◆ ◇ ◆
「おーい、カイン!」
「…………」
商業ギルドから外に出ると聞き覚えのある声が自分の名前が呼ぶので、そちらに視線を向ける。
ベルナーだ。
彼は片手をパンツのポケットにつっこみ、もう片方の手を大きくこちらに振っていた。
ニコニコとたいそうな笑顔を湛える彼を見てしまうと、なんだか自分の顔がどんどんと虚無になっていく。
いや、別にベルナー自体が何をしたというわけではないのだけど。
「無事に許可とれたよ」
「なんで喜ばしいことなのに、そんな顔なんだよ」
「なんか、ギルドの人たちに騙されてばっかだと思って」
「俺ぁ別に騙してねえだろ!?」
現に、アンは騙しただろう、とも読める言い方を聞くに、彼女はいつもそういう人なのだろうか。
事の経緯をとりあえずベルナーに説明すると、彼は肩を竦めてかぶりを振った。
「あの人は頭が回るから、きっとお前を離さないように計画でも練ったんだろうよ」
「それにしたって、なんだか俺の知らないところで全部進んでいるようなやり口は気に入らないんだけど。どこぞの副統括長さんもね」
こちらも負けじとため息をつきつつ、特に後ろのほうを語調荒めに言うと、当の本人は俺の肩に手をポンとのせ、ニカッと歯を見せた。
「冒険者の性だから仕方ねえわ。アンももともとは凄腕の冒険者だったしな」
「……そうなの?」
勝手な偏見になるが、冒険者というのはあまり計略に明るいわけではなく、どちらかというと裏表のない人たちが多いと考えていた。
むしろ商業ギルドのほうが、裏表がある人たちが多くて過ごしにくい、とも。
「そらそうさ、生き残るために普段からなんとかして頭をフル回転させてんだから。何も考えずに生きて帰れるほど、ダンジョンってのは浅いもんじゃないぜ」
「言われてみれば、たしかに……」
この間のダンジョンでもそうだったけど、たしかに敵の突破口を探すために頭は使わないといけない。
普通の騎士団とかとは違うんだなぁ、とふと思った。
…………なんか、話題逸らされた?
片眉を上げてベルナーを見上げる。結局、騙されたような感じがする云々の話はどこへ行ったのか。
しかし言及しようとする前に、ベルナーが先に口を開いてしまった。
「んで、これからどうするよ」
「お店と家の物件をもらったから、それを見に行こうと思って」
さすがに家具とかは置いてないだろうから今日から住むってのは難しいだろうけど、ひとまずどんな場所にあるどんな建物なのか、を見てみたい。
「いいじゃねえか。俺もどんな店なのか気になる」
「お得意様だしね、特別に見せてあげる」
冗談めいてそう言うと、地図とともにアンからもらった資料を開く。
どうやら商業ギルドからそこまでは離れていない場所にあるらしく、大通りを進んで二つ離れたブロックを曲がって、小道を進んですぐのところらしい。
ベルナーもずいと地図を覗き込み、感心したように言う。
「は~、だいぶ良い物件もらったんだな」
「まぁ、依頼を受けた対価だからね」
とはいえ、旧文明の遺物を調査する、という俺に得がずいぶんとある依頼だった。
だいたいこういうのは相場が決まっていて、嫌な依頼ほど対価が充実していて、良い依頼ほど対価の価値はどんどんと下がっていく。
王都にいたころなんか、武器の調整をすべてお願いするかわりに、単価がめちゃくちゃ安いなんている依頼はたくさんあった。どこぞの騎士団さんみたいにね!
だからきっと、ベルナーが良い物件と言ったところとはいえ、めちゃくちゃ良いというわけじゃなくて、まぁまぁ普通のところだろう。
……と思って、物件を見に行ったのだが……
「ねぇ」
「なんだ? やっぱ良い物件じゃねえか」
「いや、そうじゃなくて。めちゃくちゃ良すぎる物件じゃない??」
こぢんまりとはしていて元の調整屋よりは規模は小さめだが、まるで新築のような新しさと小奇麗な外装。
3階建ての家は洗練されてはいるが、周りのお店と浮くわけでもなく、良い意味でとても目立っていた。
そしてなんと、『カインの移動調整屋』という看板まであった。
なんで看板がもうできているのか、はきっとアンのせいだろう。
「さすがアンさんだ。根回しが早え早え」
「根回しっていうかさ……、いやいいや。とりあえず中に入ろう」
「おうよ」
そして中に入って再び驚くことになった。
1階は調整屋として作られているのだが、王都とほぼ同じ設備がそこにあったのだ。
大まかな内装は変わらず、木でできた壁と床が温かい雰囲気を醸していて、客を相手するカウンターに、誰かが置いていく武器を陳列する台が置いてある。
そして代替の部品を置いておくための、それはそれは大きな棚。
少なくとも、「武器関係の店」を発注したら出てこない内装だ。
王都時代は店の軒先で調整したこともあったが、さすがに大通りのそばにある店ということもあって、それはできない。
でも最大限、王都と同じ設備であり、同じように作業できるように作ってくれたわけだ。
つまりアンは、俺が調整屋であることはまず知っていて、店の内装も全部知っていて、そして俺が依頼に承諾すると踏んでこれを手配したということ……
「え、なんか怖いんだけど」
思わず声を漏らすと、先に2階に行っていたベルナーが興奮気味に降りてきた。
「おいカイン! 上すっげえぞ!」
「……まだ怖いことが起きるのか……」
促されるままに2階の居住部分を見に行く。
そして再び、俺は目を見開くことになる。
「もう家具も置いてあるし、めっちゃ綺麗だな!」
「あ、うん……そうなんだけど……」
俺は興奮気味なベルナーをよそに、目の前に広がる光景に恐れすら抱いていた。
――なんで、王都の家と同じもので、同じ配置なんだろう……
アンの差配が、すごいを通り越して怖い。
たしかに王都時代と同じだから、生活を始めるのに苦労はしないだろうけど、そもそもなんで俺の家の家具とか内装を知ってるわけ……?
おそるおそるベルナーに聞いてみると、ベルナーはさも当たり前かのように頷いた。
「ま、アンさんだしな」
その言葉で片付けられるのか、あの人は。
そんな言葉が喉元まで出かかっていたけど、とりあえず抑えておいた。
最後に3階を見に行くと、そこはゲストルーム兼、モモの遊び場だった。
ほとんど柱がなく空間をぶち抜いており、モモが走ってもジャンプしても、とくに支障のないはずだ。
部屋の端のほうには俺の部屋と同じようなベッドや棚があり、今はそこには何も置かれていない。
ちなみに水回りも2階と3階それぞれにある豪華仕様なので、誰かが泊まってもそのあたりは気にならないようになっている。
「おー、やっぱりゲストルームも良いとこだな。泊まるのが俄然楽しくなってきたぜ」
「…………ちょっと待って。ベルナーってここに泊まるの?」
さも当たり前かのように、荷物を置き始めるベルナーに思わず声をかけてしまう。
いや、別にダメというわけじゃない。
俺もそこまで狭量じゃないし、パーティを組んでいるのだから困っている仲間を助けるというのは全く嫌ではないのだけど。
「おう! 俺が帝国にいる間はよろしくな! 礼と言っちゃなんだが、飯は作るぜ」
「あ、はい……よろしく……」
にかっと歯を見せた元気な笑みが返ってきて、思わず頷く。
なんだかベルナーに流されっぱなしな気がするけど……まぁ、いいか。
その後、ひとまず自分の荷物の荷解きをした俺たちは、再び帝都の入り口へとやってきていた。
モモを迎えに行く時間だ。
「モモ、怒ってないといいんだけど」
「大丈夫だろ。ワンコとはいえちゃんとこっちの事情もわかるやつだしな」
時刻はすでに夕方。
帝都に着いたのが昼前くらいで、そこからギルドに寄ったり荷解きをしたりベルナーの作った食事に舌鼓を打ったりしていたら、すでにこんな時間になってしまっていた。
ちなみにベルナーの作ってくれた食事は、いろいろなものを鍋で煮込んだ、ごった煮だった。具材も味付けもその時々で変わるから、一期一会の鍋なんだそうな。
夕方にもなると街の外周へ行く人は少なくなり、皆宿に戻ったり食事をしたりするために街の中心へと戻っていく。
そんな人の集団に逆らうように進み、俺たちはモモを預けた帝都の入り口にやってきていた。
「あ、お待ちしておりました!」
やってくるなり、先ほど対応してくれた職員さんが、頭を下げながら出迎えてくれた。
「モモちゃん、とってもおとなしい子で、処置とかチェックがやりやすかったです!」
「それはよかったです」
「まるで、人間の言葉がわかるようなやつだからな」
「はは、ほとんどの飼い主さんはそう言いますね」
ベルナーの冗談に笑った職員さんは、「それではモモちゃんを連れてくるので、少々お待ちください」と言って、カウンターの奥へ去っていく。
すぐにケージに入ったモモを連れてきたが、なんだかその中に入ったモモは、これまでの天真爛漫そうな様相とは一変して、すべてを信頼できない若人みたいな、そんな目で俺とベルナーを交互に見ていた。
「これまでの処置歴と照らし合わせまして、こちらの種類の注射をさせていただきました。ワンちゃんなのであまりしないとは思いますが、今日はお風呂に入れないようにだけお気を付けください」
書類を手渡され、ざっと目を通す。
まぁ、もともと遺跡で発生した遺物だから処置とか何もしていないし、それはそれは大量のリストがずらりと並んでいる。
急に預けられたかと思ったら、何本もの注射を受けるだなんて、そりゃ周りを信頼できないなんていう目になってもおかしくはないか。
あとで、ご褒美と謝罪を兼ねて何か買ってあげよう。
そうこう思っている間にも、職員さんはモモをケージから出して手早く首輪をつけると、抱き上げて俺に渡してくれた。
「帝都にいる間は、なるべく首輪とリードは手放さないようにしてください。それでは、帝都で良い日をお過ごしください!」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げると、抱きかかえたモモもペコリと頭を下げる。
職員さんは、ぱぁ、と顔を明るくして、遠ざかる俺たちに……厳密にはモモに手を振り続けていた。
そうしてしばらく歩き、ひとけのない道を進む。
すると、ぽつりとモモが口を開いた。
「だいぶ、元気で健康的な体になったぜ」
喜ばしい言葉とは裏腹かなり渋い顔をしている。
その顔を見ると、さっき商業ギルドでベルナーにも似たようなこと言われたのを思い出す。俺もこんな感じの顔だったのかな。
「ごめんって、俺も知らなかったんだ。まさか犬とかの動物に検査があるなんて」
「今日の夕飯は、豪華なものを所望するんだぜ」
「わかったわかった。あとでモモ用のデザートも買うから」
「やったぜ!」
現金なやつだなこいつ。
ま、ご飯で気を直せるなら、いいか。
じゃあ、ちょっと寄り道しようか、と思って後方を進むベルナーに振り返ると、なぜかベルナーは険しい顔をしていた。
いつもの彼らしくなくて、思わず首を傾げてしまう。
「ベルナー、どうしたの?」
「いや、なんでもないが」
「どう見ても、なんでもないの顔じゃないんだけど」
いつもにこやかな顔している彼の顔は、帝都にやってきたときと同じようなしかめっ面になっている。
するとベルナーは辺りをキョロキョロと見回し、それから小道を進むように指示をしてきた。
小道は、帝都の端のほうにある空き地へ続いていた。先ほど歩いていた道もひとけがなくすれ違う人もまばらだったが、今は皆無。
なんでこんなところに、と思うなり、ベルナーの表情が一気に緩んだ。頬を手で揉みながら「つっかれた~!」とか言っている。
「俺、帝国じゃ『獅子のように気高く厳格な副統括長』で通ってんだ。だからそのイメージを壊さないように、顔を引き締めてんだ」
「獅子のように……」
「気高く、厳格…………?」
自信満々に言うベルナーと、それを復唱する俺とモモ。
信じられないような声音になるのは仕方ないと思ってほしい。
「ま、帝国じゃ副統括長らしい振る舞いをしてるってことだ。あんまり気にしないでくれな」
肩をパンパンといつものような軽い口調とともに叩かれ、頷く。
ベルナーがどうやって副統括長なんていうまとめる立ち位置にいられるのかと思っていたけど、そんな演技をしていたのか。
たしかに、引き締めている顔のベルナーは、服さえちゃんとしていれば威厳はある。
なんだかそれを想像すると、普段のベルナーを知っている身からすると、面白いけど。
思わず噴き出しそうになると、彼は口角を下げてへの口になり、片眉を上げて不満そうに口を尖らせた。
「なんだよ、おかしいかよ」
「いやごめん……ははっ、ベルナーも頑張ってるんだな、って」
「うるせ、ほっとけほっとけ」
つんとそっぽを向くベルナーは、先ほどまでの表情とはまったく違って、再び噴き出してしまった。

