……二学期の始業式まで、残すところあと数日。
 神社の駐車場の、真新しい砂利の上を。
 動物のマークがついた引越し会社のトラックが、静かに走り出す。

「……どうして、『哺乳類』のマークが多いのかしら?」
「え? そこですか……?」
 高尾(たかお)先生の荷造りを監督するのに、余程消耗したのだろう。
 三藤(みふじ)先輩が、遠い目でそれを眺めながら。
 もう一度丁寧に、お辞儀をする。
 ベテランの運転手が、その姿に気づいたようで。
 短くクラクションを鳴らしてから、道路に出た。

 かくして、先生の引っ越し荷物は、無事出発した。
 あの量の仕分けを、この日までに準備し切ったのは。
 すべて三藤先輩の功績だ。
 ところで、当の本人は。
 父親と母親としばしの別れ、ではなくて……。
響子(きょうこ)! 洗濯機が社務所に届いたわよ!」
「えっ? 住所間違えた?」
「ワシのウイスキー、全部持っていったのか?」
佳織(かおり)と飲めばいいって、酔っ払いながらいってたでしょ〜」
 ダメだ……。
 まだまだ、ここから出られそうにない。


 高嶺(たかね)玲香(れいか)ちゃんが、授与所を預かってくれているので。
 客の少ない神社は、当分安泰だ。
 宿坊の中もすっかり片付いたので、あとはそう。
 予算次第でいつかは、僕たちがまた使えるようになるのだろう。

「まったく誰じゃ、あんな娘に育てたのは……」
 演劇調の宮司、あなたの娘さんですよ。
「あとな若者。客が少ないは、余分じゃ」
 あ、すいません……。
「ついでにいうが、金がないのは。……当然の帰結じゃ」
 あぁ、宿坊の復活は。
 まだまだ、遠い未来になりそうだ……。


「いたいた! とりあえず電車出るから。いってくるね! みんなありがとー!」
 どこにいても聞こえそうな、よくとおる大きな声が聞こえてくる。
 えっ? 実際、あんな遠くにいたのか?
 高尾先生が僕たちに気づくと、大きく手を振っている。

 先生の引っ越し先は、まぁなんというか……。
「なんと、隣の部屋に空きが出たのよ〜! すごくない!」
 僕は、藤峰(ふじみね)先生が。
 果たして意図的に隣人を追い出していないかだけが、気がかりだ。
 そうなると当然、新居の手伝いは、春香(はるか)先輩と都木(とき)先輩の担当で。
 もちろん、荷物が到着する前の新居の掃除と。
「藤峰先生の部屋の大掃除もセットで。昨日からタダ働きさせられています」
 高嶺のスマホに、そんな風の便りが送られてきたそうだ。
 気になっていた、都木先輩も。
 送られてきた写真によれば、元気そうに見えて。
 ……僕は少し、安心している。


「みなさん、夏休みのあいだ。響子のお相手、本当にご苦労様でした」
 僕たちが社務所に集まると、高尾母がやわらかな声で話し出す。
 隣の宮司が、落ち着かなさそうな顔で、あとに続く。
「……誠に、感謝の念に耐えません」
 おぉ、まともな出だしだ。
「でな、このあいだから思っとったんじゃ」
 あぁ、なんか嫌な予感がする……。
「もう誰でもええから、婿殿捕まえたら、ここを継いでくれてええんじゃ!」
 は?
「好きなだけ巫女の衣装用意するから、遠慮せんでくれ!」
 た、高尾先生が……。
 この場にいなくて、よかった……。
 でもまぁ、高尾父の言葉は誰の心にもまったく響いていなくて。
 みんな先生のお父さんだからこんなもんだとしか、思っていない。

「それか、神前式はぜひこちらで! 前撮りだけでも、大歓迎じゃ!」
 宮司がついに、高校生にセールスし始めて。
 僕は、『そのとき』まで。
 この神社が残っているのか、少し不安になってきた……。



「……月子ちゃんと神社で過ごした日々を、忘れないから!」
「月子先輩、わたしの巫女姿。きちんと覚えていてくださいね!」
 ……高嶺と、玲香ちゃんが。
 タイミングよくやってきた列車に乗って、帰っていく。

「すぐに始業式で会うのに、ふたりとも暑苦しかったわね……」
「まだまだ暑いですからねぇ。脳みそ、蒸発しちゃったのかもしれません」
 僕たちが、そんなことを話していると。
 三藤先輩の家の前まで、あっというまに到着する。
「合宿のお陰ですかね? 先輩も歩くペース、随分と早くなりましたよね」
「そ、そうかしら……」
 先輩が、なにかいいたげな表情で僕を見る。
「始業式の日は、一本早い列車で集合するわよ」
「……さっきみんなで確認しましたよ? 忘れていませんから、大丈夫です」
「そ、そうだったわね……」
 先輩も、きっとお疲れなのだろう。
 ここは少しでも長く、休んでもらわないと。

「それじゃぁ、失礼します」
 僕はそう告げて、帰ろうと思ったのだけれど……。
「ちょ……。ちょっと海原くん」
 三藤先輩が、僕のジャージの裾を。
 控えめに少し、引っ張った。


「あ、あのね……。始業式までは予定ある?」
「特に、ありませんけど?」
「宿題は終わった?」
「もちろんです。え? 先輩もしかして……」
「失礼ね! もちろん終わっているわ」
「で、ですよね」
「ただ……。ちょっと予習不足というか、復習不足というか……」
 なんだか、奥歯にモノが挟まったような会話になる。
 きっと先輩のほうが、もっともどかしいのだろうけれど。
 僕に欠けているのは、いったいなんだろう?

「えっと、じゃぁ……」
「そうだ、勉強しない?」
 ……思いがけない、提案だった。
 でも先輩が僕と一緒に勉強しても、得るものなんてあるのだろうか?
「あの……。勉強じゃなくてもいいの。本を読むとか、あとは……。そうね、部活の相談でもいいのだけれど……」
 三藤先輩の、両耳が赤くなっている。
「……えっとね、合宿も中途半端になったし。わたし本当はご飯係だったし、なんかこう……。えっと、お味噌汁とか方程式とかとにかく」
 どうやら、先輩が混乱しているようだったけれど。

「あの……。夏休みだから、お弁当食べにきて!」
 いい出した先輩のほうが、いわれた僕よりも、驚いて。
「じゃあ、明後日十二時にお待ちしています!」
 三藤先輩はそういって、パタパタと家の中に入ってしまった……。


「……夏休みだから、お弁当食べにきて!」
 夏休みはもう終わるし、先輩の家に『弁当』を食べにいく?

「お昼ご飯のこと、だよなぁ?」
 僕はひとり、つぶやいてから。

 明日は本屋に、先輩の読んでいなさそうな本を探しにいこう。
 そんなことを、考えながら。
 僕は、並木道をのんびりと家路に向かった。