昼休みが終わるまで、あと二十分ほどだった。
先輩が教室まで入ってきたときはどうなることかと思ったけれど、結果的に、みんなにあの写真のことを説明することができたし、小木や真田とも仲直りすることができた。
(よかった……)
奏汰と話そうと思って教室を見回してみるものの、姿が見えない。さっきまで隣にいたはずなのに、そういえばいつの間にか消えていた。
(どこ行ったんだろ……?)
トイレにでも行ったんだろうか。
僕はそう思って、教室を出る。
男子トイレや購買のそばにある自販機コーナーなど、奏汰が行きそうな場所を手当たり次第に探した。校内を駆け回ったけれど、そのどこにも奏汰の姿はない。
(あれ……?)
本当に、どこへ行ったんだろう……?
僕の先輩に今さら用もないと思うし、他に思い当たるような場所もない。
(教室にいたのかもしれないし、もう戻ってるかも?)
1組の教室に向かおうとして、ふと前に小木が言っていたことを思い出した。
『そういえば、去年の文化祭のとき……あいつが校舎裏で凹んでるとこに遭遇したことあるな』。
『そのときは、ひとりでジメっと反省会してるみたいだったよ』。
さっきの奏汰の行動に、反省する点なんかひとつもないはずだった。先輩に対して喧嘩は吹っかけてたけど、それも僕を守ろうとしてのことだし……。
(それでも、何か引っかかる……)
僕は、気づけば勘の赴くままに走り出していた。
校舎を出て裏側へと回る。
そこには日の当たらない場所に座り込んで、うつむいている人影があった。
「奏汰っ」
「あー……真紘か。よくここがわかったなー」
見つかったことを嫌がる様子もなく、奏汰はひらひらと手を振っている。
(ホントに……反省会してる?)
スマホを見るわけでもなく、ただ薄暗いところにぽつんと座って地面を見つめている奏汰。どこかしょんぼりしているような雰囲気を感じて、僕は奏汰の隣に腰を下ろした。
「……教室にいないから、どこに行ったのかと思ったよ」
「探した?」
土を蹴りながらうなずくと、奏汰は「悪い」と苦笑いを浮かべた。
「奏汰に、ちゃんとお礼が言いたくて」
「お礼?」
「うん。……先輩から殴られそうになったとき、かばってくれただろ。それに、奏汰のおかげでみんなにあの写真のことを説明できたし、小木や真田とも仲直りができた」
目を見て、もう一度「ありがとう」と伝える。
奏汰は照れくさいのか「おー」と短く言って、また地面に視線を戻してしまった。
「……クラスの奴らと、ちゃんと向き合えた?」
「向き合えたよ。先輩が来たときは驚いたし、教室まで入って来たときはホント、焦ったけど……。おかげでみんなと話すきっかけになったし、自分のことも伝えられてよかった」
「そっか」
「奏汰は? ……なんでこんなところにいるのか、聞いてもいいの?」
「いや……。自分が情けないな~って、思って」
手で顔を覆ってため息をつく奏汰に、僕は首を傾げる。
……?
あんなにカッコよく先輩を退けた人が、どうして情けないということになるんだろう。
「……どの辺が?」
「見てよ、これ」
奏汰はそう言いながら、右手を僕の方へ差し出した。その手はカタカタと小さく震えている。
「あいつ、真紘の髪つかんでてムカついたから、つい煽っちゃったけどさぁ……。本物のヤンキーはやっぱ怖えーわ。迫力が違ったもん」
空を仰ぎながら、深く息を吐く奏汰。
(奏汰にも『怖い』って感情があるんだ……)
思いもよらない言葉に、僕はつい笑ってしまった。
「あっ、何がおかしいんだよー」
「ご、ごめんっ。……でも、さっきの感じを見ても、奏汰の方が絶対に強いはずじゃん」
「それは、そうなんだけどさぁ」
「あれは本物だったんだよ……」とか「また道場戻ろうかな」なんて呟く奏汰がおかしくて、僕は必死で笑いを堪えていた。
先輩はたしかに強いし、喧嘩慣れもしてると思うけど、奏汰の方がずっと迫力があるように見えたんだけどな。
目尻に滲み始めた涙を拭いながら、奏汰の方へと向き直る。
「でも……本当にありがとね。奏汰が前に出てくれたおかげで、大事にならずに済んだから」
「あの先輩、また来るかな?」
不安げにこちらを見る奏汰に、僕は首をゆっくりと横に振った。
「来ないよ」
「どうして?」
「……何となくだけど……先輩はたぶん、寂しかったんじゃないかな。そうじゃなかったら、わざわざ電車で片道2時間かけてここまで来ないと思うし」
「そんなもんかな」
「うん、きっとそう。……僕がたまに、どうしようもなく中学時代に戻りたくなるみたいに、先輩にもそういう気持ちがあるんだよ。あんな感じの人だけど、普段はすごく優しくて面白かったし、寂しがり屋だったから。……もう、仲間に戻る気持ちはないけど」
「許してるんだな、あの人のこと」
「そうかも」
「真紘は? ……もう寂しくない?」
奏汰はまだ震える手で、僕の頬に触れた。
奏汰はどんなときでも優しくて……僕はその優しさに、つい甘えたくなってしまう。
(誰もいないから、いいよね……?)
距離を詰め、奏汰の身体に寄りかかるように座った。
先輩といた頃は、寂しさで心にぽっかりと穴が開いたみたいだったけど、今はそんなこと、考えたこともない。
「寂しくないけど……そう見える?」
「見えない」
僕は「だよね」と返して、笑った。
「僕はラッキーだったんだ。高校に入って友達ができたし、生徒会にも仲間ができた。奏汰とも出会えて……こうやって仲良くなれた」
僕は自分の両手で、奏汰の手をそっと包む。
「中学時代の先輩に久しぶりに会って……変わらないなって思ったし、逆に自分はずいぶん遠くに来たんだなって思ったよ。奏汰が僕を信じてくれたみたいに、僕も勇気を出してクラスのみんなに自分のことを伝えられた。今なら自信を持って――変われたって言えるような気がする」
「……ちょっとは好きになれた? 自分のこと」
「うん」
いくら似合わない伊達眼鏡をかけても、ピアスの穴を塞いでも……変わったのは外見だけで、自分が本当に変えたかったのは中身の部分だったんだ、とようやく気づくことができた。
いったいどんな自分になりたいのか、自分でもずっとわからなかったけれど……本当は奏汰みたいになりたかったのかもしれないと思う。
勇気を持って人とまっすぐに向き合えるような、そういう強さが欲しかった。
羨ましかった。憧れて、ムカついて……惹かれてた。
僕は奏汰の頬に、そっと手を添える。
「もうお試しじゃなくて……僕とつき合ってくれる?」
「当然」
奏汰はこれが返事だとでも言いたげに、頬に添えた手に口づけてくる。
手を取られて、校舎の壁に追い詰められた。
もう我慢できないという風に、勢いよく唇を奪われる。
「……早く、俺のものになってよ」
お願いするみたいにぎゅっと抱きしめられて、愛されてるなぁって実感する。
誰もいない校舎裏。僕らは昼休みが終わるチャイムに急かされるまで、手を繋いでは、まだ慣れない『恋人っぽいキス』を繰り返した。
先輩が教室まで入ってきたときはどうなることかと思ったけれど、結果的に、みんなにあの写真のことを説明することができたし、小木や真田とも仲直りすることができた。
(よかった……)
奏汰と話そうと思って教室を見回してみるものの、姿が見えない。さっきまで隣にいたはずなのに、そういえばいつの間にか消えていた。
(どこ行ったんだろ……?)
トイレにでも行ったんだろうか。
僕はそう思って、教室を出る。
男子トイレや購買のそばにある自販機コーナーなど、奏汰が行きそうな場所を手当たり次第に探した。校内を駆け回ったけれど、そのどこにも奏汰の姿はない。
(あれ……?)
本当に、どこへ行ったんだろう……?
僕の先輩に今さら用もないと思うし、他に思い当たるような場所もない。
(教室にいたのかもしれないし、もう戻ってるかも?)
1組の教室に向かおうとして、ふと前に小木が言っていたことを思い出した。
『そういえば、去年の文化祭のとき……あいつが校舎裏で凹んでるとこに遭遇したことあるな』。
『そのときは、ひとりでジメっと反省会してるみたいだったよ』。
さっきの奏汰の行動に、反省する点なんかひとつもないはずだった。先輩に対して喧嘩は吹っかけてたけど、それも僕を守ろうとしてのことだし……。
(それでも、何か引っかかる……)
僕は、気づけば勘の赴くままに走り出していた。
校舎を出て裏側へと回る。
そこには日の当たらない場所に座り込んで、うつむいている人影があった。
「奏汰っ」
「あー……真紘か。よくここがわかったなー」
見つかったことを嫌がる様子もなく、奏汰はひらひらと手を振っている。
(ホントに……反省会してる?)
スマホを見るわけでもなく、ただ薄暗いところにぽつんと座って地面を見つめている奏汰。どこかしょんぼりしているような雰囲気を感じて、僕は奏汰の隣に腰を下ろした。
「……教室にいないから、どこに行ったのかと思ったよ」
「探した?」
土を蹴りながらうなずくと、奏汰は「悪い」と苦笑いを浮かべた。
「奏汰に、ちゃんとお礼が言いたくて」
「お礼?」
「うん。……先輩から殴られそうになったとき、かばってくれただろ。それに、奏汰のおかげでみんなにあの写真のことを説明できたし、小木や真田とも仲直りができた」
目を見て、もう一度「ありがとう」と伝える。
奏汰は照れくさいのか「おー」と短く言って、また地面に視線を戻してしまった。
「……クラスの奴らと、ちゃんと向き合えた?」
「向き合えたよ。先輩が来たときは驚いたし、教室まで入って来たときはホント、焦ったけど……。おかげでみんなと話すきっかけになったし、自分のことも伝えられてよかった」
「そっか」
「奏汰は? ……なんでこんなところにいるのか、聞いてもいいの?」
「いや……。自分が情けないな~って、思って」
手で顔を覆ってため息をつく奏汰に、僕は首を傾げる。
……?
あんなにカッコよく先輩を退けた人が、どうして情けないということになるんだろう。
「……どの辺が?」
「見てよ、これ」
奏汰はそう言いながら、右手を僕の方へ差し出した。その手はカタカタと小さく震えている。
「あいつ、真紘の髪つかんでてムカついたから、つい煽っちゃったけどさぁ……。本物のヤンキーはやっぱ怖えーわ。迫力が違ったもん」
空を仰ぎながら、深く息を吐く奏汰。
(奏汰にも『怖い』って感情があるんだ……)
思いもよらない言葉に、僕はつい笑ってしまった。
「あっ、何がおかしいんだよー」
「ご、ごめんっ。……でも、さっきの感じを見ても、奏汰の方が絶対に強いはずじゃん」
「それは、そうなんだけどさぁ」
「あれは本物だったんだよ……」とか「また道場戻ろうかな」なんて呟く奏汰がおかしくて、僕は必死で笑いを堪えていた。
先輩はたしかに強いし、喧嘩慣れもしてると思うけど、奏汰の方がずっと迫力があるように見えたんだけどな。
目尻に滲み始めた涙を拭いながら、奏汰の方へと向き直る。
「でも……本当にありがとね。奏汰が前に出てくれたおかげで、大事にならずに済んだから」
「あの先輩、また来るかな?」
不安げにこちらを見る奏汰に、僕は首をゆっくりと横に振った。
「来ないよ」
「どうして?」
「……何となくだけど……先輩はたぶん、寂しかったんじゃないかな。そうじゃなかったら、わざわざ電車で片道2時間かけてここまで来ないと思うし」
「そんなもんかな」
「うん、きっとそう。……僕がたまに、どうしようもなく中学時代に戻りたくなるみたいに、先輩にもそういう気持ちがあるんだよ。あんな感じの人だけど、普段はすごく優しくて面白かったし、寂しがり屋だったから。……もう、仲間に戻る気持ちはないけど」
「許してるんだな、あの人のこと」
「そうかも」
「真紘は? ……もう寂しくない?」
奏汰はまだ震える手で、僕の頬に触れた。
奏汰はどんなときでも優しくて……僕はその優しさに、つい甘えたくなってしまう。
(誰もいないから、いいよね……?)
距離を詰め、奏汰の身体に寄りかかるように座った。
先輩といた頃は、寂しさで心にぽっかりと穴が開いたみたいだったけど、今はそんなこと、考えたこともない。
「寂しくないけど……そう見える?」
「見えない」
僕は「だよね」と返して、笑った。
「僕はラッキーだったんだ。高校に入って友達ができたし、生徒会にも仲間ができた。奏汰とも出会えて……こうやって仲良くなれた」
僕は自分の両手で、奏汰の手をそっと包む。
「中学時代の先輩に久しぶりに会って……変わらないなって思ったし、逆に自分はずいぶん遠くに来たんだなって思ったよ。奏汰が僕を信じてくれたみたいに、僕も勇気を出してクラスのみんなに自分のことを伝えられた。今なら自信を持って――変われたって言えるような気がする」
「……ちょっとは好きになれた? 自分のこと」
「うん」
いくら似合わない伊達眼鏡をかけても、ピアスの穴を塞いでも……変わったのは外見だけで、自分が本当に変えたかったのは中身の部分だったんだ、とようやく気づくことができた。
いったいどんな自分になりたいのか、自分でもずっとわからなかったけれど……本当は奏汰みたいになりたかったのかもしれないと思う。
勇気を持って人とまっすぐに向き合えるような、そういう強さが欲しかった。
羨ましかった。憧れて、ムカついて……惹かれてた。
僕は奏汰の頬に、そっと手を添える。
「もうお試しじゃなくて……僕とつき合ってくれる?」
「当然」
奏汰はこれが返事だとでも言いたげに、頬に添えた手に口づけてくる。
手を取られて、校舎の壁に追い詰められた。
もう我慢できないという風に、勢いよく唇を奪われる。
「……早く、俺のものになってよ」
お願いするみたいにぎゅっと抱きしめられて、愛されてるなぁって実感する。
誰もいない校舎裏。僕らは昼休みが終わるチャイムに急かされるまで、手を繋いでは、まだ慣れない『恋人っぽいキス』を繰り返した。


