疲れた体に鞭を打ち、最後の務めとして民へ笑顔を振りまいて歩く。

 ああ、なんでもうこんなに知れ渡っているんだ?
 休息は最低限にして、足早に帰ってきたというのに……。

「勇者様~!!」
「英雄の凱旋だぁ~!!!」

 俺の通る道は知らないうちに開けていき、周りからの黄色い声はどんどん増えていく。

「あの方が居てくれる限りこの国は安泰ね」
「王女様の結婚相手がヤワな野郎だったら俺らがカチ込むつもりだったが、勇者様なら文句はねえよな~」

 魔を滅する聖剣を振るい、あらゆる魔法を操る世界最強の勇者ファレス、言わずと知れた、俺の名前だった。

 勇者の証である金色の髪を持って生まれた俺は、物心ついたころから勇者として、魔王を討つ者としてこの王城で育てられた。
 だが、周りにいた同年代が王女様だけだったこともあり、そのことには特に疑問を感じてもいなかった。
 近衛騎士の兄ちゃんたちも優しかったし、王女様にも仲良くしてもらった。
 
 そして俺が十六の誕生日を迎えた日、国王によって改めて魔王討伐の任が与えられ俺は旅に出た。
 あれから十年、俺はようやく魔王を討伐し、旅立ち以来の王都へ帰って来た。
 勇者の任を果たし切ったのだ。

 たくさん黄色い声や野次馬を背に受けながら王城の門をくぐる。

 あとはこれを報告すれば俺の任は完全に終わりだ。

「魔王討伐の勇者に敬礼っ!」

 ビシッと洗練された動きで、王城の騎士たちが俺を迎え入れる。
 そんな騎士たちの間を歩きながら、俺が考えていたのはこれからのことだった。

 今日まで、色々な人の世話になった。
 たくさんの人と交流して、城以外の社会を知った。
 勇者はやり切ったんだ。
 あとはもう、自由に生きたい。

 十年ぶりに訪れた城は何も変わっていなかった。
 
「ファレス、久しぶりだな」

「お久しぶりにございます陛下」

 玉座の間にて、今度は騎士だけでなく国の要職者たちにも迎え入れられながら跪づいて応える。

「顔を上げよ。貴殿は今となってはこの国、いや、世界の英雄だ。よくぞ、よくぞ魔王を討ちとってくれた」

「もったいないお言葉にございます」

「いや、そんな英雄に余の言葉一つで足りよう物か! であろうな皆?」

 国王がそう言うと俺の周りの大臣たちが口をそろえて「その通りです!」と言う。
 そんな大臣たちに国王は満足そうに頷いた後でこう言った。

「余はファレスの望みを一つ、何でも叶えようと思う! これを褒美とするがどうか?」

 その言葉に大臣たちは賛同し、期待の眼差しを俺と国王の横に控える王女に注いだ。
 
 ……まあ、そうだよな。
 王城へ向かう道すがら何度も聞いた俺と王女の結婚の話。
 そうなれば王国は建国以来の勇者王の誕生となり、大いに国は沸き立つだろう。

「さあ、ファレスよ。何でも望みを言うと良い」

 人のいい笑みを浮かべながら、何かを期待するような表情の国王。
 まあ、それはそうだろう。
 十年ぶりに見た王女の姿は、その他のものが霞んでしまうほどの圧倒的な美しさを誇っている。
 例え、世界の半分を望む勇者が居ても、この王女を前にすれば決意が揺らぐかもしれない。

 だが、俺はこの国の王になるつもりはない。
 この十年で痛いほど理解した。
 俺に勇者は重すぎたのだ。
 行く先で救えなかった命もあった。
 僅かに抱いた淡い恋心も勇者が目当てだったと分かり絶望したこともあった。
 そんな積み重ねの十年を過ごして、これからは国を背負う? さすがに耐えられる自信がなかった。

「では、陛下。明日、民の前で演説することをお許しください。それが私の望みです」

「演説? それが褒美で良いのか?」

「はい。民に改めて魔王を討ったことを証明し、魔王によって陰った心に光を照らせればと」

「……誠に勇者たる志、余も感服させられた! よかろう! 大臣よ、明日勇者による演説があると民へ触れ回れ!」

「「はっ!!!」」

 国王の指示で大臣たちが次々に玉座の間を出ていく。
 
「ファレスよ、長旅の疲れもあるだろう。今日はゆっくりと休み、明日の夜に民の前で演説をすると良い」

「私の願いを聞き入れてくださり、ありがとうございます」

「よいよい。ミアよ、ファレスの世話は任せる。二人は仲が良かっただろう? 旧交を温めると良いだろう」

「はい、父上。ファレス様、こちらへ」

「お世話になります。ミア王女」

 こうして俺は賓客用の客間に通された。

 本当にとんでもない美人になったな……。
 そんなことを思って、不躾にもミアの顔を見つめすぎてしまったせいで、ミアのメイドが紅茶とお茶菓子を出して去っていくと、客間は奇妙な沈黙に包まれた。

 ………………。

「あの、ファレス……元気でしたか?」

「ええ……いや、おう。それなりに元気だったぞ」

 ミアが意を決したように名前を呼んでくれたので、俺もそれに応えるように口調を崩す。

「そうですか……よかった。その……どうでしたか? 勿論苦労はあったことと思いますが……私は外の世界を全然知りませんので、あなたの旅のお話を聞かせてください」

「ああ、いいよ。何せ十年ぶりだからな、何から話そうか」

 懐かしい記憶を手繰り寄せながら、俺は話し始めた。

 ◇◇◇

 旅での出来事を全て話し切ろうかという勢いで俺たちは話し続け、気が付けば陽が沈んでいた。
 おそらく国王は食事も大々的に用意してくれていただろうが、俺とミアが二人でいるということもあり、食事もこの部屋に運んでもらった。

「……ファレス、あなたは色々な経験をしたのですね」

 ふとミアがそんなことを言ってきた。

「そうだな……ほんと、いろいろあったよ」

 少し目を閉じるだけでもたくさんの光景が蘇る。
 それだけ濃い十年だったのだ。

「そうですか……私はまた、明日からもあなたの話を聞けますか?」

 まっすぐに俺を見つめるミアの目元が月に照らされて微かに光って見える。

「………………」

「そう……ですか。いえ、あなたにはその権利があります。それだけのことをファレスはやってくれたのですから。国のことはどうか私たちにお任せください!」

「……悪いな」

「悪いものですか! 私はあなたに出会えて幸せでした」

 ……ミアは俺が何をするつもりなのかを察しているのだろうか?
 いや、理解していなくともわかることはあるのかもしれない。

「それは俺もだよミア。でも、勇者の出番は終わりだ。あとは頼む」

「お任せください。平和になったこの国を荒らしてしまってはあなたに合わせる顔がありませんから! ですが、最後に……」

「ん?」

 ミアは立ち上がり、扉の前で立ち止まり振り返る。

「明日の演説の後、あの場所に寄ってください。それが最後のお願いです」

 その言葉に懐かしい記憶の数々が蘇る。
 
「……ああ、分かった」

 俺が承諾するのを見届けるとミアは客間から去っていった。

 後ろ髪を引かれるところはあるが、もう決めたことだ。
 ミアには悪いことをしてしまったかもしれないが、明日の夜にはすべてが解決する。

 自分にそう言い聞かせて、俺は眠りにつくのだった。