そうして始まった夏休み。
僕らは奏汰の言葉通り、恋人として素敵な思い出をたくさん作った。
お互いの家を行き来して遊び、ご飯を食べ、宿題をやる。合間に海や水族館でデートしたり、夏祭りや花火大会に出かけたりもした。
お試し期間中ではあったけれど、叔母の久美ちゃんにも紹介したし、お互いに小遣いが足りなくなって、イベント会場で短期のアルバイトなんかもした。奏汰が友達と遊びに行ったときは、色んな面白い写真や動画を撮って、僕に送ってくれたりもした……。
スマホのフォルダがふたりの写真でいっぱいになっていくにつれて、夏の終わりを感じる。
茹だるような暑さが続いた、夏休み最後の週末のことだった。
僕らはちょっと足を伸ばして、都心までショッピングに行こうと話していた。中心部には話題の店が集まり、古着で有名なストリートや大規模なアウトレットモールもある。買いたいものがなくても、街歩きをするだけで楽しい場所だ。
僕はいつものように服装に悩んで……結局、前に奏汰の家に行ったときと同じ服に、黒のキャップを合わせた。耳元には奏汰のピアス。
「おはよ、真紘。……お、今日はかわいい帽子かぶってる」
駅前で待ち合わせた奏汰は今日も輝いていて、夕焼けみたいな鮮やかな色のシャツが目を引いた。アーチ型の車止めに腰かける奏汰を振り返る人も多くて、そばでは女子高生らしきグループが声をかけたいのかひそひそと話している。せっかくのデートなのに、邪魔が入るのは避けたかった。
「ありがと、奏汰もカッコいいよ。……そのシャツ、すごく似合ってる」
まっすぐな言葉に照れる奏汰。
ギャラリーをけん制したつもりだったけれど、よく考えれば僕らは同性同士だ。彼らの目には、僕らのことも友達か何かに見えているのかもしれない。
(お揃いの指輪でもしてたら、カップルに見えるの……かな?)
彼女たちが本格的に声をかけてくる気配がして、僕は「行こ」と、慌てて奏汰の手を取った。
おしゃれなカフェが並ぶ駅前通りは、午前中にもかかわらず賑わっている。
「この辺りは久しぶりに来たかもなー。……真紘は、何か見たいものとかあるんだっけ?」
「Tシャツが欲しい、かも。古着屋とか見てみたいかな。奏汰は?」
「俺はスニーカー。買うかはわかんないけど、新しいの見ておきたい」
「わかった」とうなずく僕に、奏汰がにっと笑う。
「……真紘のTシャツ、よかったら俺が選んでもいい?」
「えっ、いいの!?」
「もちろん。むしろ選ばせてほしいなーって思って」
思ってもみない提案だったけれど、正直とてもありがたかった。服は好きだけど、いざ買うとなると、どんな色やデザインのものを選んだらいいかわからない。奏汰はセンスもいいし、僕に似合うものを見つけてくれそうな気がした。
「やった! 嬉しい」
「あ、後でカフェも行かない? 穴場っぽい、いいところ見つけたんだ」
「行きたい、行こうっ!」
前のめりにそう言って笑う。
空は雲ひとつなく、最高の買い物日和だ。
奏汰と出会ってからは、目に映るすべてのものが新鮮で輝いて見える。だから、この日もそうなるだろうと信じて疑わなかった。
あんな出来事があるまでは。
古着屋を何軒かハシゴして、奏汰は僕にヴィンテージのTシャツをひとつ選んでくれた。色は青に灰色を混ぜたようなサックスブルーで、海外のバンドをモチーフにしたもの。
「せっかくだし、このまま着て行ったら?」
奏汰の提案に店員さんも快く値札を切ってくれ、買ったばかりのTシャツを着て店を出た。普段なら手に取らない色に、またひとつ新しい自分を見つけたみたいな気分になる。
坂を下った先にある大きな路面店で奏汰のスニーカーをチェックして、ついでにその向かいにできた新しいファッションビルをのぞいた。3階に雰囲気のいいアクセサリーショップを見つけて、中に入る。シルバーやゴールドの他に天然石を使ったアクセサリーが売られている店で、何気なく指輪のコーナーを見ていた僕に奏汰が声をかけた。
「真紘、ちょっとこっち」
「何? 何かいいものあった?」
「うん……これ、どう思う?」
奏汰が見ていたのは王冠をモチーフにした、シンプルなスタッドピアスだ。素材はプラチナ。真ん中にはきらりと光る小さな石が嵌められている。
「わぁ……キレー。こういうのも、何かさり気なくていいよね。学校でもつけられそう」
「だよな。『誕生石を選べる』って書いてあってさ。……そういえば、真紘の誕生日っていつだっけ?」
「11月20日だよ。誕生石は、えーっと……トパーズだって。あ、青いやつがある」
青いものはブルートパーズと呼ばれているらしく、奏汰に選んでもらったTシャツからくすみを消したような、澄んだ空みたいな色だった。
「奏汰は何月生まれ?」
「俺は7月」
「って、先月じゃん! 過ぎちゃってるし」
「お祝いしたかったのに……」と肩を落として言うと、奏汰は「ごめん」と軽く言って笑った。試験期間中で、言い出すのを忘れていたらしい。
ケースの隅に貼ってある表を見ると、7月にはルビーという文字がある。
(天然石っていうか……宝石……?)
目安となる値段も書いてあるのだが、さすがに値が張りそうだ。
「色違いでつけたい、とか思ってたんだけどな~」
同じ欄を見ていたらしく、奏汰が隣で肩を落とす。
僕も同じ気持ちだった。
ふたりで唸っていると、若い女性の店員がやってきた。高校生であることを伝えると「小さな石でもよければ」と目安の半額くらいの値段を電卓で示してくれる。手が届きそうな数字に思えて、僕らは顔を見合わせた。
「これなら、短期のバイトを1週間くらい頑張れば……」
「冬休みにでも、また一緒にアルバイトしようか?」
「いいかもな。それ」
必死にケースをのぞき込んで話す高校生に、彼女はピアスが定番商品であること、おそらく来年くらいまではデザインの変更がないことなどを丁寧に教えてくれた。
「また買いに来ます」
僕らはそれだけを伝え、揃って店をあとにした。
ビルを出て、奏汰が調べてくれていたおしゃれなカフェへと向かう。
「カッコよかったよなぁ~……」
「カッコよかったね……」
僕らは注文した冷たいソーダを向かい合って飲みながら、ドライフラワーの飾られた天井を見上げていた。
さっきのお店で見たピアスが、頭を離れない。
王冠部分の繊細なデザイン。
光を反射する色鮮やかなルビーとトパーズ。
何より、ふたりで同じ種類のものをつけられるのがよかった。すでにその日が楽しみで仕方ない。
奏汰はすでにバイトを調べているのか、冬休みにあるイベントの一覧表を僕のスマホに送ってきていた。気が早い。
「最初に僕が指輪見てたの……奏汰は気づいてた?」
「もちろん。ちょうどお揃いで何かつけたかったから、指輪はいいなって思ってた。ただ、ピアスも気になってたから……何気なく見に行ったら、出会っちゃったんだよなぁ」
「そういうことってあるよね」
「『何気なく』っていうのがポイントなんだよな。『今日はこれ探すぞ!』って意気込んで行くと、絶対見つからない」
「それ、ちょっとわかるかも」
こういう現象に名前ってあるんだろうか。
『探し物は探しているうちには決して見つからないが、探すのをやめた瞬間に見つかる』的な。
僕はストローから口を離すと、改めて奏汰に向き直って言った。
「でも、ピアスは僕もいいかなって思ったよ。だって奏汰のピアス……結局、僕が取っちゃってるし」
左耳のピアスに触れる。
奏汰が最初にピアスを交換した意図は……そういえばまだ聞いていなかったけれど、奏汰はこのカッコいいピアスを僕に渡して、自分は今でもまだ、僕がしていた透明のものをつけていた。
「……それは、べつにいいよ。俺は、前にも言ったけど真紘のピアスが気に入ってるし。それに、このピアスは真紘によく似合うから」
「そうなの?」
「うん」
揺れるピアスに手を伸ばし、満足そうに目を細める奏汰。このピアスが僕に似合っているのはともかく、交換した末に奏汰がしているのは、ただの透明なピアスのはずだった。
「気に入ってるって……どうして」
そう聞こうとしたときだった。
「あれ、日枝じゃん? こんなとこで会うの珍しいね」
背中から、男の濁ったようなガラガラ声が降ってきた。思わず顔を上げて振り返ったけれど……知らない顔だ。金に近い髪色。コムギみたいなプードルっぽさのあるパーマに、前髪はセンターで分けている。年は僕らと同じ高校生くらいで、隣に彼女らしき女の子を連れていた。
「おー。渡會か、すげぇ偶然」
「週明けから学校始まるのに、余裕だなぁ」
「いや、お前もお茶しに来てる時点で同じだけどな」
「えっと……誰? 奏汰」
「あー、ごめん。こいつは渡會脩人。宇佐美と中学で仲良かったらしくてさ。今はうちの学校の2年5組。……このあいだの海にも来てたんだけど、写真で見なかった?」
「あ……そういえば、見たかも」
挨拶代わりにぺこりと頭を下げたが、そいつはこっちを見ただけで、代わりに彼女さんが挨拶を返してくれていた。僕は何となく嫌な感じがして……席に座り直すと、テーブルの上のソーダを手に取った。
「そっちは彼女とデートかよ」
奏汰はいつもこんな感じなのか、気軽に雑談を続けている。
「いいだろ、1コ下でさ。……ていうかお前、課題終わってんの?」
「学年30位以内をなめんなよ。余裕じゃないのは渡會の方だろ」
「バレたか。まぁ、帰ってからやるし。……それより日枝、お前さ」
「何?」
「そんな奴とつるんで、大丈夫なのかよ? こっちのクラスまで悪い噂、流れてきてんだけど」
「……あ?」
不機嫌な奏汰の声に、思わず顔を上げる。
「知り合いから聞いた話だけどさ、そいつの仲良かった友達、少年院入ってるらしいじゃん。生徒会とか何とか、真面目ぶってるけど裏ではヤバいって聞いてるぜ?」
――まずい。
自分が短気な性格だからか、人が激昂するときの気配だけはよくわかる。奏汰はやけに静かに話を聞いていたと思ったら、急に立ち上がって、そいつの胸倉を強くつかんで持ち上げた。
「お前に、真紘の、何がわかんだよっ……!!!」
「お……落ち着いて、奏汰。僕は大丈夫だからっ」
奏汰の手をつかんで引き剥がす。
急な大声に、周りのお客さんも騒然としていた。
渡會はシャツの胸元を手で払うと、「何だよ、急に」と舌打ちをひとつする。
「事実だろ。俺は日枝のことが心配だっただけで」
「悪いな、余計な世話焼いてもらって。……帰れよ。伝票持ってるってことは、用はもう済んだんだろ?」
渡會はもう一度舌打ちをすると、「お前のせいだ」とでも言いたげな目つきを残して、足早に去っていった。
カップルが出て行った後も、空気は最悪なままだった。デートが台無しになってしまったのが悲しかったけれど、元はと言えば自分のせいなのだからどうしようもない。
不機嫌が顔に貼りついたままの奏汰は、ソーダの残りに口をつけて「なんで止めたの」と僕に聞いた。
「そりゃあ、ここでやったら迷惑かけるし、くだらないことで喧嘩してほしくもないし」
「くだらなくなんて、ないだろ。……そもそもなんで言い返さなかったんだよ。あんな理不尽なこと言われて、真紘は悔しくないの」
「悔しいといえば……まぁ、悔しいけど」
僕のそんな返答に、奏汰は「何それ」と言ってソーダの残りを飲み干した。
「真紘が他のクラスで話されてること……俺も聞いたことはあるけど、どれも根も葉もない噂ばっかりじゃん。中学時代のあの写真が、ひとり歩きしてるだけだろ」
「…………」
「真紘もさ、事実じゃないことはちゃんと否定してよ。責めてるわけじゃなくて、俺は自分の彼氏がこんな風に言われてることがすごく悲しいし、悔しい。誤解されることは誰にでもあると思うけど、それならせめて解こうと努力をしてほしい。……じゃないと、あることないこと言われ続ける真紘が、かわいそうだ」
そう不満げに言う奏汰が、僕のことをどれだけ想ってくれているかが伝わってくる。
まっすぐで、勇気があって、優しくて……。
そんな奏汰らしい言葉だと思った。
だからこそ、これから話さなきゃいけないことがすごく辛い。
僕は拳をぎゅっと握りしめ、奏汰の瞳をまっすぐに見据えた。
「……たしかに、『真面目ぶってるけど、裏ではヤバい』っていうのは嘘。奏汰が前に言ってくれたみたいに、それはもう過去の話だ」
「だろ? それなら、なんでっ……」
「『仲の良かった友達が少年院に入ってる』っていうのは……本当。だから、ごめん……ちゃんと言い返せなかった」
奏汰は何かを言いかけたまま、口を半開きにして固まっている。
『誤解されることは誰にでもあると思うけど、それならせめて解こうと努力をしてほしい』。
さっき奏汰の放った言葉が頭の中で繰り返される。
本当に、その通りだと思った。
僕は人とまっすぐ向き合うのが怖くて、逃げてきた。
これはその代償みたいなものだ。
今度こそ、ちゃんと向き合う必要がある。
(大切な人を、裏切らないためにも……)
僕は立ち上がり、テーブルに置かれた伝票を取って言った。
「デートを台無しにしちゃって……本当にごめん。これから、うちに来られないかな? 見せたいものがあるんだ」
僕らは奏汰の言葉通り、恋人として素敵な思い出をたくさん作った。
お互いの家を行き来して遊び、ご飯を食べ、宿題をやる。合間に海や水族館でデートしたり、夏祭りや花火大会に出かけたりもした。
お試し期間中ではあったけれど、叔母の久美ちゃんにも紹介したし、お互いに小遣いが足りなくなって、イベント会場で短期のアルバイトなんかもした。奏汰が友達と遊びに行ったときは、色んな面白い写真や動画を撮って、僕に送ってくれたりもした……。
スマホのフォルダがふたりの写真でいっぱいになっていくにつれて、夏の終わりを感じる。
茹だるような暑さが続いた、夏休み最後の週末のことだった。
僕らはちょっと足を伸ばして、都心までショッピングに行こうと話していた。中心部には話題の店が集まり、古着で有名なストリートや大規模なアウトレットモールもある。買いたいものがなくても、街歩きをするだけで楽しい場所だ。
僕はいつものように服装に悩んで……結局、前に奏汰の家に行ったときと同じ服に、黒のキャップを合わせた。耳元には奏汰のピアス。
「おはよ、真紘。……お、今日はかわいい帽子かぶってる」
駅前で待ち合わせた奏汰は今日も輝いていて、夕焼けみたいな鮮やかな色のシャツが目を引いた。アーチ型の車止めに腰かける奏汰を振り返る人も多くて、そばでは女子高生らしきグループが声をかけたいのかひそひそと話している。せっかくのデートなのに、邪魔が入るのは避けたかった。
「ありがと、奏汰もカッコいいよ。……そのシャツ、すごく似合ってる」
まっすぐな言葉に照れる奏汰。
ギャラリーをけん制したつもりだったけれど、よく考えれば僕らは同性同士だ。彼らの目には、僕らのことも友達か何かに見えているのかもしれない。
(お揃いの指輪でもしてたら、カップルに見えるの……かな?)
彼女たちが本格的に声をかけてくる気配がして、僕は「行こ」と、慌てて奏汰の手を取った。
おしゃれなカフェが並ぶ駅前通りは、午前中にもかかわらず賑わっている。
「この辺りは久しぶりに来たかもなー。……真紘は、何か見たいものとかあるんだっけ?」
「Tシャツが欲しい、かも。古着屋とか見てみたいかな。奏汰は?」
「俺はスニーカー。買うかはわかんないけど、新しいの見ておきたい」
「わかった」とうなずく僕に、奏汰がにっと笑う。
「……真紘のTシャツ、よかったら俺が選んでもいい?」
「えっ、いいの!?」
「もちろん。むしろ選ばせてほしいなーって思って」
思ってもみない提案だったけれど、正直とてもありがたかった。服は好きだけど、いざ買うとなると、どんな色やデザインのものを選んだらいいかわからない。奏汰はセンスもいいし、僕に似合うものを見つけてくれそうな気がした。
「やった! 嬉しい」
「あ、後でカフェも行かない? 穴場っぽい、いいところ見つけたんだ」
「行きたい、行こうっ!」
前のめりにそう言って笑う。
空は雲ひとつなく、最高の買い物日和だ。
奏汰と出会ってからは、目に映るすべてのものが新鮮で輝いて見える。だから、この日もそうなるだろうと信じて疑わなかった。
あんな出来事があるまでは。
古着屋を何軒かハシゴして、奏汰は僕にヴィンテージのTシャツをひとつ選んでくれた。色は青に灰色を混ぜたようなサックスブルーで、海外のバンドをモチーフにしたもの。
「せっかくだし、このまま着て行ったら?」
奏汰の提案に店員さんも快く値札を切ってくれ、買ったばかりのTシャツを着て店を出た。普段なら手に取らない色に、またひとつ新しい自分を見つけたみたいな気分になる。
坂を下った先にある大きな路面店で奏汰のスニーカーをチェックして、ついでにその向かいにできた新しいファッションビルをのぞいた。3階に雰囲気のいいアクセサリーショップを見つけて、中に入る。シルバーやゴールドの他に天然石を使ったアクセサリーが売られている店で、何気なく指輪のコーナーを見ていた僕に奏汰が声をかけた。
「真紘、ちょっとこっち」
「何? 何かいいものあった?」
「うん……これ、どう思う?」
奏汰が見ていたのは王冠をモチーフにした、シンプルなスタッドピアスだ。素材はプラチナ。真ん中にはきらりと光る小さな石が嵌められている。
「わぁ……キレー。こういうのも、何かさり気なくていいよね。学校でもつけられそう」
「だよな。『誕生石を選べる』って書いてあってさ。……そういえば、真紘の誕生日っていつだっけ?」
「11月20日だよ。誕生石は、えーっと……トパーズだって。あ、青いやつがある」
青いものはブルートパーズと呼ばれているらしく、奏汰に選んでもらったTシャツからくすみを消したような、澄んだ空みたいな色だった。
「奏汰は何月生まれ?」
「俺は7月」
「って、先月じゃん! 過ぎちゃってるし」
「お祝いしたかったのに……」と肩を落として言うと、奏汰は「ごめん」と軽く言って笑った。試験期間中で、言い出すのを忘れていたらしい。
ケースの隅に貼ってある表を見ると、7月にはルビーという文字がある。
(天然石っていうか……宝石……?)
目安となる値段も書いてあるのだが、さすがに値が張りそうだ。
「色違いでつけたい、とか思ってたんだけどな~」
同じ欄を見ていたらしく、奏汰が隣で肩を落とす。
僕も同じ気持ちだった。
ふたりで唸っていると、若い女性の店員がやってきた。高校生であることを伝えると「小さな石でもよければ」と目安の半額くらいの値段を電卓で示してくれる。手が届きそうな数字に思えて、僕らは顔を見合わせた。
「これなら、短期のバイトを1週間くらい頑張れば……」
「冬休みにでも、また一緒にアルバイトしようか?」
「いいかもな。それ」
必死にケースをのぞき込んで話す高校生に、彼女はピアスが定番商品であること、おそらく来年くらいまではデザインの変更がないことなどを丁寧に教えてくれた。
「また買いに来ます」
僕らはそれだけを伝え、揃って店をあとにした。
ビルを出て、奏汰が調べてくれていたおしゃれなカフェへと向かう。
「カッコよかったよなぁ~……」
「カッコよかったね……」
僕らは注文した冷たいソーダを向かい合って飲みながら、ドライフラワーの飾られた天井を見上げていた。
さっきのお店で見たピアスが、頭を離れない。
王冠部分の繊細なデザイン。
光を反射する色鮮やかなルビーとトパーズ。
何より、ふたりで同じ種類のものをつけられるのがよかった。すでにその日が楽しみで仕方ない。
奏汰はすでにバイトを調べているのか、冬休みにあるイベントの一覧表を僕のスマホに送ってきていた。気が早い。
「最初に僕が指輪見てたの……奏汰は気づいてた?」
「もちろん。ちょうどお揃いで何かつけたかったから、指輪はいいなって思ってた。ただ、ピアスも気になってたから……何気なく見に行ったら、出会っちゃったんだよなぁ」
「そういうことってあるよね」
「『何気なく』っていうのがポイントなんだよな。『今日はこれ探すぞ!』って意気込んで行くと、絶対見つからない」
「それ、ちょっとわかるかも」
こういう現象に名前ってあるんだろうか。
『探し物は探しているうちには決して見つからないが、探すのをやめた瞬間に見つかる』的な。
僕はストローから口を離すと、改めて奏汰に向き直って言った。
「でも、ピアスは僕もいいかなって思ったよ。だって奏汰のピアス……結局、僕が取っちゃってるし」
左耳のピアスに触れる。
奏汰が最初にピアスを交換した意図は……そういえばまだ聞いていなかったけれど、奏汰はこのカッコいいピアスを僕に渡して、自分は今でもまだ、僕がしていた透明のものをつけていた。
「……それは、べつにいいよ。俺は、前にも言ったけど真紘のピアスが気に入ってるし。それに、このピアスは真紘によく似合うから」
「そうなの?」
「うん」
揺れるピアスに手を伸ばし、満足そうに目を細める奏汰。このピアスが僕に似合っているのはともかく、交換した末に奏汰がしているのは、ただの透明なピアスのはずだった。
「気に入ってるって……どうして」
そう聞こうとしたときだった。
「あれ、日枝じゃん? こんなとこで会うの珍しいね」
背中から、男の濁ったようなガラガラ声が降ってきた。思わず顔を上げて振り返ったけれど……知らない顔だ。金に近い髪色。コムギみたいなプードルっぽさのあるパーマに、前髪はセンターで分けている。年は僕らと同じ高校生くらいで、隣に彼女らしき女の子を連れていた。
「おー。渡會か、すげぇ偶然」
「週明けから学校始まるのに、余裕だなぁ」
「いや、お前もお茶しに来てる時点で同じだけどな」
「えっと……誰? 奏汰」
「あー、ごめん。こいつは渡會脩人。宇佐美と中学で仲良かったらしくてさ。今はうちの学校の2年5組。……このあいだの海にも来てたんだけど、写真で見なかった?」
「あ……そういえば、見たかも」
挨拶代わりにぺこりと頭を下げたが、そいつはこっちを見ただけで、代わりに彼女さんが挨拶を返してくれていた。僕は何となく嫌な感じがして……席に座り直すと、テーブルの上のソーダを手に取った。
「そっちは彼女とデートかよ」
奏汰はいつもこんな感じなのか、気軽に雑談を続けている。
「いいだろ、1コ下でさ。……ていうかお前、課題終わってんの?」
「学年30位以内をなめんなよ。余裕じゃないのは渡會の方だろ」
「バレたか。まぁ、帰ってからやるし。……それより日枝、お前さ」
「何?」
「そんな奴とつるんで、大丈夫なのかよ? こっちのクラスまで悪い噂、流れてきてんだけど」
「……あ?」
不機嫌な奏汰の声に、思わず顔を上げる。
「知り合いから聞いた話だけどさ、そいつの仲良かった友達、少年院入ってるらしいじゃん。生徒会とか何とか、真面目ぶってるけど裏ではヤバいって聞いてるぜ?」
――まずい。
自分が短気な性格だからか、人が激昂するときの気配だけはよくわかる。奏汰はやけに静かに話を聞いていたと思ったら、急に立ち上がって、そいつの胸倉を強くつかんで持ち上げた。
「お前に、真紘の、何がわかんだよっ……!!!」
「お……落ち着いて、奏汰。僕は大丈夫だからっ」
奏汰の手をつかんで引き剥がす。
急な大声に、周りのお客さんも騒然としていた。
渡會はシャツの胸元を手で払うと、「何だよ、急に」と舌打ちをひとつする。
「事実だろ。俺は日枝のことが心配だっただけで」
「悪いな、余計な世話焼いてもらって。……帰れよ。伝票持ってるってことは、用はもう済んだんだろ?」
渡會はもう一度舌打ちをすると、「お前のせいだ」とでも言いたげな目つきを残して、足早に去っていった。
カップルが出て行った後も、空気は最悪なままだった。デートが台無しになってしまったのが悲しかったけれど、元はと言えば自分のせいなのだからどうしようもない。
不機嫌が顔に貼りついたままの奏汰は、ソーダの残りに口をつけて「なんで止めたの」と僕に聞いた。
「そりゃあ、ここでやったら迷惑かけるし、くだらないことで喧嘩してほしくもないし」
「くだらなくなんて、ないだろ。……そもそもなんで言い返さなかったんだよ。あんな理不尽なこと言われて、真紘は悔しくないの」
「悔しいといえば……まぁ、悔しいけど」
僕のそんな返答に、奏汰は「何それ」と言ってソーダの残りを飲み干した。
「真紘が他のクラスで話されてること……俺も聞いたことはあるけど、どれも根も葉もない噂ばっかりじゃん。中学時代のあの写真が、ひとり歩きしてるだけだろ」
「…………」
「真紘もさ、事実じゃないことはちゃんと否定してよ。責めてるわけじゃなくて、俺は自分の彼氏がこんな風に言われてることがすごく悲しいし、悔しい。誤解されることは誰にでもあると思うけど、それならせめて解こうと努力をしてほしい。……じゃないと、あることないこと言われ続ける真紘が、かわいそうだ」
そう不満げに言う奏汰が、僕のことをどれだけ想ってくれているかが伝わってくる。
まっすぐで、勇気があって、優しくて……。
そんな奏汰らしい言葉だと思った。
だからこそ、これから話さなきゃいけないことがすごく辛い。
僕は拳をぎゅっと握りしめ、奏汰の瞳をまっすぐに見据えた。
「……たしかに、『真面目ぶってるけど、裏ではヤバい』っていうのは嘘。奏汰が前に言ってくれたみたいに、それはもう過去の話だ」
「だろ? それなら、なんでっ……」
「『仲の良かった友達が少年院に入ってる』っていうのは……本当。だから、ごめん……ちゃんと言い返せなかった」
奏汰は何かを言いかけたまま、口を半開きにして固まっている。
『誤解されることは誰にでもあると思うけど、それならせめて解こうと努力をしてほしい』。
さっき奏汰の放った言葉が頭の中で繰り返される。
本当に、その通りだと思った。
僕は人とまっすぐ向き合うのが怖くて、逃げてきた。
これはその代償みたいなものだ。
今度こそ、ちゃんと向き合う必要がある。
(大切な人を、裏切らないためにも……)
僕は立ち上がり、テーブルに置かれた伝票を取って言った。
「デートを台無しにしちゃって……本当にごめん。これから、うちに来られないかな? 見せたいものがあるんだ」


