夏の太陽は、すでにギラギラと。
神社だろうが、容赦無く照りつけてくる。
僕は参道の脇に積まれた砂利の山の数を、カウントし始めたけれど。
途中からは、なんだか。
寝る前に数え出すとかえって眠れなくなる、『羊の数』と同じ気がしてきて……。
そのあとは無の心で、神社の入り口へと歩み続けることにした。
「レオと、ゴマちゃんか……」
妙な名前の、狛犬のを思い出しながら鳥居までくると。
うげぇ、すごい量の砂利じゃないか……。
いつのまにか、ダンプカーがそれを置いていったようだけれど。
「絶対、頼む量まちがってる……」
狛犬『ゴマちゃん』の前に、僕の身長より高い砂利の山があって。
同じく『レオ』の近くに、それが三つも……。
とてもじゃないが。もう無の心になんて、なれそうもない。
おまけに、山のところになにかあると思ったら。
「多過ぎると思うので、『桁』をひとつ減らしました」
そんなメモが置いてある。
……まさか、この十倍の量を頼んだのか?
大丈夫か、この神社?
……いつまでも、絶望しても仕方がない。
終わりなき旅に出る、これは修行なんだといい気かせて。
ひとつ目の山の、ようやく十分の一あたりに差し掛かった頃。
「……っとらん」
ん?
砂利の音で、よく聞こえなかった。
「おい、お前だ!」
驚いて振り向くと。
年配の男性が、腕組みをしながらこちらを見ている。
「お前だ、入っとらんぞ!」
いったい、なんの話だろう?
もう一度聞き直そうかと思ったら、大きな声で言われた。
「砂利に、腰が入っとらん!」
……なるほど。
もしかしてこれが『小うるさい原さん』なのか?
犬がいない気もするが、どこかにつないであるのかもしれない。
「砂利の山に、ショベルを『こう』するんじゃ」
あの……原さん。
腕組みしたままで、いわれても。
その、『こう』の部分を体で示してくれないと。
どうしたらいいのか、わからないんですけど……。
でも、小うるさいらしいから。黙ってやってみよう。
「違う、『こう』じゃ!」
いや、ですから。
どこが『こう』なんですか?
口だけじゃなくて、実演してくれませんか?
「『こう』じゃ『こう』!」
首だけ、そんな熱心に縦に振られても。
わ、笑いませんから……。
ちゃんと教えてください、原さん……。
僕は図書室にあった、今週のおすすめのコーナーをふと思い出す。
確か、『悪質クレーマーをキレさせないために』みたいなタイトルの本を。
パラパラと、めくったよなぁ。
……逆らったり聞き直したりは、避けるんだっけ?
あのときは、高校の図書室に置くには変な本だと思ったけれど。
人生やっぱり、どこでなにが役に立つかわからない。
知は力なりだと、僕は思った。
……原さんは、まだ飽きもせず。
僕のうしろで「『こう』じゃ『こう』」と、同じことばかり繰り返している。
でも、いっているだけで怒られなくなったので。
ひょっとしたら原さん的に、僕は少し上達したのかもしれない。
あるいは、神社の空気が僕の魂を既に浄化してくれていて。
原さんのようなクレーマーの存在にも、左右されない境地へと。
僕はすでに、辿り着きつつあるのかもしれない。
そう思うと、もしこのまま原さんがここいれば。
この砂利の山を。あっというまに制覇できるかもしれない、とさえ思えてきた。
……ところが、原さんは自由だった。
「疲れた」
ついに、『こう』の連呼に疲れたのか。
実は一向に上達しない僕を教えるのに、疲れたのかはわからないけれど。
原さんは、隣の砂利の山に座ってしまう。
「やれ、やれ」
いえ、そういいたいのは僕のほうなんですけどね。
まさか原さん、このまま居座る気じゃないだろうな?
……と、そのとき。
大型犬ににらまれた、昼寝中の三毛猫のように。
原さんがやけに慌てて、立ち上がる。
「……お父さん? あと海原君。……な、なにしてるの?」
そうか。
高尾先生でも、驚くことってあるんだな。
……って、へ?
いま、『お父さん』っていいました?
僕が、原さんだと思ったのは、なんと高尾先生のお父様で。
じゃ、じゃあここの『宮司』なの!
「いやぁ、海原昴君。悪かった悪かった! 響子が『彼氏』を連れてくると聞いたもんでな。いったいどんなヤツかと思って、わざわざ見にきたら。なんだか高校のジャージを着ているもんだから。ちょっとふざけすぎてしまった!」
なんか、すごいことをいっているけれど。
その笑顔は、確かに高尾先生の父親だ。
「昔演劇部にいたから、ちょっとは変な爺さんみたいな感じがしただろ?」
「まぁ、すっかりだまされてしまいました……」
「いやぁ、君もなかなか立派だったじゃないか!」
「は、はぁ……」
「ちっとも嫌な顔をせず、わたしに付き合ってくれたぞ」
「完全に、原さんだと思っていましたんで……」
さすがに、ご機嫌な高尾父に。クレーマーだと思っていたとまではいえず。
「原さんって、あの原さんかね?」
「いえ、僕の想像上の原さんのほうです」
「ほう、あの原さん。狛犬のところまで出てきたんか」
……話しが、かみ合わないのも。
これまた、高尾家の伝統かもしれない。
……すると突然。
高尾父が、笑顔を捨てて真剣な顔になる。
え、えっ……。
「……ところで、海原昴君」
「は、はい!」
忘れていたけれど、この人は宮司だ。
祈祷の前とか、そんな雰囲気の顔を見て。おまけにまたフルネームで呼ばれて。
僕は若干、緊張したのだけれど……。
「君はその……。高校のジャージを着ているのか?」
「へっ?」
「それともジャージを着た高校生なのか?」
……ダ、ダメだ。
し、質問の意図が。
まったく。わ、わからない……。
ただ。高尾父の血を、高尾先生がきっちり受け継いでいることだけは確信した。
「えっと……高校生です」
「そうなのか! で、何年生?」
「一年ですけど……」
「なんじゃと!」
高尾父が今度は、両手で頭を抱えてうずくまる。
え、なんなの?
演劇、また始まるの?
……ようやく高尾先生が、あきれたような声で説明を始める。
「お父さん、お母さんが冗談でいっただけよ……」
「なに! 響子が『彼氏』を連れてくる、というのがか?」
「そうそう。彼は厳密には『まだ違う』けれど、わたしの教え子よ」
「『厳密には』ってことは! やっぱり彼氏なのか?」
な、なんなんだこのふたりの会話……。
「だ・か・ら! 海原君は、二学期からの高校の生徒なの」
「なに? まだ高校はいっとらんのか?」
「違うってば。藤峰佳織、覚えてるでしょ? あの子の……」
「なに! か、佳織ちゃんの彼氏なのか!」
「……なわけないでしょ、ほんとにもう!」
ついに、あの高尾先生が。
両手を大袈裟に上げて、夏の大空を見上げてしまった……。
「……いやぁ、悪かった!」
先ほどと同じような展開で、高尾父が僕に謝る。
「響子にまーったく彼氏ができんので。この際、現役の高校生だろうがなんでもいいからと思って。どうやら妄想に走りすぎたみたいだ。ちょっと歳を取ってから産まれた子だから、そりゃぁもう心配でなぁ……」
大きく口をあけて、楽しそうに笑う高尾父を見て。
なんだか、いい人なのはよくわかった。
「ほんと、これで宮司だからねぇ……。あ、お父さん! そろそろ出発しないと」
「そうだなぁ、あんまり遅れると怒られるしなぁ」
そうだった。
忘れていたけれど高尾父も、旅行に出るのか。
「荷物とか、大丈夫なんですか?」
「高校一年生よ。お心遣い、痛みいる。わしは生来こんな感じだから、全部もう妻が持っていってくれておる。なぁに、切符さえあれば生きていける」
ま、まぁ切符は好きですけど……。
さすがに生きていくには、もう少し他のものもいるんじゃ……。
「え? ……ってことは、またお財布忘れてない?」
「ん? 切符は財布の中なのか?」
「もう! 急いで取ってくるから、ここで動かずに待ってて!」
いうが早いか、高尾先生が巫女姿のまま全力で社務所へと走っていく。
なんというか、初めて見る家族モードだ。
……高尾先生が、戻るまでのあいだ。
僕は問われるままに、先生と僕たちがどのように出会ったのか説明した。
高尾父は。ときに目を丸くしたり、大笑いしながら。
熱心に、僕の話を聞いてくれた。
「いやぁ。大事な娘が、どこでどんなことをしているのかなんて。大人になったらあんまり話してくれんからのう。ありがたやありがたや」
「いい先生だと、僕たちは思っています」
「いや違う。響子は、いい生徒たちに、恵まれたんじゃ!」
なんだかまた、演劇部モードに戻ったのは。
ひょっとして照れ隠しのため、なのかもしれないと僕は思った。
「お父さん! お財布と切符、わかりにくいところに置かないでっ!」
息を切らせながら戻った、高尾先生に。
返事代わりに、高尾父は。
よしよしといわんばかりに。先生の髪の毛をくしゃくしゃにして、なでていて。
「巫女のヘアスタイルが崩れるでしょ! もう、早くいって!」
完全に、娘モードに入った高尾先生は。
こちらもなんだか、照れているみたいだった。
……結局先生と僕は、念のためにと高尾父を駅まで見送ることになった。
「こんな近くなのに、悪かったなぁ」
「いいから、これで乗り遅れたりしないでね!」
突然、高尾父が目尻にたくさんのシワを寄せながら、僕を見る。
「そうそう、海原君。いま、高一だっていっていたね?」
「はい」
「妻との年齢差が、ちょうど君と響子と同じだよ」
「はい?」
「ちょっ! お、お父さん!」
高尾先生が、珍しく顔を真っ赤にしながら声をあげる。
「なぁに。大人になればな、年齢差なんて大して意味を持たん。『例えば』の話しで。わしたちの逆があってもいいと、伝えただけじゃ」
そういうと、高嶺父は右手で軽く手を振りながら。
プラットフォームを、軽快な足取りでのぼっていく。
「まったくもう……。で、海原君!」
「はい?」
「父の話は、みんなに内緒だからね! わかった?」
「は、はい……」
「特に佳織とか、絶対ダメだよ。バラしたら、化けて出るからね!」
えぇっ? 先生のところって、神社なんじゃぁ……。
「なんともなんとも。親の前とは違って、随分と仲がいいんじゃのぅー」
ギョッとして、声のしたほうを見ると。
プラットフォームから高嶺父が、大きな声で僕たちをからかっている。
「……もう、今度から見送らないからね!」
そういいながら、高尾先生は。
駅から列車が発車して見えなくなるまで、大きく手を振っていた。
僕は、果たしてその横に立っていてよかったのだろうか?
それでも、立たないほうがふたりに失礼だと思った僕は。
高尾先生の隣で同じように、大きく手を振り続けた。
「……あら宮司さん。あちらは娘さんと……ちょっと若そうに見えますけれど、お相手はどなたですか?」
「さぁなぁ。未来のことなんてわからんしねぇ……。確かに少し若いが……」
目尻に、たくさんのやさしいシワを寄せながら。宮司がそっとつぶやく。
「……跡継ぎになれば、楽しそうな青年ですよ」
列車が駅に到着して、発車するまでのあいだに。
宮司とご近所さんのあいだに、そんな会話があったなんて。
……僕たちはまったく、知らなかった。


