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 カラカラとママチャリの車輪が回る。
 今日は俺が白線側を歩き、燈司が歩道側にいる。
 今日の劇の練習中も俺のせいで、クラスの空気が白けた。何度怒られたかわからないし、俺をプッシュしてくれていた男子たちからも白い目で見られた。まあ、理由は単純に女子のキンキンとした声を聴くのが嫌なのだろう。
 今からでも理人に役を変ってもらえとブーイングが飛び続け、俺も俺でやる気をなくしていた。でも、だからと言って今更……というか、子の役だけはおりたくなかった。自分がへたくそなのも自覚ある。
 隣を歩く燈司は終始無言だった。
 初めのころは、俺に「大丈夫だよ。恥ずかしいもんね」と優しく声をかけてくれていたが、今ではその言葉もかけてくれなくなった。
 無言の時間が続き、気まずい空気が流れる。
(クソ、俺のヘタレ。バカやろう……なんでいつもこうなんだ)
 文化祭のとき告白するーって意気込んでいたやつの態度じゃない。これじゃあ、文化祭のときに告白する前に失望されたようなものだ。
 意味は違うカエル化ってやつか。
 無言の空気に耐えきれなくなり、俺は購買で売られているパンの話題を振った。
「そういやさ、燈司。ハロウィンが近づくと、秋の味覚を詰め込んだパンってのが売られるって聞いて。楽しみだなあーって……」
「凛」
「お、おう、なんだ。燈司」
 俺の話にまったく興味がないようにスルーした燈司は、ブレーキを優しく握り足を止めた。
 俺はキキィーと慌ててブレーキを握って燈司のほうを見る。
「凛、練習嫌?」
「れ、練習? なんの?」
「劇の練習……凛ってさ、あんまり表に出るの好きじゃないタイプじゃん。俺も同じだけど、今回はさ、俺が選んでやることになったから申し訳ないなって思って」
「あーいや、大丈夫。そんな、燈司が気にすることねえって」
 燈司の声色が悲しそうだ。
 俺の隣を小型トラックが通っていく。鼻の曲がるような排気ガスの匂いを嗅ぎながら、俺は燈司を見ていた。
 燈司はあの日、白雪姫役として俺を王子役に推薦してくれた。てっきり、理人が選ばれるかと思っていたため以外で、でも、俺を好きだから燈司が選んでくれたのかもという自惚れがあった。
 しかし、俺は燈司の期待にこたえられるような、皆の期待にこたえられるような演技をできていない。むしろ足を引っ張っている。
 俺を選んだ燈司まで、何か言われるのは違うけど、燈司がそれで病んでしまうのは見ていられなかった。
(違う、気にすることねえとか、そういうことじゃなくて)
 選んでもらって嬉しいって伝えればいい。
 なのに、なぜ俺は本心を隠してしまうのか。好きなんだろう、燈司を。だったら、言えばいいのに。
「ほら、毎回凛は同じところで躓くじゃん……っていったら、酷いか。でも、無理してるんだったらいいよ。皆、ああいってるけどさ。できないことあるから」
 グッと握り込まれるブレーキを見て、俺は無意識に首を横に振った。
 夕日が沈み、燈司の顔にも影がかかる。見えない。艶々とした黒髪の、その前髪の下の表情が。
 ダメだ。
 悲しそうな声色に、俺は耐えきれなくなって燈司の肩を掴んだ。俺が手を離すと車道側に派手にママチャリが倒れる。カゴに入っていたリュックサックが地面へ投げ出され、燈司の視線はそっちに向く。だが、俺は燈司に俺を見ろと肩を強く掴んだ。
「い、痛いよ。凛」
「……俺、嬉しかった」
「凛?」
 止まるな。言い切るんだ。
 心臓がうるさい。
 車が邪魔そうに俺の自転車を避けて通っていく。いつもならすぐに自転車を起こすところだろうが、俺にはその余裕がなかった。
 燈司は、眉間にしわを寄せて俺を見上げている。今は、はっきり燈司の顔が見える。
「お前が、俺を王子さま役に推薦してくれて。俺、嫌じゃないんだよ。ただ、俺が、こっぱずかしくて」
「……っ、凛」
「俺、お前とのキスシーンで、何度も頭の中でキスしてた。でもさ、燈司にキスして、燈司がどんな表情になるかって想像できなかった。お前の唇はやわらかいだろうし、あの蜂蜜のリップクリーム使ってるから甘いだろうし。お前にキスしたら、燈司はどうなるんだろうって!」
 暫く道路には車が通らなかった。幸いにも誰にも俺たちの声は届いていない。
 でもきっと、ここに誰が通ろうが今の俺は止まらなかったと思う。
 燈司の肩は少し震えていた。当たり前か。いくら幼馴染とはいえ、三十センチも違う男が肩を掴んで、大声を出しているのだから。俺でもビビる。
(はあ……はぁっ……クソ、止まんねえ)
 言わないでおこうと思ったことまで口から出た。ひっこめるには遅くて、俺の妄想はすべて燈司に伝わってしまっただろう。顔を見ることができない。
 またしばらく、俺たちの間に沈黙が訪れる。
 しかし、その沈黙を破ったのは燈司だった。
「りん……そんなこと思ってたの?」
 ハッと見た燈司の大きな瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙が流れ、ひぐっと小さな鼻を上下させていた。