(や、やってしまった……)
クラスではちょうど、2年で使われる教材の説明がされているところだ。
担任の声と紙を静かにめくる音。
僕も話を聞いているフリこそしているものの、頭の中はさっきの出来事でいっぱいだ。日枝を怒鳴りつけ、おまけに肘鉄まで喰らわせてしまった。
(そもそも、日枝が僕を怒らせたのが悪いんだ)
「交換しよ」なんて言って高価なピアスを勝手に押しつけてきて、僕をトイレに連れ込んだかと思えばいじめっ子みたいに眼鏡を取り上げた。
(……いや、違うな。最終的に怒ったのは僕だし、あれは明らかにやりすぎた)
日枝の行動に腹が立ったのは事実だけど、どんなことがあっても手を出すべきではなかったし、声を荒らげるべきでもなかった。それに、肘鉄はさすがにやりすぎだ。
悪いのは僕、となると……。
(謝るしかないよな……)
前の席に座る日枝の背中を指で叩き、ノートの切れ端に『ごめん』と書いて手渡した。日枝は紙切れに目を落とし、何やら書き込んでから返してくる。
『痛かった。貸しひとつで』
貸しという言葉は気になったが、許してくれそうな雰囲気にほっとする。
『本当にごめん。何が希望?』
もう一度、切れ端を渡した。
今度はしばらく返って来なくて、どうしたのかと思っていたら、オリエンテーションの終了間際に戻ってきた。
『本当の姫川が知りたい』
紙切れを見つめながら、どういう意味だろうと考える。
(本当の……?)
昔の、ヤンキーだった頃の僕のことを言っているんだろうか? でも、さっきちょっと声を荒らげたくらいで、日枝は僕の過去ついて何も知らないはずだ。
休み時間になったのをきっかけに、日枝に直接聞いてみる。
「べつに、文字通りの意味だけど」
「はぁ」
「何か、姫川のことをもっと知りたくなったし、仲良くなりたいなって思って」
意味が……わからなかった。
もし僕が「ピアスをつけてよ」なんてうざ絡みした相手からブチ切れられたら、関係をやめるか、逆にこっちから切れ散らかすかの二択だ。そして、僕ならたぶん後者……って、いや待て待て。思考が中学時代に戻ってる。
優等生としての僕なら、そもそもうざ絡みなんてしないだろうけど、きっと『少し距離を置く』くらいの選択をするはずだ。どのみち、殴ってきた相手と『仲良くなりたい』とはならない気がする。
(……それに、日枝と僕が一緒にいるのを見て、周りはどう感じるんだろう?)
間違っても、同じようなタイプには見えない。
見た目もよくて陽キャの日枝と、眼鏡で委員長キャラの僕。
(僕が使いっ走りでもやらされているように見えるんだろうか?)
それはそれで嫌だったし、お互いにとって何のメリットもない気がする。
「……僕たちが一緒にいるのって、変じゃない?」
「なんで」
「なんでって……上手く説明できないけど、住んでる世界が違うっていうか」
「同じクラスだろ」
「それは、そうなんだけど……」
考えていることが上手く伝わらず、もどかしかった。
「そんな、難しく考えなくてもいいんだけどな。……仲良くしようよ、委員長」
「なんで僕なの」
日枝は天井を見上げて「うーん」と考えてから、ふたたび僕の方を見た。
「……気になるから」
手が伸びてきて、短くなったサイドの髪を耳にかけられる。そのまま髪を梳くようにして、そっと耳の辺りを撫でられた。
その仕草があまりに自然すぎたので、しばらくされるがままにしていたけれど――ふと我に返って手を払う。
「……っ、からかわれるのって好きじゃない」
言い捨てて、踵を返した。
足早に教室を出て、廊下を歩く。
触れられたところが熱くなっている気がして、自分の髪をわしゃわしゃとかき乱した。
いったい何なんだよ、日枝奏汰。
(気になるって、何……!?)
見つめられて、髪を触られた。
あんなの……好きな子にやるようなことだろう。
たいして知りもしない奴にやることじゃない。
(クソッ……)
少しでもドキッとしてしまった自分が不甲斐なくて、悔しかった。
きっと、あいつの顔が良すぎるんだろう。
間近に迫る、あのちょっと涼しげな目許を思い出して妙な気持ちになる。
(本当、チャラくて恥ずかしい奴……)
僕はトイレでの出来事を日枝に口止めし忘れたことも忘れて――しばらくのあいだ、大げさな足音を立てて校内を歩き回っていた。
クラスに戻ると、日枝はこっちをちら、と見ただけで話しかけて来ようとはしなかった。
ひとまず、ほっとして席に着く。
オリエンテーションの続きが再開されてしばらくすると、学級委員を決めることになった。
「誰か、立候補いるかー?」
担任が教室を見回している。
女子のひとりが控えめに挙手しているのが目に入った。副委員長をやりたいらしい。
この高校では委員長と副委員長は男女でやることになっていて、どちらが委員長でもいい決まりになっている。つまり、この時点で委員長は男子の誰かがやることになったわけで……。
「推薦で姫川ー!」
「あ、それ俺も一票入れるわ」
元クラスメイトからの推薦によって多数決が取られ、あっという間に僕がやることに決まってしまった。
ちなみに、僕が勝手に天敵だと認識している日枝、宇佐美、葉山も地味に賛成していた。
いいのかよ、それで。
(今回はそんなに乗り気じゃなかったんだけどな……)
去年の大変だった思い出が、走馬灯のように頭を駆け巡る。まぁ、でも推薦されたなら仕方がないと、前に出て挨拶をした。
「……え、何? 気が進まないの? 委員長」
放課後。小木と生徒会室に向かう途中で、ちょうどその話になった。
「小木まで委員長呼びかよ」
頬を膨らませる僕に、小木が笑う。
「みんな賛成だったし、いいんじゃない?」
「去年は日枝や宇佐美たちのグループが面倒だったから。それに……日枝から謎に『仲良くしよう』とか言われてて怖い」
「へぇ~? 何それ、詳しく」
僕は小木に昨日からの日枝との出来事について簡単に話した。もちろん「気になる」なんて言われたことは伏せたし、中学時代のこともまだ話せてはいなかったから、自分が日枝にしたことは都合よく伏せてしまったけれど……。それでも、小木はたまに相槌を打ちながら親身になって話を聞いてくれた。
「あっはっは! ……何それ、変なの」
「でしょ? 急にどうしたんだよって思って」
「そういう面白いとこあるよね、日枝って。……でもさ、仲良くすればいいんじゃない? 悪い奴じゃないと思うし」
「小木はそう思うの?」
「うん。たまに変な絡み方してくるときとかあるし、無駄に威圧感があるのも確かだけど……悪い噂とかはあまり聞かなくない? モテるから敵作りやすいとかはあるかもしれないけど」
「ああ……」
モテるだろうな、というのは同感しかない。
あの顔で、あんなことをされたら勘違いする人間はたくさんいるだろう。無駄にいい匂いとかするし。仕草とか、妙に優しい気がするし。
「そういえば、去年の文化祭のとき……あいつが校舎裏で凹んでるとこに遭遇したことあるな」
「凹んでた?」
「そう。言い方が悪かったのか、クラスの女子が怖がって泣いちゃったらしくて」
僕ですら高圧的に感じるくらいだから、他の人から見たら余計にそうなんだろう。日枝は、神様がうっかりすべてを与えてしまった系の人間だと思っていたけれど、どうやら完璧というわけでもないらしい。
「そのときは、ひとりでジメっと反省会してるみたいだったよ」
「そんな一面もあるんだ」
「俺が見たのはね。……人ってさ、みんな見た目通りとも言えないし、意外な部分があったりもするんじゃない? 深く知らないと、きっとその人の本当のことなんてわかんないよ。……表とは別の、裏の顔があるような奴だっているわけだし」
そのとき、小木のスマートフォンが鳴った。メッセージの通知みたいだ。
「ちょっと、ごめん」
なんだか手持ち無沙汰になり、僕も自分のスマホを見る。通知をオフにしていたから気づかなかったけれど、僕のところにも新しいメッセージが来ているみたいだった。
昨日、帰る間際にクラスのみんなで作ったグループチャット。それぞれが自己紹介の一文を書いて投稿していて……その最後に1枚の写真が貼られている。
それを目にしたとたん、ナイフでも突き立てられたみたいに胸に強い痛みが走った。
小木の顔を横目に見る。
しばらく血の気の引いた顔で画面を見ていた小木が、やがて引き攣った表情でその写真を僕に見せた。
「……これって……本当に、姫川……?」
チャットに貼られていた写真には、僕の中学時代の姿があった。
金メッシュの派手な髪に、ピアスだらけの耳。
地元の悪い仲間たちと一緒に撮った写真で、僕は中指を立てて舌を出している。
どうやら、過去の黒歴史は僕のことを簡単には逃がしてくれないらしかった。
「……うん」
そう答えるしかなかったから答えたけれど、僕の返事に小木は言葉を失くしている。
チャットの画面には、悪気もなく書き込んだんだろう女子の「委員長の中学時代って聞いたけど、ホント!?」という文字が躍っていた。
僕は何と返していいかわからないまま、長いあいだスマホの画面を見つめ続けていた。
クラスではちょうど、2年で使われる教材の説明がされているところだ。
担任の声と紙を静かにめくる音。
僕も話を聞いているフリこそしているものの、頭の中はさっきの出来事でいっぱいだ。日枝を怒鳴りつけ、おまけに肘鉄まで喰らわせてしまった。
(そもそも、日枝が僕を怒らせたのが悪いんだ)
「交換しよ」なんて言って高価なピアスを勝手に押しつけてきて、僕をトイレに連れ込んだかと思えばいじめっ子みたいに眼鏡を取り上げた。
(……いや、違うな。最終的に怒ったのは僕だし、あれは明らかにやりすぎた)
日枝の行動に腹が立ったのは事実だけど、どんなことがあっても手を出すべきではなかったし、声を荒らげるべきでもなかった。それに、肘鉄はさすがにやりすぎだ。
悪いのは僕、となると……。
(謝るしかないよな……)
前の席に座る日枝の背中を指で叩き、ノートの切れ端に『ごめん』と書いて手渡した。日枝は紙切れに目を落とし、何やら書き込んでから返してくる。
『痛かった。貸しひとつで』
貸しという言葉は気になったが、許してくれそうな雰囲気にほっとする。
『本当にごめん。何が希望?』
もう一度、切れ端を渡した。
今度はしばらく返って来なくて、どうしたのかと思っていたら、オリエンテーションの終了間際に戻ってきた。
『本当の姫川が知りたい』
紙切れを見つめながら、どういう意味だろうと考える。
(本当の……?)
昔の、ヤンキーだった頃の僕のことを言っているんだろうか? でも、さっきちょっと声を荒らげたくらいで、日枝は僕の過去ついて何も知らないはずだ。
休み時間になったのをきっかけに、日枝に直接聞いてみる。
「べつに、文字通りの意味だけど」
「はぁ」
「何か、姫川のことをもっと知りたくなったし、仲良くなりたいなって思って」
意味が……わからなかった。
もし僕が「ピアスをつけてよ」なんてうざ絡みした相手からブチ切れられたら、関係をやめるか、逆にこっちから切れ散らかすかの二択だ。そして、僕ならたぶん後者……って、いや待て待て。思考が中学時代に戻ってる。
優等生としての僕なら、そもそもうざ絡みなんてしないだろうけど、きっと『少し距離を置く』くらいの選択をするはずだ。どのみち、殴ってきた相手と『仲良くなりたい』とはならない気がする。
(……それに、日枝と僕が一緒にいるのを見て、周りはどう感じるんだろう?)
間違っても、同じようなタイプには見えない。
見た目もよくて陽キャの日枝と、眼鏡で委員長キャラの僕。
(僕が使いっ走りでもやらされているように見えるんだろうか?)
それはそれで嫌だったし、お互いにとって何のメリットもない気がする。
「……僕たちが一緒にいるのって、変じゃない?」
「なんで」
「なんでって……上手く説明できないけど、住んでる世界が違うっていうか」
「同じクラスだろ」
「それは、そうなんだけど……」
考えていることが上手く伝わらず、もどかしかった。
「そんな、難しく考えなくてもいいんだけどな。……仲良くしようよ、委員長」
「なんで僕なの」
日枝は天井を見上げて「うーん」と考えてから、ふたたび僕の方を見た。
「……気になるから」
手が伸びてきて、短くなったサイドの髪を耳にかけられる。そのまま髪を梳くようにして、そっと耳の辺りを撫でられた。
その仕草があまりに自然すぎたので、しばらくされるがままにしていたけれど――ふと我に返って手を払う。
「……っ、からかわれるのって好きじゃない」
言い捨てて、踵を返した。
足早に教室を出て、廊下を歩く。
触れられたところが熱くなっている気がして、自分の髪をわしゃわしゃとかき乱した。
いったい何なんだよ、日枝奏汰。
(気になるって、何……!?)
見つめられて、髪を触られた。
あんなの……好きな子にやるようなことだろう。
たいして知りもしない奴にやることじゃない。
(クソッ……)
少しでもドキッとしてしまった自分が不甲斐なくて、悔しかった。
きっと、あいつの顔が良すぎるんだろう。
間近に迫る、あのちょっと涼しげな目許を思い出して妙な気持ちになる。
(本当、チャラくて恥ずかしい奴……)
僕はトイレでの出来事を日枝に口止めし忘れたことも忘れて――しばらくのあいだ、大げさな足音を立てて校内を歩き回っていた。
クラスに戻ると、日枝はこっちをちら、と見ただけで話しかけて来ようとはしなかった。
ひとまず、ほっとして席に着く。
オリエンテーションの続きが再開されてしばらくすると、学級委員を決めることになった。
「誰か、立候補いるかー?」
担任が教室を見回している。
女子のひとりが控えめに挙手しているのが目に入った。副委員長をやりたいらしい。
この高校では委員長と副委員長は男女でやることになっていて、どちらが委員長でもいい決まりになっている。つまり、この時点で委員長は男子の誰かがやることになったわけで……。
「推薦で姫川ー!」
「あ、それ俺も一票入れるわ」
元クラスメイトからの推薦によって多数決が取られ、あっという間に僕がやることに決まってしまった。
ちなみに、僕が勝手に天敵だと認識している日枝、宇佐美、葉山も地味に賛成していた。
いいのかよ、それで。
(今回はそんなに乗り気じゃなかったんだけどな……)
去年の大変だった思い出が、走馬灯のように頭を駆け巡る。まぁ、でも推薦されたなら仕方がないと、前に出て挨拶をした。
「……え、何? 気が進まないの? 委員長」
放課後。小木と生徒会室に向かう途中で、ちょうどその話になった。
「小木まで委員長呼びかよ」
頬を膨らませる僕に、小木が笑う。
「みんな賛成だったし、いいんじゃない?」
「去年は日枝や宇佐美たちのグループが面倒だったから。それに……日枝から謎に『仲良くしよう』とか言われてて怖い」
「へぇ~? 何それ、詳しく」
僕は小木に昨日からの日枝との出来事について簡単に話した。もちろん「気になる」なんて言われたことは伏せたし、中学時代のこともまだ話せてはいなかったから、自分が日枝にしたことは都合よく伏せてしまったけれど……。それでも、小木はたまに相槌を打ちながら親身になって話を聞いてくれた。
「あっはっは! ……何それ、変なの」
「でしょ? 急にどうしたんだよって思って」
「そういう面白いとこあるよね、日枝って。……でもさ、仲良くすればいいんじゃない? 悪い奴じゃないと思うし」
「小木はそう思うの?」
「うん。たまに変な絡み方してくるときとかあるし、無駄に威圧感があるのも確かだけど……悪い噂とかはあまり聞かなくない? モテるから敵作りやすいとかはあるかもしれないけど」
「ああ……」
モテるだろうな、というのは同感しかない。
あの顔で、あんなことをされたら勘違いする人間はたくさんいるだろう。無駄にいい匂いとかするし。仕草とか、妙に優しい気がするし。
「そういえば、去年の文化祭のとき……あいつが校舎裏で凹んでるとこに遭遇したことあるな」
「凹んでた?」
「そう。言い方が悪かったのか、クラスの女子が怖がって泣いちゃったらしくて」
僕ですら高圧的に感じるくらいだから、他の人から見たら余計にそうなんだろう。日枝は、神様がうっかりすべてを与えてしまった系の人間だと思っていたけれど、どうやら完璧というわけでもないらしい。
「そのときは、ひとりでジメっと反省会してるみたいだったよ」
「そんな一面もあるんだ」
「俺が見たのはね。……人ってさ、みんな見た目通りとも言えないし、意外な部分があったりもするんじゃない? 深く知らないと、きっとその人の本当のことなんてわかんないよ。……表とは別の、裏の顔があるような奴だっているわけだし」
そのとき、小木のスマートフォンが鳴った。メッセージの通知みたいだ。
「ちょっと、ごめん」
なんだか手持ち無沙汰になり、僕も自分のスマホを見る。通知をオフにしていたから気づかなかったけれど、僕のところにも新しいメッセージが来ているみたいだった。
昨日、帰る間際にクラスのみんなで作ったグループチャット。それぞれが自己紹介の一文を書いて投稿していて……その最後に1枚の写真が貼られている。
それを目にしたとたん、ナイフでも突き立てられたみたいに胸に強い痛みが走った。
小木の顔を横目に見る。
しばらく血の気の引いた顔で画面を見ていた小木が、やがて引き攣った表情でその写真を僕に見せた。
「……これって……本当に、姫川……?」
チャットに貼られていた写真には、僕の中学時代の姿があった。
金メッシュの派手な髪に、ピアスだらけの耳。
地元の悪い仲間たちと一緒に撮った写真で、僕は中指を立てて舌を出している。
どうやら、過去の黒歴史は僕のことを簡単には逃がしてくれないらしかった。
「……うん」
そう答えるしかなかったから答えたけれど、僕の返事に小木は言葉を失くしている。
チャットの画面には、悪気もなく書き込んだんだろう女子の「委員長の中学時代って聞いたけど、ホント!?」という文字が躍っていた。
僕は何と返していいかわからないまま、長いあいだスマホの画面を見つめ続けていた。


