奏汰の家は駅から5分ほど歩いたところにある一軒家だった。二階建ての家屋の横に車2台分のカーポートがある大きな家。
「お邪魔しまーす」
「どうぞー。……って、誰もいないんだけどね」
 タオルで足を拭いてもらっていたコムギが、奏汰の手を離れたとたん一目散に走り出す。広いリビングにはソファーセットにテレビ、観葉植物の他にコムギ用のケージなんかが置かれていた。
「立派なお家だ……」
「うちの両親が喜びそうなセリフ。……まぁ、姉貴がいなくなってから、ちょっとは広く感じるかも」
「お姉さんって、いくつ離れてるの?」
「5つかな。今年、就職して家を出てさ」
「そうなんだ」
「俺の部屋、上だから。コムギはここで留守番……と言いたいところだけど、ひとりだと寂しがるから、連れて行くかぁ」
 奏汰に抱えられたコムギが、尻尾を最大限に振って喜んでいる。
 二階にある奏汰の部屋は、大きな窓から光が差し込んでいて明るかった。家具はシンプルだけど、床にはラグ、壁にはポスターが飾られていて、雰囲気のあるおしゃれな部屋。
 ビデオ通話ではわからなかったけれど、棚の上には中学までやっていた空手のものだろう、金色に光るトロフィーやメダルの数々が飾ってあった。前に漫画の技を見せてもらったときにも思ったけれど、選手としての奏汰はやっぱり強かったらしい。
「適当なとこ座って」と促され、僕はコムギと一緒にビーズクッションの上に座る。ローテーブルに教科書を置いた奏汰が、コンビニの袋からペットボトルを取り出してひとつくれた。
「真紘が自分の部屋にいるのって、何か不思議」
「変な感じがする?」
「うん。でも、すげー嬉しい。……先に、課題片づけちゃおうぜ」
「そうだね」とうなずき、僕もリュックから勉強道具を取り出した。
 しばらくふたりで作業を進め、山ほどある課題を分担してこなす。時計も見ずに集中していたけれど、ふとコムギの吠える声で顔を上げると、2時間近くが経っていた。
「こんな感じだよな」
「だね。あとは……また次回かな」
 お互いに答えを写し合い、そろって床に倒れ込む。
「課題はおしまい。……真紘、腹減らない?」
 集中していて気づかなかったけれど、お昼の時間はとうに過ぎていて……返事をする前にお腹が鳴った。
 奏汰と顔を見合わせて笑う。
「減った……かも」
「素麺でもいい?」
「いいの!?」
「下のキッチンで一緒に作ろ」
 昼ごはんのことは、そういえば何も考えていなかったので、その言葉に素直に甘えることにした。
 お湯を沸かし、麺をゆでる。
 奏汰は冷蔵庫から薬味を取り出し、慣れた手つきでガラスの器につゆを入れていた。
 盛りつけたものをリビングのテーブルまで持って行き、ふたりで「いただきます」と、手を合わせる。
「美味しいっ……!」
 冷えた麺に、出汁の効いたつゆと薬味がよく合っている。奏汰は味の心配をしていたけれど、一口食べて「あ、ちゃんと美味いね」と箸を進めていた。
 夏休みの予定について話しつつ、コムギにもおやつをあげる。
 片づけて部屋に戻った後は、紙とペンを用意して、ふたりでやりたいことを書き出していった。昨日の放課後に話していたプランに、夏祭りと花火大会を追加する。お互いの部屋で学校の課題をやる日も決めて、スマホのスケジュール帖に書き込んでいった。
「こんな感じ?」
「いいと思う。……他にも一緒にやりたいことがあれば、また追加しよ」
 お互いに「楽しみだね」なんて言い合っているうちに、僕は昨日奏汰が話していたことを思い出した。
「そういえばさぁ。奏汰、試験期間が終わったら家で『やりたいことがある』って言ってなかったっけ?」
「言った。……真紘、つき合ってくれる?」
 奏汰はそう尋ねるなり自分のベッドに腰かけて、僕のことを手招きする。
「ちょっ……」
 これは、いったい……どういう意味なんだろうか?
(えっ、もしかしてそういう……)
 混乱し始めた僕に、奏汰は慌てて「あっ!」と叫ぶ。
「ごめんっ、そういう意味じゃなくて!」
「……じゃあ、どういう意味?」
「だから……えっと……」
 言葉を選んでいる様子の奏汰を珍しいな〜と思って見ていると、そのうち覚悟を決めたらしく、僕の目をまっすぐに見て言った。
「真紘と一緒に……その、ひ」
「ひ?」
「昼寝が、したくて」
 頭の中をその言葉がぐるぐると回って……。
(お昼寝……)
 その言葉の平和さに、つい笑みがこぼれそうになる。
「今、ぜったいバカにしただろ」
 頬を膨らませる奏汰に、僕はとっさに言い訳をした。
「してないよっ……ちょっと、その……かわいいなーとかは思ったけど」
「やっぱり、バカにしてる」
「ご、ごめんって! ……でも、なんで?」
 奏汰はしばらくのあいだ拗ねていたけれど、やがて開き直ったみたいに腕を組んだ。
「子どもっぽいと思うだろうけど……俺、こういう夏の晴れた日の午後に昼寝するのが好きなんだよ。暑くて汗もかくけど、目が覚めたときに日が少し傾いて、風が涼しくなってるのも、何か良くって」
 遠くで蝉が鳴いている。
 窓から差し込む陽射しは、まだギラギラとしてまぶしかった。
「だから、テストが終わったら真紘と一緒にのんびり昼寝したいな〜って、そう思って……」
 そんなことなら、断る理由が見当たらない。
 僕は奏汰の隣に座って「わかった」と言った。
「しよ? お昼寝」
「……いいの?」
「うん。奏汰が好きなこと、僕も知りたいし」
 ぱっと目を輝かせる奏汰が、僕は好きだった。
 好きな人が嬉しそうにすると、何だか僕まで嬉しくなる。
 奏汰はさっそく、とばかりに枕の位置を調整して、壁を背に横向きに寝転んだ。
 ベッドの真ん中をぽんぽん、と軽く叩く。
(……いや、ちょっと待てよ……)
 そこで、ある違和感に気がついた。
『お昼寝』とかいう、かわいらしい言葉の響きに騙されていたが……要は同じベッドに寝るということだ。
 同じベッドに寝るのか??
 僕と……奏汰が???
(これって、けっこうハードル高くないか?)
 戸惑っていると、奏汰がきょとんとした顔をして、もう一度ぽんぽん、とベッドを叩く。
 僕は瞬時に頭をフル回転させた結果――奏汰に背を向ける形で、ベッドの中央にダイブした。
「あっ! なんで後ろ向き!?」
「や、さすがにドキドキするっていうか……。ねぇ、これ仮に後ろ向きでも、眠れると思う!?」
 好きな人の近くにいるだけでドキドキするのに、腕の中に収まって眠れるはずがない。現に、僕の心臓の鼓動は史上最速のBPMを叩き出していた。そこら辺のメタルドラマーが踏むツインペダルより速い。
「俺だってドキドキはしてる」
「嘘だ」
「じゃ、確かめてみてよ」
 そう言われて、仕方なく向き合う姿勢になった。
 奏汰の胸に耳を近づけると、たしかに僕と同じくらいかそれ以上の早鐘を打っている。
「……ホントだ、すごく速い」
「だろ? だから一緒」
「……うん」
 奏汰はいつものように僕の髪を梳き、ちょっと余裕の無さそうな顔で笑った。
「ねぇ、真紘。……抱きしめてもいい?」
 さっきの『そういう意味じゃない』というのは……? と思いつつも、顔を上げれば、奏汰の熱の籠った瞳が僕のことを見つめていて……。
(こういうお願い、弱いよな……僕)
 恥ずかしいし、そろそろ心臓が爆発して死にそう。
 それでも、どこかでそうされたい気持ちもあって――僕は甘えるように髪を触る奏汰の胸に自分の頭をそっと押しつけた。
「……うん」
 強く抱きしめられ、奏汰の熱に包まれる。
 早鐘を打つお互いの鼓動を聞きながら、僕は彼の半袖シャツの胸元をぎゅっと強く握りしめた。
 奏汰の足が絡んできて、少しくすぐったい。
「……学校にいるときから、ずっとこうしたかった」
 奏汰は自分の中にある熱を逃がすように、深く息を吐いている。今日は何もつけていないのか、純粋に奏汰の匂いがした。
「俺……真紘のことが好きすぎて、もうどうにかなりそう……」
(……僕だって、どうにかなりそうだよ)
 そう話す代わりに、奏汰の背中に手を滑らせた。
 しばらくそうして抱き合い、それに飽きると今度は身体を寄り添わせたまま手を繋ぐ。
 手に足に触れる奏汰の体温は、とても心地がよくて――。
『絶対に寝られるはずがない』と思っていたにもかかわらず、僕は奏汰に身を預けたまま、いつの間にか深い眠りに落ちていた。

 奏汰の手が頭を、髪を撫でる心地のいい感触。
 ふたたび目を開けると奏汰が目の前にいて、僕の髪に触れていた。
「……おはよ」
「あれ……僕、寝てた……?」
「うん。すやすやと」
 一気に恥ずかしくなって、奏汰の胸に顔を埋める。
 奏汰は小さく笑って「いや、俺もさっきまで寝てたよ」とフォローしてくれた。
 いったいどれくらいの時間、眠っていたんだろう……。
 窓から差し込む光がさっきよりも白っぽい。
 背中がやけに温かく、コムギも同じベッドにやってきて寝ていたことを知った。
(いつの間に……)
 あれだけ寝られないと騒いでいたくせに、あっという間に寝落ち。
 おかしくて、つい笑いが漏れてしまう。
「絶対、寝られないと思ってたのに……」
「手とか足とか、あったかかったからじゃない?」
「そうかな。あ、僕……変な顔してなかった?」
 奏汰が悪い笑みを浮かべたので、僕は胸のあたりを拳で叩いた。
「……冗談だって。かわいかった」
「いびきとか、かいてなかった?」
「ないない。よだれだけ」
「うわー……最悪」
「ごめんね」と謝って枕を見ると、たしかに濡れた部分が小さな染みを作っている。
 枕カバーを洗って返したいくらいだと思っていると、僕の髪をしきりに触っていた奏汰が満足そうに顔を(ほころ)ばせた。
「最悪なんかじゃないよ、最高。真紘の寝顔が間近に見られたし」
「僕の寝顔に、ご利益なんかないけどね」
「俺にはあるの。いつもよりも子供っぽい顔しててさぁ……俺、待ち受けにしちゃった」
「は!? 聞いてないけど」
「今、言ったから」
「何かムカつく……。次は必ず、奏汰の寝顔を見て撮影してやる」
「真紘には無理」
 (あお)るような言い方に口を尖らせていると、「大好き」とまた抱きしめられた。
 頬に触れるだけのキス。
 繋いでいた手にキスを返すと、今度は唇に口づけられた。
「もう、調子に乗りすぎっ……」
 言いかけた口を塞がれる。
 こうして、身体を寄せ合いながらキスをするのも、ずいぶんと久しぶりな気がして……。
 僕は文句を言う口を閉じると、そっと目を瞑って、奏汰に応えるようにキスをした。

 空がきれいなオレンジ色に染まる頃。
 僕は寂しげに尻尾を振るコムギに別れを告げて、奏汰の家をあとにした。
 奏汰は来たときと同じように、駅まで送ってくれるらしい。人通りが多くないのをいいことに、道の途中で手を繋いだ。
 さっきまでのことを思い出し、ひとつ伝え忘れたことに気づく。
「……今日のこと、話してもいい?」
 黙ってうなずく奏汰に、僕はゆっくりと話し始めた。
「『こういう夏の晴れた日の午後に昼寝するのが好き』って言ってた奏汰の気持ちが、わかったかもしれないな〜って思って」
「おっ、魅力伝わった?」
「うん。何となくだけどね」
 目が覚めたときの喉が乾くようなあの感じと、差し込む夏の白い光。
「あと、起きると目の前に好きな人がいるのは……何かすごく幸せだった」
「だから、今日はありがとね」、と。
 そう言い終わる前に、僕は奏汰の腕の中に収まっていた。
「……俺、夏休みが終わるまで待つ自信なくなってきたかも」
「ええっ!?」
「まぁ、冗談だけど。……夏休み、たくさん楽しい思い出作ろうな」
「うんっ」
 いつものように繋いだ手を、恋人がよくやる繋ぎ方に変えて――。
 僕らは駅までの残りの道のりを、ゆっくり、話しながら歩き続けた。