その日の夜、僕は家に帰ると、部屋のカレンダーに印をつけた。
僕の高校生活が変わるきっかけになった日であり、奏汰と正式につき合うことになった日。
9月は奏汰や仲直りした友達と楽しく過ごしながら、あっという間に過ぎていった。
生徒会副会長への立候補、選挙活動に演説。
公約は別に掲げていたけれど、僕はクラスのみんなに説明したのとほとんど同じ内容を演説で話した。どう受け止められるかはわからなかったけれど、誤解を解く努力はしたつもりだ。開票後、すぐに文化祭の準備期間に入り、修学旅行がある。
楽しい時間は本当に短く感じて――。
冬休みが過ぎ、気づけばまた桜の季節がやってきていた。3年の先輩たちと別れ、僕らにまた新しい後輩ができる。僕は冬のあいだに背が伸びて、奏汰との距離が少しだけ縮まったような気がした。
校舎前の桜がきれいに咲いた、始業式の朝。
僕は奏汰と駅で待ち合わせをして、いつもよりも早く登校した。
「あー……わかってても緊張するよな~クラス替えって」
「べつにクラスが離れたからどうってこともないんだけど、できれば一緒のクラスがいいもんね」
「それなー」
僕らは桜の木の前で写真を撮り、そのまま玄関に入って昇降口に貼り出された新しいクラス表の前に立つ。
「そういえばさ。去年もここで会ったの、憶えてる?」
「あったな。真紘、小木と真田と同じクラスになったって言って喜んでてさ。俺も一緒だってわかったとたん、嫌な顔しただろ」
「バレてたか……」
「わかりやすいんだよ、真紘は」
「ごめんって。……あの頃は、まだ奏汰のことよく知らなかったから」
奏汰のことは、遠くから見ているだけでも羨ましかった。だから、苦手だ、嫌いだと思い込むことで避けようとしていたんだと思う。
ふと隣を見上げると、奏汰が「どうしようかなー」といたずらっぽく笑っていた。
(ああ、これは……)
間違いなく、ちょっと悪いことを考えているときの顔だった。奏汰は僕ににっこりと笑いかけて、自分の唇を指でさす。
「キスしてくれたら許す」
「キスって……ここで!?」
「べつに、誰もいないじゃん」
たしかに、いつもよりもかなり早い時間で、辺りにひと気はなかったけれど……。
奏汰は自分の魅力についてよくわかっているらしく、明るく笑って「ねっ」とお願いをした。
高校2年の2学期が始まったばかりの頃――。
僕から正式につき合ってほしいと告白をして、もう半年以上が経っていた。
お互いのことは今まで以上によくわかってはきたけれど、まだまだ毎日が新しい発見の連続だ。
最近、奏汰についてわかったことは、奏汰は自分から僕に絡みに来るのも大好きだけど、僕の方からハグしたりキスしてもらったりするのも好きらしいということだ。よくこうやって……適当に文句をつけては僕にキスさせようとしてくるし、困ったことに僕もそんなに嫌じゃない。自分からキスするのは正直まだすごく緊張するけれど……目を輝かせている奏汰を見ると、その期待に応えてあげたくなるから不思議だった。
「……少しだけだからね」
「うん」
僕は奏汰のネクタイを軽く引っ張り、背伸びをして唇に触れるだけのキスをする。目を開けると、奏汰の顔にははっきりと『満足しました』と書いてあった。
少し腹立たしいけど、かわいいし、この顔を知ってるのが僕だけなんだと思うと謎の優越感が込みあげてくる。
もう1回くらいキスしてあげてもいいかな……と思っていると、背後から足音が聞こえた気がして振り返った。
「ご両人~。朝からいちゃいちゃすんのはいいけど、あたしにも表見せてよね」
「立花」
いつからいたんだろうか。
気づかなかった……。
恥ずかしさに悶えていると、奏汰が顔色ひとつ変えず「来るの早くね?」と立花に聞いた。
「クラス替えが気になって、あんまり眠れなくってさぁ~」
「それ、ちょっとわかるかも。俺たちもそんな感じだよな」
「だね」
話しながら表を見つめていた立花が、何気なくこっちを振り返る。
「……あれ、姫委員長さぁ……ちょっと雰囲気変わった?」
「えっ」
そう聞かれて、改めて自分の身なりを確認する。
開けたままのシャツの第一ボタンに、緩めたネクタイ。伊達眼鏡はやめるかどうか迷ったけれど、結局デザインをちょっとだけ変えて継続することにした。
相変わらず、校則はしっかりと守っている。
それでも、何をどう身に着けていても僕は僕なんだと気づいてからは――自分が楽にいられるように方向転換していた。おかげで、今はとても息がしやすい。
「……どうかな? アップデート」
笑って言った僕に、立花は「いいと思う」と親指を立てた。
「でも、それだけじゃない気がするんだけどなぁ……」
他に、何か変わったところがあっただろうか?
匂いを嗅がれるような仕草に、つい動揺してしまう。
「これじゃねぇの?」
奏汰が僕の耳を指さして言った。
冬休みに奏汰と色違いで買った、王冠モチーフのピアス。
「おおっ、それかも! 素敵だし、似合ってるよ〜」
「ありがと」
「ちなみに、俺もつけてんだよね。お揃い~」
「うわー……結局のろけか。聞いて損した」
立花は頭を抱えた後、「あたしだけひとりなの寂しいんだから、誰か紹介しなさいよねっ!」と盛大に奏汰に絡んでいた。わいわいと騒ぎながら、一緒にクラス表を確認する。
「あたしは2組だ。……あんたらは?」
僕らも同じクラスに名前を見つけて、思わずふたりでハイタッチする。
「俺たちも2組」
よく見ると、立花と仲のいい金原さん、小木と真田、それに奏汰と仲のいい宇佐美と葉山も相変わらず同じクラスらしかった。
「……ねぇ、この学校の教師って仕事してると思う?」
それは……僕もちょっと思ったが、きっと色んな事情があるんだろう。
それに、2年1組が最終的にいいクラスだったっていうのは確かだし。
「まぁ、気心の知れたメンバーでよかったねってことで」
立花は相変わらず呆れていたけれど、奏汰がまとめるように言って3人で教室へと向かった。途中で僕のスマホが震える。水沢からのメッセージみたいだった。
『今、生徒会室にいるんだけど……挨拶の紙を忘れた。ごめん』
その内容に、思わず笑みがこぼれる。
「誰から?」
「水沢。……これ、生徒会室に来てってことかも」
「暇だし、俺もついて行っていい?」
「いいよ。すぐ終わるはずだし」
クラスに向かう立花と別れるとき。
立花はひらひらと手を振りながら、僕に声をかけてくれた。
「今日は忙しいんでしょ? 頑張ってね、副会長」
「ありがとっ、立花もね。……いちおう言っておくけど、あとで頭髪検査あるから」
「あ゛」
そんな声にならない声の後、遠くから「ネイルどうしよーっ!!!!!」という叫びが聞こえてきた。
毎年恒例だから、言うかどうか迷ったけれど……。
忘れているなら伝えておいた方が親切だし、きっと立花なら乗り切れるはずだ……と思った。
「まさか、水沢が僕の準備した挨拶の紙を忘れてくるとは……」
生徒会室に行くと、水沢が「ごめん」と手を合わせて待ち構えていて、僕はいつかもこんなやりとりがあったような気がして懐かしくなった。
去年の体育祭のときだ。
朝、会長が挨拶の紙を忘れてきたことが発覚して、僕が印刷し直しているあいだに、副会長にバレてどこかに連れて行かれてしまった。
深海会長と、佐野副会長。
ふたりは昨年の9月に任期を終えた後も、ときどき生徒会室に顔を出してくれていた。
卒業式では爆泣きする会長にさすがに寂しさが込みあげてきたものの、副会長は「また文化祭のときにでも遊びに来るから」と笑って背中を押してくれた。
先輩たちとの思い出に浸りながら、僕は原稿を印刷して水沢に渡す。
「これでいい?」
「ありがと、助かった~! やっぱ、持つべきものは姫川だわ」
僕は「何それ」と笑いながら、原稿に目を通す水沢を見守る。しばらくすると、彼女は僕の方を見て渋い顔をした。
「姫川……これ、内容あってる?」
「えっ」
前に渡したものと同じものを印刷したはずだが、紙を見せてもらうとエクスクラメーションマークがすごく多い。書き出しが『みなさん、入学おめでとう!!!!!』になっていた。
「……あ、ごめん。それ深海会長バージョンだ。水沢が話す内容、ぜんぶ深海会長が言いそうなセリフで原稿起こしてるから……」
「え、じゃあ前にもらったやつも、そのまま読むと深海会長みたいになるってこと?」
「まぁ……うん、そうだね。読み方によっては、熱血キャラの水沢会長が爆誕するね」
水沢は頭を抱えながら、その場で奇声をあげていた。普段から溌溂としてハキハキしている水沢だから、意外といい感じに当てはまりそうだと思ったんだけどな……。
僕は『!!!!!』を消しただけの原稿を印刷し直して、もう一度水沢に手渡した。
「問題がありそうなら、次回から変えることにするよ」
「そうして。もっとこう……クールで賢い感じにしてほしい」
「……佐野副会長みたいな感じってこと?」
「それも、なんか違うんだよなぁ……。もっと高貴な感じっていうか?」
「高貴…………???」
首をひねる僕に、水沢が理想とする会長のイメージを伝えてくれる。
去年の9月末。
僕らは生徒会執行部の会長と副会長にそろって当選することができた。
水沢は6組のインフルエンサーに大差をつけて。
僕はもうひとりの候補者とわずかな差だったけれど、自分の声がしっかり届いたのだと実感できる票数だった。
何より、多くのクラスメイトが僕に票を入れてくれたことが嬉しかった。
小木も会計として当選したし、その他に見知った顔や新しい顔もあり、僕らは今も楽しく、こうして生徒会活動を続けられている。
水沢の話す内容が何となく見えてきた僕は、「つまり……」と前置きして話し始めた。
「水沢はさぁ……もっと、上品に見られたいってことなの?」
「そう!! そんな感じよっ!!!」
(こうやって何かを熱く語る感じが、僕の中では深海会長に近いんだけどな……)
そう思いつつも、笑って「じゃ、次からそんな挨拶にしてみるね」と口にする。
「『上品な水沢会長』ねぇ……。そのままでも充分、魅力的だと思うんだけど」
「わかってないわね、姫川。みんなの水沢怜奈は、さらに魅力的になるわけよ」
「はいはい」
そんな冗談みたいなやりとりを何度か繰り返していたところで、ふと水沢が真顔になって言った。
「……姫川ってさ、前と比べて変わったよね」
「そう……? どこら辺が?」
「なんて言うかさ。明るくなったよ。よく笑うようになったし」
自分では気づかなかったけれど……たしかに、奏汰とつき合うようになってから表情筋をよく使っているような気はする。
小木とも仲直りしたし、自分やみんなとしっかりと向き合ってからは、生徒会室で笑顔を見せることも増えたかもしれない。
誰かから『変わった』と評されることが、何だか嬉しいような、くすぐったいようなで……。
僕が照れまじりに「そうかな」と言うと、水沢はふっと笑ってうなずいた。
「前よりも自然な感じがして、私は好きだな。……そのピアスも、よく似合ってるよ」
「……ありがと。水沢」
生徒会室のドアが軽くノックされる音がした。
開け放したドアの隙間。
奏汰が顔だけ出して、「真紘~?」と僕の名前を呼んでいる。少しおしゃべりしすぎたみたいだった。
「……行っていいよ、姫川。今日のオリエンテーションよろしくね」
「うん。じゃあ、またあとで」
生徒会室の外で待っていた奏汰は、僕と合流するなり「ごめん、急かしちゃった?」と聞いた。
「全然。こっちこそ、ごめんね。長くなって」
「会長と何話してたの?」
「ん~。前の会長のこととか、色々。あと、このピアスを褒めてくれた」
にっと笑って言うと、奏汰は「ふぅん」と口を尖らせている。
「何? ……もしかして、やきもち?」
「べつに、そういうわけじゃないけど。……俺も真紘とふたりでしゃべりたいよ」
甘えるようにほっぺに鼻をつけてくる感じが、どこかコムギみたいだった。
髪が首筋に当たって、くすぐったい。
スマホの時計を確認すると、教室に行くまで、まだかなりの時間があった。
「真紘。ふたりになれるとこ、行こ」
奏汰が僕のことを、急かすように後ろから押している。
(この時間に、ふたりきりになれる場所なんてあったっけ……?)
考えていると、奏汰が「旧校舎は?」と言ったので、一緒に渡り廊下の方へと向かうことにした。
旧校舎の2階に、今は使われていない空き教室がひとつある。さすがに施錠されているだろうと思ったけれど、ドアは意外とすんなり開いた。
中はがらんとしていて、教卓がひとつと、机と椅子のセットがいくつかあるくらい。大きな窓からは桜の木を通して朝陽が差し込み、ひだまりがゆらゆらと揺れていた。
「もう……。先生方、なんで施錠してないんだろ」
「よかったじゃん、ラッキーでさ」
奏汰は笑いながら窓際の机に鞄を置き、そのまま椅子に腰かけた。
手招きして、僕を奏汰の膝の上に座らせる。
向き合う形で座るには足を開かなきゃいけないので、少し恥ずかしかった。
「……あれ、もしかして照れてる?」
「だって」
「まだ、恥ずかしいこととかあるんだ。……もう、服の下までぜーんぶ知ってんのにね?」
「そりゃあ……恥ずかしいよ。学校だし」
「ふぅん。かわいい」
奏汰はそう言いながら僕の腰に手を回し、ぐいと力強く引き寄せた。
奏汰の整った顔が近くなる。
僕が見下ろす形になるのは、何だか新鮮だと思った。
「さっき、昇降口でキスしてくれたじゃん」
「うん」
「一回キスしたらさ……もう一回したくならない?」
奏汰の謎理論に、僕は声を出して笑う。
奏汰はいつも自然体だと思うけれど、自分の欲求にもすごく素直で……僕はそういうところも含めて、奏汰のことがすごく好きだった。
眠たいとか、お腹が空いたとか……僕と一緒にいたいとか、キスしたいとか。
一度スイッチが入ると止まらなくなって困ることもあるけれど、そういうところですらかわいいと思うようになってきてしまった僕は、たぶんもう奏汰のことが大好きで仕方がないんだと思う。
「気持ちは、まぁわかるかも」
あいまいに言ったせいなのか、奏汰が甘えるみたいに僕の身体を揺すっては、指に指を絡めてくる。
「真紘はキスしたくないの」
不機嫌そうに鼻を鳴らす奏汰が愛おしくて、僕は奏汰の首の後ろに手を回した。
「……したいよ。すごく」
顔を傾け、どちらからともなくキスをする。
触れるだけのキスも、優しいキスも、奏汰の言う『恋人っぽいキス』も……どれもドキドキするのに心地がよくて、不思議な感じがする。
口づけるごとに奏汰の存在を近くに感じる気がして、僕はこの瞬間がすごく好きだった。
「んっ」
じゃれるような遊びのキスが、だんだん熱を帯びていって……。
鼻にかかった声が漏れたとたん、どこかでガタッと物音がした。
奏汰と目を合わせ、避難訓練のときみたいに、さっと机の下や物陰に隠れる。
しばらくそうしていると、どうやら風のせいだったことに気づいて――僕らは思わず吹き出した。
「焦ったー……誰か来たかと思ったわ」
「心臓に悪いね。違う意味でドキドキしちゃった」
廊下を確認しに行った奏汰が戻ってくる。
僕は立ち上がり「今日は風が強いから」と笑った。
試しに窓を開けてみると、温かな春風が桜の香りとともに流れ込んでくる。
「真紘と学校でこういうことするの、ちょっと憧れてたんだけどな」
「僕も、まぁ。……奏汰とくっついてるの、好きだし」
「嬉しいこと言う。家で続きする?」
「うん。またお泊り会、しよ。コムギにも会いたいし」
「いいね。楽しみ」
奏汰は窓際までやってきて、僕を後ろからそっと抱きしめてくれる。
この教室はお花見をするには最高の場所で、風に吹かれた花びらが僕らの髪や制服を薄ピンク色に染めていった。
僕が奏汰の髪についた花びらを取っていると、奏汰が何かいいことを思いついた風に「あっ」と声をあげる。
「どうしたの?」
「空から名案が降ってきた」
ふざけた口調で言う奏汰に、僕は「またサブスクのサービスでも思いついた?」と笑う。
「それと同じくらい、いいことかも」
「何それ。気になる」
「俺たちのピアスさぁ……交換しない?」
奏汰は僕の髪を梳くように触ってから、左耳をそっとなぞって、そう言った。
僕は左耳に、自分の誕生石であるトパーズのピアスをつけている。
冬休み。ふたりで短期のバイトを頑張った僕らは、貯めたお金を握りしめ、一緒にあのアクセサリーショップまで戻った。
王冠がモチーフの、プラチナが光るシンプルなスタッドピアス。一目惚れしたピアスはあのときと同じ状態でケースに入っていて、前に話しかけてくれた店員さんも僕らのことを憶えてくれていた。
僕は澄んだ空色のトパーズ。
奏汰は燃えるような赤のルビー。
それぞれの誕生石が嵌められたピアスを色違いで買ったとき、言葉にできない嬉しさが込みあげてきたことは、昨日のことのように憶えている。
それから、奏汰に最初にもらったピアスは家に飾り、このおそろいのピアスを肌身離さずつけていた。
「俺、真紘のピアスをつけたい。……そしたら、離れてるときでも真紘がそばにいるような感じがするだろ?」
たしかに、名案だと思った。
いつも奏汰と一緒にいたいと思うけれど、時と場所を選ばずいちゃいちゃできるわけもないし、なかなかふたりの時間が取れないこともある。
昔と違ってどうしようもなく寂しくなることはないけれど、それでも会いたい気持ちがつのったとき……奏汰のピアスをつけているだけで、奏汰を近くに感じられる気がした。
(今までも……言葉にしていなかっただけで、ずっとそうしていたんだっけ)
「たしかに、いいアイデア」
「だろ? 今、外すから待ってて」
僕も奏汰にならって自分のピアスを外し、手の中に握る。目を閉じて待っていると、奏汰が僕の左耳に触れた。
「これって、何かさ……そういう儀式みたい」
「指輪の交換?」
「そう、それ。『病めるときも、健やかなるときも~』ってやつ」
奏汰からそんな言葉が出てくるとは思わなくて、僕はくすっと笑って「続きは?」と聞いた。
「……俺は真紘ことが大好きだし、ずっと一緒にいたいです」
穴にピアスの軸が通り、キャッチのはまるカチッという音がする。
唇にそっとキスが落ちてきた。
僕は照れながら目を開ける。
「次は、俺のピアスをつけてよ……真紘」
いかにも「わくわくしてます!」って顔で目を閉じる奏汰の左耳に触れ、僕は空色のトパーズのピアスを差し込んだ。
「僕も、どんなときも一緒にいたい。高校最後の1年も、これからも……ずっとよろしくね。奏汰」
キャッチが固くはまる音がして、僕は奏汰の唇に軽く口づけた。
(奏汰のことをよく知るまで、僕は奏汰のことも、自分のことも嫌いだった)
でも、奏汰が僕を気にかけて好きになってくれたことで、僕はずっと隠してきた自分の気持ちに気がついた……。
間違った自分を受け入れられたのは、僕の甘えや弱さごと愛してくれた奏汰のおかげだ。
人は、きっと変われる。
なりたかった自分で、僕が好きな自分で――今なら胸を張って言えるはずだった。
「大好きだよ、奏汰」
始業式の朝、桜の舞う旧校舎の教室で。
満足そうに微笑む奏汰と、もう一度キスをして笑い合ったことは――これからも未来永劫、僕たちだけの秘密だ。
僕の高校生活が変わるきっかけになった日であり、奏汰と正式につき合うことになった日。
9月は奏汰や仲直りした友達と楽しく過ごしながら、あっという間に過ぎていった。
生徒会副会長への立候補、選挙活動に演説。
公約は別に掲げていたけれど、僕はクラスのみんなに説明したのとほとんど同じ内容を演説で話した。どう受け止められるかはわからなかったけれど、誤解を解く努力はしたつもりだ。開票後、すぐに文化祭の準備期間に入り、修学旅行がある。
楽しい時間は本当に短く感じて――。
冬休みが過ぎ、気づけばまた桜の季節がやってきていた。3年の先輩たちと別れ、僕らにまた新しい後輩ができる。僕は冬のあいだに背が伸びて、奏汰との距離が少しだけ縮まったような気がした。
校舎前の桜がきれいに咲いた、始業式の朝。
僕は奏汰と駅で待ち合わせをして、いつもよりも早く登校した。
「あー……わかってても緊張するよな~クラス替えって」
「べつにクラスが離れたからどうってこともないんだけど、できれば一緒のクラスがいいもんね」
「それなー」
僕らは桜の木の前で写真を撮り、そのまま玄関に入って昇降口に貼り出された新しいクラス表の前に立つ。
「そういえばさ。去年もここで会ったの、憶えてる?」
「あったな。真紘、小木と真田と同じクラスになったって言って喜んでてさ。俺も一緒だってわかったとたん、嫌な顔しただろ」
「バレてたか……」
「わかりやすいんだよ、真紘は」
「ごめんって。……あの頃は、まだ奏汰のことよく知らなかったから」
奏汰のことは、遠くから見ているだけでも羨ましかった。だから、苦手だ、嫌いだと思い込むことで避けようとしていたんだと思う。
ふと隣を見上げると、奏汰が「どうしようかなー」といたずらっぽく笑っていた。
(ああ、これは……)
間違いなく、ちょっと悪いことを考えているときの顔だった。奏汰は僕ににっこりと笑いかけて、自分の唇を指でさす。
「キスしてくれたら許す」
「キスって……ここで!?」
「べつに、誰もいないじゃん」
たしかに、いつもよりもかなり早い時間で、辺りにひと気はなかったけれど……。
奏汰は自分の魅力についてよくわかっているらしく、明るく笑って「ねっ」とお願いをした。
高校2年の2学期が始まったばかりの頃――。
僕から正式につき合ってほしいと告白をして、もう半年以上が経っていた。
お互いのことは今まで以上によくわかってはきたけれど、まだまだ毎日が新しい発見の連続だ。
最近、奏汰についてわかったことは、奏汰は自分から僕に絡みに来るのも大好きだけど、僕の方からハグしたりキスしてもらったりするのも好きらしいということだ。よくこうやって……適当に文句をつけては僕にキスさせようとしてくるし、困ったことに僕もそんなに嫌じゃない。自分からキスするのは正直まだすごく緊張するけれど……目を輝かせている奏汰を見ると、その期待に応えてあげたくなるから不思議だった。
「……少しだけだからね」
「うん」
僕は奏汰のネクタイを軽く引っ張り、背伸びをして唇に触れるだけのキスをする。目を開けると、奏汰の顔にははっきりと『満足しました』と書いてあった。
少し腹立たしいけど、かわいいし、この顔を知ってるのが僕だけなんだと思うと謎の優越感が込みあげてくる。
もう1回くらいキスしてあげてもいいかな……と思っていると、背後から足音が聞こえた気がして振り返った。
「ご両人~。朝からいちゃいちゃすんのはいいけど、あたしにも表見せてよね」
「立花」
いつからいたんだろうか。
気づかなかった……。
恥ずかしさに悶えていると、奏汰が顔色ひとつ変えず「来るの早くね?」と立花に聞いた。
「クラス替えが気になって、あんまり眠れなくってさぁ~」
「それ、ちょっとわかるかも。俺たちもそんな感じだよな」
「だね」
話しながら表を見つめていた立花が、何気なくこっちを振り返る。
「……あれ、姫委員長さぁ……ちょっと雰囲気変わった?」
「えっ」
そう聞かれて、改めて自分の身なりを確認する。
開けたままのシャツの第一ボタンに、緩めたネクタイ。伊達眼鏡はやめるかどうか迷ったけれど、結局デザインをちょっとだけ変えて継続することにした。
相変わらず、校則はしっかりと守っている。
それでも、何をどう身に着けていても僕は僕なんだと気づいてからは――自分が楽にいられるように方向転換していた。おかげで、今はとても息がしやすい。
「……どうかな? アップデート」
笑って言った僕に、立花は「いいと思う」と親指を立てた。
「でも、それだけじゃない気がするんだけどなぁ……」
他に、何か変わったところがあっただろうか?
匂いを嗅がれるような仕草に、つい動揺してしまう。
「これじゃねぇの?」
奏汰が僕の耳を指さして言った。
冬休みに奏汰と色違いで買った、王冠モチーフのピアス。
「おおっ、それかも! 素敵だし、似合ってるよ〜」
「ありがと」
「ちなみに、俺もつけてんだよね。お揃い~」
「うわー……結局のろけか。聞いて損した」
立花は頭を抱えた後、「あたしだけひとりなの寂しいんだから、誰か紹介しなさいよねっ!」と盛大に奏汰に絡んでいた。わいわいと騒ぎながら、一緒にクラス表を確認する。
「あたしは2組だ。……あんたらは?」
僕らも同じクラスに名前を見つけて、思わずふたりでハイタッチする。
「俺たちも2組」
よく見ると、立花と仲のいい金原さん、小木と真田、それに奏汰と仲のいい宇佐美と葉山も相変わらず同じクラスらしかった。
「……ねぇ、この学校の教師って仕事してると思う?」
それは……僕もちょっと思ったが、きっと色んな事情があるんだろう。
それに、2年1組が最終的にいいクラスだったっていうのは確かだし。
「まぁ、気心の知れたメンバーでよかったねってことで」
立花は相変わらず呆れていたけれど、奏汰がまとめるように言って3人で教室へと向かった。途中で僕のスマホが震える。水沢からのメッセージみたいだった。
『今、生徒会室にいるんだけど……挨拶の紙を忘れた。ごめん』
その内容に、思わず笑みがこぼれる。
「誰から?」
「水沢。……これ、生徒会室に来てってことかも」
「暇だし、俺もついて行っていい?」
「いいよ。すぐ終わるはずだし」
クラスに向かう立花と別れるとき。
立花はひらひらと手を振りながら、僕に声をかけてくれた。
「今日は忙しいんでしょ? 頑張ってね、副会長」
「ありがとっ、立花もね。……いちおう言っておくけど、あとで頭髪検査あるから」
「あ゛」
そんな声にならない声の後、遠くから「ネイルどうしよーっ!!!!!」という叫びが聞こえてきた。
毎年恒例だから、言うかどうか迷ったけれど……。
忘れているなら伝えておいた方が親切だし、きっと立花なら乗り切れるはずだ……と思った。
「まさか、水沢が僕の準備した挨拶の紙を忘れてくるとは……」
生徒会室に行くと、水沢が「ごめん」と手を合わせて待ち構えていて、僕はいつかもこんなやりとりがあったような気がして懐かしくなった。
去年の体育祭のときだ。
朝、会長が挨拶の紙を忘れてきたことが発覚して、僕が印刷し直しているあいだに、副会長にバレてどこかに連れて行かれてしまった。
深海会長と、佐野副会長。
ふたりは昨年の9月に任期を終えた後も、ときどき生徒会室に顔を出してくれていた。
卒業式では爆泣きする会長にさすがに寂しさが込みあげてきたものの、副会長は「また文化祭のときにでも遊びに来るから」と笑って背中を押してくれた。
先輩たちとの思い出に浸りながら、僕は原稿を印刷して水沢に渡す。
「これでいい?」
「ありがと、助かった~! やっぱ、持つべきものは姫川だわ」
僕は「何それ」と笑いながら、原稿に目を通す水沢を見守る。しばらくすると、彼女は僕の方を見て渋い顔をした。
「姫川……これ、内容あってる?」
「えっ」
前に渡したものと同じものを印刷したはずだが、紙を見せてもらうとエクスクラメーションマークがすごく多い。書き出しが『みなさん、入学おめでとう!!!!!』になっていた。
「……あ、ごめん。それ深海会長バージョンだ。水沢が話す内容、ぜんぶ深海会長が言いそうなセリフで原稿起こしてるから……」
「え、じゃあ前にもらったやつも、そのまま読むと深海会長みたいになるってこと?」
「まぁ……うん、そうだね。読み方によっては、熱血キャラの水沢会長が爆誕するね」
水沢は頭を抱えながら、その場で奇声をあげていた。普段から溌溂としてハキハキしている水沢だから、意外といい感じに当てはまりそうだと思ったんだけどな……。
僕は『!!!!!』を消しただけの原稿を印刷し直して、もう一度水沢に手渡した。
「問題がありそうなら、次回から変えることにするよ」
「そうして。もっとこう……クールで賢い感じにしてほしい」
「……佐野副会長みたいな感じってこと?」
「それも、なんか違うんだよなぁ……。もっと高貴な感じっていうか?」
「高貴…………???」
首をひねる僕に、水沢が理想とする会長のイメージを伝えてくれる。
去年の9月末。
僕らは生徒会執行部の会長と副会長にそろって当選することができた。
水沢は6組のインフルエンサーに大差をつけて。
僕はもうひとりの候補者とわずかな差だったけれど、自分の声がしっかり届いたのだと実感できる票数だった。
何より、多くのクラスメイトが僕に票を入れてくれたことが嬉しかった。
小木も会計として当選したし、その他に見知った顔や新しい顔もあり、僕らは今も楽しく、こうして生徒会活動を続けられている。
水沢の話す内容が何となく見えてきた僕は、「つまり……」と前置きして話し始めた。
「水沢はさぁ……もっと、上品に見られたいってことなの?」
「そう!! そんな感じよっ!!!」
(こうやって何かを熱く語る感じが、僕の中では深海会長に近いんだけどな……)
そう思いつつも、笑って「じゃ、次からそんな挨拶にしてみるね」と口にする。
「『上品な水沢会長』ねぇ……。そのままでも充分、魅力的だと思うんだけど」
「わかってないわね、姫川。みんなの水沢怜奈は、さらに魅力的になるわけよ」
「はいはい」
そんな冗談みたいなやりとりを何度か繰り返していたところで、ふと水沢が真顔になって言った。
「……姫川ってさ、前と比べて変わったよね」
「そう……? どこら辺が?」
「なんて言うかさ。明るくなったよ。よく笑うようになったし」
自分では気づかなかったけれど……たしかに、奏汰とつき合うようになってから表情筋をよく使っているような気はする。
小木とも仲直りしたし、自分やみんなとしっかりと向き合ってからは、生徒会室で笑顔を見せることも増えたかもしれない。
誰かから『変わった』と評されることが、何だか嬉しいような、くすぐったいようなで……。
僕が照れまじりに「そうかな」と言うと、水沢はふっと笑ってうなずいた。
「前よりも自然な感じがして、私は好きだな。……そのピアスも、よく似合ってるよ」
「……ありがと。水沢」
生徒会室のドアが軽くノックされる音がした。
開け放したドアの隙間。
奏汰が顔だけ出して、「真紘~?」と僕の名前を呼んでいる。少しおしゃべりしすぎたみたいだった。
「……行っていいよ、姫川。今日のオリエンテーションよろしくね」
「うん。じゃあ、またあとで」
生徒会室の外で待っていた奏汰は、僕と合流するなり「ごめん、急かしちゃった?」と聞いた。
「全然。こっちこそ、ごめんね。長くなって」
「会長と何話してたの?」
「ん~。前の会長のこととか、色々。あと、このピアスを褒めてくれた」
にっと笑って言うと、奏汰は「ふぅん」と口を尖らせている。
「何? ……もしかして、やきもち?」
「べつに、そういうわけじゃないけど。……俺も真紘とふたりでしゃべりたいよ」
甘えるようにほっぺに鼻をつけてくる感じが、どこかコムギみたいだった。
髪が首筋に当たって、くすぐったい。
スマホの時計を確認すると、教室に行くまで、まだかなりの時間があった。
「真紘。ふたりになれるとこ、行こ」
奏汰が僕のことを、急かすように後ろから押している。
(この時間に、ふたりきりになれる場所なんてあったっけ……?)
考えていると、奏汰が「旧校舎は?」と言ったので、一緒に渡り廊下の方へと向かうことにした。
旧校舎の2階に、今は使われていない空き教室がひとつある。さすがに施錠されているだろうと思ったけれど、ドアは意外とすんなり開いた。
中はがらんとしていて、教卓がひとつと、机と椅子のセットがいくつかあるくらい。大きな窓からは桜の木を通して朝陽が差し込み、ひだまりがゆらゆらと揺れていた。
「もう……。先生方、なんで施錠してないんだろ」
「よかったじゃん、ラッキーでさ」
奏汰は笑いながら窓際の机に鞄を置き、そのまま椅子に腰かけた。
手招きして、僕を奏汰の膝の上に座らせる。
向き合う形で座るには足を開かなきゃいけないので、少し恥ずかしかった。
「……あれ、もしかして照れてる?」
「だって」
「まだ、恥ずかしいこととかあるんだ。……もう、服の下までぜーんぶ知ってんのにね?」
「そりゃあ……恥ずかしいよ。学校だし」
「ふぅん。かわいい」
奏汰はそう言いながら僕の腰に手を回し、ぐいと力強く引き寄せた。
奏汰の整った顔が近くなる。
僕が見下ろす形になるのは、何だか新鮮だと思った。
「さっき、昇降口でキスしてくれたじゃん」
「うん」
「一回キスしたらさ……もう一回したくならない?」
奏汰の謎理論に、僕は声を出して笑う。
奏汰はいつも自然体だと思うけれど、自分の欲求にもすごく素直で……僕はそういうところも含めて、奏汰のことがすごく好きだった。
眠たいとか、お腹が空いたとか……僕と一緒にいたいとか、キスしたいとか。
一度スイッチが入ると止まらなくなって困ることもあるけれど、そういうところですらかわいいと思うようになってきてしまった僕は、たぶんもう奏汰のことが大好きで仕方がないんだと思う。
「気持ちは、まぁわかるかも」
あいまいに言ったせいなのか、奏汰が甘えるみたいに僕の身体を揺すっては、指に指を絡めてくる。
「真紘はキスしたくないの」
不機嫌そうに鼻を鳴らす奏汰が愛おしくて、僕は奏汰の首の後ろに手を回した。
「……したいよ。すごく」
顔を傾け、どちらからともなくキスをする。
触れるだけのキスも、優しいキスも、奏汰の言う『恋人っぽいキス』も……どれもドキドキするのに心地がよくて、不思議な感じがする。
口づけるごとに奏汰の存在を近くに感じる気がして、僕はこの瞬間がすごく好きだった。
「んっ」
じゃれるような遊びのキスが、だんだん熱を帯びていって……。
鼻にかかった声が漏れたとたん、どこかでガタッと物音がした。
奏汰と目を合わせ、避難訓練のときみたいに、さっと机の下や物陰に隠れる。
しばらくそうしていると、どうやら風のせいだったことに気づいて――僕らは思わず吹き出した。
「焦ったー……誰か来たかと思ったわ」
「心臓に悪いね。違う意味でドキドキしちゃった」
廊下を確認しに行った奏汰が戻ってくる。
僕は立ち上がり「今日は風が強いから」と笑った。
試しに窓を開けてみると、温かな春風が桜の香りとともに流れ込んでくる。
「真紘と学校でこういうことするの、ちょっと憧れてたんだけどな」
「僕も、まぁ。……奏汰とくっついてるの、好きだし」
「嬉しいこと言う。家で続きする?」
「うん。またお泊り会、しよ。コムギにも会いたいし」
「いいね。楽しみ」
奏汰は窓際までやってきて、僕を後ろからそっと抱きしめてくれる。
この教室はお花見をするには最高の場所で、風に吹かれた花びらが僕らの髪や制服を薄ピンク色に染めていった。
僕が奏汰の髪についた花びらを取っていると、奏汰が何かいいことを思いついた風に「あっ」と声をあげる。
「どうしたの?」
「空から名案が降ってきた」
ふざけた口調で言う奏汰に、僕は「またサブスクのサービスでも思いついた?」と笑う。
「それと同じくらい、いいことかも」
「何それ。気になる」
「俺たちのピアスさぁ……交換しない?」
奏汰は僕の髪を梳くように触ってから、左耳をそっとなぞって、そう言った。
僕は左耳に、自分の誕生石であるトパーズのピアスをつけている。
冬休み。ふたりで短期のバイトを頑張った僕らは、貯めたお金を握りしめ、一緒にあのアクセサリーショップまで戻った。
王冠がモチーフの、プラチナが光るシンプルなスタッドピアス。一目惚れしたピアスはあのときと同じ状態でケースに入っていて、前に話しかけてくれた店員さんも僕らのことを憶えてくれていた。
僕は澄んだ空色のトパーズ。
奏汰は燃えるような赤のルビー。
それぞれの誕生石が嵌められたピアスを色違いで買ったとき、言葉にできない嬉しさが込みあげてきたことは、昨日のことのように憶えている。
それから、奏汰に最初にもらったピアスは家に飾り、このおそろいのピアスを肌身離さずつけていた。
「俺、真紘のピアスをつけたい。……そしたら、離れてるときでも真紘がそばにいるような感じがするだろ?」
たしかに、名案だと思った。
いつも奏汰と一緒にいたいと思うけれど、時と場所を選ばずいちゃいちゃできるわけもないし、なかなかふたりの時間が取れないこともある。
昔と違ってどうしようもなく寂しくなることはないけれど、それでも会いたい気持ちがつのったとき……奏汰のピアスをつけているだけで、奏汰を近くに感じられる気がした。
(今までも……言葉にしていなかっただけで、ずっとそうしていたんだっけ)
「たしかに、いいアイデア」
「だろ? 今、外すから待ってて」
僕も奏汰にならって自分のピアスを外し、手の中に握る。目を閉じて待っていると、奏汰が僕の左耳に触れた。
「これって、何かさ……そういう儀式みたい」
「指輪の交換?」
「そう、それ。『病めるときも、健やかなるときも~』ってやつ」
奏汰からそんな言葉が出てくるとは思わなくて、僕はくすっと笑って「続きは?」と聞いた。
「……俺は真紘ことが大好きだし、ずっと一緒にいたいです」
穴にピアスの軸が通り、キャッチのはまるカチッという音がする。
唇にそっとキスが落ちてきた。
僕は照れながら目を開ける。
「次は、俺のピアスをつけてよ……真紘」
いかにも「わくわくしてます!」って顔で目を閉じる奏汰の左耳に触れ、僕は空色のトパーズのピアスを差し込んだ。
「僕も、どんなときも一緒にいたい。高校最後の1年も、これからも……ずっとよろしくね。奏汰」
キャッチが固くはまる音がして、僕は奏汰の唇に軽く口づけた。
(奏汰のことをよく知るまで、僕は奏汰のことも、自分のことも嫌いだった)
でも、奏汰が僕を気にかけて好きになってくれたことで、僕はずっと隠してきた自分の気持ちに気がついた……。
間違った自分を受け入れられたのは、僕の甘えや弱さごと愛してくれた奏汰のおかげだ。
人は、きっと変われる。
なりたかった自分で、僕が好きな自分で――今なら胸を張って言えるはずだった。
「大好きだよ、奏汰」
始業式の朝、桜の舞う旧校舎の教室で。
満足そうに微笑む奏汰と、もう一度キスをして笑い合ったことは――これからも未来永劫、僕たちだけの秘密だ。


