「……なーんか、微妙だね」
「そうかしら?」
「微妙ですよ、ね『原因くん』?」
「そ、そうかなぁ……」
「それくらいは認めなさいよ!」
「認めたほうがいいでしょうね」
「昴君、そこだけは潔くしてよねー」
翌朝の列車の、ボックスシートは。
僕にとって、まさに針のむしろだ。
三藤月子、高嶺由衣、赤根玲香に囲まれて、生きた心地がしない。
でも、僕は本当にそんなに悪者なのか?
たった一回、まぁ正確には朝も話したので二回?
見知らぬ女子と話しただけで、この扱いは……。
さすがに不当では、ないのだろうか?
「……昴に、人権なんてないっ!」
「まったく。お姉ちゃんたちの身にもなってよねぇ……」
自称『姉』のふたり、春香陽子、都木美也にも。
昨日の帰り、しっかりしぼられた。
「でも、なんでそこまで……」
「うわぁ。姉ながら最悪」
「まぁ、君がわかれば……。誰も苦労しないからねぇ……」
そうやって昨日のふたりの言葉と。
今朝の三人の言葉が、頭でぐるぐるしているうちに。
ひとりで乗ったスクールバスが、学校に到着する。
校門を越えて、並木道に入る。
ま、まさかねぇ……。
「お・は・よう、海原君」
波野姫妃が、二十四時間前と同じ声色で僕を呼ぶ。
思わず、聞こえなかったフリをして歩き出すと。
いきなり、その声が。ボリュームボタンふたつ分は大きくなる。
「お・は・よう、海原君!!」
並木道の先を歩いていた何人かが、驚いてこちらを振り返る。
「あのー。聞こえならいなら、もっと大きく呼びますけどー?」
観念した、僕が振り返ると。
今朝はなんと、白い歯まで出して。
目の前で『演劇姫』が、ニコニコしている。
「……青のり、ついてますよ」
「そんなわけないでしょ。わたし、嫌いだし」
……あぁ。
こんな古典的なネタでは高嶺くらいしか、撃退できないのか。
確かに、朝から青のりって変だけど。
だったらいつだかの朝、アイツはいったいなにを食べたんだ?
「ちょっと! いまほかの女の子のこと考えていなかった? あいさつは?」
「お、おはようございます、波野先輩」
「もう! そろそろ、姫妃って呼んでもらえないかしら?」
えっと……。
その『あざとかわいい演技』は、昨日もう見ましたけど?
まぁいい。
それ以上は本人に返す、言葉もなく。
僕は早足で、校舎へと向かう。
「ちょっと! そんなに早く歩いて、前の人たちに追いついてもいいの?」
なんだか、ちょっと声に凄みが増している。
「そしたらわたし、あることないこと叫ぶけど。いいかな?」
う、嘘でしょ……。
朝から脅迫されるんですか? しかも笑顔で?
「……えっと。なにか、ご用ですか?」
「そうそう、それでよろしい」
きょうも、しっかり決まっている『お団子ヘア』はそういうと。
「海原君って。周りのガードが固いから、話しかけづらいんだよね〜」
さっき脅迫してきたのとはまた違う声色で、僕に不満そうにいう。
「あの……。ご用件、というか目的はなんですか?」
「うーん。いうには、まだ早いかな」
波野先輩は、ちょっと考えるような仕草をすると。
「ねぇ、止まってもらえる?」
いきなり、真面目な声になった。
「……誰に筋をとおせばいいのか、教えて欲しい」
「はい?」
「だ・か・ら! 海原君との時間を作るには、誰の許可が必要なのか教えて!」
「へ?」
いったい、この人はなにをいっているんだろう?
わけがわからず、もう一度聞き直そうと思ったそのとき。
……並木道の木々が、ざあっと音を立てた。
「……誰の許可も、必要ないわ」
……噂には、聞いていたけれど。
基本誰とも、話さないはずなのに。
本当に彼女って、『彼』のためならしゃべれるんだ。
……誰かのためなら、変われるその子に。
わたしは少し、嫉妬した。
「それならなぜ会話に割り込んだの、三藤さん?」
彼女はわたしの質問には答えず。
ゆっくりと、彼とわたしのあいだに入ってくる。
「あなたの狙いは、いったいなに?」
きれいな瞳だ。
まっすぐな瞳だ。
でも、あなたはまだその瞳を。
……海原昴には、向けきれていない。
「いうには早いって、さっき海原君に答えたばかりなのになぁ……」
……次のスクールバスが、校門前のロータリーに到着する。
波野先輩が、まっすぐに三藤先輩を見据えている。
「『また』並木道で注目を浴びたいの? 三藤さん?」
「演劇部ではないので。必要以上に注目される趣味はないわ」
「じゃぁ、放課後にもう一度会えるかな?」
「構わないわよ」
「それまでは、お互い海原くんには接触しない」
「承知したわ。それでは、失礼」
そういうと三藤先輩は、僕のことなど目もくれず。
ただその髪を、いつもより少し左右に揺らしながら。
少し乱れた歩幅で校舎へと戻っていく。
ふと、気がつくと。
波野先輩も、僕を置いて。
ひとりで歩き出していた。
……いまは、どちらも。
追いかけてはいけない。
さすがの僕でも。
それくらいは、理解した。
その日の、昼休み。
放送室には、三藤先輩がいない。
静かな先輩がいないと、部室の中の賑わいがない。
矛盾するけれど、それが事実だ。
早めのお弁当が終わると、室内に沈黙が流れる。
「なーんか、微妙だね」
玲香ちゃんが口を開いたけれど、誰も言葉を返さない。
「月子、どこにいっちゃったんだろうねぇー?」
玲香ちゃんだけが、話し続ける。
「まったく! 昴君のせいだよ。連れてきてあげなよ?」
「……それは、しません」
「は?」
「えっ?」
ふたりの『姉』が、同時に驚いたような声をあげた、そのとき。
玲香ちゃんが、立ち上がると。
顔を下げたままの、僕の隣にやってくる。
「居場所知らないから、いけません、ってこと?」
「いや、どこにいるかはわかるんだけど……」
いいかけていた、僕の左頬を。
玲香ちゃんが、思いっきりピンタした。
「ちょっと、玲香ちゃん! なにしてんの!」
「由衣は、黙ってて!」
玲香ちゃんは僕をにらみつけたあと、高嶺のほうを向く。
「月子が、どこにいるかわかるくせに。連れ戻そうとしない、意気地なしだよ! そんな昴君を、なんで由衣はかばうわけ!」
「……違うよ、玲香ちゃん」
わたしは、冷静だった。
「コイツは、月子先輩が約束したから。それを破らないだけ」
そうだ、憎らしいけど。
これがコイツの『普通』だ。
「放課後までは、接触しないって……」
陽子先輩が。
「波野さんと約束したって、月子がいってたでしょ?」
美也先輩も。
「……だから、ここにはこないんだよ」
ここにいない誰かを、思う気持ちは同じだ。
玲香ちゃんは、まだ怒っている。
「だったら、昴君がここにこなければいいじゃない!」
だから、わたしは……。
「玲香ちゃんさ。それで、月子先輩が喜ぶと思う?」
「え……?」
「居心地が悪くても、コイツはここにいるんだよ」
「なんで? どうして?」
「……月子がいってたでしょ。勝手な約束しちゃってごめんなさい、って」
……そうだった。
陽子がわたしに、思い出させてくれた。
月子がくれば、昴君は部室に入らない。
「勝手な約束で、ほかのみんなを巻きこみたくはないわ」
あの子のそんな声が、聞こえた気がした。
「お昼くらいひとりで平気よ。だから海原くんは部室にいきなさい」
そうだ、月子なら、そういいそうだ。
いや、むしろ。
「居心地が悪いのは、仕方がないわね。それでもあえて、みんなのところにいくからこそ、海原くんじゃないかしら?」
うん、これが月子だ……。
昴君は、月子の居場所もわかっている。
迎えにいくことなんて簡単なのに、我慢しているんだ。
そうか、つらいのはわたしだけじゃない。
もっと彼は、つらいのか……。
あぁ、わたし。
とっても自分勝手なことしちゃったよ……。
それにしても。
そこまで、互いの気持ちがわかるのに。
どうして心の居場所は、わからないんだろう?
わたしは、月子との差が。
……また、開いた気がした。
「昴君、ごめん……」
わたしは彼に、とんでもないことをしてしまった。
「気にしちゃダメだよ玲香ちゃん、代わりにやってくれてありがと!」
「えっ?」
「ちょ、ちょっと待て!」
わたしは、聞き返して。
昴君は思わず、大きな声を出す。
「なによ? アンタさぁ。最近調子乗りすぎだから! そろそろ一回くらい、天罰喰らったほうが、人生楽しめるってもんでしょ」
……由衣、すごい!
「そうだねぇ、まぁ姉としても頼もしかったというか」
「そうそう、たまにはそれくらいされて。現実見ろよって思うね、うん」
「ちょっと、都木先輩、それに春香先輩も! 僕、被害者ですけど?」
「アンタさぁ! その自覚のなさが、ダメだっていってんの!」
「なんでだよ〜!」
……な〜んだ。
それで、いいんだ。
ここにいるみんなは。
誰かが気持ちをぶつけるのを、待ってたんだね。
「……えっ?」
「どうしたの、昴君?」
「なんで玲香ちゃんが、ご機嫌そうな顔になってるの?」
……ごめんね、昴君。
ピンタしたのは、悪かったけれど。
それでも、たとえこんな役でも。
みんなじゃなくてわたし『だけ』が、『特別』だったんだと思うと……。
わたしはちょっとだけ、うれしくなって。
……今度は一歩、昴君に近づけた気がした。
……海原くんが、そんな目にあっている頃。
わたしは、ひとりで。
ふたりの思い出の場所に立つ。
大きな空には、少しだけ近づいたけれど。
海原くんなしで、ひとりで屋上にくるなんて……。
思っても、みなかった。
わたしは、太陽に照らされた右手の小指を。
左手の人差し指をゆっくりと上下させて、さすってみる。
でも、それだけでは。
ただの触感が、伝わるだけで。
鼓動の変化を、感じなかった。
……わたしはどうして、こんなことをしているのだろう?
海原くんに『約束』をしてもらえる権利なんて。
わたしには、ない。
でも、でも。
……ここに海原くんがいないのは、寂しい。
それだけは、強く。
とっても強く、わかってしまった。

