俺のピアスをつけてよ、委員長!

 クラスの雰囲気に慣れないまま4月が終わり、ゴールデンウィークが過ぎた。来月なればすぐに体育祭があり、生徒会の活動もにわかに忙しくなってくる。
「姫川~。体育祭当日のスケジュールって、もうできてる?」
 よく晴れた日の放課後。
 同じ生徒会で会計をやっている、隣のクラスの水沢(みずさわ)怜奈(れな)に廊下で声をかけられた。お気に入りらしい三つ編みのおさげ髪に、特徴的な目の下のほくろ。明るく責任感が強い彼女は、執行部の中でも特に頼りになる存在だ。
「このあいだの委員会で決まったやつなら、プリント作っといたけど」
「さっすが。体育の仲澤先生が欲しがってたから、あとで職員室に持っていってあげて」
「わかったー」
 学校に残って練習をしている人も多く、放課後はいつもよりにぎやかだ。頼まれたものを印刷して職員室に向かう途中で、グラウンドを走っている学生たちの姿が目に入った。
(……あ、奏汰がいる)
 何人かのグループで集まり、走りながらバトンを渡す練習をしている。
 クラスで誰がどの種目に出るかの話し合いをしたとき、リレーの候補には奏汰の名前があがっていた。
「なんで帰宅部がリレーに出なきゃならねぇんだよ」
「だって、お前足速いじゃん! 優勝したいんだから頼むよ」
「ぜっっったいに嫌だ」
 奏汰はかなり(しぶ)っていたものの、100メートル走の記録があまりに良すぎたため、結果的にリレーの選手に選ばれてしまっていた。
 一方の僕はといえば、生徒会の仕事もあるから練習がいらない競技に……と思っていたのだけれど、いつの間にかダンスと借り物競争ならぬ『借り人競争』に出ることになってしまった。
(わかってたとはいえ、けっこう忙しいな……)
 ダンスはみんなでやるから動きを合わせなきゃいけないし、練習に参加できる時間も限られているから、家で自主練をする日々だ。通学に時間がかかるので、必然的に睡眠時間が削られていく。
(でも、体育祭は成功させたいし、頑張りたいし……)
 廊下で足を止めていると、奏汰がこっちに気づいたらしく、手を振ってくれていた。
 何か言っているように見えて、僕は慌ててグラウンドに面した窓を開ける。
「スマホ! メッセージ送ったから見てっ」
 奏汰に保健室に付き添ってもらい、友達になったあの日。僕らは帰りに連絡先を交換して、今ではよくメッセージを送り合う仲になっていた。
 最初は気なんて合わないかもと思ってたけれど、いざやりとりを始めると全然そんなことはなくて……意外と話も合うし、笑いのツボもよく似てる。
 面白い写真やくだらない動画を送り合うところから始まって、暇なときに「今、何してる?」と連絡するようになるまで、そんなに時間はかからなかった。
 僕はポケットからスマホを取り出してアプリを見る。
『終わったら一緒に帰ろ』。
 文字の下にはクマが妙なダンスをしているスタンプが押してあって……。
「見た! あとでっ」
 そう叫ぶと、声が届いたのか、こっちに向けて親指を立ててくれていた。
(楽しみ、ひとつ増えたかもなぁ……)
 窓を閉め、(うわ)ついた足取りで職員室へと向かう。
 その途中、ふと甘えたような仕草で奏汰のジャージの(そで)を引く女子の姿が目に入った。
(金原さんか……)
 金原(かなはら)(あかね)。ギャルの立花と仲のいい、明るい感じの女の子だ。
 そういえば、ある日の放課後、教室で立花に恋愛相談みたいな話をしていたことがあったっけ。
 あの様子なら、奏汰のことを好きでもおかしくないのかもしれない。
(相変わらずモテるんだなぁ……)
 楽しそうに話しているところを見ると、奏汰にも好意はあるんだろう。
(つき合うとか、あるのかな)
 もやもやする感情はあるものの、それはいったいどういう種類の感情なのかと疑問に思う。モテる奏汰が羨ましいのか、それとも、せっかくできた友達が誰かに取られてしまうことが嫌なのか……。
(……後者だな、きっと)
 友情にも色んな種類があるけれど、奏汰への想いは、他の友達に向けるものとは少し違っているような気がした。
 奏汰は僕に無いものを持っていて、その嫉妬や羨望は友達になった今でも消えたわけじゃない。まだ羨ましいし、ムカつくし、悔しいみたいな気持ちもある。それでも、奏汰に直接気持ちを打ち明けられたからなのか、『ほぼ憧れみたいなもん』っていう奏汰の言葉にしっくりきたからなのかはわからないけれど……その感情は前ほどネガティブなものじゃなくなっている気がした。
 奏汰は僕にとってちょっと特別で……そしてそんな奏汰が「仲良くしよう」と言ってくれていることにはどこか優越感のようなものすら感じている。
 自分にとって特別だから、できれば相手にとってもそうでありたい、なんて……。そんな風に思う自分の傲慢さに、思わず苦笑した。
(高望み、しすぎだよな……)
 今はクラスで仲の良かった友達にすら避けられているような状況だ。話しかけてくれるだけでも十分ありがたいのに、『奏汰のいちばんでありたい』なんてわがままが過ぎる。
 廊下をすれ違ったどこのクラスかもわからない女子が、振り返ってひそひそと囁いた。
「やばっ、あれ反社と繋がりのある人でしょ」
 隣にいる友達がその子に話すのが聞こえてくる。
「裏で闇バイトやってるって聞いたよ」
「5組の誰かが、変な薬売ってるの見たって」
「えー、怖すぎる」
 あれから1か月が経ち、噂は立派な尾ひれがついて広まっていた。
 写真1枚でどうしてそんな風になるんだろう、と不思議に思う。
 闇バイトなんてしてないし、反社会勢力とも繋がってないし、変な薬も売ってない。
(ていうか、どこから出てきたんだよ。その話……)
 反論する気にもなれなかったし、そもそも見ず知らずの人に説明する義理もない。
 僕は最近痛むようになった胃をさすりつつ、職員室の方へ向けて足早に歩き出した。

「真紘~、終わった?」
 生徒会室で仕事の続きをしていると、制服に着替えた奏汰がひょっこりと顔を出した。
「わ、ごめん。もう終わるから」
「ゆっくりでいいよ。急がないし」
 動画でも見ているのか、奏汰はスマホを手にイヤホンをしていたずらっぽく笑っている。
 僕は作業をキリのいいところまで終わらせると、部屋にいた先輩方に挨拶をして、スクールバッグを手に生徒会室を出た。
「ごめんね、待たせて」
「べつに。……忙しいよな、最近」
「うん、まぁ、体育祭がやっぱり」
「あと1か月もないもんなー。うちの高校、謎に気合い入ってるし」
「ほんとそれ。……リレーの練習はどう? 順調?」
「あとで話すけどさ、アンカーになりそう」
「アンカー!?」
 最近あった席替えでは奏汰が廊下側、僕が窓側の席になってしまい、チャットをのぞけばこうして話すのは久しぶりだ。
 のんびりと校舎を歩き、靴を履き替えて外に出た。
 季節が変わったせいか、放課後しばらく居残っていたにもかかわらず外はまだ明るい。
「なぁ、腹減らない?」
「ん~……正直、僕はそんなに」
「そっかぁー。残念」
「あ、でも天気もいいし……寄り道したいよ」
「前に行ったハンバーガーの店でいい?」
「歓迎。何か甘いもの食べたいし」
「決まり。じゃ、行くか」
 高校生らしくいつもお腹を空かせている奏汰と、たまにファストフードの店に寄って帰ることがあった。最寄り駅から二駅歩いたところにある店で、混んでもいなければうちの学生も少ない穴場。
 何を食べようかとか、そんなくだらない話をしているうちに店に着いて、注文を済ませた。トレイを受け取って2階に上がると、外が見えるちょうどいいカウンター席がふたつ空いている。
 奏汰の頼んだメニューを見て、僕は笑った。
「お腹空いてるのはわかるけどさ……まさかのハンバーガーふたつって」
「いいだろ? 俺はこれで、オリジナルのダブルバーガーを作る」
「どうよ」とでも言いたげな、百点満点のドヤ顔。
 知っていたつもりではあるけれど、奏汰にはこういう小学生みたいなところがあった。
「いや、パン余るし」
 冷静にツッコミを入れると、頬を緩めてにっと笑う。
「真紘は……アイスクリームだけ?」
「うん。最近あんまり食欲ないんだよね。一口食べる?」
「もらう」
 スプーンで(すく)って口許に持っていくと、奏汰は勢いよくかぶりついた。
「……美味い。ありがとう、生き返った」
「そんな、大げさな……」
「本当だって。さっきパン食べたんだけど、リレーの練習で走りすぎたから、たぶんもう消化されてなくなった」
「部活やってる連中ってすごいよなー」と感心しながら、奏汰は紙の包みを開けて1つ目のハンバーガーに取りかかる。(ちなみに、ダブルバーガーはやめたらしい)リレーの話になり、僕はさっき奏汰が言いかけていたことを思い出した。
「そういえば、『アンカーになるかも』って?」
「あ、そうそう。今日、バトンの受け渡しの練習やってたんだけど、あれって意外と難しくって」
「左手で受け取って、右手で渡す……みたいな?」
「そんな感じ! 俺、渡すのは大丈夫なんだけど、いったん走り出すと止まれないタイプらしくて……。あまりにバトンが上手く渡らないから、必然的にアンカーにさせられそうって話。すげー笑われたもん、今日」
 拗ねたように言う奏汰に、僕はその姿を想像してみる。
 バトンを持ったままトラックを駆け抜け、次に走る仲間を追い抜いてしまう奏汰……。
 不謹慎だとわかってはいるけれど、かなり面白そうだった。
「笑っただろ、今」
「わ、笑ってない! けど、ちょっと見てみたかったかも。そのバトンの受け渡し」
「言ったな」
「動画とかないの?」
「……ある」
 奏汰は渋い顔をしながらスマホを取り出し、撮った動画を見せてくれた。
 そこにはさっき想像した通りの絵面があって……。
 バトンを渡そうと手を伸ばす奏汰が、そのまま猛スピードで次の走者を追い抜いていき、仲間も頑張って追いつこうとするものの、いつまで経ってもバトンが渡らない。
 もはや、そういうコントみたいだった。
 さすがに笑わない方が無理だ、これは。
 僕がお腹を抱えて笑っていると、奏汰に軽くデコピンされた。
「痛って……! ごめん、ツボに入っちゃって」
「まぁ、俺もこいつも笑い転げてたから気持ちはわかる」
 ふてくされた顔をしていたものの、奏汰はもう一度動画を再生してくれ、今度はふたりで笑った。
 何度見ても、面白い。
 僕があまりに気に入ってしまったので、最終的に奏汰が動画をスマホに送ってくれることになった。
「ありがと! 元気出ないときは、これ見ることにするよ」
 目尻に滲んだ涙を拭ってお礼を言うと、奏汰は「どうも」と照れたみたいに口を(とが)らせていた。
 奏汰といるときは大抵がこんな感じで、何か面白いものを見つけては、一緒に笑い転げていたりする。
 楽しくて、時間があっという間に過ぎる感じがした。これまでは腹立たしかった皮肉っぽい笑い方も、印象が変わって今ではすごく奏汰らしいという感じがする。
 奏汰は顔を上げると、2つ目のハンバーガーを(かじ)りながら「それよりさぁ」と話題を変えた。
「最近、真紘の方はどうなの? 色々、話聞かせてよ」
「うーん……変わったこととかは、特にないよ。家でダンスの練習を頑張ってるくらいで」
「小木とはちゃんと話せたの?」
 奏汰が眉尻の下がった顔で、僕の表情をのぞき込む。
 クラスのチャットに中学時代の写真が貼られてから、小木には何となく避けられていた。
 そして、それは今でもまだ続いている。
『委員長の中学時代って聞いたけど、ホント!?』というあのメッセージには直接返信できないまま話が流れてしまったけれど、小木にだけは真実を伝えていた。
 それが良かったのか、悪かったのかはわからない。
 でも、嘘をつく気にもなれなかった。
 品行方正で真面目な委員長。入学以来ずっとそんなキャラクターで通していた僕と、最初に仲良くなってくれた友達だ。ショックを受けていても仕方ないし、気持ちの整理に時間が必要だとしてもおかしくはなかった。
「……まだ、かな。話そうとは思ってるんだけど、なんて話しかけていいかわかんなくて」
「そっか」
「逆に奏汰くらいだよ。こうして変わらずに接してくれてるの。……あ、宇佐美と葉山も仲間に入れてくれるから、すごくありがたいんだけど」
「俺はべつに。ただ真紘と仲良くしたかっただけだし」
「……逆にさ、奏汰はどうして中学時代の僕のことを、もう『過去』なんだって思ってくれたの?」
「どうしてって?」
「いや、ほら……僕が今も悪いことしてるって、思ってる人もいるみたいだから……。小木や真田も、もしかしたらそうなのかもしれないけど」
 廊下で聞いた噂話が頭をよぎる。
 彼女たちの疑うような、探るような嫌な目つき。
 奏汰は「んー」と声を出しながらコーラを啜り、その手で僕の左耳に触れた。
「……俺は、ひと目でわかっちゃった」
「だから、なんで」
「それはまだ内緒ー。……でも、小木くらい仲がよかったら気づいても良さそうなのにって思うんだよな」
 そう言いながら僕の耳たぶを揉み、サイドの髪に触れる。冷えた手が妙にくすぐったかった。
「ちょっ……答えになってないし」
「答えてないもん。……ねぇ、ピアスつけないの? せっかく俺があげたのに」
「だって、校則がっ」
「放課後ならいいでしょ。誰に見られるわけでもないんだし」
「うーん……」と唸っている僕の耳の輪郭を、奏汰の指がなぞる。変な声が出そうになって、慌てて手を払った。
「……調子乗りすぎ」
「ちぇっ。真紘のこと触るの、好きなのに」
 奏汰はそう言って、いたずらっぽく笑っていた。
 降参という風に両手を上げ、また残りのハンバーガーに取りかかる。
「ま、小木もみんなも、そのうちわかるんじゃね? 真紘は学校やクラスのために、真剣に頑張ってくれてるわけだし」
「……だといいけど」
 アイスクリームの続きを一口食べて、考える。
 本当に、奏汰の言う通りになればよかった。
「……あ、そうだ。真紘もハンバーガー食べる?」
 奏汰が思い出したように言って、「食べかけだけど」と紙に包まれたそれを差し出した。
「ありがとう。……大丈夫」
「本当に、食欲ないんだ」
「うん」
「痛いとか苦しいとかあるの?」
「胃がちょっと。……あと、何だか息が深く吸えないような気がしてさ」
 奏汰は「ふぅん」と呟きながら、最後の大きなかけらを口に放り込み、僕のシャツに手をかけた。
 いったい、何をしようとしているのか。
「こっちの方がいいから」
 奏汰の手が慣れた手つきでシャツの第一ボタンを開け、ネクタイを緩めていく。
 ブレザーのボタンを外し、ズボンに入ったシャツを引っ張り出そうとしたところで「いや、そこまではいいかな!」と制止した。
「どう?」
 聞かれて、試しに深く息を吸ってみる。
 たしかにネクタイは緩めた方がいいし、シャツも第一ボタンを開けた方が楽だった。
 喉の圧迫感がなくなって、息がしやすい。
「……少し楽になった」
「だろ? 放課後くらい、それでいいって。俺はいつもそうしてるけど」
 言いながら、わしゃわしゃと頭を撫でられる。
 奏汰に触られるのは不思議と心地よくて、僕はそのまま身を任せた。
「無理すんなよ」
「……ありがと」
 その後はまたいつものくだらない話に戻って、僕らは日が沈みかけた頃に店を出た。
 夕暮れの街灯りが本当にきれいで……ふたりで駅までの道を歩きながら、僕は「また明日から頑張ろう」と、そう思った。