めんどくさくて、やさしい夜

 数日後。
 彩は改めて恵美子の部屋を訪ねた。
「やっほ〜! いらっしゃい、あがってあがって」
 あの日と変わらない声で出迎えてくれる。
 でも、その声にはどこか安心したような響きがあった。
「あのおじさんとこで豆買ってきたよ〜」
 キッチンのところでコーヒー豆を渡すと、じっと顔をのぞきこんでくる。
「この前と顔が違うね」
「……報告しに来た」
「お! 結婚? 失恋? 退職? 開業? どれ?」
「なにその4択。……どれでもないけど、ちゃんと話したよ、幸太と」
「そっか〜! で、どうだった?」
 彩は少し間を置いてから、こう言った。
「めんどくさいな、って思いながらも、ちゃんと関わっていきたいって思えた。
その気持ちに、やっと自分で納得できたってとこかな」
 恵美子が、ふっと表情を緩める。
「そういうの、好きだな。ちゃんと選んだって感じがするから」
 恵美子は紙袋からコーヒー豆を取り出し、「いれていい? それともビールにする?」と聞いてきた。
「コーヒー飲みたいかも」
 彩は言いながら、紙袋からもう一つ小さな箱を取り出した。
「……それで、もうひとつ見てほしいものがあるんだ」
 それは推し服キットの新作サンプルだ。冬仕様のチェック柄とニット風パーツがセットになっている。
「これ、来月リリースする新作。どうしても、恵美子にみせたくて」
 恵美子はそれを見ると、目を輝かせた
「わー、やばい。これって完全な商品版じゃん。柄も素材もめっちゃいい! 触っていい?」
「もちろん」と彩が言うと、恵美子は「ちょっと待って。そこ座ってて」とリビングの方を指差した。言われたとおり、またビーズクッションを借りて座る。
「じゃーん!」
 恵美子がどこからか持ってきたのは、どこかとぼけた顔をした布人形だった。
 フェルトでできた胴体に、刺繍の目と口。身長は20センチほど。伝統衣装のようなものを着ている。彩は思わず吹き出した。
「モンゴルの市場で買ったの。あんまりにも絶妙な顔だったから、連れて帰ってきてしまった」
「うわー……じわじわ来るね」
「ボルジギンさんって呼んでるんだー。知ってる? チンギス・ハーンの元の国姓」
「濃いな、相変わらず」
「でしょ。ね、着せてみて?」
 笑いながら、彩はキットを開け、人形の服の上に新しい布を重ねていく。
テープ式の着せ替えは手軽だけど、パーツの配置や色合わせには、それなりにセンスが必要なのだ。
「お、似合う似合う!」と恵美子は手を叩いて喜んだ。
「ボルジギンさんのために作られたみたい!」
「なんかさ、こういうグッズって『誰かのことを想って』作るものなんだって、最近ようやく実感できてきたんだよね」
 彩はぽつりと呟いた。
「前は、自分の好きを押しつけてただけだったかもしれない。でも今は、その人がどういうふうに見られたいか、どんな気分になりたいか、ちゃんと想像できるようになった気がする」
「そっか。昔は、『自分の』じゃないと納得しないタイプだったもんね」
「うん。でも今は、人が好きなもので楽しんでもらいたいなっていうか、そういうのに向けて作るっていうのも、なんかいいなって思える」
 二人で小さな人形を囲みながら、にやにやと服を貼りつけていく。
 やがて恵美子が、ぽつりと言った。
「それって、すごく彩ちゃんらしい変化な気がする」
 着せ終わったボルジギンさんは、なぜか得意げな顔に見えた。