「店主さ~ん、ただいま帰りました~」

 すっかり日も落ちて、俺が夕食の仕込みを始めたあたりで酷く疲れ切った声が聞えてきた。

「お、二人ともおかえり! その様子……かなり魔物が居たんだね?」

「はい……あんな数を相手にしたのは流石に初めてでした」

 ユーリの方は単純に肉体的な疲れが大部分を占めていそうだが、アメリはおそらく相当な数の魔物に圧倒されて、メンタルにも来ているのだろう。
 朝に比べて相当顔がげっそりとしてしまっていた。

「そんな二人に朗報があるんだ! ちょっとついて来てくれる?」

 極度の疲労、普段なら食事もそこそこにベッドに飛び込んでしまいたいはず。
 だが、そんな状態の二人だからこそお勧めしたいものがあった。

「それって……あの急に現れた建物ですか?」

 俺がキッチンから出てくると、初日に出会ったときのように訝しんだ様子のアメリがそう聞いてきた。

「ああ、ちょっと色々試していたら……ね」

「……店主さんってほんと、何者なんですか?」

「あはは……まあ、そんなことは良いから、ね? きっと、驚くよ!」

 そんなアメリの疑いの目を搔い潜りながら、二人をできたばかりの入浴施設まで連れて行った。

「なんですかここ? ちょっと暑いような?」

 入り口のカギを開けて、二人を中に入ってすぐユーリがそう言った。

「お! 鋭いね! ここは入浴施設さ! まあ、簡単に言えば風呂だよ」

「入浴……」
「……施設?」

 流石は幼馴染と言ったところか。
 息の合ったコンビネーションで間の抜けた反応をする二人に妙に感心させられていると、ユーリよりも一歩先に冷静さを取り戻したアメリが俺に詰め寄ってきた。

「風呂……風呂って言いました? あの、店主さん?? 本当に私の知っているあのお風呂なんですか?」

 ……いや、少なくともこれは冷静ではないな。目が座っている。

「あ、ああ。きっとアメリちゃんの思っている通りのお風呂だよ。あっちが女性用だから自分の目で確認してくるといいよ」

「えぇっ!? 本当にお風呂で、しかも時間差じゃなくて男女別!? ……ちょっと、ここに来てから自分の常識が崩れていく気がします」

 そう言って額を押さえる仕草をして見せるもまっすぐ俺の指した扉へ向かうアメリ。
 そうしているうちにようやくユーリもトリップから戻って来た。
 
「……店主さんってやっぱり、貴族様なんですか? 実はここの領主様だったり?」

 この子はアメリとは違って訝しむのではなく、純粋な目で聞いてくるんだよな。

「いやいや、違うよ、違うから。そんなことより、もうアメリちゃんは行っちゃったよ? ユーリ君も入って来な。風呂を貸し切りで使えるなんてきっと他じゃないよ?」

 この目はずるい。
 まっすぐで輝いているこの目で見られていると、いつのまにか自分から色々なことを話して聞かせたくなるような、そんな人を引き込む力があるように思う。

「それもそうですね! では、お風呂いただきます!」

「~♪」
 
 ユーリが風呂に向かった時、隣りの女性用風呂の方からは気持ちよさげなアメリの鼻歌が聞こえて来た。

 ◇◇◇

「ほんと、店主さんってよくわからない人だなぁ」

 現在、この宿の利用者は店主であるファレスを含めても三名。
 そしてその内、女性はアメリだけということで完全貸し切りの状態の風呂にテンションが上がり、普段以上に開放的な気分になっていた。

「でも、こんなお風呂を使わせてもらえるのは掛け値なしにありがたすぎる」

 探索では邪魔になるからとお団子上にまとめていた髪もほどき、湯の温度を確かめるのも早々に風呂に浸かる。

「はぁぁぁ~、さいっこ~」

 風呂は高級品だが、庶民に手が出せないと言うほどの高級品はいわゆる自宅風呂のレベルだ。
 大衆浴場やサウナは大きな街や都市に行けば利用することができる。
 だが、それでも何分までという時間制限が設けられていたり、排水機能の杜撰な施設では一番風呂でなければ逆に入ることをためらるような状態なことも少なくない。
 
 それに比べてここはどういうことか。
 一人では有り余ってしまうほどの広い浴槽に一滴の濁りも見られない澄んだお湯。

「……もう、ここに住みたいわ。上がったらユーリに相談しようかな」

 探索者として活動を始めたのはまだ最近であるが、それなりにこの職業の面白さも理解してきたし、実際に自分の手で魔物を倒し収入を得るというのは疲れるが、幼いころからじっとしているよりも外を駆け回って来たアメリにとっては性にあっている。
 だから、これからも王国中を転々とし色々なダンジョンに挑んでいくものだと思っていたのだが、こんなところでまるで人の理想郷のような場所に立ち会ってしまうとは……。

「それに、ここでなら……」
 
 そこまで言いかけて隣の浴室の扉が開いた音が聞こえる。

「うわぁ! すごいお風呂だ! ほんとに入っちゃっていいのかな?」

 少し遅れてユーリも入って来たみたいだ。
 
 ……声がよく聞こえるわね。
 ……! ってことはさっきまでの私も!? お風呂での独り言を聞かれるとか恥ずかしすぎるっ!

 ユーリの声を聞いて、自分の声も筒抜けだったのではないかと、途端に恥ずかしくなってしまったアメリは咄嗟にお風呂を満喫しているだけの自分を装おうと鼻歌を歌って誤魔化した。

 ◇◇◇

「あ、アメリの声が聞こえる」

 ユーリが脱衣所から出てくるとちょうどアメリの気分のよさそうな鼻歌が聞こえて来た。

「じゃあ、僕もさっそく」

 置かれていた桶で軽く体を流すとユーリもすぐに風呂に浸かった。

「ふぅ~……緊張がほどけるなぁ」

 少し熱めのお湯が探索で疲れ切った体の凝りを程よくほぐしていくように感じる。

「あの〈洗浄〉の魔法がかかった絨毯にも驚いたけど、流石に帰ってきたらお風呂が生えてたなんて……きっと誰に話しても信じてもらえないだろうな」

 ここに来てからまだ二日目だ。
 だというのに、この宿……いや、店主さんには大きく世界を変えられた。
 
 ユーリは勇者の足跡を追ってここへ来た。
 別に何か確信があっての行動ではない、完全な気まぐれだ。
 でももし、ここに来ずに、アメリにも内心を話さないまま探索者として活動を続けて居たら……。

 そんな未来があったかと思うと、何故かユーリは酷く恐ろしくなった。
 でも、実際にはそんな未来は起きていない。

「もしかしたら、これも勇者様の導きなのかもな……どこか憑りつかれたようになった僕をここに導いて、改めてアメリと、そして自分自身と向き合う時間をくれたのかもしれない」

 この二日でユーリには明確な変化が起きていた。
 正確には昨日の夜、改めて気が付いたという方が正しいのか。

「はぁ……ほんとアメリ、好きだなぁ」

 風呂で開放的になったせいか、熱い湯でのぼせ気味だったのか、ユーリの口から不意にそんな言葉が漏れる。

「こんなところまでついてきてくれて、ずっと僕と真っすぐに向き合ってくれて……」

 アメリへの思いが溢れだし、ユーリはどんどん自分の世界に入っていく。
 そんな中、隣の浴室では……

「………………」

 彼女の明るい赤の髪色に負けないくらいに顔を紅潮させたアメリが、飛び跳ねるように浴槽を出て、脱衣所に走っていた。