「これ、かわいい!」
陽子(ようこ)ちゃんすてき〜」
玲香(れいか)ちゃんも似合ってるよ〜。で、月子(つきこ)。本当によかったの?」
「……『制服のコスプレ』は、わたしの趣味ではないわ」
「ねぇ、ついでにアンタも着たら?」
「……なんで僕が巫女にならないといけないんだ、絶対嫌だぞ」

 朝、七時半より少し前。
 社務所の中では。
 着替えを終えた巫女姿が三名と、ジャージ姿の二名。
 加えてそれらを支配下に置いて鼻息荒い、巫女の大将若干一名が再び揃う。

 どうやら、普段この神社で働いている人たちすべてが。
 きょうから慰安旅行に、出るらしい。
「まぁ、中には一泊で帰って。あとは家でのんびりする人もいるみたいだけどね」
 あの、高尾(たかお)先生……。
 そういう部分の説明は、不要なんで。
 要するにみんなでお休みをとって、代わりに僕達が働かされるんですよね?

「だって、もうすぐわたしが引っ越すでしょ?」
 そうですね。僕たちの学校に職場が変わるから、引っ越すんですね。
「その前にお世話になった恩返しがしたいなって、思ってたのよ〜」
 でもそれ、僕たちに関係ありますか?
「……部費のためだよ、海原(うなはら)部長」
 ご機嫌の春香(はるか)先輩が、耳元でささやく。
「そうそう、働こう働こう!」
 なにその嘘くさい、前向き発言。
 ……絶対に高嶺(たかね)は、巫女のコスプレで喜んでいるだけだろう。

「……いつまでもいっていても、仕方ないわ。とりあえず始めるわよ」
 いつだって、三藤先輩は正しい。
 でも、なにをすれば?
「だからアンタは、砂利専門でしょ」
 高嶺……。
 もし僕がその巫女のコスプレしたら……。代わってくれるのか?


「いい? 放送部は体力も重要よ! 神社の仕事ってね、意外ときついから。みんなにはいい練習になるわ。じゃぁ海原君は砂利係! で巫女の子は、ひとりは授与所でお守りとかの販売係。ひとりは本殿からスタートして建物内の掃除。もうひとりは境内の掃除をしてちょうだい!」
 なんか、大将がいままでにないほどワクワクしている。
「神社は清浄な場所なの。だから掃除が行き届いてなんてあり得ないから! みんなで魂込めて、絶対力を抜かないんだよ!」
 訂正、この大将。実はコワイかも……。

「あの、わたしは……?」
 巫女にならなかった、ジャージ姿の三藤(みふじ)先輩が質問する。
 あぁ、せっかくなら。先輩の巫女姿も見たかったなぁ……。
 突然! 背中にピシャリと縦に激痛が走る。
 うおっ! なにいまの?
「神社で妄想禁止!」
 先生? なんですかその手に持ってるものは……。
警策(きょうさく)っていうんだけど。この棒、知ってる?」
 一応、呼び名は知ってますけどね。
「えっ、なんでアンタが知ってるの?」
 高嶺、ついこないだの漢字テストでなぜか出ただろう……。あの、実家が寺だとかいう、現代文の先生だよ。
「えっと、あのカラオケの先生?」
 まぁ、檀家の前で歌うから結構うまいらしいけど……。そんな余分な情報よりさぁ、漢字を覚えろよ……。

「でも、響子先生。それってお寺で、坐禅のときに使うんですよね?」
 玲香ちゃん、そうだよね!
 ここ、神社だもんね。おかしいよね!
「え〜、いいじゃない。便利なんだから〜」
 ……ダメだ。
 やっぱり高尾先生って。
 こ、根本的に間違っている気がする……。

「もう、そんなのは気にしない! 月子ちゃんには、最重要任務があるんだから」
 え? まさかいきなり。『秘仏磨き』とかですか?
「海原くん、それもお寺よ……」
 三藤先輩、口にしてませんけど、僕! 珍しく間違えただけです!
「うーん。夜中に肝試しがてら、本殿の奥とか裏の倉庫で探してみる?」
 高尾先生!
 ここって神社ですよね! 肝試し不要! 秘仏なくていいんで!

「それで先生。最重要任務とはなんですか?」
「月子ちゃんお願い! みんなのご飯作って!」
 ……って、それかい!
「……わ、わかりました」
 ん?
 一瞬、返事をいい淀んだ三藤先輩が。僕のほうを見た気がしたけれど。
 気のせいだったかな?


「はい、じゃぁわたしはあちこちフォローに入るからね! あと八時には、ちょっと小うるさい(はら)さんが犬連れてお参りにくるから……」
 先生。誰ですか、原さんって?
 神社って、小うるさい常連客とかがいるんですか?
「……だからそれまでに。なとなく見た目だけでいいから、きれいにしてね」
 あのー、さっきは……。
 魂込めて掃除しろとかいっていませんでしたか……?



 スーパーの開店まで、時間があるということで。
 ジャージを着た三藤先輩は、巫女姿の玲香ちゃんと。
 手水舎(ちょうずや)の周りの、掃除に向かう。
 授与所では、高嶺がお守りをキャーキャーいいながら並べている。
 頼むから、ちゃんと値段とか覚えておけよ!
 で、我らが巫女の大将は……。一瞬目を離したすきに消えてしまった。
 トイレとかかな? まったく、自由でのんきなもんだ……。


 僕は、教えられた倉庫からショベルと一輪車を出し。
 参道に向かって、本殿の脇を通ろうとしたのだけれど……。
 なぜだか春香先輩が腰をかがめて、警戒しながら前進している。

「どうかしましたか?」
 そのようすをみて、少し離れたところから小さく声をかけると。
 先輩が短い声を出したあと、僕に駆け寄ってくる。
「よかった〜。怖かったの〜」
 先輩が、両手で僕のジャージの両袖をグッとつかむ。
 以前よりは少し距離があるけれど。
 それでもほのかに、いつものやさしいブーケの香りがする。
「ご、ごめん!」
 慌てて手を離した先輩が、顔を赤めながら僕を見る。
 なんだか春香先輩の距離の取り方って、いつも不思議なんだよな……。

「あの角の向こうからね、変な音と声が聞こえるの……」
 真夏の朝から、不審者?
 お化けにしては時間が早いし、だいたい神社だもんな、ここ。

 先輩を、放っておくわけにもいかず。
 ふたりでゆっくり、音を立てずに前に進む。
 ……確かに。
 鈍い音がして、なにかを叩く音や。人間のうめき声のようなものも聞こえる。
「警察呼ぶ? それとも由衣(ゆい)ちゃん?」
 春香先輩、怖いのはわかりますけど。
 さすがに選択肢が間違ってませんか、それ……。
「動物とかかもしれませんし、まずは確認しましょう。で、とりあえず……」
 僕は、少しは武器になりそうな竹のほうきを逆さに持つ。
 ショベルだと、少しやり過ぎな気がしたのと。
 もし相手が、噂の原さんだったら。
 高尾先生に、ものすごく怒られそうな気がしたからだ。
「少し離れていてください」
「それは嫌。近くがいい」
「……いやでも、もし危険なことだったら」
「そのときは、ふたり一緒」

 ……いったい、春香先輩の真剣な瞳の奥には。
 あのとき、どんな意志が存在していたのだろう?
 言葉の意味までは、深く考えずに。
 ここでいい争っても仕方がないと思った僕は、軽く頷いて了解すると。
「でも僕が逃げてといったら、全力で逃げてくださいよ」
「わかった、すぐに大声で助けを呼んでくる」
 そんな会話を交わして、じわじわと進んでいく。

 相変わらず、不規則になにかを叩く音と。
 微妙に苦しそうな声が、徐々に大きく聞こえてくる。
 もう、迷っていても仕方がない。
 背中に、春香先輩の両手の熱を感じながら。
 僕たちは、一気に角を曲がり。その光景を見て……。

 闘う必要も、警察を呼ぶことも。
 春香先輩が、叫ぶこともなかった。


 ……白い背中と、緋色(ひいろ)(はかま)が。
 賽銭箱(さいせんばこ)の上で、まるで浮いている。
 あれじゃほとんど、泥棒だ……。

「どした? そんなに笑ってるけど、なんかあった?」
「だって、春香先輩が変な音がするってすっごく怖がってて」
「ちょっと、海原君だって緊張してたでしょ!」

 本殿の前では、昨日のお賽銭を集め忘れていた高尾先生が。
 無理やり賽銭箱に、手を突っ込んで苦しんでいたのだ。
「ちゃんと、『とりもち』だって準備したんだから!」
 昨日高尾母にいわれていたのに、忘れていたとバレないようにとか。
 紙幣が入っていたので、早く取りたかったとか。
 途中で腕がつって、うめいていたとか。
 すべてが、子供みたいないいわけのオンパレードで。
 聞いている僕たちは、涙が出るほど笑ってしまった。

「ほかの子たちには、しゃべったらダメだよ!」
 さすがに恥ずかしくなったらしく、高尾先生が顔を赤くしながら訴える。
「でもどのみち、すぐ自分からいい出しそうですけどね……」
「ちょっと、ちゃんと秘密にするって約束してよ!」
 そういって、三人でもう一度笑い出して。

 ……きっと、この日の朝は。
 もし神様が寝坊していたら、大迷惑だっただろう。

 ……いや、そうではなくて。
 
 高尾先生の家の神社だから。


 笑い声は、かえって大歓迎な気がした。