いつも授業に集中できなくて、最後の十五分ぐらいは爆睡している。
「……きて、おーきて、(りん)
「……んへぇ?」
 チリンと鈴の転がるような声が聴こえ、ぱちりと目が覚めた。
 授業の終わりを告げるチャイムが鳴り終わり、クラスメイト達が立ち上がる。それは、中休みに入ったことを告げる音。
 皆が一斉に立ち上がり、椅子が床に擦れる耳障りな音が聞こえる。
 俺――白雪凛(しらゆきりん)は、まだ霞む視界の中、俺の顔を覗き込む幼馴染の顔を捉えた。
「あっ、起きた。凛。おはよう」
「ん……はよ。燈司(とうじ)
 顔を上げれば、鼻がくっつくような距離に幼馴染――白馬燈司(はくばとうじ)の顔があった。小顔で、黒い目が大きくて、ほんのり色づいた形のいい唇は、高校二年生の男子とは思えないくらい愛らしい。少し明るい黒髪は癖がなく艶々している。俺の寝癖が取れない黒髪とはわけが違う。
(うわっ、本日のベストショット。机顔ちょこんと乗せて、首傾げてるのかわいすぎるだろ)
 俺の幼馴染は今日もかわいい。
 ぽーっと、燈司の顔を見ていると、クスクスと後ろから笑い声が聞こえた。
 俺は顔に付いたよだれを拭う。それから、体を起こし、背もたれにもたれかかりながら後ろを振り返る。ロッカーがずらりと並んでいる教室の後方で、同じ部活のクラスメイトが俺と燈司を見て笑っている姿が確認できた。
「凛ちゃんまーた、”おうじくん”に起こされてやんの。ウケんな?」
「凛ちゃんさあ。その白雪姫(・・・)いつまでつづけんのさ。授業中寝すぎ。俺爆睡中!! って、堂々と寝てんの度胸ありすぎ」
「十分の仮眠は寝てるうちにはいんねーの! テストがよければいいんだよ、テストが!」
 俺は、ちゃかしてくるクラスメイトに文句を言ってガタガタと椅子を鳴らす。
 笑っている二人は、同じ部活のクラスメイトだ。
 腹を抱えて大爆笑しているやつが烏田秀人(からすだしゅうと)。金目のものに目がなく、自動販売機の下を覗き込んで小銭を探すのが趣味なテニス部のエース。
 その隣にいる少しほつれだらけの制服を着ているのは森林光晴(もりばやしこうせい)。うちの制服は、 紺色のブレザーに少し青みがかったカッターシャツ。男女ともに赤いネクタイで、そのネクタイには緑のストライプ柄が入っている。光晴は二年前に卒業した兄貴のお下がりの制服を着ている。背丈があっていないためよれよれのよぼよぼだ。
 そんな二人とは、高校に入ってからの付き合いだ。
 そして、二人は俺のことを”凛ちゃん”とちゃん付けする。ちゃん付けする理由は単純で、俺の名前が白雪凛で女っぽいからだそうだ。
 ちなみに、燈司が”おうじくん”と呼ばれているのは、白馬燈司――白馬の王子さまに語感が似ているかららしい。燈司がなまっておうじだそうだ。こちらも安直なネーミングセンスだ。
 俺と燈司はこの二人のせいで、クラスメイトから凛ちゃん、おうじくん呼びされる羽目となった。この呼び名は瞬く間にクラスだけでなく、部活の先輩後輩にまで浸透してしまっている。いい迷惑だ。
 秀人は「今度寝たら、凛ちゃんの頭に真っ赤なリボン乗せてやっからな」と、目じりに涙を浮かべながら、俺を指さし言ってきた。それがツボったのか、光晴もブッと唾を吐き散らして爆笑する。
 この高校のテニスはきつい練習がないものの、夜遅くまでだらだらとやるので、家に帰るのは八時過ぎだ。それから、飯を食って課題をやっていると零時を回る。
 俺は寝なきゃやっていけないタイプなので、授業中爆睡してしまうのはしかたがない。でも、だいたい授業終わり十五分前くらいに寝始めるから、寝てないも一緒だろう。
「り、凛!! 危ないって。倒れちゃうよ!?」
「大丈夫だって、俺バランス感覚いいから――……うわっ!!」
 ガタンと、椅子が後ろにひっくり返る。俺はそのまま、メープル色の床に後頭部を打ち付けた。じんわりとした痛みが頭に走る。
「~~~~ってぇ」
 俺を笑う声は先ほどよりも大きくなった。涙目になってあいつらを見れば、秀人も光晴も腹を抱えて笑っている。
「だ、大丈夫? 凛」
 そんな、笑っている二人と違い、燈司は俺を心配して駆け寄ってくれた。椅子を直した後、床に膝をついて俺の顔を覗き込む。
「凛ちゃんダッセ~」
「おうじくんの言うこと聞かないからだぞー!」
「だから、外野! うるせえ!」
 俺が再度指摘すれば「凛ちゃん激おこぷんぷん丸だ!」とケタケタ笑って教室を出て行った。そのまま、トイレにでも行くつもりだろう。俺は、帰ってくんなと、教室の出入り口を睨み、ふぅ……と息を吐く。 
 それから、後頭部を押さえながら目の前で心配してくれる燈司に大丈夫だと笑ってみせた。しかし、燈司の顔は浮かないままだ。
「凛、心配だから保健室いかない?」
「いやいや、保健室いってもさ。そんな、精密検査できるわけじゃないし大丈夫だって。燈司は心配しすぎなんだよ」
「……心配するでしょ。幼馴染なんだから。それに、頭を打つってかなり危険なことだからさ」
 燈司はそう上目遣いで言ってきた。
「………………好きだ」
「へ? 何が」
「あっ、あーいや、お前の顔が?」
「俺の顔?」
 とっさに出てしまった言葉に付け加えた。何だかそれだけでは愛の告白のように見えるからだ。
 燈司はこてんと首を傾げ不思議そうに俺を見つめている。
 俺は、幼馴染の顔面が好きだ。
 百八十八センチの俺と違って、燈司は百五十五センチ。小顔で、体形も小さくて、足のサイズだって四センチほど違う。
 家が隣同士で、保育園から一緒だった。小学校でも、中学校でも運よく毎回同じクラス。
 俺は、燈司と兄弟のように育ってきた。
 そんな俺は、燈司と過ごすうちにいつしか、燈司の天使のテノールボイスでしか起きられない体質になってしまった。
 いくら先生にがみがみと注意されても、燈司の「起きて」という声でしか俺は目を覚ますことができない。燈司の声を聴くと、何故か身体がシャキッと伸びて起きることができるのだ。
 そのため、秀人と光晴は、俺たちを揶揄して、『白雪姫カップル』と呼んでいる。これまた安直なネーミングセンスである。
(まあ、あながち間違ってないけどな……)
 燈司は、小柄ながらに女子にモテる。紳士だし、コミュニケーション能力もあるし、テストの成績だっていい。故にモテるのだろう。
 燈司はガサツな俺と違って、童話から出てきた王子様のようだ。クラスメイトも、先輩も後輩も、燈司をそう評価する。