……朝から、誰もこない。
 ……おまけに、暑い。

「暇すぎる……」
 背中のすぐうしろに、扇風機をあてながら。
 わたしは、授与所の中で思わずつぶやいた。

 適切な言葉かはわからないけれど、『店開き』してから一時間。
 わたしの前には、誰もこない。
 ……正確には。
由衣(ゆい)ちゃん!」
 わたしの名前を呼びながら、いきなり響子(きょうこ)先生が飛び込んできて。
「ない!」
「どこなの?」
「なんでここに!」
 そのあとも、なんだかひとりでいっぱい叫んでから。
 またどこかに消えていった。

「巫女姿のままあれだけ走り回れるって、すごいよね……」
 わたしは同じ独り言を、三回は繰り返して。
「誰かお客さん、きてくれないかな……」
 それでもなんの変化もない、『店番』を続けている。

 そういえば。小うるさい犬連れの(はら)さん、とかいう人もこなかった。
 やや離れた本殿の中から、時折なにか物音が聞こえくるので。
 陽子(ようこ)先輩が掃除をしているのはわかるけど。
 あとはにぎやかな蝉の鳴き声と、背中の扇風機の音しか聞こえなくて。
 話し相手が、いないんだよねぇ……。


 あぁ、玲香(れいか)先輩も、月子(つきこ)先輩もどこにいるのかな?
 あと、海原(うなはら)は……。
 ちゃんと砂利敷きしてるかな?
 暑過ぎて、バテてないかな?

 ……わたしはふと、海原について考える。
 そういえば最近、みんなではよくしゃべるけど。
 アイツとふたりだけで話すことが、ほとんどなくなった。
 いやいや、だからなに?
 別にわたしはアイツの保護者みたいなものだから、別にそれで構わないはず。
 きっと暑いから、暇だから。
 変なことを、気にしただけだ。

 わたしは、朝から誰も触っていないお守りを並べ直しながら。
 自分の心を落ち着けようとする。
 ただ、ふと。
 苺色(いちごいろ)の布地に、金色で書かれた文字を見て。
 なぜか勝手に、自分の手が止まった。


 ……『縁結び』。
 その文字が、目について。
 なんだろう?
 少しだけ、胸の中がざわざわする。

 このお守りは、いったい誰のためにあるの?
 いやいや、一般的な話しじゃなくて。
 わたしがもし、手にした場合は。
 どうやって使えばいいのだろう?

 あるいは、月子先輩だとしたら?

 ……わたしは、その先をなぜか考えたくなかった。

 それだけではない。

 陽子先輩なら?
 美也先輩は?
 玲香先輩だと?
 ……なぜだろう、誰のことも考えたくない気がしてくる。

 女の子って、『縁結び』の話題とか。すっごく盛り上がれそうなのに。 
 なのに、なぜかこの部活では。
 この話題『だけ』は。

 ……みんなで一緒に、楽しめなさそうな気がする。


「……由衣さん、万引きは犯罪よ」
「えっ!」
 驚きすぎて、お守りを落としてしまった。
「売り物を落とすのは、感心しないわね……」
 月子先輩が、お守りを何気なく拾ってくれて。
 思わず表情を観察してしまったが、特に変化はなさそうだ。

「……まったく、いくら暇でも気をつけなさい」
 先輩はそれだけいうと、くるりと向きを変えて。
 いつもと変わらない歩幅で、本殿へと歩き出した。



 ……暇そうにしていたから、声をかけたのだけれど。
 タイミングが悪かった、ふとそんな気がした。

 あの子が落として、わたしが拾ったお守り。
 そこに書かれていた、『縁結び』の文字。
 あの子はどうして、そんなものを手に取っていたのだろう?
 わたしは、努めて冷静に振る舞ったはずだ。動揺は、見せなかったつもり。
 でも、わたしはなぜか。
 ……見てはいけないものを、見てしまった気がする。

 お守りに記された、言葉の意味と。あの子の気持ちを、つないでみたい?
 いいえ、わたしはやろうとは思わない。
 確実性のあるなにかを、知っているからではない。
 純粋に、正直に。
 なにも、知りたくないだけだ。

 自分の心の中に、波が立った気がしたけれど。
 いまは波の大きさを……考えるのはやめておこう。


 神社は、とても静かで落ち着く所だと思っていたのに。
 まさかお守りひとつで、こんなにザワついてしまうとは思わなかった。
 気持ちを、鎮めたい。
 ……いや、少し違うかもしれない。
 気持ちを、整えたい。


 わたしはいったい、どうしたいのだろう?

 海原くんへの気持ちは、一般的に『初恋』と呼ばれるものらしい。
 彼に見つけてもらえて、思い出してもらえて。

 ……でも、それは。
 初恋のいったいどんな『形』を指すのだろう?

 初恋は、これで終わりなの?
 初恋が成就した、そういえばいいの?
 それとも初恋が、ようやく始まるの?

 いまの関係をどのように解釈するのが、わたしの望みなんだろう?
 そしてそれは、海原くんにとって。
 いったい、どんな意味があるのだろう?


 ……なぜか、わたしの頭の中に。
 由衣さん以外の誰かの顔が、浮かんできた。

 でもそれが『あの人』なのは、どうしてなの?

 あぁ、わからない
 わたしには、わからないことが多過ぎる……。


 ……ふと、気がつくと。
 小ぶりなお(やしろ)が、目にはいる。

 まるで呼び寄せられるように、わたしは小さな鳥居をくぐる。
 なぜだか、わからないけれど。
 わたしは、このお社が。
 とても心の落ち着くところだと思えた。


「……ふむふむ。そのお社が、お嬢ちゃんを呼んだのかね?」
 その声に驚いて振り返ると。
 芝犬を連れた、少しきつねに似た顔のお婆さんが立っている。
「原さん、ですか?」
「いかにも」
 原さんはそう満足げに、答えると。
「邪魔はせんよ」
 それだけいって、そのまま本殿のほうにゆっくりと向かっていく。

 しまった!
 どんなお社なのかを、聞き忘れた。
 でも、あれ?
 原さんを追いかけたいのに、なぜか足が動かない。
 体が、動かない。
 それに、なんだか頭が……。


 ……すると。
 原さんとは反対の方角から、わたしを呼ぶ声が聞こえた気がして。

 そうだよね、こういうときに。

 不思議と現れるのは……。


 きっと……。