「最初に真紘を見たときの印象は、やっぱりさ、真面目そうだな~って思ったんだよ。眼鏡もそうだけどシャツも第一ボタンまできっちり閉めてるし、肩肘張ってるし、緊張してんのかなって。でも、いつも素直で誠実そうなのに、ときどき眼鏡の奥がつんとしてるように見えて、それがちょっと気になった。第一印象はそんな感じ。同じように真面目っぽいキャラの小木や真田と一緒にいるのは見ててわかったけど、誰と話しててもそこまで楽しそうじゃないっていうか、一線引いてる感じがあって……。でも、俺は真紘のことをそこまで気にしてるわけじゃなかった。普段、色々と話したりするわけでもなかったし。俺が真紘のことを気にしだしたのは、去年の10月頃だったかな? 席替えがあって、ちょうど真紘の後ろの席になったんだ。そのときのこと、憶えてる?」
「ううん……」
首を横に振ってから、はたと思い出した。
そういえば、熱を出した夜にそんな夢を見たことがあったっけ。奏汰はひとつ後ろの席から、前の席に座る僕のことをながめていた。
「……憶えてないのも当然だと思う。その席だった期間はすごく短いし、真紘は小木と一緒に生徒会役員に当選したばっかりで、慣れない活動に忙しそうにしてたから。それで……俺はその席になってから、授業中によく真紘のことを観察するようになったんだ。たまに左サイドの髪を耳にかけてて、その左耳には透明なピアスのキャッチがついてた。『穴開けてるなら、もっとちゃんとしたものつければいいのに。変な奴』って思ったよ。それから、何となく真紘のことが気になって目で追うようになった」
奏汰は懐かしそうに目を細めながら、隣にいる僕の頬に触れた。高校1年。僕がまだクラスでどう振る舞っていいかわからず、奏汰のこともすごく苦手に思っていた頃のことだった。
「その頃はちょうど文化祭の時期で、真紘は学級委員と生徒会を両立して、色んな仕事を頑張ってこなしてた。俺が宇佐美と葉山とだらだら作業を続けてたときも、遅くまで学校に残ってたのを憶えてる。『いつも肩肘張ってて疲れないのかな』って思ってたんだけど、ある日、真紘の耳に塞がったピアスの穴の跡がたくさんあるのを見つけたんだよ。それで、気づいたんだ。『ああ……もしかすると、こいつは昔やんちゃでもしてて、ノリでいっぱいピアスも開けてたけど、今は自分を変えたくてこんなに頑張っているのかな』ってさ。観察してると、真紘、たまにカッコいいピアスつけてる奴のこと『いいなぁ』って目でじっと見てることがあるんだよ。……気づいてた?」
「気づいて、ない。……っていうか、観察してたって……何? 許可してないんだけど」
不満げに言う僕に、奏汰が声を出して笑った。
「許可いるのかよ。……俺、それ見て、何かすげーかわいいなって思ったんだよな。『なんだ、やっぱりピアス好きなんじゃん』って」
「それで、交換しようって言ったの? 奏汰のピアスと僕の透明なピアス」
「……えっ……? そ、それは……」
目を泳がせる奏汰。
珍しく、言葉に詰まっているみたいだった。
僕が無言でうながすと、奏汰は「ああ、もうっ」と言ってばりばりと頭をかく。
「これは言うつもりなかったのに」
「言ってよ」
「言って」と圧をかけると、奏汰は観念したようにうな垂れてから話し始めた。
「……そうだよ。最初っから交換しようと思ってたわけじゃなかったけど、『いつもの透明なやつじゃなくて、好きで気に入ってるピアスつけて鏡でも見たら、どんな顔して笑うんだろう』って気になった。春休みに姉と買い物に行く機会があって、そこで偶然このピアスを見つけたんだよ。カッコいいな、真紘に似合いそうだなって思った。休み明けに俺がこれをつけて学校に行ったら、仮にクラスが離れたとしても話すきっかけくらいにはなるかなって思って」
「……もしかして、奏汰って……けっこう前から僕のこと好きだった……?」
「気になってたの! 好きとはまた別っ」
ムキになって否定する奏汰がちょっとだけ面白い。
こうして自分のことを深く話してくれるのも初めてで、何となく不思議な気持ちになった。
「……とにかく、さ。俺が言いたかったのは、真紘は自分の好きなものを我慢してまで、変わろうと努力してたってこと。外見もそうだし、中身だってクラスや学校のみんなのために何かしようってずっと頑張ってた。……俺には『なりたい自分』とかなかったから、自分を変えようとしてる真紘はまぶしく映ったし、本気で変わろうとしてる真紘をすごいな、偉いなってずっと思ってた。……それでいて、ちょっともどかしい気もしてたんだよ。『初めて友達や仲間ができた』なんてさ、嬉しいに決まってるじゃん。間違ったことをしたならもちろん反省すべきだけど、自分で自分の楽しかったことや好きなことを否定して、どうやって腹の底から笑えんの? ……俺は変わりたい真紘の邪魔をしたかったわけじゃない。けど、好きなものは好きって言って、本当の顔で笑ってほしかったんだよ。だから、真紘にこのピアスをつけてみてほしいと思ったんだ」
奏汰の手が伸びてくる。
触れられたピアスが、小さく揺れる気配がした。
「……本当の顔で」
「うん。俺はどんな真紘でも好きだけど、やっぱり笑ってる顔がいちばん好き。最初は見られなくって、トイレでは怒鳴られて肘鉄も喰らったけどさ。お試しでつき合うようになってからは、いっぱい見られてる気がするんだよな。……あ、ちなみに、今日のお気に入りはこれね」
奏汰はおもむろにスマホを取り出し、一枚の写真を僕に見せた。
古着屋の店先。奏汰に選んでもらったTシャツを着て、ほくほくしている僕の写真だった。
まぁ、わかりやすく平和そのものみたいな顔だ。負けないつもりではあるけど、奏汰は僕の写真を撮るのが本当に上手い。
僕はなんて返していいかわからず、そっと顔を伏せた。
(やば……油断したら、泣きそう……)
奏汰が僕のことを、こんなにちゃんと見てくれていたなんて、知らなかった。
変わろうともがいていた、高校1年の自分のこと。
人に意見を伝えることも怖くて、楽な方に流されがちで、自分も他人も心から信じることのできないこんな僕でも、受け入れて、好きだと言ってくれている……。
「……真紘?」
上手く言葉が出てこなかった。
間が持たないことを言い訳に、僕は奏汰の胸に顔を埋める。背中にそっと手を回し、「……ありがと」とだけ口にした。
「惚れ直しちゃった?」
冗談っぽく言う奏汰のにやにやした顔は、見なくてもよくわかる。
お試し期間とはいえ、もうつき合って2か月だ。それだけ多くの時間を一緒に過ごして、色んな表情を見てきていた。
「まぁね……ピアスの話はもうちょっと早く聞きたかったけど」
「それは恥ずかしいから無理」
「……ちぇっ」
上から覆い被さるようにして抱きしめてくる奏汰に、この気持ちをどうやって伝えたらいいか考える。
照れる気持ちはあったけど、顔を上げ、奏汰の目をまっすぐに見て言った。
「僕は……奏汰を好きになって、よかった。奏汰の思いやりや優しさにどれだけ救われたかわからないし、いつも、誰かの言葉じゃなく、ありのままの僕を見て信じてくれる。一緒にいてすごく楽しいし……わくわくしたり、ドキドキしたり、色んな感情になる。2か月お試しでつき合っても満足なんかしてなくて……もっともっと奏汰のことが知りたいって思ってるよ。大好き。……これからもずっと一緒にいたい」
デジタル時計のカレンダーは8月31日を示している。長くて短い夏休みの終わり。僕らが決めた『無料お試し期間』の最終日だった。
「奏汰は……どう思ってるの?」
「先に言われちゃったけど、俺も同じ気持ちだよ。……ずっと大好きだし、これからもずっと一緒にいたい」
「……よかった」
(自分のわがままでこんな提案をして、嫌われないだろうか……?)
自分の胸に、本当にこれでいいのかと尋ねる。
それでも、覚悟はできていた。
これからもふたりで前に進むために――自分と奏汰のことを信じたかった。
「本来ならお試しでつき合うのは今日が最後で、すぐにでも『明日からつき合おう』って言いたいんだけど……じつは、もう少しだけ時間が欲しいって思ってるんだ」
奏汰は「どうして?」と軽く目を見開いて聞く。
「……前から考えてたことだった。すごく迷ってたんだ。……でも、今日あんなことがあって、こうして奏汰と話して気がついた。僕はやっぱり……こんなに奏汰が好きでいてくれている自分のことが嫌いなんだ。自分がいちばん、自分を許せないって思ってる」
できれば、ネガティブな言葉はこれで最後にしたいと思った。僕は頬に苦い笑いを残しつつ、先を続ける。
「奏汰にも迷惑をかけてる以上、ちゃんとけじめをつけなきゃって思ったんだ。……僕は中学の頃からずっと、人とちゃんと向き合うことをしなかった。『変わりたい』なんて耳障りのいいことを言いながら、逃げるようにして入った高校でもそう。……でも、そんな自分も自分なんだって認めて、許して、受け入れてあげるべきだった。その上で、本当に変わりたいと思うなら、僕も――奏汰が僕にしてくれたみたいに――友達やクラスのみんなのことを信じて、ちゃんと自分の話をするべきだった。中学時代のあの写真が事実だったってことを伝えて、今はこうして変わろうとしていることを打ち明けるべきだった。誤解をされてるなら、せめて解く努力をするべきだった。それを……言われてようやく気づいたんだ。自分ひとりじゃわからなかった。僕がそれで、自分のことを好きになれるかどうかはわからないけど……もう少しだけ、自分のことを大切にしたいと思ったし、周りの人を信じて頼れるようになりたいとも思った。何より、ちゃんと変われた自分で……僕のことが好きな自分で、奏汰に胸を張って『好きだ』って言いたいって、そう思った」
変な汗が出てくる。心臓が口から飛び出してしまいそうだった。
自分勝手だって、僕でもそう思う。
嫌われたって、文句は言えない。
奏汰はしばらく考え込んでいたけれど……やがて小さく笑ってから、いつものように僕の髪を撫でて言った。
「……真紘は、俺をいつまで待たせるつもりなの」
「うっ」
痛いところを突かれた。
自分や周りとちゃんと向き合うのに、どれくらいの時間がかかるか……たしかなことは言えなかった。
「……ごめん」
「ううん。……俺も、真紘が誤解されたままっていうのは正直、すげー悔しいよ。だから、周りと向き合うは大賛成だし、自分のことをちゃんと好きになってくれるのも、すごく嬉しいなって思う」
奏汰は僕の髪を指でくるくると巻きながら、ひとつ長いため息をついた。
「お試し期間が延びるのはちょっと悲しいから、複雑な気分だけど」
「問題が解決したら『正式に僕とつき合ってください』って、僕の方から言いに行くよ」
「……真紘から告白してくれるってこと?」
「うん」
「それは……ちょっと楽しみかも」
僕はもう一度「勝手なこと言ってごめんね」と謝り、奏汰の胸に顔を埋める。
こういう仕草はずるいかな、と思ったけれど、奏汰は子どもでもあやすみたいに、僕の背中をそっと撫でてくれた。
困ったような、でも柔らかい声で「いいよ」と呟く。
「……俺、いつまででも待ってるから」
「本当に?」
「うん。約束」
差し出された小指に、僕は自分のそれを絡ませる。
「真紘が俺のことを好きでいてくれるなら、待てると思う。けど……」
「けど?」
「キス、したいな」
いつもの笑顔にほっとしたのもつかの間、奏汰は落ち着かない様子で僕のそばに手をついた。ベッドが音を立てて軋む。
「キスなら……いつもしてるんじゃ」
どういう意味だろう、と不思議に思っていると、奏汰はあいまいに首を横に振った。
「……もうちょっと、恋人っぽいやつがしたい」
「いい?」と軽く顎をつかんで持ち上げられる。
(恋人っぽいやつって……何!?)
つい想像してしまい、瞬間湯沸かし器みたいに顔が熱くなった。僕の「いいよ」って言葉を待つみたいに、奏汰は僕の喉元をそっと指で撫でる。
「ちゃんと待つから……。今日は、もう少し真紘が欲しい」
耳許で言われてしまうと、抗うこともできなくて……。
「で、でもっ……僕、やり方わかんないかも」
「教える」
最初はいつものように触れるだけのキスだったけれど、いつの間にか唇のあいだから舌がすべり込んできて――。
柔らかい感触に目まいがする。
心地いいけど、知らない感覚。
そっと目を開けると、奏汰の余裕のない表情が見えて……。
背中にベッドのスプリングを感じたけれど、拒むことはしなかった。
僕はさっきまで深刻な顔で話していたことも忘れて、気づけば奏汰の首の後ろに手を回し、奏汰のキスを受け入れていた。
「ううん……」
首を横に振ってから、はたと思い出した。
そういえば、熱を出した夜にそんな夢を見たことがあったっけ。奏汰はひとつ後ろの席から、前の席に座る僕のことをながめていた。
「……憶えてないのも当然だと思う。その席だった期間はすごく短いし、真紘は小木と一緒に生徒会役員に当選したばっかりで、慣れない活動に忙しそうにしてたから。それで……俺はその席になってから、授業中によく真紘のことを観察するようになったんだ。たまに左サイドの髪を耳にかけてて、その左耳には透明なピアスのキャッチがついてた。『穴開けてるなら、もっとちゃんとしたものつければいいのに。変な奴』って思ったよ。それから、何となく真紘のことが気になって目で追うようになった」
奏汰は懐かしそうに目を細めながら、隣にいる僕の頬に触れた。高校1年。僕がまだクラスでどう振る舞っていいかわからず、奏汰のこともすごく苦手に思っていた頃のことだった。
「その頃はちょうど文化祭の時期で、真紘は学級委員と生徒会を両立して、色んな仕事を頑張ってこなしてた。俺が宇佐美と葉山とだらだら作業を続けてたときも、遅くまで学校に残ってたのを憶えてる。『いつも肩肘張ってて疲れないのかな』って思ってたんだけど、ある日、真紘の耳に塞がったピアスの穴の跡がたくさんあるのを見つけたんだよ。それで、気づいたんだ。『ああ……もしかすると、こいつは昔やんちゃでもしてて、ノリでいっぱいピアスも開けてたけど、今は自分を変えたくてこんなに頑張っているのかな』ってさ。観察してると、真紘、たまにカッコいいピアスつけてる奴のこと『いいなぁ』って目でじっと見てることがあるんだよ。……気づいてた?」
「気づいて、ない。……っていうか、観察してたって……何? 許可してないんだけど」
不満げに言う僕に、奏汰が声を出して笑った。
「許可いるのかよ。……俺、それ見て、何かすげーかわいいなって思ったんだよな。『なんだ、やっぱりピアス好きなんじゃん』って」
「それで、交換しようって言ったの? 奏汰のピアスと僕の透明なピアス」
「……えっ……? そ、それは……」
目を泳がせる奏汰。
珍しく、言葉に詰まっているみたいだった。
僕が無言でうながすと、奏汰は「ああ、もうっ」と言ってばりばりと頭をかく。
「これは言うつもりなかったのに」
「言ってよ」
「言って」と圧をかけると、奏汰は観念したようにうな垂れてから話し始めた。
「……そうだよ。最初っから交換しようと思ってたわけじゃなかったけど、『いつもの透明なやつじゃなくて、好きで気に入ってるピアスつけて鏡でも見たら、どんな顔して笑うんだろう』って気になった。春休みに姉と買い物に行く機会があって、そこで偶然このピアスを見つけたんだよ。カッコいいな、真紘に似合いそうだなって思った。休み明けに俺がこれをつけて学校に行ったら、仮にクラスが離れたとしても話すきっかけくらいにはなるかなって思って」
「……もしかして、奏汰って……けっこう前から僕のこと好きだった……?」
「気になってたの! 好きとはまた別っ」
ムキになって否定する奏汰がちょっとだけ面白い。
こうして自分のことを深く話してくれるのも初めてで、何となく不思議な気持ちになった。
「……とにかく、さ。俺が言いたかったのは、真紘は自分の好きなものを我慢してまで、変わろうと努力してたってこと。外見もそうだし、中身だってクラスや学校のみんなのために何かしようってずっと頑張ってた。……俺には『なりたい自分』とかなかったから、自分を変えようとしてる真紘はまぶしく映ったし、本気で変わろうとしてる真紘をすごいな、偉いなってずっと思ってた。……それでいて、ちょっともどかしい気もしてたんだよ。『初めて友達や仲間ができた』なんてさ、嬉しいに決まってるじゃん。間違ったことをしたならもちろん反省すべきだけど、自分で自分の楽しかったことや好きなことを否定して、どうやって腹の底から笑えんの? ……俺は変わりたい真紘の邪魔をしたかったわけじゃない。けど、好きなものは好きって言って、本当の顔で笑ってほしかったんだよ。だから、真紘にこのピアスをつけてみてほしいと思ったんだ」
奏汰の手が伸びてくる。
触れられたピアスが、小さく揺れる気配がした。
「……本当の顔で」
「うん。俺はどんな真紘でも好きだけど、やっぱり笑ってる顔がいちばん好き。最初は見られなくって、トイレでは怒鳴られて肘鉄も喰らったけどさ。お試しでつき合うようになってからは、いっぱい見られてる気がするんだよな。……あ、ちなみに、今日のお気に入りはこれね」
奏汰はおもむろにスマホを取り出し、一枚の写真を僕に見せた。
古着屋の店先。奏汰に選んでもらったTシャツを着て、ほくほくしている僕の写真だった。
まぁ、わかりやすく平和そのものみたいな顔だ。負けないつもりではあるけど、奏汰は僕の写真を撮るのが本当に上手い。
僕はなんて返していいかわからず、そっと顔を伏せた。
(やば……油断したら、泣きそう……)
奏汰が僕のことを、こんなにちゃんと見てくれていたなんて、知らなかった。
変わろうともがいていた、高校1年の自分のこと。
人に意見を伝えることも怖くて、楽な方に流されがちで、自分も他人も心から信じることのできないこんな僕でも、受け入れて、好きだと言ってくれている……。
「……真紘?」
上手く言葉が出てこなかった。
間が持たないことを言い訳に、僕は奏汰の胸に顔を埋める。背中にそっと手を回し、「……ありがと」とだけ口にした。
「惚れ直しちゃった?」
冗談っぽく言う奏汰のにやにやした顔は、見なくてもよくわかる。
お試し期間とはいえ、もうつき合って2か月だ。それだけ多くの時間を一緒に過ごして、色んな表情を見てきていた。
「まぁね……ピアスの話はもうちょっと早く聞きたかったけど」
「それは恥ずかしいから無理」
「……ちぇっ」
上から覆い被さるようにして抱きしめてくる奏汰に、この気持ちをどうやって伝えたらいいか考える。
照れる気持ちはあったけど、顔を上げ、奏汰の目をまっすぐに見て言った。
「僕は……奏汰を好きになって、よかった。奏汰の思いやりや優しさにどれだけ救われたかわからないし、いつも、誰かの言葉じゃなく、ありのままの僕を見て信じてくれる。一緒にいてすごく楽しいし……わくわくしたり、ドキドキしたり、色んな感情になる。2か月お試しでつき合っても満足なんかしてなくて……もっともっと奏汰のことが知りたいって思ってるよ。大好き。……これからもずっと一緒にいたい」
デジタル時計のカレンダーは8月31日を示している。長くて短い夏休みの終わり。僕らが決めた『無料お試し期間』の最終日だった。
「奏汰は……どう思ってるの?」
「先に言われちゃったけど、俺も同じ気持ちだよ。……ずっと大好きだし、これからもずっと一緒にいたい」
「……よかった」
(自分のわがままでこんな提案をして、嫌われないだろうか……?)
自分の胸に、本当にこれでいいのかと尋ねる。
それでも、覚悟はできていた。
これからもふたりで前に進むために――自分と奏汰のことを信じたかった。
「本来ならお試しでつき合うのは今日が最後で、すぐにでも『明日からつき合おう』って言いたいんだけど……じつは、もう少しだけ時間が欲しいって思ってるんだ」
奏汰は「どうして?」と軽く目を見開いて聞く。
「……前から考えてたことだった。すごく迷ってたんだ。……でも、今日あんなことがあって、こうして奏汰と話して気がついた。僕はやっぱり……こんなに奏汰が好きでいてくれている自分のことが嫌いなんだ。自分がいちばん、自分を許せないって思ってる」
できれば、ネガティブな言葉はこれで最後にしたいと思った。僕は頬に苦い笑いを残しつつ、先を続ける。
「奏汰にも迷惑をかけてる以上、ちゃんとけじめをつけなきゃって思ったんだ。……僕は中学の頃からずっと、人とちゃんと向き合うことをしなかった。『変わりたい』なんて耳障りのいいことを言いながら、逃げるようにして入った高校でもそう。……でも、そんな自分も自分なんだって認めて、許して、受け入れてあげるべきだった。その上で、本当に変わりたいと思うなら、僕も――奏汰が僕にしてくれたみたいに――友達やクラスのみんなのことを信じて、ちゃんと自分の話をするべきだった。中学時代のあの写真が事実だったってことを伝えて、今はこうして変わろうとしていることを打ち明けるべきだった。誤解をされてるなら、せめて解く努力をするべきだった。それを……言われてようやく気づいたんだ。自分ひとりじゃわからなかった。僕がそれで、自分のことを好きになれるかどうかはわからないけど……もう少しだけ、自分のことを大切にしたいと思ったし、周りの人を信じて頼れるようになりたいとも思った。何より、ちゃんと変われた自分で……僕のことが好きな自分で、奏汰に胸を張って『好きだ』って言いたいって、そう思った」
変な汗が出てくる。心臓が口から飛び出してしまいそうだった。
自分勝手だって、僕でもそう思う。
嫌われたって、文句は言えない。
奏汰はしばらく考え込んでいたけれど……やがて小さく笑ってから、いつものように僕の髪を撫でて言った。
「……真紘は、俺をいつまで待たせるつもりなの」
「うっ」
痛いところを突かれた。
自分や周りとちゃんと向き合うのに、どれくらいの時間がかかるか……たしかなことは言えなかった。
「……ごめん」
「ううん。……俺も、真紘が誤解されたままっていうのは正直、すげー悔しいよ。だから、周りと向き合うは大賛成だし、自分のことをちゃんと好きになってくれるのも、すごく嬉しいなって思う」
奏汰は僕の髪を指でくるくると巻きながら、ひとつ長いため息をついた。
「お試し期間が延びるのはちょっと悲しいから、複雑な気分だけど」
「問題が解決したら『正式に僕とつき合ってください』って、僕の方から言いに行くよ」
「……真紘から告白してくれるってこと?」
「うん」
「それは……ちょっと楽しみかも」
僕はもう一度「勝手なこと言ってごめんね」と謝り、奏汰の胸に顔を埋める。
こういう仕草はずるいかな、と思ったけれど、奏汰は子どもでもあやすみたいに、僕の背中をそっと撫でてくれた。
困ったような、でも柔らかい声で「いいよ」と呟く。
「……俺、いつまででも待ってるから」
「本当に?」
「うん。約束」
差し出された小指に、僕は自分のそれを絡ませる。
「真紘が俺のことを好きでいてくれるなら、待てると思う。けど……」
「けど?」
「キス、したいな」
いつもの笑顔にほっとしたのもつかの間、奏汰は落ち着かない様子で僕のそばに手をついた。ベッドが音を立てて軋む。
「キスなら……いつもしてるんじゃ」
どういう意味だろう、と不思議に思っていると、奏汰はあいまいに首を横に振った。
「……もうちょっと、恋人っぽいやつがしたい」
「いい?」と軽く顎をつかんで持ち上げられる。
(恋人っぽいやつって……何!?)
つい想像してしまい、瞬間湯沸かし器みたいに顔が熱くなった。僕の「いいよ」って言葉を待つみたいに、奏汰は僕の喉元をそっと指で撫でる。
「ちゃんと待つから……。今日は、もう少し真紘が欲しい」
耳許で言われてしまうと、抗うこともできなくて……。
「で、でもっ……僕、やり方わかんないかも」
「教える」
最初はいつものように触れるだけのキスだったけれど、いつの間にか唇のあいだから舌がすべり込んできて――。
柔らかい感触に目まいがする。
心地いいけど、知らない感覚。
そっと目を開けると、奏汰の余裕のない表情が見えて……。
背中にベッドのスプリングを感じたけれど、拒むことはしなかった。
僕はさっきまで深刻な顔で話していたことも忘れて、気づけば奏汰の首の後ろに手を回し、奏汰のキスを受け入れていた。


