

「……いや、俺にも見えている。なんなんだあれは」

 彼らの目に映っているのはとても立派な一軒家。
 まだ遠めにだが、どうやら厩のようなものまで見える。

「モンスターハウス……ではないですよね?」

「ああ、敵意のような気配は感じられないが……高度な擬態のできるモンスターハウスの可能性もある。どちらにしてもあそこは目的地だ。人がいるならばミア王女へ良い報告ができるし、そうでなくともちょうど俺とお前の二人だ。ここからはさらに気を引き締めろ!」

「はいっ!」

 一気に表情を騎士の物に変えた二人は慎重に、だが、ペースは落とさず看板が見える位置までやって来た。

「……旅人の宿『ピロテス』? ここは宿なのか?」

「ここまで来ても魔物の気配はありませんし、外装もとてもきれいですね。でもなんでこんなところで?」

 ここまで警戒心を強めて来た二人はそんな突然現れた宿に拍子抜けしてしまっていた。

「まあ、取り合えずもっと近くまで寄ってみるか」

「そうですね」

 馬を降りて、辺りを見回しながら歩くケイルとダンカン。
 二人の表情は驚愕に満ちていた。

「これ……どこかの貴族様の別荘とかじゃないですか?」

「いや、貴族が別荘を建てるなら王城へ一報入れるはずだ。勝手に立ててその地の領主や他の貴族と面倒ごとを起こされてはたまらないからな。それに放棄された地ならばなおさらだ。放棄された地は治める者がいない代わりに税もない。そんなところで貴族が暮らしているとなれば、爵位はく奪もありうるぞ」

「そう……ですよね。でも、じゃあ、ここは?」

「まあ、入ればわかるだろう。取り合ず馬を止めるか」

 まるで使用された形跡のない、きれいすぎる厩に愛馬たちを止めると、二人は満を持してその宿の扉を開けた。

 カランカランとドアベルが鳴る。

「いらっしゃい旅人の宿『ピロテス』へようこ――」
「いらっしゃい旅人の宿『ピロテス』へようこそ? ファレス? どうかしたか?」

 ドアベルの音に二人は同時に声をかけ、そしてファレスは一人固まった。

「ケイル……?」

 数か月ぶりに見るその顔は間違いなくファレスにとっての親友であり、兄貴分でもあったケイルの物だった。