舞台の裏にいてもキャーキャーという悲鳴に似た歓声は良く響いてくる。
 現在は、白雪姫と狩人の愛の逃避行シーン。恐怖の森を演出する森役の秀人と光晴も舞台に出ていっているため、俺は一人袖のほうでスポットライトの当たる舞台を見ていた。
 やはり、理人と燈司のシーンは盛り上がっている。俺はこれを超えるキスシーンを演出しなければならず、今から胃が痛い。
 森のシーンが終わり、二人が汗だくで帰ってくる。あの森のシーンは気合が入っており、動いているように見せるため、森役の秀人たちが全力で舞台を行ったり来たりするという超人力な方法を取っている。戻ってきた森役のメンバーに女子が各々の水筒を持って回っている。
 そうしているうちにも、狩人が殺されるというこの劇ならではのシーンが舞台では繰り広げられていた。さすがにこの展開を予想していなかった観客たちは、シーンと黙りこくり、舞台に集中しているようだった。
「おーお疲れ、モテ狩人」
「おつかれー狩人狩谷」
 秀人と光晴は水を口の端から垂らしながら、役目を終えて帰ってきた理人を迎えた。
 これまた派手な演出のために、血のりを口から垂らした理人が舞台の袖へと戻ってくる。理人は、ひらひらと手を振ったのちなんちゃって革製品もどきの手袋を取って、グイッと手の甲で血のりを拭く。そんな理人を見てか光晴が恨めしそうに「イケメンは、何をしても、イケメンだ」と言って、秀人に「字足らず」とツッコミを食らっていた。
「お疲れぇ~次は、凛の出番だぞ? これは練習じゃねえんだから、しっかり決めてくれよ?」
 にやにやと、挑発するような笑みで言った理人は、血のりのついていないほうの手で俺の肩をポンポンと二回叩く。
 こいつにはさんざんと引っかけまわされたが、すべて知ってしまえば何も怖くなかった。
「成功させるに決まってんだろ。ここでコケたら、大コケだ」
「おぉ? 言うねえ? じゃあ、お手並み拝見だな。大根王子」
「言っとけ、死亡狩人」
 理人に恋人がいると知ったときは、まあ理人だしと思った。あの遊園地でのこいつの発言は、俺の尻を叩くためのものだったのだと跡になって気付いた。本当に俺は我ながら鈍い男だと思う。そのくせいっちょ前に嫉妬をして、理人が燈司の恋人だと勘違いしてしまった。今思えば恥ずかしすぎる勘違いだ。
 それでも、理人がはっぱをかけてくれたおかげで……とは思いたくないが、答えにたどり着いた。
 俺は、理人や秀人たちに見送られながら舞台へ上がる。
 スポットライトの白さに目を細めながらも、堂々と登場し、ステージの真ん中へと歩いていく。七人の小人役のクラスメイトが「王子さまだ」と大袈裟なくらい演技をする。しかし、その目には「ここで、外してくれるなよ?」という圧が感じられた。
 ステージの中央には、並べた机の上に寝かされた燈司がいる。当初は、ガラスの棺をイメージしようと、プラバンで机を囲む予定だったが、机自体が木目のあるものしかなく、それを隠せないとのことで、真っ白な板で棺を表現することとなった。
 小人役は、その棺に見立てた机の上に造花を泣く真似をして入れていく。
 舞台袖で何度も深呼吸をしたし、セリフだって復唱した。失敗しようがない。
「なんて美しい姫なんだ」
 それでも、いつもより声が高くなっており、緊張しているのはクラスメイトにバレバレだろう。
 俺は、マントを翻しながら棺に近づく。
 ステージの下からは、棺の中がどうなっているか見えない。棺の中にいる燈司は、完璧に白雪姫の役を演じ切って目を閉じていた。長いまつ毛がスポとライトの光を浴びて影を落としている。艶やかな髪も、小さな唇もよりいっそ輝いて見えた。
 セリフは一つ飛んだが、アドリブで何とかごまかす。
 そして、キスシーンへと移る。
 心臓が飛び出しそうなほど早鐘を打っているが、この音は燈司に聞こえていないだろうか。
(フリ、フリでいいんだぞ……俺)
 棺に見立てた白い板に顔が隠れていく。ここまで身体を前のめりにかがめれば、舞台の下からは見えやしない。
 だったら――
「……っ、凛?」
「おはよう、燈司」
 ふにっとした柔らかい感触が、唇に広がっていく。やっぱり、蜂蜜の甘い香りが漂ってきた。それは一瞬の出来事だった。
 名残惜しく唇を離せば、俺の白雪姫が目を覚ます。
 ぱちりと目を覚ました燈司は、先ほどまで永遠の眠りについていた白雪姫とは思えないくらい血色よく俺を見上げる。彼の肩で小人役が手向けた白い花が揺れた。
 舞台袖で「おうじくん、セリフ、セリフ!!」と光晴たちが叫んでいるように聞こえる。
 燈司は弾かれたようにハッとし、体を起こすと「運命の人」と、震える唇を何とか動かし発声した。
 小人役が「真実の愛!」とコールする。会場は拍手に包まれ、俺は起き上がった燈司をなんとか持ち上げた。腰がグギッと鳴ってしまいなんともしまらないが、俺は棺の前に出て、燈司をお姫様抱っこをしたままその場で一回大きく円を描くように回った。ひらりと黄色いドレスがはためく。
 小人役たちが棺の下に隠してあったカゴを持ち上げ、フラワーシャワーに見立てた紙吹雪を散らす。
 会場は、想像以上の拍手に包まれ、ヴォーンと音を立てながらカーテンが締まっていく。俺は、カーテンが閉まり切り、スポットライトが消えるその瞬間まで、体育館の奥を見つめていた。
 凛、と声が聴こえた気がしたが、今の俺はきっと燈司以上に真っ赤になっているだろう。ファーストキス後の顔がダサいなんて、やっぱりしまらない。
 俺は、やり切ったと拍手の音を耳で拾いながら、ステージの中央でぺこりと深くお辞儀をしたのだった。